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日本語の音節が少ないことと仮名文字の関係は?

「『嫌韓流』のここがデタラメ」 P.138 (呉文淑記)
~、日本語は文字の制約により音節数が限られ、同音異義語が多くなってしまったが、韓国語は日本語に比べ、音素の数が多いうえ、それを正確に表す文字があるため、漢字本来の音がいまも温存されているのである。

「日本語は文字の制約により音節数が限られ」の真意についての質問です。
この表現は適切ですか。素人考えでは因果関係が逆転しているように読めてしまいます。
この文章からは仮名が音節文字であるが故に日本語の音節が少ない、と述べているように受け取れます。実際は文字に先行して日本語があり、(多少の切り捨てはあったにもせよ?)日本語の音節全体を包含する形で仮名文字を発明したのではないでしょうか。従って音節数が少ない理由を仮名文字に求めるのは主客転倒している気がします。

さらに言うと日本語の音節がもっと多ければ日本人はハングル同様に子音と母音の組み合わせ文字を開発していたのではないかと考えます。「天地の歌」や「いろは歌」で行き止まらず、50音図表に到達していた時点で、子音と母音の認識があった筈だと考えます。よって、この時点で先達には子音と母音の組み合わせ文字を開発する能力があったとも推理します。つまり子音と母音の組み合わせ文字を開発しなかったのは、その必要がないほどに日本語の音節が少なかったのだと考えます。
こう推測している者に対して「日本語は文字の制約により音節数が限られ」の真意を解説して欲しいく思います。
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

まあ真意は著者に聞くしかないと思いますが.... ともあれ, こういう人の中には「現代だけを見て物を言う」人がいるのは確かでしょう.


普通に考えれば「表音文字を作るならすべての音を網羅する」よなぁ.... 実際, 万葉仮名の研究から「当時の日本語には今より多くの母音が存在した」ことが明らかになってるし. さらにいえば, かな文字にはもともと「標準」というものがなかったので, 「実際に作られたかな文字」の種類は「現在使われているかな文字」の種類よりかなり多いです. 明治時代になって「学校教育のため」ということで整理され, このときに標準として採用されたものが基本的に現在のかな文字となっています (採用されなかったものは「変体仮名」と呼ばれてます).
でも, 「韓国語は日本語に比べ、音素の数が多いうえ、それを正確に表す文字があるため、漢字本来の音がいまも温存されているのである。」とはあんまり言われたくないなぁ.... 朝鮮語 (のしかもハングル開発以後) においても「消えた文字 (= 消えた発音)」は存在するし, よしんば「漢字本来の音がいまも温存されているのである。」としても「放火と防火が区別できない」ことのメリットが見えない.

この回答への補足

締め切るに当たって

これはお礼欄を記した後に書いています。本日は11月4日です。この先、新たな回答は寄せられないものと判断し締め切ります。
締め切るに当たってはベストアンサーを選ばねばなりません。どれが該当するのか大いに迷いました。こちらを選んだ理由を申し述べます。

別の質問で何方様でしたか、橋本進吉著『古代国語の音韻に就いて 他二篇』を紹介して下さいましたので、通読しました。これには『国語音韻の変遷』が収録されています。
此処でも読めます。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000061/files/377_2 … 
これの最後の『五 国語音韻変化の概観』の(六)、(二)、(五)を参考にします。

(六)には、奈良時代には清音が60か61あり、更に時代を遡ればもっと多くの清音が存在したことが示唆されています。時代を経るとともに次第に統一、単純化され、仮名文字の発明に伴って誕生した「天地の歌」の時代には48音、「いろは歌」の時代には47音、「50音図」の時代には44音にまで減少していると記されています。これからすると音の減少は仮名文字の発明に先行しています。つまり仮名を発明した当時は48音で用が足りていたと考えます。また、仮名文字が48文字存在しても無用な4音は自然消滅し、従って文字も44字にまで減少してしまうことも暗示されていると考えます。
また、(二)、(五)には50音図が完成した後も音韻の総数(清音とは限らない)は増加しているとも述べられています。

これから判断して、呉文淑氏のいう「日本語は文字の制約により音節数が限られ」は何らかの正しいことを述べているのかもしれませんが私には依然として真意が掴めません。
と、なると「まあ真意は著者に聞くしかないと思いますが....」が絶対の真理になります。この真理が決定的作用をしてベストアンサーが決まりました。
皆さん、有り難うございました。

補足日時:2010/11/04 06:56
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この回答へのお礼

ここにも著者の真意を掴みかねている方が居られました。

かな文字の実用化を8世紀末まで遡ってよいのか否か私には判断できませんが、9世紀となら言っても間違えないのだと思います。
ハングルが15世紀で、この間500年強の時間差があり、一方は自然発生、一方は号令一下での誕生です。さらに、これを21世紀の人間が評価するのですから物指しを慎重に合わせて欲しいものです。

十分とは言えませんが仮名文字に関しては、このお答えも参考にしてNO.1のお礼欄を埋めました。

「漢字本来の音がいまも温存されているのである。」、この主張については、下記の質問の回答NO.2が参考になるかもしれません。朝鮮に伝わった唐音を朝鮮の人が聞いて、それをハングル誕生時の朝鮮語の音を用いて表したのでしょうから、中国の人々が聞いて「なるほど当時の唐音だわい」と評価してくれるのか、どうかです。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6237468.html 

有り難うございました。

お礼日時:2010/10/18 23:23

 おっしゃる通りだと思います。



 ただ仮名も危ないところをすり抜けた訳で、開音節(数が少ない)時に万葉仮名の骨子が出来ていた、平安になると閉音節が出来て、数が増える、これを「ん」と「っ」で乗り越えた(実際に表記法が定着するのは平安をだいぶ過ぎてからではありますが)、これで数が抑えられた、と思います。

 「日本語は文字の制約により音節数が限られ」って、どこか、少し、順序がおかしいですね。ご指摘の通りだと思います。
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この回答へのお礼

平安辺りまでは音節が増える傾向にあったらしいと読みました。過去の何処かで最多になり、その後は減る方向にある印象をもっていました。

>>これを「ん」と「っ」で乗り越えた<<
1音節に2文字を当てるのは避けたいのでしょうが、古い時代に開発した文字を時代に合わせて手入れしながら使う訳で、これも簡便な方法として賢さの表れでもあると思いました。

>>どこか、少し、順序がおかしいですね。<<
読み流せない、引っかかりを感じる同感覚の方が居られるのが判って安心しました。

有り難うございました。

お礼日時:2010/10/18 23:17

趣旨から外れるかもしれませんが、英語の綴りと発音の乖離はについてはジョークがあります。

ghiti
と書いてフィッシュ(魚)と読むというのです。最初のghはlaughのgh、iはそのまですが、tiはnationのtiだそうです。このような乖離があるので英語では発音記号が文字とは別に使われているのではないでしょうか。日本語では仮名が発音記号と区別されないことが悪いことなのかどうかわかりませんが、いわゆる標準語なるもの(の制定)には都合が良いのではないでしょうか。はっきりした記憶ではないのですが、米国でライオンとラインの区別がないような発音をする地方があると聞いたような気がします。
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この回答へのお礼

英語の綴りと発音の乖離についてはよく耳にしますが、このご回答ほど「なるほど」と納得させられたことはありません。ghitiのジョークで実によく分かりました。
辞典に発音記号がある理由も初めて意識しました。
時間をかけて探したら面白いジョークが生まれそうですが、発音はおろか、読み書きも覚束無いとあっては私には無理です。
有り難うございました。

お礼日時:2010/10/18 23:14

元々音節の数が少ない方だったとは思いますが、それでも例えば「がぎぐげご」のように、鼻音と鼻音でない音が二通りあるように、日本語にも豊富な音節があった筈です。

東北地方の訛りを聞くと、単純な平仮名では表せない音が今でも幾らでもあります。栃木などの訛りでは「えいが」や「えんぴつ」の発音は、聞き様によっては「いいが」とか「いんぴつ」と聞こえます。しかし、良く聞いてみると「え」と「い」の中間の音を出しています。そのような区別があるにも拘らず五十音の仮名に統一してしまったのは、音節の消滅と言う意味では致命的だったと思います。事実、「がぎぐげご」の鼻音は標準語を話す若者からは現在ほとんど聞けません。また、テレビの標準語の影響で、地方でも五十音の仮名で皆が話すように成りつつあります。ですから、日本語は文字の制約により音節数が限られてしまったと言うのは、必ずしも間違いではないと思います。

文字が発音を制限してしまうことの恐ろしさを、私はアメリカで経験したことがあります。飛行機の中で隣のアメリカ人の方からどこに行くのだと聞かれた時に、私はたまたまテキサスの州都である大都会のAustinという町に行く途中だったのですが、この町を片仮名でオースチンとかオースティンと書きますので、その通りの発音をしたのです。しかし、どうしても相手に通じない。私にはアメリカ人の発音がはっきりオースティンと聞こえていましたので、何度もそのように発音しました。でも通じない。そこで、その周りに在る小さい町の名前を幾つか言ってその近所だと言いましたら、ああ、オーステンかっていわれ、やっと分かってもらえました。そしてそのアメリカ人が、ティンじゃなくて、ナンバーテンのテンと言えと教えてくれました。その後私は耳を澄ましてアメリカ人の発音を聞いてみましたら、確かにティンではなくて、テンと言っているんですね。でも驚いたことに、それを言われるまで私には何度聞いてもティンとしか聞こえなかったのです。人間の耳は単に音の振動をそのまま聞き分けている訳ではなく、一旦文字にされてしまったらその文字通りの音を脳味噌が聞いてしまうようです。他の例では、拍手を私たちにはパチパチと聞こえていますが、アメリカ人にはクラップ クラップと聞こえているようです。これもまた文字の魔術ですね。

ですから、文字が出来てしまうと、その影響で発音まで変わってしまうと言うことは幾らでもありそうです。人間の面白さは、どんなに筋が通っているように見える理屈を見付けても、それで分かったことにならないところにあるようです。最終的には理屈で説明出来るのでしょうが、その理屈を探り当てるには、表面の合理性ばかりでなく、幾重にも皮を剥いてその深層を見なくてはならないところもあるようです。
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この回答へのお礼

拝読しました。今の時点でNO.4まで、ご回答を頂いています。NO.4まで読んで仕入れた知識も活用して記します。

第1段落に関して
1.「天地の歌」、「いろは歌」、「50音図表」が流布された後では、これらが規範になるでしょうから、此処に採用されなかった東北地方や栃木を含む各地方の音は方言に留まりがちなのは分かります。また、この結果、標準語の音節が増え憎いのも分かります。この事情を呉文淑氏が「日本語は文字の制約により音節数が限られ」と述べたのだとすれば、それはそれで納得できます。
これにて今回の質問に直接関わるお礼は一時中断で、寝言を挟みます。

2.「天地の歌」、「いろは歌」、「50音図表」が誕生するについては、これだけの仮名を用意しておけば当時の都界隈では用件が十分足りるとの認識があったのではないでしょうか。
仮に、ハングルと同様に室町時代になって初めて日本の文字を開発するとします。この時代には全国各地の方言との交流が活発になっているし、中国からの呉音、漢音、唐音も大量に流入しています。
そうなると清音、濁音、半濁音、拗音、促音、長音、鼻音、日本各地の音節等々を1文字で表すべきか音素文字を開発するべきか研究することになるのではないでしょうか。前者を選択すればハングルと同じ発想に行き着きます。後者を選択すれば欧文と同じ発想に行き着き、漢字を捨てるかもしれません。
こう考えると、日本語の音節数が限られた真の理由は文字を開発する時期が早過ぎたからで、それは取りも直さず日本人の好奇心、研究心、創意工夫の旺盛さにあったのではないかと推測します。音節の少なさが災いしているものがあるとすれば皮肉ではあります。

文字は何時、誰が作ったとも知れず自然発生的に出来るのが本来の姿ではないでしょうか。この結果、文字と音が一致しなかったり、漢字1文字に2文字、3文字の仮名を必要としたり、継ぎ接ぎだらけになるのは致しなく、それで正しいのだと思います。不合理の理とでも言うべきでしょうか。文字は為政者の号令を待って作るものではなく、名も知れぬ庶民が勝手にさっさと作るのが正しいと思います。
以上、無知なる故の大論文でした。
再び、お礼に戻ります。

第2段落に関して
3.音は耳が聞くものだと思っていました。実は耳はマイクロホンにしか過ぎず、脳が音を聞いているらしい、と思いました。
Austinに入植したのはどの国の人でしょうか。都市名の発音は入植者の母国語と無関係ではなさそうな気がします。

第3段落に関して
読み流してよいようないけないような、深遠なようなそうでないような。長くなるので反応しません。張り合いがなくて済みません。

有り難うございました。

お礼日時:2010/10/18 23:09

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