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銀杏(いちょう)を歴史的仮名遣いで書くとどう表記されるのでしょう。
辞書によると「いちやう」となっておりますが、宮沢賢治の童話に『いてふの実』という作品があります。どちらかが正解ということはないのでしょうか。
別の例として、泥鰌(どじょう)は本来「どぢやう」が正しいにもかかわらず、浅草の有名店が(縁起をかついで)「どぜう」と表記したエピソードがあります。
歴史的仮名遣い(特にやまと言葉)の表記はある程度のフレキシビリティが許容されていたのでしょうか。

A 回答 (4件)

 #2です.補足です。



 古文が使われなくなり、日常生活では、書く人も、読む人もいない、そんな時に、古文の雰囲気を作り出すために、「現代の言い方でない」、ただし正確ではない文を、書く作者、時代劇の脚本家、詩人などがいて、『擬古文』を書きます。

 全く同じ理由で 歴史的仮名遣いの発音が使われなくなり、日常生活では、話す人も、聞く人もいない、そんな時に、古い雰囲気を作り出すために、「現代の言い方でない」、ただし正確ではない仮名遣いを、書く作者、時代劇の脚本家、詩人などがいて、『擬歴史的仮名遣い』を書きます。

 「いてふ」はそういう例かもしれません。

 大正末期の下町の雰囲気を出すイラストに、看板を「ラヂヲ」と書いた店があり、こういうのも、同じ例だと思います。ですから『擬歴史的仮名遣い』は、何もやまと言葉に限定されないようです。

 
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国語の専門家ではないのですが、仏教関係の和本(江戸時代とかそれより少し前とか)を見ることがあります。



そういう書物には当時の人の書き入れがあるのですが、それを見る限り、今、辞書に載っているような歴史的仮名遣いを、常に間違いなくきちんと使っている人ばかりではないように思います。

それが教養不足によるものなのか、単に間違えただけなのか、「どれでも読めればいいや」という感覚なのかは分かりませんが。
今、手元にあるものは、江戸時代のある高僧の書物に、弟子が直接講義を受けつつ書き入れしたものです。
そういう高僧の弟子(その宗派では名のある僧侶)が「~と云うた」とか「~のようだ」などと書いていたり、「養生」のルビに「ヤウゼウ」「ヨウジョウ」と書いていたり。

どの程度、許容されていたのかは分かりませんが、結構、いい加減だなあという印象があり、ちょっとしたメモ書きなんかでは多少間違えていてもかまわなかったのだと思います。
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『日本国語大辞典』では、銀杏、公孫樹の歴史的観使いは「いちゃう」で、「鴨脚」の宋音の変化した語,とあります。



 蝶の歴史的仮名遣いは「てふ」ですから、それとの混同でしょう。
 http://kotobank.jp/word/%E9%8A%80%E6%9D%8F

>>歴史的仮名遣い(特にやまと言葉)の表記はある程度のフレキシビリティが許容されていたのでしょうか。

 別にそうだとは思いません。単なる混同でしょう。

 
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いちょうは「いてふ」のようですが・・・。



いちょう[いちやう] 0 【〈銀杏〉・〈公孫樹〉】
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0ss/101059800000/

泥鰌【ドジョウ】
http://kotobank.jp/word/%E6%B3%A5%E9%B0%8C

ドジョウ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%B8% …
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