3歳の息子が五重塔の写真を指差して「これ、誰かのおうち?」と聞いてきました。無知の私は答えられず、少し調べてみました。すると、「塑造の群像を安置する」と書かれてあったのですが、塑像を安置するだけのためにあんな物凄いものを作ったのですか?
分かる方いらっしゃいましたら教えていただけると助かります。

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A 回答 (5件)

五重塔は


仏舎利(釈迦の遺骨)を祀り、仏法興隆を祈る塔です。
法隆寺の五重塔は
中国の釈迦の真骨の仏舎利塔の前で供養した七宝(金、銀、瑠璃、玻瓈、硨磲、赤珠、瑪瑙)を仏舎利の代用として五重塔の心礎の地下に埋めています。

 インドを統一したアーショーカ王(BC268~232)は、敬虔な仏教徒で
八基のストゥーパに分けられ埋葬されていた仏舎利のうち七基を掘り起こし、
釈迦の遺骨を細かく砕き、八万四千の寺に、仏舎利塔を建立寄進したと伝えられます。
またさらに仏舎利を求める民のために再分骨されたり、
法隆寺のように
仏舎利塔の前で供養した七宝を仏舎利の代用にするなど
仏舎利と伝わるものは、十万か所以上あるそうです。
浅草・釧路・熊本などの仏舎利塔は、インド・スリランカから送られた釈迦の真骨と伝えられます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
五重塔というのは、どこも基本的に「仏舎利」を祀っているとのことが分かり、とても勉強になりました。
仏舎利と伝わるものが十万か所以上あるというのは凄いですね。浅草の釈迦の真骨があるという仏舎利塔、一度行ってみたいものです。

お礼日時:2011/04/09 05:09

歴史学者の説はともかく、当のお寺さんの見方を紹介します。


法隆寺管長の大野玄妙師、薬師寺管主の山田法胤師、宮大工の小川三夫氏の3人が座談されて、雑誌『文藝春秋』(2000年5月号)に掲載されています。

(司会・編集者に対して)大野玄妙師は
「ところで、いったいどこからどこまでが塔だか、ご存知ですか。
いちばん上の屋根に載せられている四角い露盤と半球形の伏鉢(ふくばち)とその上に立っている相輪など、金属で構成されているところだけが「塔」なのですよ。
それを遠くからでも立派に見えるようにどんどん持ち上げたのが三重塔や五重塔です」

この発言を受けて、小川氏は
「遠くからでも拝めるように高層の建物にしたわけですな」
さらに
「……心柱そのものが仏様で、塔はそれを守っているだけです。ですから、塔の構造を支える木材が心柱を刺したり貫くようなことは一切ない。……心柱は本来、露盤から上の部分を支えているだけで、塔そのものは支えないんです」と応じています。

ご参考までに。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

>いちばん上の屋根に載せられている四角い露盤と半球形の伏鉢(ふくばち)とその上に立っている相輪
>など、金属で構成されているところだけが「塔」なのですよ。
そうなんですねえ。NO.2の方が回答してくださったような流れがあってそういうことになっているんでしょうかね。

>心柱そのものが仏様で、塔はそれを守っているだけです
なんと、心柱がメインなのですか。心柱が五重塔をサポートしているのではなく、五重塔の屋根とか壁とかそういうのが全て心柱のためにあるのですね。これはビックリです。

お礼日時:2011/04/09 05:38

 既に詳細な説明は為されていますので、おまけの情報として。



 ゴータマ・シッダールタ(お釈迦様)は偶像などを禁止したため、初期の宗教的象徴はこのストゥーパ(塔)でした。
 そのため、日本でも初期の寺院建築(飛鳥寺、四天王寺etc.)においては、最も中心にこの塔が位置していました。

 しかし、ご存じの通りあの塔というのは何かに使い辛い構造ですし、その後仏像が大事だと思われるようになるとそちらの方が重要になり、金堂などが中心に取って代わるようになります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

なんと、お釈迦様は偶像(塑像や木像などっていうことですよね)を禁止していたのですね。知りませんでした。当たり前ですが、寺のつくりにも時代の流れがあるのですね。寺の見方が今までより深くなりそうです(自分なりにですが)。

お礼日時:2011/04/09 05:25

簡単に言うと


お骨を収めるお墓 です

仏舎利と言うのが芯柱の土台の石の下に収められています
あがめるために立派に大きく建てていくと言うのが
お寺さんにしても力を誇るために必要で
立てた宮大工さんもこんな大きいものが立てられるんだぞ。と自分たちの技術を
結集して建てています

芯柱は土台の石の上にくっついていません
凹はありますがそれに合うように柱を乗せてあるだけです
地震が来てもうまく力を逃がせるように
屋根の重さをうまくバランスを取るためにです
その技術がスカイツリーにも生かされています
1300年前の技術が今に生かされているのは不思議ですね
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

説明が非常にわかりやすく、頭の中にスーッと入っていきました。
五重塔の構造がよくわかりました。実は私、五重塔って五階建ての建物だと思っていました。中には階段があって・・・。恥ずかしい限りです。

お礼日時:2011/04/09 05:19

「五重塔(ごじゅうのとう)は、仏塔の形式の一つ。

層塔と呼ばれる楼閣形式の仏塔のうち、
五重の屋根を持つものを指す。

仏塔は、古代インドにおいて仏舎利(釈迦の遺骨)を祀るために紀元前3世紀頃から
造られ始めたストゥーパに起源をもつ。古代インドのストゥーパは饅頭形(半球形)
のものであったが、この形式が中国に伝えられると、楼閣建築の形式を取り入れて
高層化するようになった。こうした楼閣形の層塔は朝鮮半島を経て日本へ伝えられた。
木造の層塔は日本に多く残っており、中国、朝鮮半島における遺例はごく少ない。」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E9%87%8D% …

海外のストゥーパ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88% …
http://www.sekai-no-sign.com/watching/nepal/02.h …


>塑像を安置するだけのためにあんな物凄いものを作ったのですか?

法隆寺創建当時(聖徳太子の時代ですが)は、仏教は最新の海外技術・知識であり、
また諸外国に日本という国家を文明国として認めさせ、
国家を安定させるための道具でもありました。
五重塔はその象徴といえるものでしょう。
http://www.kaimyo.net/butu/
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

仏教だから、五重塔も朝鮮半島から伝わったと言われれば納得できます。でも、朝鮮半島に五重塔があるイメージがないのは、現在ではほとんど残っていないからなんですね。戦争などで壊されてしまったのだろうか。今後、自分なりに調べてみます。

お礼日時:2011/04/09 05:16

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京都の東寺の五重塔を浮観できる場所を教えてください。
以前、新幹線の中から見た五重塔が素晴らしかったのですが、当然動くので、あまり堪能できませんでした。やや見下ろすくらいの角度でじっくり見れるポイントをご存知ないでしょうか?

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ホテルグランヴィア京都の東寺側が見えるレストランで食事をしましたが
高い位置から見えるという感じではないです
ただ他にもレストランがありますので
直接聞いてしまった方がいいですね

この歩道橋と書かれている高さですと物足りないですよね?
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京都駅ビル駐車場

反対に京都タワーがいいかもしれません

Q層塔:数に意味?五重塔や十三重塔

化野念仏寺にある石の十三重塔を見ていて疑問に思いました。層の数が陽の奇数であることは分かりますが、十三あると、三重や五重より偉いのでしょうか。また十三より以上(十五、十七?)の塔は存在しますか?また念仏寺の様に、無数のミニ石塔に囲まれている場合、石塔が中心の仏さまで、周りのミニ達が信仰する者、またはその祈りの具体化、という介錯で間違っていませんでしょうか。ご存知の方教えて下さい。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

塔婆の起源は梵語のスツウパ<stupa>より出て卒塔婆等ともいい、
本来は仏舎利(釈迦の遺骨)を蔵する為であり、
仏教伝来当初は、礼拝の第一義的な対象として、
金堂と共に寺院の中心として伽藍の中にあった塔が
時代が下るにつれ、伽藍の中心や塔本来の宗教的な位置付けから離れ、
信仰の証しから寺院のシンボル的な役割を色濃くしていったようです。

そんな流れの中、
塔の位置付けも墳墓の標、霊跡標識、追善供養の為などと漸次拡大し、
材料は木や石が多い中、鉄塔・銅塔・瓦塔・泥塔
あるいは紙に描いた画塔・印塔などもあって、
種類も相輪塔、宝塔、多宝塔、多層塔(三重塔・五重塔など)、龍塔、五輪塔、
宝篋印塔、板塔、角塔など多様な変化を示しています。

塔の位置付けの変遷などは下記WEBページなどが御参考になるかと思います。
◇日本全国五重塔・三重塔を巡る旅
http://www5f.biglobe.ne.jp/~syake-assi/newpage326.html

>十三あると、三重や五重より偉いのでしょうか。

明治以前の建築では、全国一の高さを誇ったのは約55mの東寺(京都市)の五重塔、
談山神社(奈良県桜井市)には、明治前の木造としては唯一の十三重塔が立っていますが、
この塔の高さは東寺の3分の1程度。

遺跡や記録だけなら、東大寺をはじめ全国の国分寺には、
奈良時代ごろからたぶん東寺の五重塔を凌ぐ高さの七重塔がたっていたらしく、
平安時代には法勝寺(京都市左京区岡崎)に100m近い九重塔がそびえていたとか。
ところが奇妙なことにそれらは全て倒壊し、
現存する明治前の木造の塔は、談山神社の十三重塔以外は全て三重か五重。
一方、石造になると殆どは十三重で、三重や五重はあまりなく、
三重や五重に見えるのは、宝篋印塔や五輪塔であることが多い様子。

五重塔と三重塔のふるさとである近畿に限ると、
高野山を本拠地とする真言寺院には五重塔が圧倒的に多く、
対して比叡山を本拠地とする天台寺院には三重塔が圧倒的に多い傾向にあるようですが、
江戸では最澄派にもかかわらず、金満の象徴のような五重塔を建立した寺もあります。
ただし、小規模な五重塔がある一方で、
法相宗の大本山の一つである薬師寺(奈良)の東塔(一見六重の塔に見える三重塔)のように、
東寺五重塔、興福寺五重塔、醍醐寺五重塔に次ぎ、4番目の高さを誇る例もありますから、
五重塔と三重塔の違いを価格で単純比較する事も出来ません。
また、法相宗の大本山の一つである興福寺(奈良)などでは、
五重塔と三重塔の両方が建立されてます。
あと、聖徳宗に属し奈良の斑鳩で隣り合わせに立っている法隆寺と法起寺、
法隆寺の五重塔は向かって右に金堂、左に塔を置くのに対し、法起寺ではその逆になっている
ことから男と女、陽と陰をあらわすと解く先生もいらっしゃいます。
(『ねじれた伊勢神宮 「かたち」が支配する日本史の謎/宮崎興二/祥伝社文庫』)

なお、十三重石塔の建立目的について…
たとえば現存する日本最大の最古の石塔とされる京都府立宇治公園中の島の
宇治浮島「十三重石塔(高さ約15m)」は、宇治川での殺生の罪を戒め、
「供養塔」として建立されたようです。
◇http://www.wao.or.jp/aiso/tales/02/index.html
また、モノは違いますが
◇http://bud.beppu-u.ac.jp/xoops/modules/xoonips/detail.php?id=ss16306
『佐伯史談 No.163(1993.6)佐伯十三重塔と中世佐伯氏/宮下良明/佐伯史談会』
(39~45頁)<5/7>によれば「…十三重石塔も、当時の法華経信仰の影響を受けて、
石に写経して基礎下に埋め、その上に塔を建て、礼拝の対象物としたのであろうか。
いわば経塚のようなものである。そのように解釈すれば納得がいく。
近世の一石一字塔も同じ意味を持ち、経塚の延長の現れであろう。…」
と「経塚」と解釈されています。

以上の断片だけを捉えても、宗派や時代背景或いは建立目的などによる違いが考えられ、
三重ならびに五重と十三重とで単純に優劣を比べられる類のものではないようです。

>また十三より以上(十五、十七?)の塔は存在しますか?

小松市指定有形文化財として小松天満宮(石川県小松市)に
「十五重石塔(約7.24m)」が存在します。

ただし、伝統的な「多層塔」には定義があり、
「各階の平面形はどの階も同じ正多角形であること、
一階にだけ仏像が安置されていて、二階以上はただの飾りであること、
最上階の屋根の上に九輪(相輪)という九つの輪を積み重ねた細長い飾りがついていること、
などである」(『日本塔総鑑/中西亨』)。
したがって、各階の平面形が違ったり、九輪がついていなかったりの宝篋印塔や五輪塔は、
多層塔ではないらしい。
よって、小松天満宮の十五重石塔も、
九輪がついていないから正式な塔ではないという説もあるとのこと。

◆「小松天満宮」
http://www.bairin.net/JapaneseHP/Japan-top-page/japanese_main.html
◇小松天満宮>由緒 十五重石塔(写真)
http://www.bairin.net/JapaneseHP/Yuisho/yuisho1.htm
◇小松天満宮>由緒>十五重石塔について
http://www.bairin.net/JapaneseHP/Yuisho/jyugojyu-setumei.htm

>また念仏寺の様に、無数のミニ石塔に囲まれている場合、
>石塔が中心の仏さまで、周りのミニ達が信仰する者、
>またはその祈りの具体化、…

少なくとも(華西山東漸院)化野念仏寺に関しましては、自らのWEBページで、
http://www.nenbutsuji.jp/enkaku.html
「釈尊宝塔説法を聴く人々になぞらえ配列安祀してある。」と謳っていますから、
triplechocolate様の解釈で宜しいのではないでしょうか^^

塔婆の起源は梵語のスツウパ<stupa>より出て卒塔婆等ともいい、
本来は仏舎利(釈迦の遺骨)を蔵する為であり、
仏教伝来当初は、礼拝の第一義的な対象として、
金堂と共に寺院の中心として伽藍の中にあった塔が
時代が下るにつれ、伽藍の中心や塔本来の宗教的な位置付けから離れ、
信仰の証しから寺院のシンボル的な役割を色濃くしていったようです。

そんな流れの中、
塔の位置付けも墳墓の標、霊跡標識、追善供養の為などと漸次拡大し、
材料は木や石が多い中、鉄塔・銅塔・瓦塔・泥塔
あるいは紙に描いた画塔・...続きを読む

Q五重塔を建てた目的は何か

七堂伽藍の中で五重塔以外の建物についてはその役割が分かるのですが、五重塔(三重塔、七重塔も含めて)を建てた目的はいったい何でしょうか。
仏舎利を納めるのであれば、ほんとうに納めた例があるのでしょうか。
もし仏舎利を納めていなければ、あるいは納める予定すら無ければ、
塔は、象徴的な意味しかないと思いますが、
五重塔には何か宗教的な意味があるのでしょうか。

宗教的な意味があるとすれば、禅宗寺院の七堂伽藍には五重塔がないのはなぜか、という疑問が残ります。

むしろ、仏教勢力を誇示するために、最新・最高の技術を見せ付けるために建てたとする考えはないのでしょうか。
2塔を有する寺院さえありますから。

Aベストアンサー

昔の塔であれば、いちおう、仏舎利を塔の下に収めていますよ。ただし、本物のお釈迦様の舎利ではないでしょうけれど。
今、いくつかの寺院などに仏舎利が伝わっていて、それは中国から請来されたものだと思われますが、たいていが水晶など宝石の類、もしくは玉の類だったみたいです。仏さまの本当のお骨ではありませんが、当時としては高価なもので、それを仏さまのお骨に見立てたわけです。
そういうものが実際に塔の下に収めてあるはずです。発掘調査などで出てくることもよくあります。

まあ、勢力を誇示するためといわればそれまでですが、私見では、勢力を誇示するというよりは、「ここに仏さまのお骨が収まっていますよ。ここへ来て仏さまに手を合わせましょう」というような、布教活動の一環といった方がいいように思います。それによって信者を集めてお金を集めて……などという見方もできるかもしれませんが、日本に仏教が伝わったころの寺院はそういうことよりも、とにかく仏教を広めたいという方向だったと思います。

また、「仏教に関わる知識人は、それまでの日本にない技術を持ち合わせている」=「それだけ仏教が教学的にも技術的にも文化的にも進んでいる」ということを示しているとも言えると思いますが、やはりそれも仏教を広めるためのものだったと思います。

実際に本物の仏舎利が収まっていないのだから塔には意味がない、というのではなく、「仏舎利とはきっとこういうものなんだろうなぁ」とイメージできるような代用品を収めることによって、人々に仏という存在に思いを致すように導くための重要な建物だと、私は思っています。

もう随分前の学生時代に習ったことなので記憶は薄いのですが、法隆寺など奈良仏教の寺においては、塔が一番重要な建物と位置づけられていたはずです。

昔の塔であれば、いちおう、仏舎利を塔の下に収めていますよ。ただし、本物のお釈迦様の舎利ではないでしょうけれど。
今、いくつかの寺院などに仏舎利が伝わっていて、それは中国から請来されたものだと思われますが、たいていが水晶など宝石の類、もしくは玉の類だったみたいです。仏さまの本当のお骨ではありませんが、当時としては高価なもので、それを仏さまのお骨に見立てたわけです。
そういうものが実際に塔の下に収めてあるはずです。発掘調査などで出てくることもよくあります。

まあ、勢力を誇示...続きを読む

Q中国風の五重塔か三重塔のある寺について

群馬県か栃木県に、中国風の五重塔か三重塔のある寺があることを、
以前、本で読んだのですが、寺の名前を忘れてしまいました。
鎌倉時代の禅宗の寺について書かれた本でした。
この寺の名前がわかる人がいたら教えてください。

Aベストアンサー

長野県ですが。

安楽寺八角三重塔
http://homepage2.nifty.com/K-Ohno/a-map/Nagano/3637-AH-temple/04-AH.htm

Q五重塔に住めますか。

先日世界最古の企業「金剛組」が五重塔を建てている映像が流れました。578年(聖徳太子の時代)に出来た会社だそうです。
そこで自分の土地にこの五重塔を建てることは法的に可能でしょうか。またそれに住む事はできるのでしょうか。
お城を建てて住んでいる人がいるので、大丈夫なような気もするのですが、木造で5階建てになるんですよね。
ピラミッドを作って住むなんてことも出来ますか。
実際に作るつもりはありませんが、ちょっと疑問に感じましたので。

Aベストアンサー

現行法では難しいかもしれません。
土地にはさまざまな規制がありますので、
それをクリアすることはたいへんでしょう。
市街地ですと防火、準防火、22条地域などがほとんどですので、
広い土地がいるでしょうし。
かといって規制のない無指定の土地(山間部など)だとライフラインもありません。
軒高9m、高さ13mをこえる建築物は、防火性能を求められるため、
木造の場合は燃え代や耐火被覆が必要となります。
(今のところ、軸組や伝統工法ですと3階建てまで、それ以上は枠組工法でしか建たない)
文化財は、現行法が除外されていますから、改修もできるのですけどね。

モニュメントとしての、工作物であれば、逃げ道もありそうですが、
住む、となると…。
そんな感じです。

Q五重塔の違い

はじめまして。

早速ですが、法隆寺の五重塔と中国の唐の時期に造られたGreat Wild Goose Pagotaは、ほぼ同時期に建造されているにもかかわらず、外観がこうも違うののは何故なのでしょうか?
当時、日本は中国の技術・知識を輸入してこういった建物を構築していたと思うのです。よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

結論を先に書きますが、インドのstupaが中国に伝えられて大きく塔建築へとイメージが改変され、日本は大枠でこれを受け継ぎながらディテールを変更していった、と言えます。つまり日本の仏塔建築はもとはインドのstupaとは言いながら、建築様式の根幹では中国の影響が大なのです。
一方で大雁塔は玄奘三蔵の個人的な意向が反映された建築で、stupaとはもともと別個の機能を持った建物ですから、これをstupaの代表とみてはなりません。

インドの本来のstupaというのは土のドームの頂点に小さな傘を重ねて乗せたようなものです。そもそもstupaという梵語の言葉の原義が「土塁、塚」で、仏舎利塔もその形状からやがてstupaと呼ばれるようになったわけですから、その基本はあくまで「土を盛ったもの」です。

このイメージは中国に入ってから大きく改変されます。素材が木造やせん造(瓦のようなもの)となり、形状も楼閣建築の流れを受けて層を重ねた塔状へと変化していったのです。日本にはこの建築様式が半島経由で伝えられ、風土に合った木造が主流となったうえで、さらに斗組などと呼ばれる組物の形式が一層発展していったわけです。
木造の塔は中国でも大変多く作られたとされますが、現存するのは最古でも11世紀頃のもので、法隆寺クラスのものは残されていません。このことは複数回の兵難や仏教弾圧の激しさを意味こそすれ、古い木造塔建築の存在を否定するものでは決してありません。

さて、大雁塔はこういった仏舎利塔としてのstupaではありません。この塔はインドから戻った玄奘三蔵が唐の太宗皇帝に具申してつくられたものですが、その目的は経庫つまり経典の収蔵のためであって、もともと仏舎利塔として意図されたものではないのです。

あまり知られていませんが、大雁塔には実はモデルが存在します。玄奘の著した「大唐西域記」に記載がありますが、彼がインドのナーランダ寺に滞在して学問を修めていた際に色々と尋ね歩いた仏跡のうちのひとつ、「雁塔」という石造の塔を帰国後にいわば模倣して再現したのです。

この雁塔は当時中国でもよく知られていた伝説的な塔であったようです。小乗の僧が肉を得られずに腹をすかせ、空を飛ぶ雁にその旨を語ったところ雁が自ら墜死して僧に自分の体を供養した、僧は自ら招いた殺生を恥じて雁の供養のために塔を建て、それ以降食肉を禁ずる大乗に転向した、という説話があり、玄奘の時代にはその発祥地であるオリジナルの塔が存在していたのです。

従って、大雁塔はオリジナル自身も含めstupaではありません。寺の記録である「慈恩伝」によれば玄奘はこの雁塔に触発されてこれを忠実に模したものを作ろうとしたらしく、当初は石組みで高層のものを作ろうとしたようですが、太宗皇帝の忠告をいれて最終的に煉瓦作りの五層の塔としたとされています。はるばるインドから持ちかえった経典をインド風の建物に収蔵したいと願った玄奘三蔵の思いは当然のことだったでしょう。

要するに、大雁塔というのはインド求経の旅を行った玄奘であってこそ作り得た特異な建築であって、stupaの流れを汲む多くの仏塔建築からは独立した存在だと考えるべきです。

結論を先に書きますが、インドのstupaが中国に伝えられて大きく塔建築へとイメージが改変され、日本は大枠でこれを受け継ぎながらディテールを変更していった、と言えます。つまり日本の仏塔建築はもとはインドのstupaとは言いながら、建築様式の根幹では中国の影響が大なのです。
一方で大雁塔は玄奘三蔵の個人的な意向が反映された建築で、stupaとはもともと別個の機能を持った建物ですから、これをstupaの代表とみてはなりません。

インドの本来のstupaというのは土のドームの頂点に小さな傘を重ねて乗せた...続きを読む

Q五重塔の特徴は?

奈良近辺の寺には五重塔が数多くありますが、これらの特徴を挙げるとすればどんなことが挙げられるでしょうか?

Aベストアンサー

こんばんは

西岡先生(神様ですな)は、すでに
天に召されてらっしゃいますので

著書をお読みくださいませ
http://www4.kcn.ne.jp/~ikaru-i/icenter/i1060.html

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/249-0101298-3141104?%5Fencoding=UTF8&search-type=ss&index=books-jp&field-author=%E8%A5%BF%E5%B2%A1%20%E5%B8%B8%E4%B8%80

そして各地に散らばる
神の弟子の方々
http://www.tonotv.com/members/shajiiwt/index.html

http://www.sakamura-lab.org/tachibana/hatachi/ogawa.html

特徴かぁ
基本的にヒノキ作りであること

特徴といっても
建立された時代によっても違うでしょう
宗派によっても違いますし

こんばんは

西岡先生(神様ですな)は、すでに
天に召されてらっしゃいますので

著書をお読みくださいませ
http://www4.kcn.ne.jp/~ikaru-i/icenter/i1060.html

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/249-0101298-3141104?%5Fencoding=UTF8&search-type=ss&index=books-jp&field-author=%E8%A5%BF%E5%B2%A1%20%E5%B8%B8%E4%B8%80

そして各地に散らばる
神の弟子の方々
http://www.tonotv.com/members/shajiiwt/index.html

http://www.sakamura-lab.org/tachibana/hatachi/og...続きを読む

Q法隆寺

奈良の法隆寺は聖徳太子が建ててそのままの姿で何百年も続いてきたのではないですよね?
何度くらい建て替えてるのでしょうか。
詳しい方お願いします。

Aベストアンサー

こんばんわ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E9%9A%86%E5%AF%BA

上にあるように、法隆寺では聖徳太子が創建した当時のままであるという伝承が伝わっていました。
法隆寺のサイトではその伝承にもとづいて略縁起を書いているようです。

しかしながら法隆寺にはかねてより再建論と非再建論がありました。
再建論の根拠となったのは『日本書紀』に天智天皇9年(670年)に法隆寺焼失の記述があることでした。
これに対して非再建論の主張 は、
・法隆寺の建築様式は他に見られない独特なもので、古風な様式を伝えている。
・薬師寺・唐招提寺などの建築が唐の建築の影響を受けているが、法隆寺は朝鮮半島三国時代や、隋の建築の影響を受けている。
・薬師寺などに使われている基準寸法は(大化の改新で定められた)唐尺であるが、法隆寺に使われているのはそれより古い高麗尺である。
・日本書紀の焼失の記事は年代が誤っており、推古時代の火災の記事を誤って伝えたものであろう。
というものでした。

1939年(昭和14年)、発掘調査により、聖徳太子当時のものであると考えられる前身伽藍、四天王寺式伽藍配置のいわゆる「若草伽藍」の遺構が発掘され、現在は再建説が有力となっています。

こんばんわ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E9%9A%86%E5%AF%BA

上にあるように、法隆寺では聖徳太子が創建した当時のままであるという伝承が伝わっていました。
法隆寺のサイトではその伝承にもとづいて略縁起を書いているようです。

しかしながら法隆寺にはかねてより再建論と非再建論がありました。
再建論の根拠となったのは『日本書紀』に天智天皇9年(670年)に法隆寺焼失の記述があることでした。
これに対して非再建論の主張 は、
・法隆寺の建築様式は他に見られない独特なもの...続きを読む

Q現存する五重塔の数

いくつの五重塔が現存しているのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは


55基のようです

ご参考までに

Q法隆寺

昔、法隆寺には釘が一本も使われていないと聞きましたが、
その話は実はウソという話を最近聞きました。本当のところは
どちらなんでしょうか。また、公式的(?)にはどのように紹介されて
いるのでしょうか。教えてください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。
興福寺など、五重塔では釘を使わない木組みで作られた物も実在します。
http://user.ecc.u-tokyo.ac.jp/~j40265/nara.html

しかし法隆寺の場合は、五重塔も含めて釘(和釘という四角い釘)を使用しています。
http://urano.org/kankou/ikaruga/horyuji3.htm

恐らく五重塔同士で混乱したのでしょう。


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