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最近、テレビを見ていて、アナウンサーやレポーターが言っている言葉に疑問を感じています。

良く、旅番組や、ニュースで、「魚が売っている。」「パソコンが売っている。」のように、売られる対象のものが、主語になって、動詞の行動をしている(売っている)かのような表現を良く耳にします。

「魚が売っている。」の正しい日本語での言い方は、「魚が売られている。」か、「魚を売っている。」のどちらかになると私は思っています。

しかし、テレビでも使われているので「魚が売っている。」は、正しい日本語なのでしょうか?

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A 回答 (7件)

本来、誤用というべき表現であるのは間違いないでしょう。


ただ、実際にはかなり広まっている用法であるのも確かです。

「○○が売っている」のような表現に違和感を覚える人でも、例えば、これの否定形で
 「欲しかった本がどこにも売ってない」
だとか、疑問形で、
 「その服、どこに売ってたの?」
などになると、余り違和感なく受け入れてしまう人は多いのではないでしょうか。

試しにgoogleでフレーズ検索してみると、
 "どこにも売ってない" 約 4,470,000 件   "どこにも売っていない" 約 718,000 件
 "どこでも売ってない" 約 411,000 件    "どこでも売っていない" 約 78,200 件
 "どこにも売られてない" 約 188,000 件   "どこにも売られていない" 約 144,000 件
 "どこでも売られてない" 約 10,400 件    "どこでも売られていない" 約 10,800 件
ご覧のとおり、本来誤用であるはずの「どこにも売ってない」「どこにも売っていない」が
圧倒的多数です。

ここで「どこにも」と「どこでも」を区別させてもらいましたが、これは「売っている」という表現が
「誤用」かどうかの一つの判断ポイントになるからです。

「~が~を売っている」あるいは「~が売られている」という本来正しい表現において、
売っている場所や店を示す格助詞は「に」ではなく「で」なのです。
例えば、「Aさんは○△書店で本を売っている」なら、Aさんは本屋の主人か店員さんですが、
「Aさんは○△書店に本を売っている」になると、Aさんは出版業者か何か、あるいは古本屋に
本を売りに来るお客さんになってしまいます。
先に疑問形の例文として挙げた「その服、どこに売ってたの?」も、「その服」は格助詞が
ついていませんが、「その服を」という目的格が省略されたものと解釈するのは不可能です。
「その服」は主格と認識するしかないということです。

もちろん「~が売っている」という表現で場所を表すのに必ず「に」が使われるわけではなく
「で」も良く使われます。
ただ、場所を表すのに「で」ではなく「に」が使われることがあるということは、多くの人にとって、
「~が売っている場所」というのは「それを『売る』という行為が行われている場所」ではなく、
「『売っている』という状態が存在する場所」であることを表しています。
本来の「~を売っている」「~が売られている」という表現は、あくまで「売る」という行為が
進行中であるという意味の表現です。したがって、問題の商品に加え、それを売買する
売り手や買い手の存在も意識される表現になります。
それに対し、「~が売っている」という表現では、売り手や買い手をほとんど意識せずに
単に「購入可能な商品として存在する」という状態を表す表現なのだと思います。
それが格助詞「に」に表れているのでしょう。

以上より、私は「魚が売っている」は「魚を売っている」「魚が売られている」などとは表す
ニュアンスが微妙に異なる表現であるように思います。
ぴったり置き換えられる表現がほかにないからこそ定着したのでしょう。

こういう表現を文法的に「間違い」であるとするのは簡単です。
もちろん、まだ話し言葉以外の文書などでは、極力避けられるべき表現であるのは
言うまでもありません。
ただ、実際に広く使われている以上、そのこと自体は表現の揺れとして受け入れて行く
べきではないかと私は思います。


なお、この「~が売っている」以外でこれと似た用法としては、
「(店が)営業中である」「(映画などが)上演中である」「(テレビ番組が)放送中である」
などの意味で使われる「~がやっている」が挙げられるかと思います。
それ以外の例はちょっと思いつきません。
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この回答へのお礼

長文での回答ありがとうございます。

>「○○が売っている」のような表現に違和感を覚える人でも、例えば、これの否定形で
 「欲しかった本がどこにも売ってない」
だとか、疑問形で、
 「その服、どこに売ってたの?」
などになると、余り違和感なく受け入れてしまう人は多いのではないでしょうか。←確かにそうかも・・・???


>単に「購入可能な商品として存在する」という状態を表す表現なのだと思います。 以上より、私は「魚が売っている」は「魚を売っている」「魚が売られている」などとは表すニュアンスが微妙に異なる表現であるように思います。
ぴったり置き換えられる表現がほかにないからこそ定着したのでしょう。 こういう表現を文法的に「間違い」であるとするのは簡単です。もちろん、まだ話し言葉以外の文書などでは、極力避けられるべき表現であるのは言うまでもありません。ただ、実際に広く使われている以上、そのこと自体は表現の揺れとして受け入れて行くべきではないかと私は思います。←単に「購入可能な商品として存在する」「ニュアンスが違う」・・・少し、理解できるような気がします。変化しているんですね。

話し言葉と文書では、言い方が変わってしまうんですね。それは、それで困ると思われますが・・・でも、外国人に日本語教える時に困るでしょうね。The fish sell something.???

Yahoo翻訳で試しに、「魚が売っている。」と入れてみました。
結果、”A fish is sold.”と日本語の意味?(間違った意味)と英語が一致しました。

ここまで浸透しているんですね。すごい。

お礼日時:2011/07/20 07:35

>テレビでも使われているので「魚が売っている。

」は、正しい日本語なのでしょうか?
実際、画面に魚が何かを客に売っている様子が映し出されてたとしたら、正しいでしょうね。
でも、有り得ませんよね。そんなこと。


>「魚が売っている。」の正しい日本語での言い方は、「魚が売られている。」か、「魚を売っている。」のどちらかになると私は思っています。

正しいと思います。

ここの質問でも、「"モノ"が売ってる」という表現を多く眼にして、私はいらだちます。
話し言葉では、まぁ、許容できます(言いたいことはわかるから)が、話し言葉どおりに書いてそれをおかしいと感じない(読み返してみれば違和感があるだろうに)ことが信じられません。
どんだけ頭を使わないんだよ、と。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうです。魚が客に売っていたんですよ・・・”何かを”・・・なんて映像ありえないですよね。笑えます。

他の方の回答を見ていて思ったのですが、話言葉と、文書は違うようですね。
話し言葉の勢いで、こうなっちゃうみたいですね。

そのうち、定着しちゃうんだろうな。でも、外国人に日本語教える時に困るでしょうね。The fish sell something.???

Yahoo翻訳で試しに、「魚が売っている。」と入れてみました。
結果、”A fish is sold.”と日本語の意味?(間違った意味)と英語が一致しました。ここまで浸透しているんですね。すごい。

お礼日時:2011/07/20 07:16

おっしゃる通り正しい日本語とは言えません。



なぜそんな言い方になったのか推理してみました。
日本語の会話ではしばしば格助詞が省略されます。昔の文語でも省略が多いです。
「魚が売っている」は変な日本語ですが「おっ、魚売ってるよ」ですと間違いだとは言えません。
「おっ、魚売ってるよ」は「おっ、魚屋が魚を売っているよ」の文から、「魚屋が」という主語と「魚を」の「を」を省略したものでしょう。
あるいは「おっ、魚が売られているよ」という受身の文章のしかつめらしさを嫌って「おっ、魚売ってるよ」にしたのかも知れません。
いずれにしても、実際の会話では「おっ、魚屋が魚を売っているよ」や受身の言い方は文法上は正しくても、その場に適した言い方ではありません。
「おっ、魚売ってるよ」の方がいいですね。「魚」と「売る」がわかればいいのです。余計な主語や目的語の格助詞、受身態などややこしいものがない方がわかり易いのです。

ところがテレビのアナウンサーは「魚が売っている」と言いました。
「あっ、魚売っています」ならばいいのに、わざわざ「が」を入れました。

入社時の研修で「てにおは」など助詞の使用について、厳しくしつけられたのが響いていて、助詞の省略用法が乱暴な言い方だと思ったのか、どうかわかりませんが、「が」を入れちゃったんですね。
文法上の主語とかは別にして、言いたいことは「魚」と「売っている」なのです。
それでつい「魚が」と格助詞をつけて主語にしちゃったのでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やはり、おかしいですよね。

話言葉と、文書は違うようですね。
話し言葉の勢いで、こうなっちゃうみたいですね。

そのうち、定着しちゃうんだろうな。でも、外国人に日本語教える時に困るでしょうね。The fish sell something.???

Yahoo翻訳で試しに、「魚が売っている。」と入れてみました。
結果、”A fish is sold.”と日本語の意味?(間違った意味)と英語が一致しました。ここまで浸透しているんですね。すごい。

お礼日時:2011/07/20 07:12

No.2の回答者ですが、念のために申し上げておきますが、


「魚が売っている。」は、文法破りで、誤った日本語です。
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この回答へのお礼

2回の回答ありがとうございます。

やはり、おかしい日本語ということで、安心しました。
でも、既に、変化してしまっているようですね。

yahoo!翻訳に「魚が売っている。」と入れてみたら、笑えました。

お礼日時:2011/07/20 07:11

>>しかし、テレビでも使われているので「魚が売っている。

」は、正しい日本語なのでしょうか?

僕は間違いだと思います。

    ×「魚が売っている」は、○「魚が売ってある」の前半分と○「魚を売っている」の後半分をくっつけてできた、混交文だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やっぱり、おかしいですよね。

他の方の回答を見ていて思ったのですが、話言葉と、文書は違うようですね。
話し言葉の勢いで、こうなっちゃうみたいですね。

そのうち、定着しちゃうんだろうな。でも、外国人に日本語教える時に困るでしょうね。The fish sell something.???

Yahoo翻訳で試しに、「魚が売っている。」と入れてみました。
結果、”A fish is sold.”と日本語の意味?(間違った意味)と英語が一致しました。ここまで浸透しているんですね。すごい。

お礼日時:2011/07/20 07:08

こんにちは。



活気のある店頭の様子を即座に描写するとき、
「売られている」
というリズムにかけた言い方では、聞き手がげんなりします。

「魚が」「パソコンが」と言ったところで、「魚を」「パソコンを」と言い直すのも、いまいち。

で、結局そのまま突っ走り、
「魚が売っています」「パソコンが売っています」
となっちゃうわけです。

話し言葉では時折、文法破りの文が登場するものです。

もちろん、原稿が「魚が売っている」、「パソコンが売っている」になっていたとしたら問題ですが、話すときの勢いということで、まあ許容範囲だと私は思います。

「売っている」だけじゃないですよ。
テレビのニュースなどで、街頭インタビューはもちろん、解説者、コメンテーターの話の声がテロップとともに流れるとき、話の文法誤りをテロップで訂正している例は、1日に1回は見かけます。
評論家や学者どうしの討論でも、文法破りの話し方を聞くことが出来ます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

話言葉と、文書は違うようですね。
話し言葉の勢いで、こうなっちゃうみたいですね。

そのうち、定着しちゃうんだろうな。でも、外国人に日本語教える時に困るでしょうね。The fish sell something.???

Yahoo翻訳で試しに、「魚が売っている。」と入れてみました。
結果、”A fish is sold.”と日本語の意味?(間違った意味)と英語が一致しました。ここまで浸透しているんですね。すごい。

お礼日時:2011/07/20 07:07

そんな言葉使われてますかね?、、、、、と思って数回その言葉を口に出してみたらあまり違和感がなく、というか実は私も日常的に使っていそうだと実感しました。

マズイですね、、、。まぁ、日本語としては正しくなさそうですが、意味はわかりますね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やはり、使ってますか・・・

他の方の回答を見ていて思ったのですが、話言葉と、文書は違うようですね。
話し言葉の勢いで、こうなっちゃうみたいですね。

そのうち、定着しちゃうんだろうな。でも、外国人に日本語教える時に困るでしょうね。The fish sell something.???

Yahoo翻訳で試しに、「魚が売っている。」と入れてみました。
結果、”A fish is sold.”と日本語の意味?(間違った意味)と英語が一致しました。ここまで浸透しているんですね。すごい。

お礼日時:2011/07/20 07:06

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Q「魚が売っている」は正しい日本語だと思います。

これは、http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6884530.html を受けた質問、と言うより、意見です。
議論に参加できなかったので、新しく質問形式としてthreadを立てました。


「魚が売る」は変です。しかし、「魚が売っている」は正しい。これが私の意見です。

「売っている」を普通に他動詞と見て、「魚」をその目的語と見るから、変だ、と言う発想になるのですが、これはあまりにも英語的な見方だと思います。

文型的には主語のように見えて、実際には主語になっていない「が」というものが存在します。例えば、述語として、形容詞、或いは、形容詞相当語句が来る場合、「が」が主語にならない場合があります。
・水が飲みたい
・平家の由来が聞きたいほどに(ロドリゲス大文典)

また、述語が、話し手が直接関与しない事態を説明するとき、その事態の元になったものを示すときにも、主語にならない「が」を使うことができます。
「可能」はその一つです。
・ここで水が飲める(「水」は、飲めるの目的語ですが、「が」が使えます。)

「可能」以外でも、話し手が直接関与しない事態が述語になれば、「が」を使うことができます。
・急に予定が変更した(「広辞苑」の例文)
・油が切らしてある。(「広辞苑」の例文。)

特にこの2番目の、「油が切らしてある」は、「魚が売っている」と全く同じ構造を持っています。英語風に見れば、「切らす」は、「油」の目的語じゃないか?となってしまいますが、これは正しい日本語なのです。

「売っている」も、単に「売る」の進行形ではなく、この場合、話し手が直接関与しない事態・状態を示す動詞だと考えられます。故に、
・魚が売っている

は、間違った日本語ではない、以上が私の意見です。

(参考:広辞苑・岩波古語辞典)

これは、http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6884530.html を受けた質問、と言うより、意見です。
議論に参加できなかったので、新しく質問形式としてthreadを立てました。


「魚が売る」は変です。しかし、「魚が売っている」は正しい。これが私の意見です。

「売っている」を普通に他動詞と見て、「魚」をその目的語と見るから、変だ、と言う発想になるのですが、これはあまりにも英語的な見方だと思います。

文型的には主語のように見えて、実際には主語になっていない「が」というものが存在します。例えば、述...続きを読む

Aベストアンサー

前スレ(?)#8です。

質問者さんは「魚が売っている」と「油が切らしてある」は同じ構造だと主張していらっしゃいますが、
#9さんもご指摘の通り、「~ている」と「~てある」の違いは無視できないと思います。

「~ている」は英語風に言えば、「能動態」の「進行形または完了形」に相当するかと思いますが、
「~てある」の方は、「受動態」の「完了形」に相当します。
(例): 「子供が絵を描いている(進行形)」 「道に財布が落ちている(完了形)」
     「棚に花瓶が置いてある(=棚に花瓶が置かれている:受動態完了形)」
今でこそ無生物主語の受身で「~されている」という翻訳調の表現が一般化する前の日本語では、
無生物が何かの動作を受けた状態であることを表すには「~てある」というのが普通であったの
ではないかと思います。

考えてみれば、英語の「進行形」と「受動態」は、どちらも
 「動詞が表す動作が存在した状態で(分詞)」+「存在する(be動詞)」
という構造になっていますが、これは日本語の
 「~して(動詞の連用形)」+「いる・ある(補助動詞)」
というのと全く同じ構造と言えます。
英語・日本語いずれにおいても、これらの文の主語に当たるものが、「分詞」あるいは
「動詞の連用形」の表す動作の主体である場合は「進行形」、動作を受ける客体であるなら
「受動態」ということになります。
英語においては、その両者の違いを2種類の「分詞」の違いにより区別するようになっている
のに対し、日本語においては、2種類ある「補助動詞」によって区別しているというわけです。

したがって、「魚が売っている」と「油が切らしてある」は明確に違う構造の文であり、同一の
文法的構造の文とはみなせないと思います。
「正しい」か「間違っている」かはともかく、少なくとも、「魚が売っている」は、他には余り同様の
用例のない特殊な用法であることは間違いないところだと思います。
先のスレでも指摘はさせてもらいましたが、「~が売っている」とほぼ同一の構造であると
みなせる表現は、私の知る限り、他には「~がやっている」くらいしかありません。

なお、「売っている」は「~てある」とそのまま同一視はできないのですが、その影響を受けて
生まれて表現である可能性はあると思います。
先のスレでも指摘した通り、「~が売っている」という表現は、否定形「~が売って(い)ない」
になると、肯定文の場合より違和感が減じる傾向があるように思います。
このことについては、「~ている」と「~てある」の否定形が、砕けた口語ではほとんど区別が
なくなってしまうことがその理由の一つではないかと思います。
「~ている」の否定形「~ている」は、しゃべり言葉ではしばしば「い」が脱落して「~てない」
となりますが、「~てある」の否定形も「~てない」なのです。
 (例) 「名前が書いてある」⇔「名前が書いてない」
つまり、「~てない」という表現においては、主語に当たる語が動詞の目的語に当たるという
ことは、他の語においても起こることなので、「~が売っている」もその類推で受け取れるため
違和感の原因になりにくいのでしょう。

私としては、先に「~が売ってない」という否定表現が生まれ、そこから二次的に起こった
肯定表現が「~が売っている」なのではないかと考えたいところです。
「売ってある」という本来受動表現として「正しい」はずの表現が採用されなかったのは、
「売っている」という状態が、「~てある」の表す「完了相」となじまないせいでしょう。

以上のようなことは、私が勝手に考えていることにすぎません。
でも、いろいろ考えてみるのは楽しいですね。
長文失礼しました。

前スレ(?)#8です。

質問者さんは「魚が売っている」と「油が切らしてある」は同じ構造だと主張していらっしゃいますが、
#9さんもご指摘の通り、「~ている」と「~てある」の違いは無視できないと思います。

「~ている」は英語風に言えば、「能動態」の「進行形または完了形」に相当するかと思いますが、
「~てある」の方は、「受動態」の「完了形」に相当します。
(例): 「子供が絵を描いている(進行形)」 「道に財布が落ちている(完了形)」
     「棚に花瓶が置いてある(=棚に花瓶...続きを読む


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