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前置きが長くなることをご了承下さい。

自分は留学経験から、日本語が外国人にどう聞こえているかが気になるようになりました。
自国の言葉ですからよく思われたいですし、自国語を話すたびに“何あれ?プププ”みたいに思われるのはあまり嬉しくない気がしまして・・・。

知り合いの外国人たちによると、日本語は喋り方による美しさとマヌケさの差が極めて激しいそうです。

中でも語尾をのばす(いらっしゃいませ~~~~~~~~~、どうぞご覧くださ~~~~~~~~~~~~~~~~い等)は特に評判悪いですね。

それと英文カタカナ読みも不評でした。
例えばハン“ド”、ジェッ“ト”みたいに語尾を強く発音したり、“クライアント”や“プログラミング”などの単語を上げ調子で読むのは、外国人(洋の東西問わず)には大マヌケに聞こえるらしいです。
向こうの立場から考えてみると、まあ確かにそうだよなと思ったのですが、ここで本題。

こういうことを気にするのは、所謂“海外コンプレックス”なのでしょうか?
自分としてはそんなこと考えもしませんでした。単に日本語のイメージ向上を自分なりに考えていただけなのですが、先日父にそう言われました。

父がロンドンの公衆のド真ん中で英文カタカナ読みを堂々とやり、周りから変な目で見られまして、そこで上の話を説明したのです。
その際に言われた“俺はそんなもの全く気にならない。そんなコンプレックス丸出しの考え方はしない”という一言が気になります。

コンプレックスなんて持つほど自信がないわけではないし、自分は別に外国語>日本語みたいな先入観は持っていません。

世間でのファッションのように、“どう見られるか”に配慮するのと同じくらい、“どう聞かれるか”に配慮するのも国際社会という新しい世間では必要じゃなかろうかと思ったのですが神経質ですか?父の言う通り海外コンプレックス丸出しの発想ですか?

長くなってすみません。
ご回答の際には、その理由もお願いします。
“はいコンプレックスです。以上”のような、よくある一言コメントはご遠慮下さい。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

A 回答 (4件)

人はみんな違いますから、気にする人も居るでしょうし、気にしない人も居るでしょう。

気にする度合いも26%の人も居れば、27%の人も居るでしょう。

    別に自分は気にするからと気にする必要も無いし、気にしないからと気にする必要も無いと思います。
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この回答へのお礼

ですよね。
自分でも何が気になってこんなこと聞いたのか今ではさっぱりわかりません。
実に下らない質問をしました。

お礼日時:2011/08/02 23:32

まず日本語が外国人にどう聞こえているかが気になるとのことですが、


では私たち日本語話者にとってAという言語がどう聞こえているのか、と
尋ねられたらそれは人によって答えは違うでしょう。
例えば「天使のささやき」と言われるフランス語。美しいと思われる方も
いますが、私にとっては苦手な響きです。かといって、言語に優劣がある
わけではなく、単に音に対する好き嫌い、あるいはその人がその言語に
持っているイメージやその言語を話す人たちに対するイメージの反映に
すぎないと思います。

英文カタカタ読み、つまり日本語アクセントですよね。
英語話者はあまり気にしていないですよ。だってアラブ系の人や
中国系の人って、すごい自国アクセントが強いのにどうどうとしゃべって
いるではないですか。

私自身は現代日本語、特に話し言葉は好きではないです。
リズムなど純粋に音声面でどう聞こえるのか(例えばカタカタという
リズムに聞こえるらしい)といったことには興味がありますが、
外国人が「どう思うか」を気にしたことはありません。
日本語アクセントの英語だって映画にはよく出てきますよね。
それを見て「バカっぽい」と思うでしょうか。
お父様の日本語アクセントは変な目で見られたんじゃないと思います。
ロンドンの真ん中で日本人が堂々と英語を話している姿が珍しかったか
何を話しているのか耳を澄ましていたのではないか、と私なら思います。

つまりそれを気にするのはどこかに日本語アクセントに対するコンプレックス、
日本人であることのコンプレックスがあるのかもしれません。
「どう聞かれるか」ではなくて、主張を「どう聞かせるか」の方が重要だと思います。
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私はいろいろな国の人たちと英語で日常やりとりしていますが,相手にどう聞こえるかもっと配慮して欲しいと思うくらいですね。

日本人の方が自分がどう見られるか,どう思われるか気にしがちだと思います。コンプレックスという面もあるでしょうね。

語尾を上げる発音のしかたはインド人やそれ以外の国の人にも多いし,逆に語頭ばかり強く発音する人もいます。

だいたい英語というのがなまりまくった言語で,a はほとんどのヨーロッパ言語でアーに近い発音ですが英語ではエイ,i はイーがアイにまで変わってしまったわけですからね。本来の発音からすると大マヌケなのは,フランス語やラテン語を語源として現在英語になっている多くの単語にもいえると思います。

母語と違う言語の発音は変わっていて当たり前ということなのか,自分流で押し通す人が国際的には多いと思います。そしてだいたい,相手にどう聞こえるか配慮する人より自分の言いたいことを言いたいように堂々としゃべる人の方が耳を傾けてもらえる傾向があるようです。英語の文化圏では。
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確かにコンプレックスだと思います。



例えば、日本人で「英語嫌い・苦手。英会話が出来ない」という人は、「学校英語(教え方)が悪いから」よりも「完璧な発音をしなければと考えるから(発音が下手だと恥ずかしい。正確に発音出来ないから話したくない。等)」の方が原因として大きいと思います。

「発音は奇麗だけれど、文法がめちゃくちゃ+語彙が貧困」と「発音は今一つだけど、文法がしっかりしている+語彙が豊富」では、後者の方が意思疎通が出来るのに、「英語が出来ない日本人」は「学校英語は文法に拘って、発音の教え方が下手だから(自信が持てなくて)話せないのだ」と言い訳する人が少なくないです。

非英語圏の人達(アジアでもヨーロッパでも)は、「自分が英語を話す時、訛っていても気にしない」場合が多いです。何故かと言えば、「英語が母語では無いから・英語は『外国語』だから、仕方ない」からです。

そして、「日本語が、どう聞かれるか」を「対外国人向け」だけに考えていらっしゃるのなら、やはり貴方は「海外コンプレックス」をお持ちです。つまり、「日本人同士で話されている日本語の乱れ・汚さ」を気にしないというのなら、という事ですが。

何でも、良い事にも悪い事にも「ヤバい」を使って済ませる人、「国際的な子に育って欲しい」と女の子に『ルカ(男性名)』や『アンジュ(仏語で「天使」)』と漢字は当て字で名付ける人、「感動しました」という表現ばかり使い、「どう『感動した』のか」「どんな気持ちになったのか」「どういう感情が沸き起こったのか」等は表現出来ない人、等々。

貴方は、お店で「こちら、コーヒーになります」「1000円からお預かりします」等と言われてしまった時、誰かが謙遜して「とんでもございません」と言っってしまった時、相手に「そんな恥ずかしい日本語を使うのは止めた方が良いですよ」と忠告してあげていますか。それとも、「別に気にしない」ですか。

日本語に於いて、カタカナ語(外来語)の使い過ぎも気になる所です。特に「本来の意味と異なっている使い方」ですが、例えば、日本の「ニート」が含有する意味合いは英国の"neet"のものとは別物で、寧ろ昔からある日本語の「穀潰し」で事足ります。

日本語において、「法令遵守」と言えば済むのに「コンプライアンス」等と言うのは、確かに馬鹿げていますよね。そうは思いませんか。「装飾品」「付属品」と言わず、わざわざ「アクセサリー」と言うのは何故なのでしょうね。「会社員」を「サラリーマン」「ビジネスマン」という理由は何でしょうか。

そう言えば、"complex"単体にも「劣等感」という意味は無いので、日本語での「コンプレックス」の使われ方は間違っていますね。

私個人は、「母語(日本語)でさえまともに使えないのに、外国語(英語)を話せる話せないという議論なんて滑稽に過ぎる」と思っています。日本語でさえ論理的な思考・表現が出来ない、貧困な語彙しか持ち合わせていない、何かの感想を聞くと「別に」「普通」「面白かった」「感動した」「泣けた・泣いた」で済ます、等の「母語難民」が、どうして「外国語(英語)でスラスラと意思疎通を図れる様になる」というのでしょうか。

もし、「コンプレックス」が無ければ、「そうか、自分は気にしていなかったが、他の国の人には…という日本語(表現)は…な風に聞こえるのか」と「文化の違い」に気付いて興味深く思うだけでしょう。そこから研究に進める事も可能です。

しかし、少なくとも貴方の文章からは「外国人には間抜けに聞こえる=みっともない」「間抜けな日本語があると、自分まで間抜けに思われている様で嫌だ」とだけお考えの様に受け取れます。知り合いの外国人が「間抜けに聞こえる」と言った時、何故「何故ああいう言い方になるかと言うと、それは…という訳だから」ときちんと説明しない・出来ないのですか。又、貴方自身が「日本人同士でもみっともない日本語(表現)」だと思うのなら、やはり理由・原因を説明するのが筋ではないのですか。


日本人が「アイ・ラブ・ユー」と言うと"I rub you."に、「ライス」と言うと"lice"に聞こえるというのは昔から言われる事です。しかし、それは既に「ジョーク」の域です。つまり、「国際社会」が広がったからこそ、話の前後、会話の流れで"I love you."或いは"rice"と言っている・言いたいのだと判断出来る場で、わざわざ「それって『私は貴方をこすります』『蚤』と聞こえて間抜け」と話の腰を折る外国人がいたら、人間性が悪いか傲慢かのいずれかです。

勿論、どこの国の言葉でも「相手に失礼の無い様に、出来る限り正しく適切に使用し(文法も発音も表現も)、母語との相違を優劣をつけず受け入れる」のが道義に適っています。しかし、それは「日本語を『外国語』として使用する(聞く)側の人々」もすべき事なのです。

「言葉に優劣がある」というのは「文化に優劣がある」と考える事です。それは即ち「国家間・人種間に優劣がある」と考える事なのです。

そして、もし貴方が本気で「日本語のイメージ向上」を目指したいのなら、対外国人で考えるのではなく、何よりも先ず「日本人同士で、もっと奇麗な日本語を使う様に」と働き掛けるべきでしょう。
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