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・・・だというのにTVでもネットでも、その関連番組は見当たりません。「ザ・スクープ」という番組ではふれられましたが将校側については(もちろん畑中、椎崎といった人々については)全くふれられていませんでした。諸説の中には阿南陸相の関与もほのめかされたものもありますが、皇居では陸相の意見によって終戦の詔書の作成に時間がかかっていたことも何か関係あるのかと思わされます。
さて、この事件の真相に関して御意見をおきかせ下さい。特に(歴史には、「もし」は無用とはいわれますが)、もし玉音盤がもし反乱軍の手にわたっていたとしても録音をやりなおして終戦に至ったのか、それとも終戦はかなり先のことになっていたのかという想像も含めてコメントをお願いします。

A 回答 (2件)

私も番組を見ましたが、証言によると予備を含めて4枚に録音したといっていましたね。

またこういうものを作ると何が起きるか分らないというのは関係者が異口同音に口にしていました。つまり、主戦派がレコードを奪いに来ることは誰でもある程度予想したのではないかと思います。
番組ではどこに隠したなんてやっていましたが、4枚とも同じところに隠したのかな、なんて思います。どれか1枚が生き延びればいいのですから、一般的に考えてそれぞれ別のところに隠したのではないかと思います。
で、事件を起こした側つまり青年将校は何枚録音したかなんてのは知る術がないですから、たいていは1枚発見すれば「よしやった!」と思うでしょうし、2枚押収して関係者が「予備も含めて2枚に録音した」ととっさにウソをつけばそれを信じたのではないかと思います。

そして生き残った一枚が放送されてしまえば、もう後の祭りです。

しかしどちらにせよ昭和天皇自身の聖断でポツダム宣言受諾は決まっていたのですから、仮にあのレコードを押収できたとしても何の意味もなかったと思います。まあせいぜい終戦を何日か先延ばしにする程度だったでしょう。
戦争をやめるのは昭和天皇の意思だったんですから、ある意味もうどうしようもないですよ。それに逆らったら逆賊、叛乱軍です。陸軍がいくら暴走したといっても、彼らは逆賊ではないのです。天皇に逆らうつもりは毛頭なかったのですよ。
戦前に二二六事件が起きたときも、事態が収束に向かったのは昭和天皇が激怒し自らが「兵を率いて叛乱軍を鎮圧する」と言い出したからです。これで青年将校たちは「逆賊」になりました。

同じように玉音放送のレコードが奪われたことを昭和天皇が知ったらそりゃあ大激怒するに決まっていますよ。「逆賊を鎮圧せよ」と彼が命じれば青年将校の行動などすぐ終わりです。それを止めるには昭和天皇を青年将校が軟禁するか暗殺するしかないですが、彼らはそこまで肝が据わっていたわけではないでしょう。昭和天皇の弟であった高松宮公も終戦派だったのですから、仮に昭和天皇が暗殺されても流れは止められません。

あとちなみにこの事件のことは14日夜にテレビ東京で放送された池上彰さんの番組でも1時間以上の時間を割いて取り上げられていましたよ。元軍人のおじいさんがお二人主演してインタビューを受けていましたが、最後に「(クーデターの鎮圧で)皇軍相打つなんてありえなかったよ」とぼそりと仰ったのが印象的でした。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。私も池上さんの番ちょと組は見ました。こちらでは顔写真入りで名前が出てましたね。でも省略した点も多かったように思います。時間的制約でしかたないですが、鈴木貫太郎について紹介する時もちょうどテロの話をしていたので関連して226事件で危うく殺されかけた人物であることを言えばよかったのにと思いました。ところで貴殿の「仇士」と記されたマークが代紋のようでちょっと怖いのですが、も、も、もしやウヨ・・・、いや余計な詮索はやめましょう。とにかくどうもでした。

お礼日時:2011/08/15 17:28

>もし玉音盤がもし反乱軍の手にわたっていたとしても録音をやりなおして終戦に至ったのか、それとも終戦はかなり先のことになっていたのかという想像も含めてコメントをお願いします。



 実は、ポツダム宣言受諾は8/14の時点で連合国に通達してありました。
 (玉音の録音は、受諾通知後に作成。)

 ちなみに、ドキュメンタリー番組等でしばしば使われる「終戦を祝う世界の人々」の映像の多くは、8/11に撮影されたものだそうです…。
 (日本が「国体の護持」を条件に、ポツダム宣言の受諾をする意思がある事を打電した事が新聞にスクープされた為…。)

 もし仮に、玉音盤が奪われたとしても、史実での8/15の放送で流された終戦関連放送(玉音部分が無いだけ)がそのまま流されたと思います。
 (今更止められない…。)

 実際、玉音放送の後にラジオ局のアナウンサーが詔書の代読と解説をやってますし、地方によっては新聞が玉音放送後(午後一時頃に配達される)に配達されるよう配慮するなど、仮に玉音の放送が無くとも国民に終戦した事を伝える手はずは十分に整えられていました。
 (北米向けには、詔書の英訳をおこない放送していますし。)

 まあ、報道機関には前もって通知が回っていましたから…。
 (先に通知が来たことを利用して、玉音放送前に「敗戦を知ってうなだれる国民」なんて題材の写真を、準備してたくらいです…。)

 私の考えとしては、玉音盤が奪われたとしても、史実の様につつが無く終戦対応がなされ、連合国による占領(仮に反乱軍がどんなに頑張ってもこの時点でOUT)が行われていたと思います。
 (連合国の側は、いくら天皇の命令が有ったと言っても、本国在留の部隊が「戦わずに降伏なんかできるか」と反抗する事を覚悟していたそうですから…。)
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。なるほど、米軍も反乱の可能性を見越していたのですね。そして反乱将校が玉音盤の奪取に成功したとしても大勢には変わりなかったということですね。ということは彼らは無駄なことに貴重な時間と労力をかけ、殺害までやって自決してしまったということですか。あらためて日本のいちばん長い日って何だったのかと思います。「徹底抗戦」を叫ぶ陸海軍将兵は全国各地に大勢いたそうなので、天皇の命令ということでないと反乱の規模は拡大したのかも知れません。その意味では玉音放送の意味はあったのでしょう。しかしそれでさえ厚木基地での小園大佐のように「降伏の勅命は、真の勅命ではない」などといって信じず、高松宮が行かれてやっと信じるみたいなこともあったので何とも言えませんね。

お礼日時:2011/08/15 19:29

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