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はじめまして。

早速ですが、法隆寺の五重塔と中国の唐の時期に造られたGreat Wild Goose Pagotaは、ほぼ同時期に建造されているにもかかわらず、外観がこうも違うののは何故なのでしょうか?
当時、日本は中国の技術・知識を輸入してこういった建物を構築していたと思うのです。よろしくお願い致します。

A 回答 (2件)

結論を先に書きますが、インドのstupaが中国に伝えられて大きく塔建築へとイメージが改変され、日本は大枠でこれを受け継ぎながらディテールを変更していった、と言えます。

つまり日本の仏塔建築はもとはインドのstupaとは言いながら、建築様式の根幹では中国の影響が大なのです。
一方で大雁塔は玄奘三蔵の個人的な意向が反映された建築で、stupaとはもともと別個の機能を持った建物ですから、これをstupaの代表とみてはなりません。

インドの本来のstupaというのは土のドームの頂点に小さな傘を重ねて乗せたようなものです。そもそもstupaという梵語の言葉の原義が「土塁、塚」で、仏舎利塔もその形状からやがてstupaと呼ばれるようになったわけですから、その基本はあくまで「土を盛ったもの」です。

このイメージは中国に入ってから大きく改変されます。素材が木造やせん造(瓦のようなもの)となり、形状も楼閣建築の流れを受けて層を重ねた塔状へと変化していったのです。日本にはこの建築様式が半島経由で伝えられ、風土に合った木造が主流となったうえで、さらに斗組などと呼ばれる組物の形式が一層発展していったわけです。
木造の塔は中国でも大変多く作られたとされますが、現存するのは最古でも11世紀頃のもので、法隆寺クラスのものは残されていません。このことは複数回の兵難や仏教弾圧の激しさを意味こそすれ、古い木造塔建築の存在を否定するものでは決してありません。

さて、大雁塔はこういった仏舎利塔としてのstupaではありません。この塔はインドから戻った玄奘三蔵が唐の太宗皇帝に具申してつくられたものですが、その目的は経庫つまり経典の収蔵のためであって、もともと仏舎利塔として意図されたものではないのです。

あまり知られていませんが、大雁塔には実はモデルが存在します。玄奘の著した「大唐西域記」に記載がありますが、彼がインドのナーランダ寺に滞在して学問を修めていた際に色々と尋ね歩いた仏跡のうちのひとつ、「雁塔」という石造の塔を帰国後にいわば模倣して再現したのです。

この雁塔は当時中国でもよく知られていた伝説的な塔であったようです。小乗の僧が肉を得られずに腹をすかせ、空を飛ぶ雁にその旨を語ったところ雁が自ら墜死して僧に自分の体を供養した、僧は自ら招いた殺生を恥じて雁の供養のために塔を建て、それ以降食肉を禁ずる大乗に転向した、という説話があり、玄奘の時代にはその発祥地であるオリジナルの塔が存在していたのです。

従って、大雁塔はオリジナル自身も含めstupaではありません。寺の記録である「慈恩伝」によれば玄奘はこの雁塔に触発されてこれを忠実に模したものを作ろうとしたらしく、当初は石組みで高層のものを作ろうとしたようですが、太宗皇帝の忠告をいれて最終的に煉瓦作りの五層の塔としたとされています。はるばるインドから持ちかえった経典をインド風の建物に収蔵したいと願った玄奘三蔵の思いは当然のことだったでしょう。

要するに、大雁塔というのはインド求経の旅を行った玄奘であってこそ作り得た特異な建築であって、stupaの流れを汲む多くの仏塔建築からは独立した存在だと考えるべきです。
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この回答へのお礼

長文での回答ありがとうございました。
不可解な点が大分なくなりました。
大雁塔が木製でない理由もよくわかりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2003/11/18 08:38

ご質問のGreat Wild Goose Pagota(Pagodaと綴る場合もあります)は日本では(西安・慈恩寺の)大雁塔と呼ばれているものです。



両者の外観の違いの理由は簡単なことで、法隆寺五重塔は木造であるのに対して大雁塔は石と土でできているからです。建築材料が異なれば外観が異なるのは当然のことではないでしょうか。

また、法隆寺建立当時における日本の建築技術は必ずしも中国の技術・知識を輸入したものばかりではありません。弥生時代には九州の吉野ヶ里遺跡にみられるようにすでに高楼式の建築物が作られており、最近の東北芸術工科大学の「出雲大社の謎?よみがえるか古代の大建築」は、最近遺構が発掘されて話題となっている出雲大社のまぼろしの大建築についての研究調査報告です。

つまり、当時の日本には木造高層建築を作るだけの技術的蓄積がすでにあり、仏教思想の流入により五重塔としてそれが結実したのではないかと考えられます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。 当時既に日本の建築技術がある程度確立していた。これはとても興味深いです。大雁塔がAD645年に建立されたのに対し、五重塔は607年建立と本にありました。技術輸入元である中国の仏舎利塔が石工建築であるのに対して、日本は木造建築を選んだのはなにか理由があるのでしょうか? 個人的な予想ですが、STUPASが木造でないので中国としても外観は多少中国の形式を組み込み(watchtowerとの融合)、素材はオリジナルを守ったということなのでしょうか?

お礼日時:2003/11/16 13:41

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