A 回答 (12件中1~10件)
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No.12
- 回答日時:
私が聞いたのは、昔は本名をなるべく人には知られないようにしていたと。
名前というものはその本質を表すもので、非常に大切なものだから。
平安時代など呪術的な事が信じられていましたので、大切な名前を守ろうという価値観だったようです。
アニメ「千と千尋の神隠し」では、名前を取られて自由を束縛されるみたいな。
そういうこともあり、また敬意もあり、特に天皇の名前は口にしないのが決まりでした。
現代だって、人の名前を呼び捨てにするのは失礼ですよね。
親しくなければ名前よりも苗字、職場の役職があればそれで呼ぶのではないでしょうか?
紫式部の場合は役職名なのですから、むしろ敬意を払われていたと解釈できるのではないかと思います。
昔の女性はそんなに差別されていたとは思いません。
古代は多夫多妻の社会ですし、平安時代も男女の関係はおおらかだったようです。
女性も働いていましたし、出世の要にもなっていました。
男女差別よりも身分の差別の方がずっと大きかったと思います。
名前がなかっただなんて、、、、
じゃあ家人は、娘1号、娘2号とでも呼んだと?
ただ、当時は男女共名前は流動的なものでもあったようです。
幼名と元服後では名前を変えますし、成長したり、思うところが変わっては名前を変えたりしました。
なぜ女性の名前の方が残っていないのかはわかりませんが、女性差別というよりももっと他の理由だったように思います。
No.11
- 回答日時:
#6です。
#10の回答者の方は些か「せっかちな表現」をされていますので補足訂正する形でお話しします。マルクスの歴史観とウーマン・リブは何の関係もありませんよ、こじつけに近い説明は混乱を招来する原因ともなります。恐らくその先生はウーマン・リブが盛んだった時代に青春時代を過ごした方なのでしょうね。歴史上に名前の残っている女性は「政治的にステータスの高かった人物」であり、庶民の名前も籍帳に残っています。もっともそれが「絶対的な事実」であるかどうかは現代に生きている私達が自らの耳目で直接に確認する術などありません。
なぜこの様なことをお話しするかと申しますと、奈良時代の徴税システムの一つである「租」を支えた条件に「口分田の班給」があり、これは「戸口」と呼ばれる個別の家庭を調査しそこに住む人数・構成から戸籍を作成し、これに基づいて良民男子には二段、良民女子にはその三分の二、家人・には良民男子の三分の一の面積の耕作地を与え、そこからの収益を収める形とされていました。つまりAという家に良民男子の数が多ければ多いほど班給される土地も増え一方でその土地を耕作する人間が実際の農作業や他の調庸も負担することもあり、なら時代の戸籍には「事実とは異なる内容」を記した「偽籍」と呼ばれるケースが見られます。簡単な方法としては「男子」を「女子」として記載するあるいは老人や幼少児などとして偽って記載するケースです。こうした場合には「○○女(○○め)」などの様な形で見ることもできます。
尚「歴史」はその時点での「暫定的な結論」であり、新たに一つの史料が発見されることでそれまでの見解がひっくり返されることもあることなど、これまでの成果を見てもお判りのことでしょう。これは自然科学で緩用される「相対性」の原理・概念を歴史学も「科学の一分野領域」に属している事に依ります。「絶対的」との言葉が出て来た時点で学問は死亡宣告を受けたも同然です。
紀貫之が自らを女性に仮託して記した『土佐日記』の形が、『源氏物語』では逆の形だった可能性もあり得ないともいえません。「理想の男性像」を設定し地位を駆け上がっていく姿、彼の目を借りてドロドロとした平安王朝の裏側を描写したならばこれは相当な恨み辛みを並べ立てた作品とも解釈できます。
回答ありがとうございます。
>恐らくその先生はウーマン・リブが盛んだった時代に青春時代を過ごした方なのでしょうね
ウーマン・リブですかはじめて聞きました。
>(WIKI) 1960年代後半にアメリカ合衆国で起こり、その後世界的に広がった女性解放運動のことをいう。
そうかもしれません。
>「絶対的な事実」であるかどうかは現代に生きている私達が自らの耳目で直接に確認する術などありません。
なるほど、歴史に残っているからと言って事実とは限らないわけですね。
No.10
- 回答日時:
その先生はマルクス史観で凝り固まった先生
ではないですか?
マルクス史観では、世の中は
原始共産制→封建制→資本主義→社会主義→共産主義
と進歩発展していくものであり、これは歴史の必然
ということになっています。
これに逆らうのは反動と言われます。
つまり、マルクス史観では、封建時代は劣った社会
であることになり、そうでないと困るのです。
それとも無知なだけ?
時代小説を一冊も読んだことがないのではないですか。
それでよく先生をやっていられますね。
他の方も指摘していますが、世界初の長編小説
源氏物語を書いたのは女性ですよ。
何が差別ですか。
今も、昔も、裏で力を持っているのは女性です。
日本の女性は名を捨て、実を取る道を選んだのです。
夫の小遣いの少なさは世界一です。
もっと増やせよ・・。
回答ありがとうございます。
どうなんだろうか?
自分はもっと浅い理由な気がします。
当時、男女差別が流行っていたんですよね
それが先生の主張と合致してたようで
よく、男女差別の話はよくしてくれました。
これも、おそらく、どこかから拾ってきた話の1つだと思いますが、
その出所が気になるのです。
先生が無知かというとそうではないと思います。
時代小説は読んでいたのかはわかりませんが
先生はいつも本をたくさん読むことを自画自賛していて
教室の教卓,本棚や教員室の机には厚い本がたくさん並んでいました。
>今も、昔も、裏で力を持っているのは女性です。
裏で糸引いてるみたいでおもしろい表現ですね。
えらくなっても男は、かあちゃんには敵わない。
結婚は人生の墓場だ。
外国の男は財布をかあちゃんに預けないらしいからね。
預けたら小遣い少なくなるのも仕方ないよ。
No.9
- 回答日時:
昔の人は子だくさんで、6人兄弟とか8人兄弟とか当たり前でした。
それで娘が3人も4人もいたら、名前でもつけておかないと誰が誰なのか分からなくなります。というわけで、当時は当時なりに名前をつけていました。そうじゃないと「誰兵衛の娘を嫁にもらう」といっても何番目の娘なのか分からなくなります。身分制度というと江戸時代ですが、案外に江戸時代の身分制度というのは世間のイメージより緩やかです。
例えば五代将軍綱吉のお母さんであるお玉さん(桂昌院)は八百屋の娘だったというのは有名な話。天下の将軍様の生母は庶民の娘でもなれたのです。
なんでそんなことができたのかというと、もちろん将軍様の妻(お妾さん含む)ともなれば武士の娘じゃないといけないわけですが、「武士の養子」になってしまえば武士の娘です。そんなんでよかったんです。だから、どこかのお殿様なんかが吉原の遊女を気に入って身請けしたいなんてときは、その遊女を適当な武士の養子にしてしまうのです。「え、遊女を養子にするの?そんなことで武士のメンツが立つの?」なんて思うけど、その遊女を自分の娘にすればその武士は形式上「お殿様の妻妾の父」ということになるので当然それなりの出世が約束されるわけです。
あとついでにこれも知られていないことですが、江戸時代の庶民の性というのはかなり緩やかでした。どう緩やかだったのかというと、後家さんつまり未亡人が突然妊娠してもそれは「菩薩様のお恵み」ということで「おめでたい」ことになっていたのです。父親が誰かなんて野暮なことは詮索しなかったんですね。
回答ありがとうございます。
名前付けないと不便だけど、当時の人の感覚は判らないし当時の人の感覚なら
なんかツーカーの仲みたいな感覚で区別できたのかもしれないと思っていたのですが
確かに6人もいれば名前付けないと大変ですよね。
江戸時代、士農工商
小学校で習ったのとだいぶ違うようで、割といい加減な身分制度なのですね。
性に関してはキリスト教文化の影響で変わってしまったと聞いたことがあります。
昔のほうがギスギスしなさそうでいいような気がするのに。
No.8
- 回答日時:
名前はちゃんとありましたよ。
政府の公式記録に名前が残るような人、つまり皇族の皆様や朝廷のトップの人(例:藤原道長)の奥さんなどは名前がわかっています。
お寺の参詣記録にも、女性の名前がたくさんあります。
紫式部が役職名なのも間違い。
あだ名みたいなものです。(wikiに載ってますよね)
あと、女性が差別されていたというのも、どうなんでしょうね。
確かに当時の女性は現代と比べれば制約が多い生活だったと思いますが、家や土地は息子ではなく、娘が相続していたんですよ。
回答ありがとうございます。
>お寺の参詣記録にも、女性の名前がたくさんあります。
なるほど、あったんですね。
でも参詣記録っていつの時代のから残っているのだろう
また、勘違いしていた先生はいったいいつから女性が名前をもてるようになったと思っていたのだろうか。不思議だ。
>紫式部が役職名なのも間違い。
ごめんなさい、notnotさんのところでも書いたようにこれは私の記憶違いでした。
>確かに当時の女性は現代と比べれば制約が多い生活だったと思いますが、家や土地は息子ではなく、娘が相続していたんですよ。
なるほど、現在感覚とはだいぶ違うようですね。
差物云々言うこと自体がおかしなことなのかもしれません。
No.7
- 回答日時:
男でも女でも、名が記録に残るのは、あるレベル以上の官位の者だけです(いわゆる殿上人)
皇后や中宮、内親王の名は記録に残っています
そのレベルの人数が女性は少なかっただけです
清少納言や紫式部は中宮の仕人で官位とは無縁だからです
また 男女を問わず、名は軽々しく口にしてはいけないものだったのです(口にできるのは親くらい)
ですから 頭の中将とか式部卿の宮とか上総の介 とか 官位・役で呼ぶのが基本なのです
今でも上司は名ではなく役職で呼ぶのが普通です(拡大しても姓+役職 姓名で呼ぶことはありません)
その先生は無知か、国歌国旗に敬意を表しない思想に凝り固まっていたのでしょう(民主党の幹事長や社民党の党首のように)
回答ありがとうございます。
なるほど
女性はやるべきことが多いから、記録に残るまで上り詰められる人は必然的に少なくなってしまいますよね。
また、名を軽々しく呼ばない風習なんですが、当時のインテリ層だけじゃなく庶民も同じだったんでしょうか
>その先生は無知か、国歌国旗に敬意を表しない思想に凝り固まっていたのでしょう(民主党の幹事長や社民党の党首のように)
国家国旗に対する思想はわかりませんが、
日教組に入らないと仲間はずれにされると言っていたので、そっち系の思想にかぶれていたのかも
No.6
- 回答日時:
時代は下がって戦国時代の話ですが、備中国の新見荘の様子を伝える古文書群があり、その中に「たまがき書状」と呼ばれる史料が現存します。
これは新見荘に代官として着任した東寺の僧祐清の身の回りの世話をしていた「たまがき」若しくは「たまかき」と呼ばれる女性が書いたとされる古文書(『大日本古文書-東寺百合文書-ゆ函84号』に所収)です。
また江戸時代の読本である『雨月物語』などを見ますと、そこに登場する人物は女性にも「磯良(いそら)」などの名前が記されています。
また聖武天皇の皇后として知られる光明皇后も史料によっては「藤三娘(とうさんじょう)」などとも記されています。
No.5
- 回答日時:
差別されていた?馬鹿をいってはいけない。
平安時代に日本以外のどの国の女性が文学作品を残したでしょうか。そもそも昔は文学以前に、ごく一部の階層しか文字を使えなかったのです。それは西洋も東洋も同じです。なにしろ文字を使える人が限られているのだから、書物として残されているものも限られていますし、男女問わず人名の記録は残されていないのです。それを差別とかいうほうがおかしい。1000年も前の女性が著した文学作品が残されている事実にスポットをあてずに、女性が差別されていたなどとたわけた妄想を子供にいいたがる教師はゴミクズです。人間として生きる価値などない。間違いも何もない。現代基準で、歴史を捉えようとするから話がめちゃくちゃになってしまうのです。実際のところは名前が記録として残されていないだけの話です。ちょっと考えてみてください。今だって中小企業の社長さんは、社員から「社長」と呼ばれるだけで本名はいちいち呼ばれませんよね。他に社長がいるわけでなし、それで話が通じるのだから、何も困ることはないわけです。それをしたり顔で、社長は実は役職名で名前がなかったなどといったら馬鹿だと思われるのではないでしょうか。まして、それをもって男はそれくらい差別されていたと生徒に教える教師がいるならまるっきり狂人としか扱われないでしょう。
それぐらい馬鹿げた話です。平安時代は文字を扱える能力のある階層が限られているうえに、印刷技術もコピー機も何もない時代です。そういう時代について現代にまで残されている一次資料がごく限られたものとならざるを得ないのは容易に理解できるのではないでしょうか。そういう理解力、想像力の無い人間が教師を務めている。その程度の話です。
本当のところが知りたいというなら、いつまでもおねだりをするだけではダメです。それでは子供です。自分の頭で考える。そういう心掛けを持たない限りは、いつまでも彷徨える信者にしかなりません。誰のいうことを信じればいいの?と涙目で右往左往するばかり。
回答ありがとうございます。
>平安時代に日本以外のどの国の女性が文学作品を残したでしょうか。
これはマジですか? だとしたら日本が最先端を進んでいたということに
>社員から「社長」と呼ばれるだけで本名はいちいち呼ばれませんよね。
そうなんですが、作家となれば名前は重要ですし勘違いもわかる気がします。
>一次資料がごく限られたものとならざるを得ないのは容易に理解できるのではないでしょうか。
資料がないから何とでもいえるんですよね。当時、先生という職業は聖職で誠実な人しかなれないと思い込んでいたから、タチが悪い。
>本当のところが知りたいというなら、いつまでもおねだりをするだけではダメです。それでは子供です。自分の頭で考える。そういう心掛けを持たない限りは、いつまでも彷徨える信者にしかなりません。誰のいうことを信じればいいの?と涙目で右往左往するばかり。
自分の頭で考えるのは難しいことで労力のいることです。
なぜなら自分は完璧じゃないから、常に正しい考え方をしているとはいえない。
だから、さまざまな資料に当たって間違っているか合っているのか常に正していかなければいけない。
めんどくさいから、それっぽい人の意見に頼ってしまいますよね。
No.4
- 回答日時:
研究者ではないので、推測の域を出ませんが、多分女性にも名前はあったと思います。
普通に考えて、名前があった方が、家族や周囲の人は呼びやすいですよね。名前がないとしたら、なんと呼んでいいか分からなくなります。ただ、記録には「多くは」残っていないというだけだと思います。
また、平安時代くらいまでは、日本は母系社会だったので、その後の時代に比べて、ひどく男尊女卑だったとも思えません。
先生が勘違いされた理由としては、二つ考えられます。
一つは、家系図に名前が載っていないことが多いことです。よく「女(娘の意味)」とか「室(妻の意味)」だけで、女性の名前がないものを見かけます。ただ、これはその人たちに名前がないからではなく、文書に残す必要を、当時の人が感じていなかっただけのことだと思います。
もう一つは、源氏物語などに出てくる女性の呼称に原因があると思います。
「藤壷」や「桐壷」などは、当時の御所の女性たちが住む局(部屋)の名前でした。「明石」などは地名ですし、「朧月夜」や「空蝉」などはストーリーやシーンに由来するものだったりします。さらに、「女三の宮」とか「二の姫」などという呼び方が出てきたりします。
これらのものを見て、「当時の女性には名前がなかったのか」と思われたのかな?と思います。
回答ありがとうございます。
今でもあんまり名前で呼びませんから、なくてもそれはそれでいける気がするんですよね。
よほど親しい柄でもなければ苗字かあだ名で呼びますし、名前で呼ぶのは年下の家族くらいです。
>一つは、家系図に名前が載っていないことが多いことです。よく「女(娘の意味)」とか「室(妻の意味)」だけで、女性の名前がないものを見かけます。ただ、これはその人たちに名前がないからではなく、文書に残す必要を、当時の人が感じていなかっただけのことだと思います。
結婚すると女性は~~の奥さんって呼ばれるようになるのと関係がありそうな。昔テレビで女性は結婚すると本名を呼んでもらえなくなる男女差別だっていうのを聞いたことがあります。
思想の問題とか、なんでもかんでも書き残すとごちゃごちゃして見難くなったりするからとかもあるかもしれない。
>「藤壷」や「桐壷」などは、当時の御所の女性たちが住む局(部屋)の名前でした。
部屋の名前ってすごいですね。
fumkumさんもおっしゃるように本名を隠す慣習から着てるのでしょうね。
ここまで、徹底されてると勘違いもわかる気がします。
しかし、現代にない慣習でおもしろいです。
No.3
- 回答日時:
古代日本でもまた世界の多くの民族で実名や諱(いみな=忌み名)を口にしない習慣・慣習は存在します。
これは実名を呼ばれることにより、呼ばれた人間は呼んだ人間に支配されるとの考え方があったためです。万葉集の関東の雄略天皇の和歌の中の「告らめ 家をも名をも」とあるのは、家名と実名を聞くことにより妻の一人とする意志があったとされます。逆に古事記には雄略天皇が名を聞いたのにもかかわらず、天皇がこのことを忘れ、本人は天皇の呼び出しをいつまでも待ち、年取ってから天皇を尋ねたとの記述があります。ですから男子もそうですが女子の場合は特に名を秘するようになります。ただ、官位をもらったり、皇后に冊立されるときなどには実名を必要としますので、そのような場合だけ記録に残り、後世に伝わることになります。紫式部の名前ですが、角田文衛さんの説です。紫式部は一条天皇の中宮にして藤原道長の娘の藤原彰子の女房であるので、女官に任命された記述のある藤原香子を紫式部とする説ですが未だ定説になっていません。なお、紫は源氏物語の中の紫の上に由来すると言われています。また、若紫と呼びかけられたことがあったともされています。
「何が原因で勘違いしていたのか」についてですが、「更級日記」の作者が「菅原孝標の女(むすめ)」とされているように当時の歴史書・文学などの記録には「~の女」などの記述が多く、女子の実名が伝わっていないためだと思います。
雄略天皇の和歌
篭もよ み篭持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れ しきなべて 我れこそ座せ 我れこそば 告らめ 家をも名をも
Wikiの実名敬避俗の説明
「漢字文化圏では、諱で呼びかけることは親や主君などのみに許され、それ以外の人間が名で呼びかけることは極めて無礼であると考えられた。これはある人物の本名はその人物の霊的な人格と強く結びついたものであり、その名を口にするとその霊的人格を支配することができると考えられたためである。このような慣習は「実名敬避俗」と呼ばれ、世界各地で行われた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B1
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