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思想になってしまうのかもしれませんがそう感じてしまうことが時々あります。

人間らしさとは何なのかという問題もあるとはおもいますがみなさんはどう思われますか。

A 回答 (6件)

死生観!


を持つのは人間のみであり、らしさの特徴ですね。

子を産みたいと願ったり、死を恐れたり、はたまた死に憧れたり拝んだり。

人間以外の生物に死生観は無いんじゃないかと想いますが、
コンピューターが発達して人間の知能にまでなれば自殺出来ちゃうかもしれない。

合理的に生きることは可能か?という問いに科学が答える日が来るでしょうか。
確率的なことしか科学では出せないでしょうし、切なくなったり、虚しくなったり
「優秀」な計算機ほど外してしまったら羽目を外してみたくなるとおもいます。

この回答への補足

ありがとうございました。

補足日時:2012/04/28 22:14
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
死生観ですね。
たしかにそうですよね。
人間にしかないものなのかもしれません。

お礼日時:2012/04/28 21:30

いやいや…



科学に溺れて、驕り高ぶって自然を破壊してしまうのも、核戦争で滅亡してしまうのもある意味で「人間らしい」と思いますよ。
こんな事ができるのは人間だけでしょうから…
人間がやることですから、どのような結末だろうと全て人間らしいのです。

この回答への補足

ありがとうございました。

補足日時:2012/04/28 22:15
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

…徐々に破壊的になってきてしまいましたね。
この質問は人間のことをとりあげてのものでしたが、これはもう人間だけの問題ではなくなってきてしまったなと感じてしまいました。
自然破壊や核戦争など人間だけの問題ではないと思うからです。

お礼日時:2012/04/28 06:31

>人間らしさとは何なのかという問題もあるとはおもいますがみなさんはどう思われますか。


人間以外の動物と違う行動をとることです。科学が無ければ他の動物と同じ様な生活しか出来ません、人間らしい行動には科学は必須です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
人間らしい行動には科学は必要。
たしかに。ですね。
動物にはできませんよね科学を利用するということ。

お礼日時:2012/04/28 22:18

科学は、環境認識の方法論です。


それは道具であって、原動力ではありません。
ただ、ふだんから無意識に流されて生きている(自己と環境が
渾然一体になっている)人間にとっては、環境の方を厳密化
してしまうと、自己の方の底の浅さがバレてしまうのも事実。

たとえば人類が分業化により社会性をおびる時に、個々人
の意識において社会生命的な自覚を発達させ、自律的社会
行動=助け合いとしての労働をとらずに、お金や出世といった
“馬車馬の目の前のニンジン”によって他律的に社会行動を
とらせるようになっています。
その歯車人間にとっては、使役されるための詰め込み知識で
はない、体系的な科学的認識は、そうした『意味のある虚構』
とは無縁な、「人間的でないもの」に感じられるのです。

この回答への補足

ありがとうございました。

補足日時:2012/04/28 22:18
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そういうことなのかもしれませんね。
使う者とそうではないものの感じ方はちがうかもしれません。

お礼日時:2012/04/28 06:16

数十年前の社会主義者が似たような発言をしていましたね。


科学は因果関係を明確にして、そこから始まる学問です。

質問者もそう感じる具体例を挙げないと、この投稿が病人の落書きになってしまいますよ。

この回答への補足

ありがとうございました。

補足日時:2012/04/28 22:19
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

人間らしさを考える前に今私たちは科学で動かされている部分が大きいということを考えるようになりました。
科学は無機質なのかなと思います。
人間はそうではない。

科学の影響を受けて人間も無機質になりつつあるのではいかなということでした。
みなさんの回答をみながらそう思いました。

お礼日時:2012/04/28 06:08

お早う御座います。


個人的に思う事ですが。

>「人間らしさ」を、どのような視点から見るか?。

此れによって、180度違って来ると思います。

一つは、「博愛主義」、「仏教的」思想から、科学力を開発した場合。
これは、人間に限らず、「他の動物の命も大切にしよう」という考えが主流に成ります。
従って、軍事兵器を筆頭に、武器の開発は大幅に遅れるのでは無いでしょうか?。
また、「動物実験」も必要最小限か、「慎むべき行為」と規定されるでしょう。
結果、知能は発達しても、あまり「住み良い環境」には成らないような予感も有ります。

もう一方は、「科学は、人間だけに許された特権」として科学力を開発した場合。
こちらは、「やりたい放題」に近いモノが有ります。
「科学・医学の進歩に犠牲は付き物」と、動物を始め、環境の破壊も厭わないで科学の力を試して行くでしょう。
そして、どんどん大きな破壊力を持つ軍事兵器も、躊躇する事無く開発してしまうでしょう。

残念ながら、実際に人が選んだ道は、「後者」の方だったのです。

他の動物には、決して出来ない破壊兵器を作れるのが人間なら、自分の「種」ダケで無く他の動物にも暖かい保護の手を伸ばせるのも、また人間なんですね。
「人間らしさ」とは、「高い知恵・知能」だと思います。
その高い知能は、他の多くの命を奪ってしまう武器としても使える反面、多くの命を救う為にも使える。
その使い方は、自ら、よく吟味しなければ成らない。
深く考え、反省したり吟味する事が出来るのも「人間らしさ」だと思います。

以上、個人的な見解でした。

この回答への補足

ありがとうございました。

補足日時:2012/04/28 22:19
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
回答をよんで、動物実験や犠牲をいとわないで進んできた科学ですが
科学は一体何をめざしていたのでしょうか。
こう考えるのは愚問でしょうか。
高い知能・知恵というのも人間らしさの一つなのかもしれません。
他の動物にはできないものもたくさんもっています。
科学で何でもできてしまうわかってしまうということによって失われていくものもたくさんあると思うのです。
その失われていくものの中にあるものが私の思う人間らしさなのかもしれません。心なのか知恵なのかということなのかもしれませんね。

使い方を考えることが大切ですね。
私もそう思います。

お礼日時:2012/04/28 03:41

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