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江戸時代の書状をみてみると、
祝い事や節句には贈り物をしあう習わしがあり、
贈り物として魚が非常な頻度で出てきます。
これはどうしてでしょうか?
平安時代などに熨斗鮑(のしあわび)を贈ったことに由来するのでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

酒に最も合う肴が魚だったからだ。


「魚」という字は元々「ウヲ」「イヲ」と読んでいた。
これが酒に最も合う肴という理由で次第に魚を「サカナ」と読むようになった。
以来生きて泳いでいるものを「ウオ」と呼び食用として出てきたものを「サカナ」と読み分けた。
江戸時代だけの話ではない。
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もうひとつ言うならば、江戸時代まで日本人は「獣肉食」を


しなかったという問題があります。要は「動物性たんぱく質
として摂取出来たのは魚類だけ」だったんですね。

いわゆる「ハラが膨れる」のは、何といってもやはり動物性
たんぱく質ですから、魚類が最大のごちそうだったことは
まず間違いないでしょう。多分そういったことも原因の一つ
だと思いますよ。
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こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

NO1の方の言われるとおり、動物性たんぱく質の最大な効果がありました。

仏教が伝来してから、鳥獣の肉は「けがらわしい物」として、僧侶や貴族、武士、庶民に至るまで一切口にしませんでした。

しかし、庶民の中には、鳥獣の肉を取得する、そして、それを食糧とする者もいて、このような人々を「(えた)」と呼び「()」と同じように、士農工商よりも、もっとも下位の人間扱いをされませんでした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%A2%E5%A4%9A

さらに、魚には、縁起の良い名前が古くからつけられていましたので、祝い事などでは「魚」を贈るようになったのです。

鯛・・・これは、言わずと知れた「めでたい」の縁起かつぎ。
鱚・・・これは、「喜ばしい」という文字が充てられているため、江戸時代の将軍の朝食には、必ず「鱚」の焼き物が付きました。
鰹・・・これも、「勝」に通じるとして庶民には喜ばれました。

まだまだ探せば「縁起かつぎ」の魚も多いと思いますよ。

と、言うわけで、江戸時代には漁法も発達しましたので、魚も大量に獲れ庶民でも安く手に入るようになったのです。
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