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戦前の中国を半植民地だった、と思っている日本人が多いのですが、「植民地」の意味を正確に考える必要があると思います。

植民地とは本国政府が現地に出先機関を置いて、現地人を支配することだと思いますので、植民地でなかったことは確かだと思うのですが、それでは「半分」というのは、どういう部分でそう言うのでしょうか?

具体的に教えていただけないでしょうか?

中国人自身はどう思っているのか?をご存知の方は、是非教えてください。

A 回答 (11件中1~10件)

補足情報が付加されたことを知らずに放置したことについて謝罪したい。



すまそ


>「殖民と植民の違い」について教えてください。

まず「殖民」とは、”民を殖やす”目的が存在している
簡単にいえば、当事社会が現況では人口増加に耐えられない場合に、別の土地に移動させ、民を殖やす行為

代表的事例は、中世のヴァイキングであり、大航海時代も殖民の視座も指摘できる
要は、植民地という概念は、重商主義・帝国主義のような視座を大前提にする概念になりがちだが、
歴史的には、人口扶養力の限界から移民が行われる事例が『殖民』と言えるだろう。
あくまでも人口扶養・食い扶持確保に過ぎない「殖民地」と、重商主義・帝国主義のような富国強兵を首座にした「植民地」では、公的権力の暴力性の有無・深遠が異なるわけである。
なお、戦前の日本の移民は、「殖民」というべきものだが、最近では、「殖民」という概念があまり使われなくなっている傾向にはあるが、歴史教育ではその違いを思慮して使う指導者も多い。

ちなみに、日本では知られていないが、アメリカのリベリア殖民活動(American Colonization Society)をいわゆる植民地を表現することの適否などは争論されうるべき価値はあろう。



>(2)貴兄の植民地の定義ではアジアでの貿易拠点(カルカッタ、香港など)を植民地として重視した定義になるのでしょうか?

いわゆる重商主義的視座による経済拠点の支配であるイベリア半島の政策は、植民地とは言い難い部分が多い。
しかし、社会活動としての定住性が存在しえれば、政治的支配がなくても、そこは植民地と言えるだろう。
というのは、植民地という概念は、Colonizationから生まれた概念であって、Colonizationには政治性が必然的とは思えないからである。

小生は、植民地という概念に関して、善悪・適否の主観がない
植民地という状態を維持するための政治行為の適否・有無には論説価値を感じるが、政治的強制・暴力的作為がない多くの植民地の事例を鑑みれば、イメージ先行になりがちな「植民地」をいう概念が気に食わないのが本音である
要は、移民を受け入れることは、ある種の「国内に租界地・植民地を容認する」ことに他ならないと理解しているし、地という空間概念について緩やかに主体・客体判断を行うのが適切であろうと思う。
ある種のテリトリー概念で植民地を思慮するよりは、自由なワークフィールドとしての植民地の価値こそ多くの人類にとっては有意義かつ価値を持っただろうことを斟酌した上での、小生の『植民地』観ではある。


>(3)満州国という植民地
中国を半植民地というのは、満州国が理由ではなく、それ以前のことのように思います。

小生は、どの国・社会でも植民地があると認識している。
植民地そのものが問題ではなく、どのような行動であるか?それに対してどう振舞うか?という問題が先行するので、植民地という概念の定義は曖昧でもいい、、、とは思っているが
小生個人としては、植民地という概念は広いものであって、その適否・是非については、歴史的自由との共存過程において必然的なもの・・として鳥瞰している次第である

以上・・・・返信遅れたのは、メール確認で漏れたため・・・すまそ
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この回答へのお礼

殖民の意味を教えていただいて、有難うございます。

10件の回答を読んで、どうも定義が定まっていない、と言う気がしました。

これもマルクス唯物史観の崩壊の影響かnあ?と思いました。

搾取と言う見方をはなれた植民地論が必要なような着もしました。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/20 21:52

皆さんのご意見を拝見して、勉強になりました。


質問者様も言われているように、植民地の定義が定まっていないため、
植民地であるかどうかはその人の定義によって異なるようです。

私の認識では、植民地の本来の意味は新たな移住地や入植地だったようですが、
近代では「本国とは異なった法・政治体制の下で統治される地域」のうち、
保護国や自治領とは異なる一形態と考えています。
ただ、政治や経済関係の分類も多岐にわたるので、明確な分類は困難です。
国家の成立要件として「領域」「国民」「実行的な政府」の3点が挙げられますが、
マルタ騎士団のように領域が無くても在外公館を認める国もあります。
アメリカの場合、プエルトリコは自治連邦区(コモンウェルス)、
グアムは国際連合非自治地域、米領サモアは国際連合非自治地域でも
正式な市民権はありませんが、いずれも植民地とはされていません。
東アジアの国の数という点で見ると、
日本の公式見解は日本・中国・韓国・モンゴルの4ですが、
北朝鮮では北朝鮮・モンゴル・中国の3、
中国や現在の国連加盟国では5、
WTO加盟国だと日本の認識に台湾・香港・マカオを加え7、
独自通貨やパスポートの発行は8です。
一方で、台湾の見解は自国政府のみなので1となります。
現在の国ですらその認識は多様なのです。

日本の植民地支配では、戦前は極力「植民地」の表現を避けていました。
また、代表的な日本の植民地とされる朝鮮・台湾・満州でも内容は異なります。
一方で、汪兆銘政権(南京国民政府)や蒙古聯合自治政府は、
事実上は日本の支配下であっても植民地と言われることはあまり無いようです。
中国の教科書では、「汪精衛(汪兆銘)が天性の良心を無くして国を裏切って、
中華民族を辱めた。罪の重さと悪辣さは秦檜以上」と、かなり辛辣です。
満州国や南京国民政府は、当時のタイやバチカンに国家承認されていますが、
満州国の場合は中央政府機関の日本人官吏が1934年で既に50%以上だった
そうですから、名目上は独立国ですが実際は植民地という点では
半分植民地といえるかもしれません。

日本の植民地支配についての中国での認識は、
世代や環境によって違うのではないでしょうか。
過去の中国教科書では日本の占領地政策を
「奴隷化教育を推進し、中国人民の民族意識と反抗の意思を消滅・破壊し、
あらゆる形式の略奪で中国の資財を搾取し労働力を奪った」とされています。
これによって教育された世代なら、以前のような反日デモが起きても
不思議ではありません。




余談ですが、よく比較される朝鮮と台湾について、
台湾では、第4代の台湾総督だった児玉源太郎の下で、民政局長の後藤新平が
「生物学の原則」に則った台湾統治を行い、それなりの成果を得ました。
しかし、日本化どころか日本人との区別化は顕著だったと思います。
朝鮮では、李王家が王公族として宮内大臣管轄化の李王職があり、
皇太子の李垠は皇族と結婚していますし、華族になった人もいます。
朝鮮では昭和12年から志願兵として兵役に就けましたが、台湾は昭和16年、
陸軍士官学校も台湾人は入学できませんでした。
創氏改名と同時に実施された改姓名も、朝鮮では認可性でしたが、
台湾では許可制のため、なかなか認めてもらえず、
当時600万人のうち日本人名にできたのは10万人程度でした。
先ごろ映画化された霧社事件も、日本人巡査の差別的行動がきっかけです。
八田與一や六氏先生のように、住民への評価が高いとされる人々もいますが、
個人的には、満州や朝鮮より台湾のほうが植民地といえる状態だったと考えます。
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この回答へのお礼

植民地のいろいろの形態について教えていただいてありがとうございました。

ところで私の質問の本音は、植民地主義の価値判断の方にありました。

大東亜戦争を、西洋の植民地主義からアジアを開放するための戦争だった、という自画自賛の戦争論があります。

半植民地だった中国を解放するための戦争だった、という言い方もあります。

一方では朝鮮、台湾の植民地経営は、西洋の過酷なものとは違って、平等を目指したものだった、という自画自賛もあります。

こういうことを考えるために、西洋の植民地主義と言うものの実際はどんなものだったのか?知りたいと思ったのでした。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2012/05/23 12:10

 早々のレスありがとうございます。

当該の「“半”植民地」の定義に関して考えてみました。
ここで注目すべきは♯5方の回答にある定義です。
 「半植民地という表現ですが、国内に自国の権限、特に司法・警察権限が及ばない、他国によりコントロールされている地域があること、を意味しているのではないでしょうか。
つまり、中国各地に存在した租借地というやつです。英国の威海衛を筆頭にして、ドイツの青島、ロシアの旅順、などが名高いですね。定義はある条件で国がある国に貸した場所、地域」としてこの方が重視されているのは「空間」つまり「領土の把握もしくは奪取」です。
 これに対し私の考え方は「その領土を支配するシステムや法規範」に重きを置く考え方です。近代国家を定義する要件の一つとして「権力の所在」の問題があります。そして「権力」は具体的に警察組織や軍事組織を要求すると共にそれを手中に収める形で統合します。つまり領地内のどこかで何らかの騒動や暴動が起きた場合、それを鎮圧する目的で軍隊を派遣すると共にその前段階で押さえつけるための警察組織を領域に網の目のように拡げていき尚且つ監視を強化していくとの手法に訴えます。権力による支配に対峙する概念は自治に相当します。つまり組織を他の全ての権力からの干渉を受けず自主的に運営する形です。
 ここで最初の「定義付け」の問題が顔を出してきます。「半」との表記は空間的支配に対する形容とも解釈できますが、これを文字どおりの「半ば」と解釈した場合には「表面的には」との理解も成り立ちます。満州国の事例に則していえば「表面的には独立国ではあるもののそれが傀儡政権であり実効支配を行っていたのは日本である」との事実から“半独立国家・欺瞞に彩られた独立”として形式上の独立を意味するとの点で「“半”植民地」などとのオブラートに包んだ表現をしていると私は解釈しています。
 因みに現在では「帝国」の概念もかつての「5つの指標」から離れ、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの共著による『帝国』(原題は“EMPIRE”)を突破口として再検討を余儀なくされています。
 従来の「帝国主義論」がともすれば「アメリカ帝国主義」の代名詞であるかの様に喧伝されている状況に対し、ネグリ・ハートが定義する「帝国」をサックリと表現するならば「脱中心的で脱領土的な支配装置」とすることができます。これにより国家という支配装置が「支配のためのシステム」と言い換えられ、その形態を模している多国籍企業も一つの「帝国」でもありうる、との少し乱暴ではあるものの新たなパラダイム・シフトも提示されています。 以前からあるデルモンテのプランテーションなどもこうした見地からいえば一つの帝国組織であり、それに依って収奪されている地域も植民地と呼ぶことは可能でしょう。本来は国際通貨の一つでしかないドルが実質上の基軸通貨として認知されている背景にはアメリカの国内事情もあるでしょう。ロビー活動が幅を利かす国柄です。石油メジャーや穀物・バイオのメジャーの力が有形無形で政権に影響を及ぼします。「デファクトスタンダード」と「グローバルスタンダード」の類似点と相違点を今後も検証していくことも必要ですね。
 あらためて勉強し直す視座を提示していただきありがとうございました。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。

満州国を日本の植民地と言い切るのはどうもすっきりしないと思っていたのですが、なるほど「半植民地」と考えるとすっきりします。

ところで租借地があることが植民地とすると、米軍基地がある日本は、半植民地ということになりますが・・・・。

お礼日時:2012/05/17 16:54

 No.2です。



<例えば日本の植民地、台湾、朝鮮、満州の植民地経営の採算はすべて大赤字だったということがわかっています。
とすると日本は植民地を持たなかった、という奇妙なことになりますが、どう考えますか?>

 質問内容といい、再質問の投げかけ方といい、自分で自ら考え、判断しようという質問者さんの気持ちが伝わってきますね。
 最近のこのサイトの質問は、『他人に考えさせよう』とか『質問のふりをして、持論を滔々と述べるだけ』だとか、『人の意見を聞く気がない』のに、質問をしてみるだけとかが増えて、滅入っていたところです。
 質問者さんのような質問であれば、気持ちよくお答えさせていただきます。(閑話休題)


 “植民地経営のセオリー”
 広大な植民地を持つ英・仏は、
1、植民地を遅れた社会のままに維持する。
2、利益は薄く、広く搾取することで上げる。
 という植民地統治策を取りました。

 植民地の社会をそれ以前と出来るだけ同じ状態にすることで、
・統治下の元の社会支配層からの反発を少なくできる。
・多くの一般大衆を政治的に目覚めさせない状態にできる。
・本国からの経済投資が少なくて済む。
 
 広大な植民地を持つ英・仏は、薄い利益でも、植民地による利益を確保できました。


“日本の海外領土開発の特殊性について” 

 『遅れて来た帝国主義国』であった日本は、欧米列強(英・仏・米)に比べて、支配下にある地域が狭かったにもかかわらず、列強の一角に食い込み、「一等国」としての地位を固めようとしました。
 そのために、英・仏とは違い「狭い支配地でも、英・仏と肩を並べる経済利潤を上げる」ことを目指しました。

 具体的には、「経済的に遅れた地域」に投下した資本は、開発の進んだ地域よりも投資効果が大きくなることに着眼し、最初に手に入れた『台湾』に対して、資本を投入して徹底的に開発し、「日本」化することで、最大限の経済利益を得ようとしました。

<台湾>
 「日本化」が相当程度に成功。初期の経済投資が定着し、利潤を上げ始めていた。

<朝鮮半島>
 台湾での成功を受けて、「日本」化を目指す。
 投資効率もかなり高く、日本化もある程度の進展を見たが、台湾と違って、「民族」としての歴史が長い朝鮮社会では、投資効果を高めるために行った社会改革(封建制社会を資本主義社会に移行させた)によって、支配階級・知識階級であった地主貴族(=両班)階層が崩壊し、彼らから強い反発を受けることとなった。

<満州>
 投資効果は極めて大きかった。そのため、投資をどんどん拡大した。
 『満州鉄道』は、その利潤を再投資し、急速に巨大財閥化し、満州を重工業地帯へと変えつつあった。

 グーグルアースで、瀋陽を見てください。東京丸の内以上に整備された巨大計画都市であったことが分かります。


※投資によって急速に経済規模が大きくなって、利益が上がる状態であっても、投資が先行しているわけですから、その時点で決算すれば赤字になります。大赤字ということは、投資効率がいいので、先行投資がどんどん拡大している状態です。(儲かることが分かるので、利益は配分せずに再投資に向かいます。)とはいえ、敗戦で利益回収が出来ないまま、投資は失われてしまいましたから、「大赤字」の状態で決算されてしまいました。
  

<中国人自身はどう思っているのか?をご存知の方は、是非教えてください。>
 地主・官僚であった知識階級は、都市を生活基盤とする人々と共に、外国の経済支配の拡大を、大いに警戒し反対運動を起こしたり、外国の資本家と組んで、経済活動を活発化させ、財閥化するような場合もありました。

 しかし、農村に暮らす農民の多くは、外国人を見たことさえなく、新聞も見ず(識字率は決して高くない)、半自給自足生活の者も多く、「外国の経済支配」を身近に感じることが少なかったでしょう。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございました。

大赤字について

資本勘定と損益勘定を分けてみる必要があります。

大赤字と言うのは、損益勘定だけでみたものです。

お礼日時:2012/05/17 16:42

 珍しく♯6の方と結論が一致しました。

質問者様が定義している「植民地」ですが、「植民地とは本国政府が現地に出先機関を置いて現地人を支配すること」とするならば、15年戦争で日本が中国を植民地化した拠点として満州国を比定することもできるでしょう。となれば後半の「(中国は日本の)植民地でなかったことは確かだと思う」ことにはなりません。実効支配が自国の政府でない他国の政府により行われていたのであれば、それは植民地であることに他なりません。
 中国東北部の黒竜江省・吉林省・奉天省に中国大陸への橋頭堡を求めた日本が行った行為は植民地化とはいえませんか?
 こうした日本の行為に対し自国の自治独立を回復する目的で北京の大学生などを中心とする抗日運動と日本の武力衝突が日中戦争へと拡大していくことになります。
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この回答へのお礼

いやあー、全く困ったことになりました。
満州国の問題をどう考えるか?については、整理されていない状態でした。

なるほど、満州国は日本の植民地でしたから、中国の一部が植民地になったと言うことです。
さてこのことを「半植民地」と言ったのでしょうか?

もしそういうことなら解りやすいのですが、その場合、中国本土そのものは半植民地にはなっていない、と言うことになります。

私の理解では、半植民地というのは、中国本土のことを言ったのだと思うのですがいかがでしょうか?

つまり満州事変以前の中国の状態を半植民地といったのでは無いでしょうか?

痛いところをついていただいてありがとうございました。

お礼日時:2012/05/16 20:43

>例えば日本の植民地、台湾、朝鮮、満州の植民地経営の採算はすべて大赤字だったということがわかっています。



とすると日本は植民地を持たなかった、という奇妙なことになりますが、どう考えますか?


「植民地」の意味を正確に考える必要があると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/16 20:44

まあ、漫談と思ってください。



まず、日本語でこまったときには、私はこれを引きます。

---------------------------
≪広辞苑第五版≫

しょくみん‐ち【植民地】
 (colony) ある国の海外移住者によって、経済的に開発された地域。本国にとって原料供給地・商品市場・資本輸出地をなし、政治上も主権を有しない完全な属領。

---------------------------

いいですね。六版欲しいなあ。
興味深いことですが、昭和三〇年の初版にも同じ記述で書いてあります。つまり、編集者は定義に変更の必要を感じなかったのでしょう。

半植民地という表現ですが、国内に自国の権限、特に司法・警察権限が及ばない、他国によりコントロールされている地域があること、を意味しているのではないでしょうか。

つまり、中国各地に存在した租借地というやつです。英国の威海衛を筆頭にして、ドイツの青島、ロシアの旅順、などが名高いですね。定義はある条件で国がある国に貸した場所、地域です。

これは日清戦争後に清国が日本(ごとき)に敗北したことをうけて、西欧が一斉に清国に「貸せよ」と、強要したことから始まります(租借地獲得ブームはオスマン・トルコでも、その末期にもおきます)。
よく租界と混ざってしまうことがありますが、租界は都市の一部と限定され、かつ賃料を払う必要がある点でちがいます。

中国の人にとっては、清国そのものが満州人の政府なので漢族からしてみれば「外国の支配」なので、あまり気にしていないように思います。また、中国のビールのブランドに「青島ビール」というのがありますが、これはドイツ人が青島に施設をもちこんだのが始まりです。いまでも大陸中国ではトップのシェアです。気にしていたらこのビールのブランドは残らなかったでしょう。

韓国の仁川にキリンビールの大工場があったのですが、今韓国にはキリンのブランド、ないですよね(ただ、ビールのびん、大ビン、中ビン、小ビンの単位は、日本と同じです。大ビン633ml)。

ビールの一件で、まあ中国の人がどう思っていたかが、韓国ともくらべることができ、気持ちとしてのホンネでもあるのではないかと思います。

中国の人にしてみればひどいことも教えてもらったこともあった、というのが正直なところではないでしょうか。
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この回答へのお礼

日本のあちこちにアメリカ軍の基地がありますが、同じようなものではないでしょうか?

しかし私は日本はアメリカの植民地だと思いません。

一案として考えたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/05/16 20:48

 植民地にはさまざまな形態があり、正確で研究者に共通する定義など不可能で不必要だと思います。



 熱帯・亜熱帯の低開発地域では、綿花、砂糖、ゴム、コーヒー、カカオ、茶、などのプランテーションが発達したが、温帯で人口稠密な中国では市場の獲得が重要であり、商業貿易の中心都市に租界を設けるかたちでの支配が進んだ。

 回答者は小学生のころ上海で育ったが、学校、娯楽、食事、買い物など日常生活で外国にいるという認識は全くなかった。我が家の子供たちも小学校をヨーロッパで過ごしたが、不便不都合極まりなく、上海がいかに日本人にとって天国であったか苦笑させられたものである。

 インド型植民地とか中国型植民地と呼べば簡単なのに、なまじ半など不明確な形容詞をつけるから混乱しただけである。自治を認めながら経済的利益を収奪する制度だと考えればいいのではないか。中国の場合、現地人を支配しなければならない必然性はない。
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この回答へのお礼

貴重な経験に基づくお答えをありがとうございます。

私は植民地の定義、分類は必要だと思うので、こういう質問をしたものです。

例えば「太平洋戦争は西洋の支配からアジアを開放するための正義の戦争だった」と言う人が居ますが、このときの「西洋の支配=植民地」とはどういうものだったか?
それに対して日本のアジア支配はどういうものだったか?

どっちの支配が現地人にとって、どれほど被害を与えたか?などを考えるときに必要だと思うのです。

お礼日時:2012/05/16 20:56

「植民地」の定議論になっているが、質問は興味深いと感じるので私見を述べたい



(なお、「夜這い」については、回答しようと思ったが、明らかに「夜這いの定義」が怪しすぎるままだったので自重した)


>植民地とは本国政府が現地に出先機関を置いて、現地人を支配することだと思いますので、

小生の植民地の定義は、

社会Aの社会機構が、社会Aとは別の社会に衛星的な社会活動拠点を公的に設立すること・・・だと認識している
支配などの政治概念は必要なく、極めて抽象的概念と理解するのが現実的であろうが・・・


>植民地でなかったことは確かだと思うのですが、それでは「半分」というのは、どういう部分でそう言うのでしょうか?

小生の植民地の定義で言えば、中国の部分領域は、植民地と言えるだろう。
しかし、中国全体像の3割も満たない地域が植民地になったに過ぎないので、”半分”とは到底思えない。

さて、植民地は英語で言えば『colony』である
これには群居地、集団居住地・居留地などの意味がある。
植民地という概念は西洋由来であろう。

ところで日本語は面白いもので、植民地という言葉とは別次元に、”殖民活動”という概念があり、”殖民地”という概念も別に存在する

植民地の定義を行う上では、”殖える”の意味も考慮する価値はあろうが、そこまで思慮する必要性もないだろうが、実は大きな意味の違いはあることは指摘しておこう

補足があれば別途回答する

本サイトの諸氏は、そもそも”殖える”という言葉の意味すら知らないだろうことは・・以下自重

なお、小生の知己の中国国籍の人間は、おそらく気にしないだろう
『半○○』などという概念は、過半数・5割という意味よりも、”事象が100%ではないこと”を誇張表現するものに過ぎないのであって、その程度の言語的な意味まで思慮すれば、「どうもでいい」と思うだろう。


以上
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この回答へのお礼

下記の補足質問をアップしたつもりでいたのですが、私のなにかのミスで載っていませんでした。
遅れてすみませんが、よろしくお願いいたします。

「殖民と植民の違い」について教えてください。

(1)殖民と植民
私は、アメリカ両大陸とアジアでは植民地の様相が根本的に違うと思っています。

アメリカの場合は、移民から始まった植民地であり、アジアの場合は、移民と言うことは重視されず、それよりは輸出入業務が優先した、と思っています。
結果としてアジアでは、少数の移民があっただけと思います。

アメリカのを「殖民」、アジアのを「植民」と言うようにするという考えでしたら、大賛成なのですが・・・?
そして植民地主義を論じるときには、アメリカ大陸のことはアジアとは別に論じるべきと考えます。
またアメリカの植民地について論じるときには、まず先住民の殲滅ということから始めるべきで、一方アジアの場合はこれが無いことが特徴です。

(2)貴兄の植民地の定義ではアジアでの貿易拠点(カルカッタ、香港など)を植民地として重視した定義になるのでしょうか?

私は、これらは、現地国にとって、ほんの一部に過ぎず、また現地国の利益にもなったと言う意味で、あまり重視していません。

又日本にある、米軍基地を考えると日本は半植民地ということになり、常識的ではない、とおもわれます。

植民地主義として、非難されるのは、インド全体を植民地としてから以後、また台湾、朝鮮、満州全体を植民地としたことなど、と考えます。

(3)満州国という植民地
中国を半植民地というのは、満州国が理由ではなく、それ以前のことのように思います。

お礼日時:2012/05/18 08:33

 「帝国主義」の時代において、本国にとって『植民地』の存在意義は、『経済的利益を得る』ことにほかなりません。



 他民族が多数を占める土地においては、経済的利益をできるだけ長期に得るために、「人」まで政治的に支配することが多く行われました。

 これに対して、政治的には独立国家であるものの、経済は他国の資本によって支配され、その国で行った経済活動の利潤が、その国の国民を潤すことがなく、外国の資本家の手に渡ってしまう状態を、「半植民地状態」と言っています。

 帝国主義国家にとって、経済支配して多額の利潤をもたらす国や地域の価値は、政治支配をして利潤を上げる植民地と何ら変わりません。自国による直接支配がないことで、利潤の長期化が確定していないだけです。

 
 戦前の中国においては、列強各国がそれぞれ、自国の影響力の強い中国国内の地域・地域に対して、中国政府から鉄道敷設権を獲得し、鉄道という経済活動の大動脈を支配することで、世界一人口の多い中国という土地において、鉄道沿線の資本主義的な地域経済活動を支配し、多額の儲けを得ていました。
 この状態を、「半植民地」と呼んでいます。
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この回答へのお礼

実に解りやすい回答をありがとうございます。

しかしこれを現実に当てはめると簡単ではないと思います。

例えば日本の植民地、台湾、朝鮮、満州の植民地経営の採算はすべて大赤字だったということがわかっています。

とすると日本は植民地を持たなかった、という奇妙なことになりますが、どう考えますか?

お礼日時:2012/05/15 20:55

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