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戦国武将が100万石の領土を持っているのって
今でいうと、どのくらいの資産・土地を持ってるくらいすごいのでしょうか?

100億円持ってるぐらいすごいですか?
100戸の家を持ってるぐらいすごいですか?

ご回答よろしくお願いします。

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A 回答 (8件)

戦国時代の石高なら、下の説明をみてください。


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
http://bit.sakura.ne.jp/tuwamono/tizu-tougou1.htm
http://sengokutan9.com/sengokukassen/sekigaharaz …
 
石高は、領土の大きさを米の生産量に換算した『ような』ものです。
人口にも関係しますし、産業の状態にも、畑作や米作にも関係します。
単純には言えません。
 
石高は、一応、年間の経済力(その領土の年間総生産高)を示しているようなものですから、預金や資産の額との比較は出来ません。
1石を年間一人の生活費と考えれば、100万石は100万人の生活費相当ということになります。
 
領土全体の総生産高ですから、住民の生活費も、戦国武将の家臣や家臣の家族の生活費も、この中で賄います。戦国時代の武将ならば、築城費、河川改修費、干拓や開墾費、武器弾薬の購入費もこの中から出します。
 
なお、現在のように戸籍制度や帳簿制度、通貨制度がはっきりしていて、集計をする人が同じ方法で集計しているのではないですから、石高1万石と公表されている地域が10箇所あれば、10箇所が全部違う実態で、7000石~16000石程度にはばらばらだったでしょう。
また、天候などにも生産高は大きく左右され、戦争があれば農地も荒れたり、兵隊や労役にかり出されたりしたでしょうから、いつも同じ生産があるとは言えないと思います。 
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/13 23:01

5公5民で50万石が収入となります。



戦国時代は貫高制で1石=1貫目が相場ですが、
実際は600文程度の安値で取引されていようです。

それが江戸時代になると1石=銀60匁(1両)付近で取引されるようになります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E4%BE%A1


1両の価値は4万円(米価換算)~40万円(給料換算)とまばらです。


米1石=150kgですからkg1000円なら1万5千円です。
相撲取り十両は今では約100万円ですから10倍近い価値の違いが出るのです。


1両4万円なら200万円。
1両10万円なら500万円。
1両40万円なら2000万円。


但し、これは表高(江戸時代初期の禄高)で褒美で与えた領地もあれば免税の褒美を与えた御免地もありますから内高(課税出来る農地)は少なくなります。

しかし、開墾したり、農業技術の進歩で実際に取れる石高(実高)は150万石を超えていたのは明白です。

1年で1両稼ぐとします。40年で40両です。
これを現在の人間に当てはめれば、40両は1億円の価値です。

50両を1億円とすれば50万石は1兆円になります。

幕府の御用金年600万両と言いますから、国家予算で考えれば1兆円の価値になります。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/13 23:01

地域全体を納めている。

ってことで、
日本でも数件しかないという意味では、

売上5兆円超企業。みたいな感じじゃないでしょうか。
http://www.ullet.com/search.html
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/13 23:01

当時、江戸幕府時代の全国の石高は2400万石。


徳川家は400万石。

徳川吉宗が享保の改革を成功させ、幕府の倉には
百万両が積まれて財政が楽になってよかったね、という記録があります。
百万両≒百万石 

その中で100万石ですから、結構すごいと
思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/13 23:01

一石が米150kgに相当。

原価にしておおよそ5万円
しかし、流通時には、20万まで上昇する(おおよそ一両)

それらを100万倍すればいい

ちなみに、この石高は籾米・玄米・白米でも大きく異なるので、実は怪しい指標でもある

・・・・・・・・・・

なお石高は生産力の指標であるから、本義は、国内総生産(GDP)もしくは、GNI(国民総所得)から勘案するのが妥当だろう

おおよそ全国規模で石高計算すれば、3,000万石 GDPでいえば名目GDP 5兆4742億ドル(約479兆2231億円)    
 3000万石 : 100万石 = 479兆2231億円 : 15兆9741億円

15兆9741億円


なお、他の回答者と見解が異なるのは、
小生の計算が、より現代社会の貨幣価値を重視したものであるから、に過ぎない

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ちなみに、戦国武将の時代は3000万石もなかっただろうから、もっと金額が高い可能性がある
あくまでも相対的査定なのであしからず
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2012/10/13 23:01

今の金額に単純計算するとNo.1の方のようになりますが、貨幣価値や経済の規模、人口規模が全く違うので、仙台市というよりは県一つくらいの感覚ではないでしょうか。


よく「加賀百万石」といいますが、加賀って今の石川県南半分くらいです。実際の加賀藩が100万石前後有していた時は、加賀と能登(合わせて石川県)の他に越中(富山)も含まれます。
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この回答へのお礼

単純に計算できるわけではないのですね。
県ひとつですか。
すごいです。ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/04 19:39

太閤検地の段階で


日本全国 1800万石くらい

日本の現在のGDPが
5.46 兆 US ドル くらいなので
全体の 18分の1

0.3兆USドル = 24 兆円 くらいかな
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この回答へのお礼

それはすごいですね。ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/04 19:39

 1名=1石相当なので(お米の生産が)




 100万人相当の人口から税金を取れるってことです


 仙台市くらいですね   仙台市 1,049,493

 仙台市の一般会計 4,078億円


 かはは 100億では無いぞな
   
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この回答へのお礼

100億なんてもんじゃないくらいすごいのですね。ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/04 19:39

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Q1万石??

江戸時代,将軍から1万石以上の領地を与えられたものを大名と呼んでいますが、
「1万石は,現在の貨幣価値にして,どのくらい」なんでしょうか。

Aベストアンサー

以下は一応の目安として考えてください。米一石は150kgですから、1kgの米の値段を500円とすれば一石で7万5千円となります。つまり、単純に一万倍すれば7億5千万円の年収ということになります。

しかしながらいろいろな要因が考えられますのでこれで決まりという訳にはいきません。と、いうのは大名の手に入るのは五公五民としてその半額ですから実収入は3億7500万円とも考えられますし、米相場は上下しますから、米の価値をもっと高く見ることも可能です。さらに、他のものの物価との比較も考えなくてはなりませんし、江戸時代の中でも初期の寛永のころと中期の寛政、末期の安政とでは物価も経済規模も違いますから一概には言えなくなるわけです。

そういうことを全てひっくるめての概算として私は分かり易いというう理由から上の数値を使っています。

Q加賀百万石って、今でいうとどれくらいスゴかったのでしょうか?

あの国と同じくらいの経済規模とか、わかりやすい例えで教えてもらえると嬉しいな(笑)

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https://travel.oshiete.goo.ne.jp/

Aベストアンサー

「1石」というのは、成人男性が1年間暮らせるだけの米の量と置き換えられますので、
100万石の都市は、100万人の成人男性を養える都市だったということですね。
今で言うと、政令指定都市に認定される規模ですが、残念ながら、
今の金沢市はまだ政令指定都市の認定は受けていません^^;

Q1万石はいくらですか。

1万石はいくらですか。
今のお金でお願いします!!

Aベストアンサー

江戸時代の大名の収入としてなら、
白米小売価格でなく玄米卸価格のほうが妥当でしょう。

http://www.japan-rice.com/market-price-transition-21.html

2009年度玄米60kgで15,000円弱といったところ。
仮に60kg15,000円として、1kg当たり250円。
1石150kgとして1石当たり37,500円。
1万石だから3億7500万円。

余談を少し。
概算ですが、四公六民として藩の取り分は1億5千万円。
そのうち半分が藩士の俸給で費やされるとして、
領主の取り分は1万石当たり7500万円。
米沢上杉家のように石高に比して藩士が多いと
領主の収入は更に減ることになります。
米沢上杉家における上杉鷹山の出現は
ある意味必然的だったのでしょうね。

Q百万石

時代劇でよく使われる「百万石」とは、どれぐらいですか。
分かりやすく教えていただけますか。

Aベストアンサー

No.7です。ご質問が地位や権威についてとのことですので、補足します。

石高は領地から採れる米の収穫量で、その藩の経済力の指標となりますが、必ずしも地位や権威に比例するわけではありません。

地位や権威については、朝廷の位階、幕府内での順位、将軍との血縁等、様々な尺度があって、一概に比較するのは難しいのです。

例えば加賀百万石前田藩の場合、歴代城主は(十二代斉泰の正二位という例もありますが)大体正四位下が普通でした。朝廷の位階としては、他の大名と比較して特別高いものではありません。

幕府内では、大廊下下之部屋詰めで、御三家、御三卿に次ぐ格式でした。しかしあくまでも外様なので、政治の要職に就くことはできませんでした。その意味では、老中や側用人の方が実権を持っていたと見ることもできます。

金銭面については、No.6の回答の通りです。身分としては、町民はもちろんほとんどの武士にとっても雲上人に等しいのですが、貨幣経済の見地では、その差はかなり縮まることが分かります。

Q徳川家は八百万石なのに、どうして江戸の面積は狭いのでしょうか。

こんにちは。

私の手元に、「江戸(嘉永)時代大名紋章及び城郭図」という地図があり、それを見ていて疑問に思ったのですが・・・。
徳川家は八百万石という力を持っていたにも拘わらず、江戸と呼ばれる範囲はあまりにも小さいと気が付きました。
他の裕福な藩は(加賀など)広々とした領土なのに、どうして徳川家の領土(城下町?)はこんなに狭いのでしょうか。
江戸以外にも、直の領土があったのでしょうか。
それとも、広い城下町を持つ必要がなかったのでしょうか。

教えていただけたら、ありがたいです。

Aベストアンサー

徳川家は八百万石なのに、どうして江戸の面積は狭いのでしょうか。

日本全国の総石高が3000万石といわれている中、幕府直轄領の石高が400万石(13%)~450万石(15%)、旗本領が約400万石、合わせて800万石(27%)を上回り、全国の30%近くを占めます。面積について乱暴な言い方をすれば、同じ様な比率で直轄領及び旗本領を持っていたものと考えられます。ですから、全国の1/4近くの支配地を持っていたことになります(直轄領だけでいえば1/7程度)。
直轄領は、江戸時代には御料、御領、御料所などと呼ばれ、明治以降は天領と呼ばれますが、天領と呼ぶのが一般的です。全国に散在し、直轄地がなかったのは蝦夷地くらいのものでした。ただ、蝦夷地も、寛政11年1799に東蝦夷地を直轄領とし、文化4年1807には西蝦夷地も直轄領にします。この処置は、文政4年1821に東西共に松前氏に返却しています。
大きな直轄領としては、九州の日田地方、石見東部、愛媛東部、備中西部、播磨西部、但馬西部、大坂・堺・京都周辺、近江南部、大和南部、飛騨一国、中期以降の甲斐一国、三河・遠江・駿河・伊豆の過半、武蔵・安房・下総・上総の過半、常陸南部、会津西部、山形北部、秋田南部など全国に及んでいます。
一般に10万石以上の地域を支配する場合は郡代を、それ以下は代官を派遣して支配をしています。また、一部では譜代大名などに預けている場合もあります。
この他に全国の主要都市を、江戸・京都・大坂以外に、伊勢神宮門前町の山田、貿易港長崎、金山の佐渡、旧貿易港堺、他に奈良、伏見を直轄地として、遠国奉行を派遣しています(幕末には神奈川、下田、兵庫、新潟、函館などの開港地も直轄領化し、奉行を派遣)。
佐渡、伊豆、生野、大森などの主要鉱山も直轄地ですから、全国展開していました。

以上、参考までに。

徳川家は八百万石なのに、どうして江戸の面積は狭いのでしょうか。

日本全国の総石高が3000万石といわれている中、幕府直轄領の石高が400万石(13%)~450万石(15%)、旗本領が約400万石、合わせて800万石(27%)を上回り、全国の30%近くを占めます。面積について乱暴な言い方をすれば、同じ様な比率で直轄領及び旗本領を持っていたものと考えられます。ですから、全国の1/4近くの支配地を持っていたことになります(直轄領だけでいえば1/7程度)。
直轄領は、江戸時代に...続きを読む

Q戦国武将 加賀00万石 前田利家のすごさを教えてください。

戦国武将 加賀00万石 前田利家のすごさを教えてください。

Aベストアンサー

前田利家が参戦した戦は37です。
その中でも、近江箕作城の戦い及び越前金ヶ崎城の戦いでは槍をふるって敵の首を取っている。また、摂津・春日井堤の戦いは「堤の上の槍で」と信長に讃えられている。武勇に優れていた事は間違いありません。

慶長4年(1599年)2月、病躯をおして、利家は和解の実を示す為に伏見に家康を訪ねている。
また、同年3月、家康は病気見舞いと答礼をかねて、大阪城に利家を訪ねている。その際、利家は病状が悪化し、やっと床を這い出て中の間で家康と対面している。この二つの状況からも利家の「律儀さ」が窺えると同時に、家康が一目置いてた大大名利家の存在感を現しています。

石田三成は病中の利家を訪ね、看病と称して前田邸に詰めた。加藤清正、黒田長政、浅野幸長、池田輝政、福島正則、細川忠興、加藤嘉昭の七大名から逃れるためであった。七大名も利家の顔を立てて、三成に手だしをしなかった。ここでも、利家のすごさが窺えます。

意見の分かれるところですが、もし利家があと10数年生きていたならば、徳川幕府は生まれていなかったかもしれません。

Q江戸時代、藩がどう分布していたかがわかりやすい日本地図を探しています。

たとえば、
今の山口県のあたりには長州藩があり、藩主は毛利家
ということが見てわかりやすい日本地図を探しています。
そのような地図がおいてあるサイトをご存知の方はいらっしゃいますか?

Aベストアンサー

江戸時代初期は大名の取り潰しが多かったので、いつの時代が必要なのか難しいですが、一応300藩と言うことで参考URLをご覧ください。
地方ごとに分かれています。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html

Q「幕府」と「朝廷」の違いを教えて

中学校1年生の子供からの質問なのですが、

・「幕府」と「朝廷」の違いが分からない。
・そもそも「幕府」って何?「朝廷」って何?

と言われました。
お恥ずかしながら的確に説明できません。
教科書には説明が載ってないし、「先生に聞いてみたら?」と言うと
「先生は授業が終わるとすぐに職員室に戻ってしまうし、あまり質問しやすい先生じゃないもん!o(;△;)o 」
とのこと・・・(´_`;)

どなたか教えていただけますか?
私も勉強したいです。よろしくお願いします。<(_ _;)>

Aベストアンサー

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるということはほとんどなく、武士に言われるがままに任命していたわけですから、実権は武士の側にあったということになります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D
これを端的にお子さんに説明するのは難しいかもしれません。
ただ、今の天皇陛下も政治的な実権はまったくなくて象徴として存在しているわけなので、それとちょっと似ているというような説明は、できるかもしれませんね。(今でも首相を任命するのは天皇と決まっています。ただし天皇が首相を選ぶことはできず、国会が選んだ人を形式的に任命するだけです)

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるという...続きを読む

Q石高について

石高が具体的に想像できません。時代ごとで石盛がことなることは理解できるのですが、例えば加賀百万石や慶長年間の30万石とは、玄米にして何表にあたるのか、米にしたら何表になるのか、金額にしてどれくらいなのか、などの具体的なものを教えていただけませんか。時代ごと、地方ごとでその意味は異なるとは思うのですが、概略だけでも掴みたいと思います。

Aベストアンサー

 
江戸時代と現代では、ものの価値がまったく違うのだということを理解しなければなりません。現代は物品・商品が驚くほど豊富で、食品にしても種類などは無数にあり、その料理法も多数あります。

江戸時代は、初期の頃から後期へと、段段と商品・物品の種類は増え、食品やその調理形態も,時代と共に豊富になって行きましたが、とても現代の比ではありません。

間接的に呼んだ話では、例えば、うなぎの蒲焼などは江戸時代にはなかったと考えてよいのです。江戸後期には出てきますが、中期に、丸焼きのうなぎを食べていたというのが実情で、しかも、精力がつくというので、人足などの肉体労働従事者が食べていたもので、一般的ではありません。

食品としては、海から取れるものは、各種の魚、貝、たこやいか、海草などで、池や川や田などでは、魚や貝が取れました。これらを調理して料理にしたのです。また陸では、米、麦、豆、粟・稗などの雑穀、大根、芋などを含む各種野菜、そして兎やかもの肉などがあり、例外的に、猪の肉などもありました。

しかし副食はそんなに多くなく、庶民だと、米に雑穀、豆から作った味噌や豆腐、それに野菜、魚、貝などが食物でした。やはり、米と雑穀、麦が多く、それに味噌、野菜を少し加えて、これで大体食事です。宮沢賢治の「雨にも負けず」にあるようなのが、江戸時代の食事です。

生活費は大体、食べるのに使ったのだと考えるのがよいでしょう。衣類や調度、その他、多少の道具も必要だったでしょうが、やはり食べることが主で、食べられることが、生活の条件だということになります。

だから、食べるための米の量で計算するのが、江戸時代の価値観では合理性があるのです。

一日に米五合というのは、そんなに食べないと思えますが、昔は、副食がないので結構食べたのです。米だけ食べたのでないので、雑穀も米に勘定して、副食もこれに入れます。すると、大まかに、1石は、200日分の米だと出てきます。

1石=10斗=100升=1000合 でした。それゆえ、1石半で、一人の食料一年はまかなえたことになります。5人家族で7石か8石です。もう少し多く必要だとして、庶民は、一年間に一家で10石あればよかったということになります。

最下級の武士で、禄高30石とかがありますが、30石でも、食べるだけなら、十分余裕があったということになります。

米10石が庶民の年間の収入だったと考えると、現代の庶民の年間収入を仮に300万円とすると、1石は30万円になります。米1升は、1.5kgほどで、1石は150kgだとすると、現代の安い米だと、1kgは500円かそれ以下です。1石は7万5千円になり、10石は75万円になって、先の300万円と合いませんが、江戸時代の方が米の価値は高かったのだと云えます。

中級武士は、禄高100石ぐらいありました。これは3000万円になり、非常に高給のように思えます。しかし、江戸時代は、人件費が無茶苦茶に安かったという事情があります。商家の手代や丁稚が一年、働きに働いても、大した給金はなかったのです。食べさせてもらうことが、給金の主たる部分だったとも云えます。

また武士は、人口の一割にも満たない、エリート階層だったのだということも重要です。中級武士だと、少なくとも4,5人の下男・下女などを専属で使っていたのであり、現代の日本で、4,5人の成人を丸抱えで雇うとなると、年間1000万円の収入では無理でしょう。一人300万円出すとしても、1200万円とか1500万円必要になり、これを考えると、100石の中級武士が年収3000万円というのは、それほど多い金額ではなくなります。

1000石の旗本というと、殿様であって、裕福ということになりますが、これは年収3億円ということになります。

1万石の大名は、石高30億円です。しかし、1万石の大名になると、相応の数の武士の家来を持たねばならず、小者や使用人など、抱える家来や使用人は100人は軽く超えたはずです(また収入は、以下の前田家と同様、15億円と半分になります)。

加賀100万石の前田家は、石高3000億円ということになりますが、これは大土地所有者でもあるのであり、日本の面積の50分1ぐらいを所有する大金持ちだとも云えます。(また、これは、加賀の総生産高で、課税がその半分とすると、1500億円が収入です。領地を持つ大名などは、領地からの税収が収入であったのです)。

徳川の直轄領を仮に1000万石とすると、徳川宗家は年収1.5兆円だとなりますが、これはむしろ、少ないのではないかという気がします。

1石30万円というのは、江戸初期の米の価値で、米の価値は段段落ちてきます。江戸末期には、1石10万円に、もしなっていたとすると、幕府収入は3750億円になります。

これでも多いように見えますが、幕府が何人の人間を養っていたのか、行政手順など、どれぐらい費用をかけていたか、こういうことを考えると、3750億円などでは、とても足りないということになります。

幕府1000万石1.5兆円は、純利益ではなく、粗利益で、ここから人件費その他諸費用を出さねばならないのです。それは大名家も同様で、武士の家も似たようなことになります。

なお、1石は2.5俵です。40石が100俵です。また玄米と白米は、昔は食用の米はほとんど精米していません。だから、そんなに差はないことになります。清酒用の米はかなり精米したようですが、分量的には、それほどではないでしょう(ただ、糠が出る程度には精米したはずです。糠も貴重な食料原料だったのです)。

(農家の次男・三男などが商家に丁稚などで働きに出ると、食事に、たくあん一切れ二切れとか、梅干が出たそうですが、これが何とも美味しく、魅力的であったという話があります)。

なお、参考2では、1石=5万円としていますが、これは話がおかしいのです。現代の米の価格をそのまま戦国時代や江戸時代に当てはめるというのが無理があるのです。一日5合が、一人の庶民の生活費で、1石=5万円だと、1合=50円で、一日5合は、一日250円となりますが、そんなはずはないのです。

1日250円なら、1年で9万円ですが、5人家族で45万円とは、現代日本では生活できません。米の価値が、江戸時代では、現代よりも遥かに高かったということを失念しているのです。

>参考1:石高とは
>http://homepage2.nifty.com/shinkei/yamashiro/kokudaka.htm
 
>参考2:関ヶ原
>http://www.ryusaku-kuroya.net/sekigahara.htm
 
>参考3:上田藩の支配組織
>http://www.odc.ueda.nagano.jp/hansei.htm
 

参考URL:http://homepage2.nifty.com/shinkei/yamashiro/kokudaka.htm,http://www.odc.ueda.nagano.jp/hansei.htm

 
江戸時代と現代では、ものの価値がまったく違うのだということを理解しなければなりません。現代は物品・商品が驚くほど豊富で、食品にしても種類などは無数にあり、その料理法も多数あります。

江戸時代は、初期の頃から後期へと、段段と商品・物品の種類は増え、食品やその調理形態も,時代と共に豊富になって行きましたが、とても現代の比ではありません。

間接的に呼んだ話では、例えば、うなぎの蒲焼などは江戸時代にはなかったと考えてよいのです。江戸後期には出てきますが、中期に、丸焼きのう...続きを読む

Q信長・秀吉・家康のホトトギス

上記三人の人柄をホトトギスを用いて表現した文句は有名ですが↓

信長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
秀吉「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」
家康「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」

これらは彼らの人柄をわかりやすく例えるために後世に詠まれた、とこのサイト内の他の質問から知りましたが、これらを考えた「誰か」というのは特定の人物として存在するのでしょうか?
ご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

作者不明だそうです。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~gokuh/ghp/think/zakki_08.htm


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