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今の時代、学問が人生を決めるといっても過言ではないと思います。

しかし、学問がそこまで必要でなかった時代もあると思うのですが、
それなのになぜ彼らは学問を学んでいたのでしょうか?

A 回答 (7件)

しかし、学問がそこまで必要でなかった時代もあると思うのですが、


それなのになぜ彼らは学問を学んでいたのでしょうか?



どの時代かを明確にしないと、この辺は明確にならない。

ただ、お礼の文章を見ると、疑問点は「古文とか、社会に出てから使わないようなものを、なんで古文の研究者でもない大多数の人間が学ぶ必要があるのか」と言い換えることもできて、この疑問は

「学校教育における、一般教育は必要なのかどうなのか?」

とも言い換えることが出来るかと思います。

学校教育というのが、生まれたのは、19世紀で、いろんな要因がありますが
○ 国民国家を作る
○ 均質な労働者を作る

学校教育における 一般教育というのは、教育内容それ自体ではなく、「言われたことをちゃんとやる」「言われなかったことも推測してやる」という、対応力のある労働者を作るために生まれました。
19世紀にイギリスで、時間通りに集団行動を取っていたのは、軍隊と工場労働者と公教育だけだと言われています。
言われないことも想定して対応できるように、一般教育をします。
これは、近代が知識の拡大する時代だからです。江戸時代のように知識の変動が少ない場合は、既存知識である 読み書きそろばん で、いいのですが、知識体系が変化するので、汎用性のある知識を得させるために、汎用的=一般的な教育を行います。

国民国家を作る=歴史的に同じ経験をしてきた人間だよ 俺たちは
というのを 仕込むために 古文をやることもあります。
歴史教育などもこれ。縄文土器を勉強しても、いざというときに縄文土器を作って生活なんてすることを想定していない。
実学的(読み書きそろばん的な意味で)に考えれば、縄文土器がどんな形をしているかを歴史でやるよりも、縄文土器の使い方をやったほうが、まだ、知識として使いようがある。
が、そうではなく、日本の古代に縄文土器をやるのは、「ご先祖様は偉かった」というのを 仕込むためです。
古代史でよく、最古の土器とか、言い出すのは、この辺の 愛国主義が裏にあるからです。

古文を習って、日本人は昔から 文化的な人間だったんだと思うことにどのような意味があるかはまた別の話ですが、すくなくとも、各国の公教育というのは、そういった ○○国民は偉いぞ という刷り込みを行う場でもあります
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました
受験生という身分でなかなかお礼をする時間がとれませんでした。

回答ありがとうございました

お礼日時:2012/06/16 23:24

彼らは現在の学問と違う知恵を学んでたんだと思います。


必要なモノを人は学びますから、当時は今の学問が必要なかったのでしょう。
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この回答へのお礼

あなたの回答が一番しっくりきました。
必要があるものだけやっていた。
古文なんて大学受かったらもう二度とやることはないと思うと人生古文に使ってる時間がもったいないと思ってしまいます。

お礼日時:2012/06/14 13:12

大きく分けると2つの理由があると思います。



一つは、学問が社会の中で現実に役に立ったからです。文字の使用が広まるにつれて日本では「読み、書き、そろばん(計算)」は極めて重要になり、これができなければ商人でも農民でも、あるところより上の立場になることは困難でした。

もう一つ、こちらの方がご質問の中心だと思いますが、現実の社会では直接役に立たない種類の学問でも熱心に学ぶ人が少なくなかったことは確かです。特に江戸時代のように、長く平和な世が続き、三都(江戸・京都・大坂)を中心に出版文化が花開いた時代には書物の入手も比較的容易になり、庶民の間にも学問好きが増えました。

例えば式亭三馬の『浮世風呂』には、江戸の銭湯で「かも子(鴨子)」と「けり子(鳧子)」という二人の女性が宇津保物語や源氏物語などを学んでいる(単に読んで楽しむだけではなく、活字本と異同を訂(ただ)したり、注釈書を参考に書き入れをしたりする研究的な読書をしている)ことを話題にしている場面があります。もちろんこれは創作(滑稽本)ですが、銭湯に来るような女性のなかにも古典を学ぶ人が実際にいたからこそ、この話が成り立つのでしょう。

また和算の問題や解答を書いて奉納した算額が田舎にも数多く残されていることから、そろばんとは違って直接商売や農林水産業の役には立たない分野(例えば複雑な幾何の難問)の和算を学ぶ人が、各地に数多くいたことも推測されます。

このように直接現実の仕事などには役に立たない種類の学問でも熱心に学ぶ人が存在したのは、いつの時代にも人間には知的好奇心や探求心があったためで、これこそが今でも人が学ぶ根源的な理由ではないかと思います。
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この回答へのお礼

なるほど。好奇心ですか。
回答ありがとうございました

お礼日時:2012/06/14 13:11

家業が学問っていう一族もあったしね。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%81%E4%B8%AD% …

天子諸藝能之事、第一御學問也。

天皇の仕事は学問で、学問しないとマズイんです。
実際はなされていないが 廃位もあり得る
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この回答へのお礼

天皇は天皇の仕事をするための学問を学んでいたのではないでしょうか?
今の時代を生きる我々の学問は何のためにやってるのかよくわからないです。

古文など

お礼日時:2012/06/14 13:09

”学問が必要でない時代”なんてありません。

あなたの認識不足です。 今ほど学問をやらずに、大学へ通う人が
多い時代は無いでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/06/14 13:07

戦国時代だって、何時の時代だって


頭が良い奴が勝ちますよ。
腕力など、たかが知れています。

そして、一部の天才を除き、頭を鍛える
には学問の勉強が最適だからです。
頭突きでは、頭の外側は鍛えられても、
中身は鍛えられません。

もっとも、社会が安定した時代では、
学問そのものが出世の道具になりました。
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この回答へのお礼

昔から勉強することは大切だったんですね。

お礼日時:2012/06/14 13:06

>具体的な例をあげて回答します。


世界で優秀とされるユダヤ人を例とします。ユダヤ人の場合ですと、学問とは宗教と密接な関係があります。ユダヤ教はタルムードという歴史のような教科書を研究することが、神への祈りでした。呪文のように唱えるだけではだめで研究し知識を体得することがもっとも尊い行いでした。知識が豊かな人はラビと呼ばれ指導者になりました。だから、大多数の人が字も読み書きできましたし、計算もできました。読み書きできるので膨大な知識を後生に残すことができました。なかには、勉強嫌いな人もいて、キリスト教に改宗したりしました。その方が安易だったからです。今日、我々でも目にするのは壁画と当時書かれた伝記です。壁画も知識を後生に伝える画期的な方法です。つまり漫画です。言葉が通じなくても日本の漫画は世界中で評価されてるでしょ。でもたくさんの知識を残すには言葉が必要です。伝記を残せたのは言葉という高度な技術を持っていたからです。言葉を扱うには学問を学ぶことが必要です。言葉をもつ文明は発達していて、他の民族は石器でも青銅器、鉄器を使用していました。あなたが言葉を扱えるのは義務教育を学んできたからです。動物と人間の違いは学ぶか学ばないかの違いです。チンパンジーは簡単な道具を使います。ひょっとすると絵もかけるかもしれませんが、言葉は使用できません。人間の進化の過程で学問を学ぶことは必須事項であったと言えるでしょう。
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この回答へのお礼

人間がほかの動物と違うのは学問を学ぶか学ばないかですね
アウストラロピテクスなどの先史時代の人々からすでに学習するという行為は始まっていたのですね

お礼日時:2012/06/14 13:04

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