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グローバル化が進むにつれて、やはり英語が大切になりますよね。インターナショナルスクールに子供を通わせる価値ってありますか?

A 回答 (10件)

日本人ですよね。

世界と付き合うのには、日本人であることを明確に意識する事が重要だと考えております。 それを基礎として世界と付き合わないと、人間としての存在を見失うでしょう。英語がどの位重要だとお考えですか? あなた自身如何ですか? 極端な言い方であることは充分認識しておりますが、私だったら絶対子どもをインターナショナルスクールへは通わせないでしょう。まともな国際人に育てるのなら、先ずは日本人であるべきだと考えておるからです。 日本のことも碌に知らずに
グローバル化なんて考えられません。 民族主義者である必要は全くありませんが、根無し草にしたくないのです。
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>グローバル化が進むにつれて、やはり英語が大切になりますよね



 意味不明。なんかのコマーシャルに踊らされてますね。インターに通わせるには通常の10倍近い授業料、それから学校を終えてから、日本の学校で教えられている科目を塾や予備校で教えてもらうなど、一日中学校漬けになります。
 
 親も子供も大変な負担がかかります。経済的に何よりも子供さんが耐えられますか?
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こんにちは。



グローバル化が進むにつれて、英語のニーズはより一層高まっています。
このことはテレビや新聞・雑誌などでよく取り上げられていますね。
大学生であれば就職活動を通して、海外進出をかかげ英語の重要性を説く企業を
目にする機会が多いですし、社会人であれば、仕事の幅を広げようと
英語の勉強にいそしむ方も少なからずいます。

ご質問にお答えいたしますと、インターナショナルスクールにお子様を通わせる価値は
大いにあると思います。
しかしながら、英語を習得させるただけが目的なのでしたら、
英語学校に通わせる方が費用をかなり抑えられ、また合理的だと思います。

インターナショナルスクールにお子様を通わせている親御様は、
子供に各国の同級生と交流を持たせ、多様な文化を理解させ、
その多様性を受容した上で真のグローバル人にさせることに価値を置かれています。

日本国内にいながら、子供の頃から多様な環境の中で多国籍の同級生と交流を持てる場所は
インターナショナルスクールにしかありません。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3% …

 インターナショナルスクールとは、こういうものです。

 そうしたことを全て理解しているお子さんのたっての希望ならともかく、親がそういう選択をした場合、お子さんから一生恨まれるでしょう。

 ことに、無認可の学校では……。

 特に義務教育であれば、ほとんど救済措置がありません。高卒の認定試験はあっても、義務教育終了認定の試験はありません。

 もうちょっと解説しておきましょう。

 外国人学校は、外国に住む自国の子弟のために、本国の政府あるいは教育関係団体が、母国語で母国の文化を教える目的で、その地に設置した学校です。通常、送りだす側と迎える側の両面で成り立っています。

 日本の場合、送りだす側としては海外日本人学校を諸外国に特設し、迎える側としては在日外国人学校の設立を認めている。

 後者について説明しますと、その歴史は明治の開国とともに始まっています。ダーム・ド・サンモール校(1872、横浜)が最初で、続いてアメリカン・スクール(1902 東京)など、欧米人子弟を対象に英語で教える学校が設立され、これらが日本の外国人学校の主流となりました。

 この間、中華学校も設けられましたが(1924)、植民地民族である朝鮮人には学校設立の権利を認めませんでしたた。

 1945年の敗戦を転機に、外国人学校に二つの新しい系譜が加わります。従来からの形態(1995年には、アメリカン・スクール、ドイツ学園、中華学校など二十数校)のほかに、米軍の駐留を反映して基地内に在日米軍付属学校が設けられ、朝鮮の独立と分断を反映して朝鮮人学校(小学校から大学まで141校)および韓国学園(4校)が創設されました。

 これら外国人学校は、基地学校を除いて法的にはいずれも各種学校の資格です。そのため、これらの学校卒業生の間で近年大学進学希望者が増えているにもかかわらず、卒業生には受験資格がありません。

 これを解決するため、欧米系学校の卒業生には国際バカロレアなどの保持者に受験を認め、アジア系学校の卒業者に対しては、個別に高卒と同程度の学力を持つと認定した者に受験を認めています。

 しかし、これは一時しのぎの便法で、未だに恒久的な対応はなされていません。外国人学校制度を特設し、生徒の教育権を保障することが必要とされています。

 お分かりですか? 他に選択肢がなく、やむを得ず選ぶという性格の学校です。

>グローバル化が進むにつれて、やはり英語が大切になりますよね。

 いいえ。非ネイティブとして、そこそこできれば充分です。その英語で何ができるかが大事です。

 そもそも、グローバル化ってなんでしょうか? 全世界とつながることですか?

 それなら、もうそうなっています。これ以上進める必要がないほどに。

 特別な英語教育を受けていない、ごく普通の高校生がネットで音声会話しながら、仮想世界を構築したりしていますよ。

 企業では、TOEIC高得点義務化なんて、当たり前に行われています。みんな、普通にクリアしてます。別に特別な英語教育を受けていなくても、です。

 ありていに言えば、「もう英語は誰でも話せてるから充分。これい以上要らない。誰か北京語、広東語、ポルトガル語、ロシア語とか、できる奴はいないか?」なんて状態になっています。新興国の筆頭とされるBRICsの言語です。他も英語以外で必要性は高まっています。次なる新興国がターゲットです。

 英語を学ぶには、有り過ぎるほどの教材や環境がありますからね。ましてや、高校、大学への進学が極度に制限されるインターナショナルスクールで何をするんでしょう。

 しかも、英語で授業だとして、お子さんの勉強の面倒を見られますか? 教科書も何もかも、英語ですよ、全部。バイトの家庭教師を雇うとしても、普通のバイト代で引き受け手がいるでしょうか。疑問です。
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ええ、国際的な価値観をお子さんに植え付けたいなら、日本では、インターが一番の選択肢でしょう。

僕自身、日本生まれの日本人で、インターに通っているのですが、さまざまな人種や価値観の人とともに学生生活を送ることは、非常に楽しいですし、自分のアイデンティティーを確立することもできました。さらに、海外への留学など、インターでは選択肢が広がります。
英語力のほうも、英検一級、TOEFL iBT 113点など、(自分で言うのもなんですが)ネイティブとほぼ互角の英語力を培うことができたと思います。もし、お子さんを「世界で必要とされる人材」にしたいのなら、インターがベストだと私は思います。

あと、質問者様には申し訳ありませんが、この場を借りてNo.4の方をはじめ、多くの方が「インター」に対して抱いている誤解について説明しようと思います。
まず、「無認可で、インターに通わすと子供が恨む」旨の発言ですが、私自身5歳から今のインターにいますが、そんなことを思ったことは一度もありません。No.4は、何を知っているのですか?知ったかぶらないでください。さらに、あなたは、インターナショナルスクールをただの外国人学校だと捉えているようですが、まったくの別物です。たしかに、インターにも外国人学校のような要素もありますが、インターが違うのは、「文化や価値観の多様性」を教育することです。もしも、質問者様のおっしゃる「グローバル化」の人材が、ただ単に他国語で意思疎通できるようにするとのことであれば、確かにTOEICを受ければ十分でしょう。ただ、「グローバル化」のメリットが「人々が広く世界に視野を広げること」であるとすれば、インターはとても有意義な環境なのではないかと思います。
さらに、No.4は、BRICsを学ぶほうがよいとおっしゃいますが、何よりも英語と違う点は、英語が「世界の共通言語」であること。国家の公式発表にも英訳がたいていはついてきますし、国連などで使用する言語は英語です。「日本企業への就職」だけを考えるならば、今の時点でNo.4さんのいうことは一理あります。しかし、長期的な目で見ると、中国は急速な少子化が予想されていたり、ブラジルは治安が極端に悪かったり、北京語、広東語だけを学んで企業には入れても、「グローバル化に対応した人材」に、真の意味ではなれないでしょう。
加えて、「進学が大幅に制限される」?何を見当違いなことを言っているのですか?「東大」や「早稲田」など「一流大学に入る」ことに目標が絞られ、就職してから使いもしない知識を「受験」の名の下に子供の頭に詰め込むほうがかわいそうだと思います。さらに、留学をするか、「ASIJ」などの認可校に一定期間以上いれば、「東大」でさえ小論文と一般常識だけの「帰国子女枠」では入れるんです。これからもわかるように、今求められている「グローバルな人材」とは、単に多言語ができる人のことではなく、「世界と渡り合える視野の広い人」が求められているのだと思います。もちろん、中国やブラジルでも、そういう経験は積めます。しかし、日本にあるという「便利さ」と、世界でいまだに使われている「英語」を学べるということ、そして「国際的な眼」を養えるインターナショナルスクールというのは、おおいに意義のあるものだと思います。

長々と長文すいませんでした。インターについての理解の助けになれたら、幸いです。
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 ま、攻撃する者は自らを守りたい者であったりする。

自分の価値観、さらには「値打ち」を。

 要点を喩えで先に述べると、「電卓どころかPCの表計算ソフトが誰でも使えるのに、なぜ算盤を使うために多大な時間と労力を費やすのですか?」ということなんですね。

 それでも、ある人が算盤を習ったため、算盤自体は使わずとも何か得るものがあった。そういうことはあります。しかし、一人の例では、同じ効果が他人にもあるかどうかは、保証がないんですね。このことは古くから知られていて、それを諌める「二匹目のどじょう」といった定番表現があったりします。

 英語ができたら凄いでしょうか。英語だけがネイティブに近づけばいいでしょう。そんなことを評価する人は、地球全ての人基準で言えば、いないわけです。

 以前はネットがなかった。学術関係者向けには、今のネットの原形はありました。しかし我々一般人は利用が難しかった。80年代半ばにようやくパソ通が出てきた(ずいぶん利用しました)。

 そしてネットが出てきて、文字ベースから、音声や画像、動画まで気軽に利用できるまでになった。

 文化が異なる人々と接するには、留学しないといけない? 国内で多数の子弟が集まる学校に行かないといけない?

 そんなことはないわけです。以前なら。たとえば国際電話掛けるのは費用が高かった。今はネットがある。全世界に通じています。無料で。

 それで不足かどうか分からないのに、その上を求めるのは愚かなんですね。

 さらに、なぜ物事を習うのに、その前に知らない他言語を学ばねばならないのは、相当の労力を必要とするんですね。そこで落ちこぼれてしまう。

 日本でもね、書き言葉をローマ字にしようという論があったのです。知識にたどり着く前に、それを表現する漢字を学ばねばならないことを憂えてのことでした。さすがに受け入れられませんでした。一部はローマ字表記が義務教育に取り入れられてはいますが。別にローマ字でなくとも、ひらがな等でも良かったんでしょうけど。

 こういうことを言うと嫌われるんですが、漢字の壁を取り除いた例はあります。ハングル文字がそうです。平均的な知的水準向上には役に立ったと、私は考えています。日本では、全面的ならずとも、ひらがな・カタカナがあります。

 もちろん、アルファベットは26文字ですから、それで生きて行くのもいい。それは日本語を放棄することでもありますが。英語は偉大です。26文字で全てを表現する。それで表現された知識にたどり着くのは、相対医的には容易い。

 まあ、いくらでも書けますが。要は、「その考えは充分に自問自答したの?」であり「自己否定をためらってはいけない」ということです。

 回答者として助言はできますが、価値観に沿って、あるいは拡張して、考えて納得するのは個々人自身であるわけです。
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まず、はじめに断っておきたいことは、私は決して「自己保身」のためにやっているわけではありません。

あくまでも、質問者の理解を深めていただくためと、インターについての偏見について理解していただくためにこうして回答しているんです。

やはり異文化と接するのに、インターネットが実際に交流するものの代替になるとは思えません。確かに、インターネットは人々の間の壁を取り除き、「狭い世界」にすることに大いに役立ちました。しかし、画面上ではなく、実際に学生生活を共にするほうが意義があると私は思うのです。一緒に議論し、時には異なる価値観とぶつかることで、グローバルな人材になれると思います。これは、インターネットにはできないことです。「インターネットは人の交流を置き換えられる。」そんなことはないです。日本の教育を受けながらインターネットで海外の方とビデオチャット。こんな方法で世界への視野が広がるとは思えません。逆に、そんな方法でうまくいくのなら、誰も苦労しません。

さらに、世界での英語の重要性についてですが、誰も「英語ができたら凄い」などとは言ってません。これについては、Wikipediaの言語という記事、「国際的に重要な言語の要件」という項目が参考になるかと思います。

URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E8%AA%9E# …

さらに、No.4さんは、英語と日本語を同時に学ぶことは不可能、と感じているようです。確かに、日本語と英語が混ざって意味不明なことを話す人が私の友達にも2,3人います。しかし、日本語にも力を入れているインターはたくさんあります。私の学校でも、国語は、文部科学省認可の教科書を使って、日本の学校の同年代の生徒とまったく同じ内容を行っています。しっかり努力をすれば落ちこぼれることなどないです。なぜ、「英語を学ぶこと=日本語を放棄すること」につながるのでしょうか。そもそもこれを「大変な労力」と感じる人は、ほかのこともきっと「大変な労力」に感じる人でしょう。

さらに、インターでは、伝統的な、先生が黒板に立って教えていくのではなく、生徒の議論によって思考力を育てるカリキュラムを組んでいます。ですから、インターはただ単に英語を学ぶ場所ではなく、その日本国内ではユニークなカリキュラムだということが強みだと思います。

以前、2年間ほど日本の学校に移ったこともあり、中学受験への準備を進めていましたが、受験システムに意義を見出せなく、悩んだ末にインターに戻りました。ですから、「充分に自問自答したの?」などといわれるのは余計なお世話ですし、No.4さんには是非、「自己否定」というものを薦めたいと思います。あと、Cozycube さんはインターについてずいぶんお詳しいようですが、ぜひ、それは実際に体験をして得たものなのか、それとも単にインターネットで見聞きしたことを言っているのか、はっきりしていただきたいですね。
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No.7さんはすばらしい。



純日本人であるとは、親子共々相当の努力をしてこられた方でしょう。グローバル化の話をしているのに典型的な日本人の思考を惜しげもなく繰り広げている方もいらっしゃいますが、これが日本の教育とインターの教育の違いだという事がこの場でハッキリ理解できると思います。(そして文章力の差も。笑)5歳のころから全て英語で教育を受けてきたのに、日本語しか話せない日本人より要点を押さえ、的確に正しく表現している、すばらしい日本語力です。英語での表現力はこれ以上、ということですから脱帽。リテラシーに重点を置いているインターでの教育の結果が垣間見れます。

主人が外国人で、私が純日本人。うちの子はまだキンダーですが、二人ともインターに通っています。2歳の頃は日本の幼稚園とインターと迷いましたが、この回答を見るにつけてもやはりインターにしてよかったと感じています。視野を広げて考える力を育てる、という意味では、キンダーの段階ですら自分が育ってきた日本の教育とは大きく違うのがわかります。インター(もピンキリですがしっかりした学校であれば)は、英語を学ぶ場所ではないのです、英語で教養を付ける場所ですから、英語を習得するのが大変だと感じる能力の人には、当然のことながら無理でしょう。実際、キンダーでは教室になじめなくて隅っこで爪を噛んでいるだけの子や、登校拒否でママから離れられない、なんて子も親に英語力がなかったり、子供の家庭でのサポートができなかったりと、英語が上達しない日本人に多いです。日本人で高度な日本語力を保ちつつインターで教育を受けるには、しっかりした能力と、相当の努力が必要になってくるはずですから、高い能力があり、選ばれた子供達だけが使いこなせる環境、ということなのではないでしょうか。

質問に対する回答は、「価値にできるかどうかは、その親と子供の能力による」。

うちの子はハーフなので日本語は多少諦めようかと思っていましたが、No.7さんの回答を見てあきらめちゃいけない、と思いました。ありがとう。
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 質問者様のためを思うなら、万のクラスを分析した例を持って来てもらいたい。

それが「例」だ。

 もちろん、例は自分で分析すべきだろう。自分で徹底的に反論をこころみて、なお残るもの。

 あのさあ、無責任すぎるんだよ。自分が自分で選んだことはどうでもいい。

 他人の将来がかかっているとき、何が言えるのか。その他人の将来に責任が取れるのか。

 いい加減な言辞を弄しているなら、潰すぞ。
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質問者のためを思うなら、インターと関わったことすらない人間が回答するべきではないじゃない?

5歳から現在までのインターでの生活を経験談として話した人間に対して、

1例も知らない人間が知ったかぶりして回答。もう頭が悪すぎて一体どこからツッこんでいいのかわからない。笑

>万のクラスを分析した例を持って来てもらいたい。

お前が持って来いっつーの笑
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