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文系の博士の院生ですが、紀要の査読についての質問です。私の大学では査読は十段階評価で、内部査読者が一人、外部査読者が一人という形をとっています。ところが、これの査読に私はかつて通過した事がないのです。私の至らなさを棚に上げる事は出来ません。しかし明らかに奇妙な事があるのです。今まで3回投稿しているのですが、その度に、査読の点が落ちていくのです。1回目が修士1年の時で14点。二回目が修士2年の時で10点。さらに博士2年の時が5点。これは明らかに変だと思うのです。学年が上がっているという事に加え、紀要より一般的には上位に位置づけられる学会誌の方は、私はよい点で査読に通るようになりました。レヴェルが落ちているはずはありません。何なのだろうと苦しんでいます。

客観的に見て出来が悪いだけなら納得は行くのです。実際、外部査読者のつける点数はボーダーとなる5点前後です。全体として点のつけ方が辛めなのかもしれないとは思います。しかし3回に共通した査読者(仮に査読者Aと呼ぶ)がおり、この査読者Aと私は険悪な仲です。彼と決定的に険悪になったのが修士2年の頃でした。一回目はともかく、二回目から私の査読が何かおかしい気がしています。
まず特に通常はあり得ない、拒否権を発動する点数が連発されているのです。拒否点とは最低点すれすれの1点と2点の事ですが、この点がついた論文は掲載されません。もう一人の査読者が仮に満点をつけても、再査読そのものをやめさせられます。が、査読者Aは拒否権を発動する点数つけています。
次に査読者Aは拒否点をつけておきながら、きちんとした講評を書いていません。誤字脱字が散見されます、また「論旨には概ね納得する」と述べておきながら、査読の点数に2点をつけるなどしています。執筆者を怒らせるために挑発しているとしか思えないのです。
さらにこれは私の事ではありませんが、別の院生に査読者Aは査読が不適切だったと認め、軽い形ではあるが詫びを言った事もあると聞いています。この院生は怒って学業をそのものから離れてしまったのですが、査読者Aは審査できないのではないかとも私は疑っています。

どこの大学でも当たり前かもしれませんが、私の大学では院生が査読に異論を唱える事は出来ませんし、査読者Aは基本的には匿名性によって守られています(あくまで内々に知っているだけです)。私としては自らの至らない点を認めつつも、せめて査読者Aに審査を離れてもらいたいのですが、大学側にそれを交渉する事は可能でしょうか。
ほとんど嫌がらせとしか思えないと考えた結果、ほぼ一年、鬱に陥ってしまい、特に査読者Aのコメントを読んだ時は、自殺しようかとさえ思ったほどでした。ちゃんと書いた論文なので、出来が悪くても、非礼や挑発が許せなかったからです。今後仮に及第点をつけたとしても、彼に何事かを言われるのも我慢ならないというくらいに嫌な気持ちになっています。

なおアカデミックハラスメントを立証するような、確たる証拠はありません。日頃から査読者Aとの交流はありません。彼にしても出来が悪い院生に愛想を尽かしつつも省エネで対応しているとか、指導の一環といえば、言い逃れられる範囲だと思います。私も査問委員会を招集してくれと大学当局に呼びかける気はありません。しかし精神状態が苦しいのであり、査読者Aと縁を切りたいのです。大学と事を構えず、穏便に済ませる方法はないでしょうか。紀要そのものの投稿は諦めるという選択肢は、この際、考えずにお答えいただけたらと思います。

最後に、全く悪意がなかったとしても、査読者Aのような状態が発生しうるとお考えでしたら、お教えいただけたらと思います(例えばもう片方の査読者の手前、身内である内部査読者は思い切り低い点を付けるのが慣例になっているなど。あるいは、査読で私情を挟む事は普通は一切無くて、質問者の被害妄想でしかないなど)。相手が何を考えているのかさっぱり分かりませんが、私としては、精神の安定を得たいのです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (15件中11~15件)

第3者としての率直な感想です。

気に入らない点があれば読み飛ばしてください。

1.あなたの論文が紀要に発表されるに足るものかどうかはこの質問を読んだだけでは誰にもわかりません。学会誌に通ったといっても、それは別の論文でしょうから。しかも外部査読者もボーダー前後というのは、おつきあいとして5点はつけてみただけという可能性はありませんか?

2.指導教官は論文あるいはその評価について何といっているのですか?指導教官も落とされるのはおかしいとか、学会誌に出したら通ると思うとかいっていますか?

3.レベルの低い論文だから紀要に出してみたもののそれで通らなかったといって、不満をもってもしょうがありません。自信のある論文を学会誌に出せば良いのではありませんか?博士課程なら英文誌も含めれば、投稿先はいくつもあるのではありませんか?個人的な理由より学問的なことを優先しましょう。

4.論文の内容によって投稿先を変えるのは常識です。文系の場合根本的な考え方や学派が違うといくらりっぱな論文を書いても相手にされないといったこともあると思います。同じ論旨の、しかも自分としては評価しかねる論文を3回も読まされたので、いいかげんこの紀要には出さないで欲しいという意味での低得点かもしれません。

5.本当に3回ともA先生が査読をしという証拠があるのですか?「日頃から査読者Aとの交流はありません」のに、いまさら嫌がらせを受けるほど何か決定的なことがあったのですか?普通そのような関係になったら、他の教官に査読自体回してしまうと思うのですが。あなたの思い込みという可能性はありませんか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。個人情報を聞くものであるわけですが、私が誰なのかが特定できない範囲でお答えさせていただきます。

>しかも外部査読者もボーダー前後というのは、おつきあいとして5点はつけてみただけという可能性はありませんか?


私には「おつきあい」の意味が分からないのですが、まともに中身を読んでいないという事ですか? とすれば、驚くべき事です。とても悲しい事ですし、そういう人に二度と査読をしてもらいたくありません。 しかし私の場合、外部査読者は三回とも四千字以上の講評を添えていますし、わざわざ資料をとりに、海外まで行っています。普通はそうなのだと思っていました。この文言は無礼と思うので、意味をきちんと説明してもらいたいです。回答者様の周りでは、よくあることだということですか?

>指導教官は論文あるいはその評価について何といっているのですか?

指導教官は論文それ自体について特に何も言っていません。私がアカハラで訴え出したら、巻き添えを食いたくないな、と思っているでしょう。全般については、「彼は本当に成長した」と言ってくれています。しかしそれを私の前では言ってくれませんが・・・。同様に悪口も言っていると思います。それは私の性格についてでしょうけれども。正直、査読者Aとの一件があってから、私の性格そのものがねじ曲がってしまうほどなのでした。


>レベルの低い論文だから紀要に出してみたもののそれで通らなかったといって、不満をもってもしょうがありません。

おっしゃる通りです。私としては最高のクオリティのものを出しています。当然の事です。また客観的に出来が悪いのなら仕方ないとも思っています。問題はそもそも、まともな審査がなされているのかが不安だという事です。また他の論文と比べて、公平性が維持されていないのじゃないか?とも感じています。

> 同じ論旨の、しかも自分としては評価しかねる論文を3回も読まされたので、いいかげんこの紀要には出さないで欲しいという意味での低得点かもしれません。

毎回、異なる論文です。実際、最初の論文は話になりません。しかしこれが一番点が高いのだから、納得いかないのです。もっとも査読者Aが私自身に対して、いい加減うんざりしているという事はあるかもしれません。「いいかげんこの紀要に出さないでほしい」というのが本音という事はありえます。正直、そう言ってくれたら、どんなにか楽な事かと思います。それを証拠に、通報できるわけですから。
しかし、一つはっきりさせておきたいのですが、大学紀要の審査に恣意性はあってはなりませんし、公平性が維持されてしかるべきではないでしょうか。ある特定の学派の出しているジャーナルであるならともかく、紀要はそういうものではありません。どういう意味でお書きになっているのか、もう少し正確にお願いします。



>本当に3回ともA先生が査読をしという証拠があるのですか?

内々に知っているだけですが、この点については確信しています。複数の言語を使用するので、もともと私の論文の査読をできる教員が三人もいないのです。しかし、おっしゃるように別の方にまわしてくれたら良いのですが。私も理解に苦しんでいます。
ただし個人的な諍いは表面化していません。

率直な感想というのはご自由ですが、ご回答、ほとんど喧嘩を売られているように思うのですが・・・。やはり「おつきあい程度で点を付けた」とか、「いいかげんこの紀要には出さないで欲しい」は、悪意なしにはありえないとお答えだと思います。何を意図して投稿なされたのか、明確になさってください。

お礼日時:2012/09/04 18:56

>学説の方向性の問題ですか。

しかしそうしたことで、教育社としての義務を放棄し、院生を発狂せんばかりに追い込んでくるものでしょうか。

ぼくは人文,社会,自然科学のすべての卒論,修論,博論の発表会・合評会に顔をだしてきましたが,なかには「その筋ではずいぶん評価が高いらしいが,的はずれ(ないし机上の空論)で全然だめじゃん」と思うものもあります。もしそれがぼくの指導学生ならば,不合格にするでしょう。

合評会では,わざわざ他分野にケンカを売りたくはないので,ぼくは沈黙しています。だから,もしその「全然だめじゃん」の査読依頼が自分のところに来たら,「私の理解をこえていて評価できないので,レフェリーを降りる」と返答するでしょう。査読者Aは,そういう気くばりができない,社会的アホかもしれませんね。

>ちなみに査読者Aはここ十年以上、論文とよべる長さのものを発表しておらず、研究の立ち位置さえ表明していない状態です

あはは。ぼくも近年は管理職としてバカみたいに忙しくて,勉強してないよ。だからわずかな休憩時間に,この質問コーナーでひまつぶししているわけ。

この回答への補足

考えてみたのですが、今後も査読に落ちた場合、同じ論文を上位ランクの学会誌に投稿してみようと思います。これを査読者Aが知れば、さすがにまずいと感じると思うのです。

実際、私の方からも攻撃を加える手札が手に入ります。例えば次のような事です。まず私が吹聴して歩きでもしたら、査読者Aの学会内の評判はガタ落ちします。また、ここでの査読結果をもとに、紀要の審査はなんなのか?と私に訴えを起こされる危険もあります。いくら鈍感な彼でも、身の危険を感じると思うのです。

学会誌に方で落ちるなら、これは掲載されても、掲載されなくても、大差ない論文だったと思い、諦めようと思います。査読者Aの物言いが無礼だったとしても、そういう対応しかしてもらえないクオリティという事でしょうから。

このアイディアはどうでしょうか? 難点は、紀要に落第するので1年、学会誌の投稿の機会待って半年と時間がかかるという事です・・・全然、業績の助けにならない事は確かです。

補足日時:2012/09/04 08:59
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この回答へのお礼

ありがとうございます。私のお礼欄に誤字がありました。教育社ではなく、教育者です。申し訳ありません。

>「私の理解をこえていて評価できないので,レフェリーを降りる」と返答するでしょう。

査読者Aにも、そうあってもらいたいものだと思います。できない事は判断保留にするという態度は、逃げというより、学術的な誠意なのだと私は思います。

査読者Aは全能感に酔いしれているのだと思います(確かに頭は悪くない人です)。なまじ頭が良いという自負がある人だけに、査読者Aご本人が、自己を律する事は期待できません。私は絶対にああなりたくないと他山の石にしています。

>ぼくも近年は管理職としてバカみたいに忙しくて

お忙しい中、どうもありがとうございます。それにしても、色合いといい、模様といい、素晴らしい猫ですね。

お礼日時:2012/09/04 08:32

 文系では、紀要があるそうですが、理系では『価値はゼロ』で、完全に無視。

論文の数稼ぎ』としか考えていません。身内には甘くなるからです。
 学会誌に掲載されるのなら、紀要ではなく、学会に投稿すべし。井の中ではなく、大海で勝負して下さい。
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この回答へのお礼

おっしゃる意味は分かります。訳の分からない人に関わっているのは馬鹿みたいだとおっしゃるのでしょう。しかし、そういう問題と違うのです。理由は3つです。

まず私が紀要に載せたいのです。自分が学部生の頃に読んだものに載っているという事が、一つの夢なのです。次に年間に二つ以上の業績を作るためには、紀要を看過できないのです。最後に学内に論文を読ませたい人がいるのです。それも「私の論文を読んでください」と送るのではなく、「おや?」っという自然な形で。

お礼日時:2012/09/03 14:07

No.1の補筆。



>文系の博士の院生
>学会誌の方は、私はよい点で査読に通る
>「論旨には概ね納得する」と述べておきながら、査読の点数に2点

あたりをつなげて

>査読者Aのような状態が発生しうる

可能性について回答すると:

人文・社会系(とくに社会系)では,立脚する学説,問題のとらえかた,方法論などが異なると,「論旨には概ね納得」しつつも,「根本がまったく自分とは相容れない」という人(査読者A)がいるかもしれません。学会誌のほうでは,<その系統>の査読者をあてているので,評価が高いのかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。分野を申し上げたいのですが、見る人が見れば、分かってしまうかもしれず、文系としかお伝えできない事をお許しください。

学説の方向性の問題ですか。しかしそうしたことで、教育社としての義務を放棄し、院生を発狂せんばかりに追い込んでくるものでしょうか。それが信じられないのです。ちなみに査読者Aはここ十年以上、論文とよべる長さのものを発表しておらず、研究の立ち位置さえ表明していない状態です。

お礼日時:2012/09/03 14:03

学内紀要での院生の扱いは,「学位請求論文(D論)を提出するためには,一定数の公表論文が必要だ。

学会誌投稿してたんじゃ間に合わない(あるいは永久に受理されない)から,内輪で形式だけのいんちき査読をして,本数稼ぎをさせてやろう」というものだと,ぼくは認識しています。もしことさらに落とすのであれば,この大原則に反しますね。

あなたの質問文に書かれていないのは,<指導教員が>この一件をどう判断しているかです。投稿論文のできぐあいをいちばん理解できるのは指導教員であり,その見解でもおなじく「リジェクトは不当」なのか。そういう同意が得られたら,紀要編集委員会になにか働きかけてくれるんじゃないですか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>内輪で形式だけのいんちき査読をして,本数稼ぎをさせてやろう
>もしことさらに落とすのであれば,この大原則に反しますね。

悔しい事ですが、私もそう思います。実際、私の落ちた回の紀要をめくると、信じられない事に、一ページ丸々が引用という論文が掲載されています。資料として珍しくもなく、どこの本屋でも簡単に手に入る日本の現代作家の小説です。その程度の媒体です。
こういうものに落ちるのだから、私は他大の院生に「信じられない」と言われ、仲間内では、よほど出来が悪い院生であると看做されているに至っています。負け犬の遠吠えなんじゃないの?と思われるわけですから、誰にもまともに相談できません。

指導教官は、微妙な態度を取っています。査読者Aは指導教官の上司に当たりますし、事を構えたいはずはありません。また私の論文は、是が非でも掲載したいなどというレヴェルに及んでいません。凡庸な先行研究のいくつかを覆す事は出来ます。しかし六十歳くらいの第一人者が書くような、最前線の研究には遥かに及びません。またこういう不幸に見舞われているのは、一部の院生だけです。上述したように、適当な論文も載っているのです。指導教官が動く事は考えられません。

私がアカハラの査問会議を開けと騒ぎ出せば、何か考えてくれるかもしれません。でも私としても、将来、もっとよい論文を書ける気もします。ここで査問委員会を平気で開く院生だと評判が立てば、就職できなくなる危険もあります。査読者Aに一矢報いるために、研究者としての評判を落とせないのです。

お礼日時:2012/09/03 13:45

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