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歴史化カテゴリーの松永久秀と明智秀満の違いから、新しい論点は発展したので、投稿します。戦国時代には軍師はいないという説があるようです。日本でなく中国に舞台を移します。日本で中国の軍師というと諸葛孔明が有名ですね。日本の戦国時代に「三国志」という書物は存在したのでしょうか?秀吉が竹中半兵衛を「三顧の礼」で迎えたという逸話は有名ですね。また、中国の兵法書の「孫子」は日本に輸入されていたのでしょうか?「孫子」を書いた呉王闔閭に遣えた孫武の作とされますが、孫臏(そんぴん)の作とも考えられていると本で読んだことがあります。少なくとも、大河ドラマを見る限るは、戦国時代の大名の子どもを勉学は「論語」の子曰くという勉強をしているシーンが思い浮かび、時代考証が正しければ、日本の戦国時代には「論語」はあったと考えられます。とすれば、「三国志」「孫子」などの書物もあり、国を治めるために、中国に倣って戦に軍師というものの存在が必要で作ろうと考えたのではないかと思われます。日本人だけでなく在日中国人がこの投稿を見ていたら回答してくれることは歓迎です。

A 回答 (11件中11~11件)

おはようございます。



武田信玄に仕えた山本勘助は立派な軍師だと思いますが
違うんですか?
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この回答へのお礼

朝早くから一番に回答ありがとう。私も記憶が定かでないので、記憶違いかもしれないけど「甲陽軍鑑」という書物に、武田信玄の勇士12武将というのがあって、その中に山本勘助は出てきて、実在するとされているようです。しかしその他の古文書からは本当に軍師として実在したかは今、議論されているようです。私個人としては、軍師として実在し武田信玄を助けたとした方が、歴史はロマンがあり面白いですけどね。ネットや本で調べてみてください。私の記憶はガセネタかもしれない(笑)。

お礼日時:2012/09/08 08:33

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