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実は戦国時代って苦手なんです<m(__)m>歴史は好きで、戦国時代の話にも当然飛びつくのですが、案外知らないことが多いんです。表記の明石 全登も(あかし たけのり)と読むことを、今ウィキで知りました(T_T)

僕のイメージではキリシタンというイメージしかなく、どのような人物だったのか気になります。名前はけっこう知られてますし…

とりあえず基礎的な部分で明石 全登は猛将系(福島正則みたいな)でしょうか?知将系(石田三成みたいな)でしょうか?

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A 回答 (3件)

実は明石全登についてはあまり研究が進んでいません。

ところが最近本格的な研究論文が出されました。
大西泰正「明石掃部の基礎的考察」(『岡山地方史研究』125号、2011年)です。
この論文によりますと、
・宇喜多氏の最有力の重臣である明石飛騨守 (のち伊予守)行雄の後継者。嫡子説がある。
・実名は「守重」
・官途は「掃部頭」
・号の全登(全誉)は「オシトウ」と読む(福岡藩の分限帳にふりがなあり)。
・朝鮮出兵に渡海。
・知行高は3万3210石。
・家老分。ただし半独立的で領国経営には参加しなかった。
・1596年頃に浮田左京亮の仲介でキリシタンとなる。洗礼名はドン・ジョアン。積極的に信仰を広め、結果的に宇喜多氏領内で2、3000人の信徒を得る。
・秀吉死後の「宇喜多騒動」で浮田左京亮・戸川通達ら譜代重臣が退去し宇喜多氏中枢が空洞化したため、領国支配に携わる。
・関ヶ原の敗戦中、黒田長政に救われ、一族とともに仕官し、その後浪人となる。
・大坂の陣で豊臣方に参加。

という内容です。
ちなみに、実名が「守重」、号が「全登」であることは、30年近く前の『国史大辞典』ですでに指摘されています。
「守重」の名前もです、「全登」を実名とするwikiの記述は大幅に書き換えられるべきでしょう。
名前で整理すると確実なのは
明石掃部頭守重(あかし かもんのかみ もりしげ)
明石掃部頭全登(あかし かもんのかみ おしとう)
です。そもそも全登は号ですから「たけのり」も「てるずみ」も成り立ちません。
なお、大坂の陣の最終戦にも参戦していますが、討死は確認されず、行方不明になっています。死後明石狩りが行われたという説もあります。

猛将か知将かという部分ですが、個人の武勇は知られていませんが、関ヶ原の戦いぶりからは武略に長けていたように感じられます。
また、関ヶ原の前には家康に仕官した元同僚戸川達安から調略を受けていますが、達安らの責任を追及した上で、東軍の情報を聞き出そうとするなど、知略に長けていた面が見えます(光成準治『関ヶ原前夜』NHKブックス、2009年)。
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この回答へのお礼

なるぺそ!なんだかウィキの記述も他の戦国武将に比して「量的にさみしいな…」と思い、もしかしたらウィキ内においてバテレン追放令でも出ているのかな?と考え高山右近をひいてみたら、それなりに記述があったので「信仰による差別ではないな」と胸をなでおろした次第ですが、明石全登については単に研究がなされてこなかったんですね。

そのような中、最新の研究成果を盛り込んだ回答、ありがとうございました。とても参考になりました。

お礼日時:2012/09/23 10:35

えと 明石は大阪夏の陣で間違いなく戦死してます


討ち取った水野氏は明石を撃った手柄で戦後に出世しています
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この回答へのお礼

再度の回答、本当にありがとうございます。

そうですか…大阪夏の陣で…
大阪夏あたりで亡くなる武将って、なんだか去りゆく背中に哀愁を感じますよね。

同時代の雰囲気をつかみやすい情報、ありがとうございました。

お礼日時:2012/09/23 10:39

まず読み方ですが あかしたけのりではなく あかしてるずみです


キリシタン大名です
宇喜多家の家臣ですが関ヶ原合戦で宇喜多家が潰れたため浪人
大阪夏の陣では豊臣方浪人集の一人として参戦しています

孤立した後藤又兵衛の救援にキリシタン武士を率いて向かう途中待ち伏せしていた水野勢の鉄砲隊から挟み撃ちで挟撃され
獅子奮迅の猛攻で反撃するも及ばず 壮絶な戦死をとげています

どちらかと言うと猛将ですね

一般的には 明石全登より明石伯耆守(かもんのすけ)で知られる場合が多いです
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そう!そう!「あかし てるずみ」風な記憶(得意の曖昧な記憶)が僕にもあったんです。それが「たけとう」って書かれていて「おや?おや?」と思ってました。

官職名が一般的なんですね。官職名で通用する人って、その官職の職掌と当該人物の事績のイメージが似通っていると通用されやすいという話を聞いたことがありますが、やはり宇喜多氏における明石と江戸期の徳川氏における井伊氏って、筆頭家老的で「かもん」なイメージがあるんでしょうね。

わかりやすくまとめていただき、ありがとうございました。

お礼日時:2012/09/23 10:26

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