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戦国時代の面白い話を聞かせてください。
特に著名人が派閥争いを切り抜けて立身出世できたこと、
同盟裏切りを繰り返して下克上したりという謀略的な部分、
平たく言うと処世術みたいな部分が特に個人的に面白いです。
智謀の天才毛利元就はどうやって出世したのか?
1人物1回答って感じでいいので、複数回答okなので、もりもりご回答お寄せください。
よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

戦国時代はもっとも人気がある時代なので、そのテの話は山ほどあるのですが、山ほどあるだけに大抵は書いても「ああ、その話ね」ってなってしまう哀しさがあります。

質問者さんがどの程度まで戦国時代のことをご存知なのかによります。武田信玄が家臣の高坂昌信に送ったラブレターって有名な話がありますが、ご存知?

意外に知られていない話で、福島正則といえば「家康にまんまと乗せられて豊臣家を守るつもりがかえって滅亡させた頭の悪い猪武者」ってイメージがありますが、まああながち間違いではないのですが、叩き上げの人らしくかなりの部下思いの人だったようです。
彼は酒癖が悪く、あるとき酔っぱらって暴れて家臣を斬ってしまったことがあったそうです。翌日酔いが醒めて自分がやったことを知るとあたりかまわず大泣きして、遺族に手をついて謝ったというのですから、まあ人殺しておいてそれかよみたいな部分はありますが、憎めない人ではありますね。
さてその福島正則が改易されたことは有名ですが、そのとき正則自身は江戸にいたため、留守は筆頭家老福島重治が預かっていました。幕府の使者から改易を知らされたものの「主人に確認をしていない」と返答し、主人の命なくば越境は許さぬ、応じないなら城を枕に討死するまでよと武士の気概を示します。
しかし正則から命令を受けると素直にこれに従い、屋敷内などはきちんと整理整頓した上で諸道具の目録もきちんと作り、家臣団名簿も作って、引き渡しの際には全員正装をして足軽たちは弓銃持たせて隊列を組み堂々と退去したそうです。
そのあまりに見事な立ち居振る舞いに、かつての福島家旧家臣団は再就職のオファーが殺到し「一人も残らず」再就職できたとも、「みな諸家より旧禄を加倍して」召し抱えられたともいわれています。
その見事な引き際を仕切った福島重治にも再就職のオファーが殺到しますが、その重治は「こんなジジイに再就職なんてありがたい話ですが、主人は二人持つべきではないと思いますので、遠慮いたします」と返答しました。

社会人になると分かるのですが、一兵卒の叩き上げから家臣をここまできちんと教育するっていうのは並大抵ではないです。福島正則に対するイメージってのは、変えなければなりませんね。
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この回答へのお礼

お、ありがとうございます。ぜんぜん知らなかったです。福島正則見直しました。やはり時代が時代とはいえ苦楽をともにした家臣ですからね。はめた、はめられた、密約、大名の腹、ゲームで智謀が特に高い人物、筆頭の毛利元就あたりは最高に興味あります。もしご存知であれば^-^

お礼日時:2012/12/22 18:01

では立花宗茂公の話でも。



秀吉の九州平定で手柄を上げた宗茂は、
秀吉に大層気に入られ九州柳川13万石の大名に取り立てられます。

その後朝鮮出兵でも活躍し、秀吉からは大いに気に入られますが
秀吉は病死し、関ヶ原の合戦となります。

宗茂は徳川方に「味方すれば100万石の大名に取り立てる」と持ちかけられますが
「恩のある豊臣方を裏切ることなど出来ぬ」と拒絶します。

関ヶ原の合戦は、柳川宗茂軍が戦場に着く前に決し、やむなく宗茂は退却します。
柳川に戻った宗茂は、天下をほぼ手中に収めた徳川方の軍勢に包囲されます。
立花家の運命これまでと覚悟を決めた宗茂でしたが、
柳川を包囲していたのは、朝鮮出兵で命を救われた加藤清正、同じく朝鮮で辛苦を共にした黒田如水らで、
宗茂の人物を惜しみ代わる代わる説得をし、ついに宗茂は開城降伏します。

この時島津軍も宗茂の救援に向かっていました。島津軍は宗茂の実父を討ち取った憎き仇でしたが
関ヶ原から敗走して、ボロボロになった島津軍に仇討ちを挑むどころか
「哀れな敗軍を討つなど出来ぬ」と、食料や医療品を送り保護しながら九州まで退却させたのです。
島津軍はその恩義に報いるために駆けつけたのです。

降伏後、殆どの豊臣方大名が改易、取り潰し、減石処分を受けました。
宗茂も領地をなくし浪人となります。
しかし加藤清正や黒田如水、前田利長の他、細川忠興や本多忠勝といった徳川古参の名将までもが
宗茂を許すよう、家康に求め続けたといいます。
家康自身も宗茂という人物を惜しんでいて、地方小藩へ復帰の後、地元柳川藩の大名へと返り咲きます。

宗茂は勇猛であり義に忠義に厚く、自身は驕らず兵を立て、領民を労わるという
嘘のようなほど立派な人物であったといわれています。
裏切りや策謀が渦巻く時代に、誠心誠意だった人柄が、敵味方問わず尊敬され
秀吉や家康をも動かしたと言えます。
関ヶ原の敗軍で改易され、旧領に復帰できたのは宗茂だけといわれています。

さて、宗茂の処世術というのは、特別なことは何もないですね。ここまで書いておいてなんですが(笑)
ただ兵を信じ労わり、手柄を誉める。
当たり前のことをすれば、策謀無くとも兵は命を張って戦ってくれると言っています。
また、天に対してやましい事が無ければ、必ず上手くいくと信じており
関ヶ原の敗戦後も、改易して浪人になった時も、運命を悲観することはありませんでした。
結果、本当に上手くいってしまいましたね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。戦国時代は非常に面白いのに教科書の記載は地味ですね。残念です。立花さんは覚えておきます。知りませんでした。上杉謙信、細川守孝、前田利家、あたりもいい感じの人物ですね。もっとあればお聞かせください。毛利元就は智謀の達人でぜひ知りたいです。

お礼日時:2012/12/21 19:27

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