14歳の自分に衝撃の事実を告げてください

コミック、三丁目の夕日を読んでいたら、小学3年生くらいの子にお年玉10円を大人が渡していました。お年玉がこのような相場の時代はいつですか。

A 回答 (4件)

http://www.yomiuri.co.jp/otona/study/showa/20121 …

お年玉でなくて「お駄賃」じゃないのかな
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど、昭和39年でお年玉、14歳の子に300円とありますね。ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/20 20:14

こんばんわ。



年齢がバレてしまいそうですが・・・・。

私の育った新潟県内の片田舎の某村の小・中学校は、昭和30年から月~金まで、完全給食を取り入れ、全国でも有名になりました。
給食の時間になると、全国からの学校関係者が来て、教室の後ろに並んで見学していました。また、カメラで写真をバチバチ撮ったりしていました。新聞でも何度も大々的に取り上げられたりしました。

メニューは、

コッペパン、マーガリンー(ジャムの時もあり)、進駐軍から払い下げられた脱脂粉乳のミルク、野菜の炒めもの(or煮物orカレーなどなど、日によって変化)

月額の給食費は500円。
後で分かったのですが、低所得家庭は免除。

当然、村の予算からの大幅な補助金があったことは言うまでもありませんが、村民の誰一人として「反対」する人はいませんでした。(中にはいたかもしれませんが・・・)。

土曜日は半日授業のため給食はなし。

また、月2~3回は食材が調達できず、前日に
「明日は、弁当の日」
と言われ、

商売をやっている家庭の子供などは、白いご飯に厚焼き卵とかウインナーソーセージなど。

私の家は農家でしたので、黒っぽい色をした麦飯、梅干し、野菜の油炒めなど。
腕で隠しながら食べました。

私の家ではニワトリも飼っていて卵もとれましたが、母が日銭を稼ぐために、毎日コツコツと溜めていて、村の人が、
「安くて美味しい」
と言って買いにきていましたので、卵は弁当には入れてもらえませんでした。

当時の私の家では農家なので米の生産で、大きな収入は米を出荷した冬にしか入りませんでした。

また、中には弁当にたくわん漬を持ってくる子もいて、冬になると石炭ストーブの周りに弁当を置いて暖めても良いことになっていましたが、たくわん漬の臭いがプンプンと教室に充満しました。
休み時間などで、
「誰だ!たくわん漬を持って来たのは!」
と、言うと、その当時は皆天真爛漫でしたので、犯人は正直に、
「ハハハハッ、俺だ」
と、名乗っていました。

もっと貧しい家の子はポケットに焼き芋を持ってきて、体育館の裏などに隠れて食べていました。

私の場合、時には、ねだって、お金でもらうこともあり、昭和30年代の中頃。

飴玉1個・・・・・・・・・1円(今の100円硬貨を丸くしたようなもの、結構、大きかったです)
アンパン1個・・・・・・5円
瓶入り牛乳1本・・・・10円

従って、20円も持って行けば、まあまあ腹いっぱいになりました。

昭和37年頃から、インスタント・ラーメンが登場。30円。
店では、ヤカン入れた水と練炭コンロ、丼と箸も用意してくれてありました。中学の部活などで腹が空くと走りました。

私が小学生の頃、家でヤギを飼っていて、母が早朝に乳搾りをして煮沸しサイダーの瓶に入れてくれ、商売をしている家に登校時に配達し、(夏休みと冬休みは週5日)、で、貰うお金が月額300円。これが私の小遣いになりました。

中学1年生の時、「中学1年生」という本に添付されていた、
「カメラを買うと昆虫セット・プレゼント」
の広告につられてハガキで申し込みをしました。

届いた商品と請求書は980円。
親に相談なしに注文したことと、誰が支払うのかで母にこっぴどく叱られました。
当時としては、1,000円は現在の10,000位。

父が黙って支払ってくれました。

まあ、戦後から昭和30年代初期では、お年玉は、10円、20円、30円位だったでしょうね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ためになるお話ありがとうございました。1953年(昭和28年)に1円黄銅貨が廃止され、現在のアルミ1円になったそうです。また、1958年にチキンラーメンが発売され、当時は35円だったそうです。

お礼日時:2013/01/21 11:00

 僕の住む地域は市バスが運行されていて



乗車賃は1路線210円、遠方は数百円なの

ですが、その市バス運賃が僕が12歳の頃

だから1964年ごろ全路線乗り放題で、

大人が10円子ども5円でした。推察すると

この頃の僕が親からもらっていた小遣いが

月300円でしたので恐らくお年玉は、

1袋あたり100円~500円(僕の親は決まって

50円でした)やはりご覧になった場面は

お年玉ではなくてお駄賃でしょう。

1960年、駄菓子屋に行くときに握るお金は

5円玉でした。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

1960年というと昭和35年ですね。この年、横浜ベイスターズの前身、大洋ホエールズが日本一になっています。ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/21 10:46

三丁目の夕日は昭和30年代だったはずなので、20年~30年くらいではないでしょうか。



父が28年生まれですが「駄菓子は1円しなかった」「10円あればなんでも買えた」みたいなことを言っていた気がするので、10円が大きなお小遣いとされていたのはその辺ではないかと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

1円しなかった、というのは、50銭とか、銭という単位が使われていたころでしょうか。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/20 20:16

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!