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「自分も分からないままで人を教えるのは無責任だ」という表現は、自然だと思います。
しかしこれを「自分も分からないままに人を教えるのは無責任だ」とするのは、どうでしょうか。これに類する表現をどこかで見たことがありますが、これは文法的には誤用となるのでしょうか。
別の使用例を挙げると「どうして胸を張ったままで言えないの?」は違和感がありませんが、「どうして胸を張ったままに言えないの?」では違和感を覚えてしまいます。これは私の考えすぎなのであって、実は正しい表現なのでしょうか。一時は「ままに」の後は「放置する」のような状態動詞に限るのであって「教える」などの意志動詞は使えないということなのか、とも考えましたが、いまひとつ釈然としません。いろいろ考えているうちにすっかり混乱して、わけがわらなくなってしまいました。
どなたか詳しい方、文法的にご説明いただければ幸いです。

A 回答 (8件)

#7です。



論点が2つあると思います。
1.
ひとつは、「ままに」と「ままで」のニュアンスの違いは何か、です。
これに関しては、「~ままに」には、「~を引きずって」「~に流されて」「~に無抵抗で」といったニュアンスがあるが、「ままで」にはそれが無い、という捉え方が良いのではないか、と思います。
前回、本質的には、『~を継続する状態で』という意図がある、とも申し上げましたが、これは、前3者の補足説明とお考えください。
「~ままで」が「~という状況の中で」「~という状況を背景として」といったニュアンスであるのに対して、
「~ままに」は、「~ということに継続する形で・・・」という本質的ニュアンスがあるように思います。
それぞれの3者に関して、【単なる背景としての状況ではない】継続という要素が含まれている、という意味です。
たとえば、「胸を張ったままで片足を高くあげる」という文は、「胸を張って、それに継続する形で足を高く上げる」という意図でないことはご理解いただけると思います。
あくまで、「胸を張った状態を背景にして、足を高くあげる」という意味のはずです。
この点をまず押さえておくことが本題でしょうし、このニュアンスの基本的な違いを把握することが肝要かと思います。

2.
次に、個別の各事例(シチュエーション)に関して、1で示したような解釈を適用することが妥当か否か、ということが論点になるかと思います。
そうした論点を踏まえて以下に述べます。
>「十分な準備をしない」という状況を継続した状態で山に登るからこそ危険なのです。十分な準備をしていなかったが、山に登る直前にあわてて必要最低限の準備を整えたのであれば、危険性が薄れるのです。だからその意味で「継続する」という要素は必要なものだと考えます。

なるほど、おっしゃることはよくわかります。
ただ、わたしの意図が十分に伝わっていないと思います。
「危険だ」ということを言いたい場合に、『「十分な準備をしない」という状況を継続した状態』を示す必要があるだろうか、ということなのですが、『「十分な準備をしない」という背景としての状況』を示すだけで十分だと思います。
必要がないのに示すと不自然になる、ということです。

>それと同様の理屈で、「自分も分からないままに人を教えるのは無責任だ」は、「自分も分からない」という状況を継続したままで人を教えるからこそ無責任なのではないでしょうか。

そうした解釈も全くできないわけではないでしょうが、やはり無理があると思います。
「自分も分からない」という【状況がある状態で】人を教えるからこそ無責任だ、という理屈のほうが自然でしょう。
つまり、継続性が無くても無責任という解釈をすることは可能なわけですから、わざわざ継続性を持ち出すと、どうしても不自然にならざるを得ないように思うわけです。

3.
別の例を少し考えてみたいと思います。
「方向もわからないままに歩いていると、やがて目的の建物が見えてきた」という文は自然だと思います。
「方向もわからないという状況を引きずって歩いていると」
「方向もわからないという状況に流されるまま歩いていると」
「方向もわからないという状況に無抵抗で(状況を放置して)歩いていると」
どのような解釈も可能でしょうが、いずれも「方向もわからないという状況」と「歩く、という動作」が継続性で結ばれている、ということが言えると思います。
「方向もわからないという状況を継続したまま歩いていると・・・」といったニュアンスでしょうか。
「方向もわからないという状況を背景として歩いていると」あるいは、「方向もわからないという状況の下で歩いていると」といったニュアンスではない、という点が鍵だと思います。
このような意図の場合には、むろん、「ままで」と表現することになるわけです。
「どのように歩いていたのか」ということを強調したければ「ままに」、
「どのような状況の下で歩いていたのか」ということを強調したければ「ままで」、ということになるのだと思います。
話し手の心理次第であり、意図がどちらにあるかによって決まります。
ただ、例文の場合の述語は「建物が見えてきた」ですから、そこにつながるためには、「どのような状況の下で歩いていたのか」ということよりも「どのように歩いていたのか」ということのほうが重要なファクターとなりますから、「ままに」を使うほうが自然に聞こえるはずです。
   
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。どうにか仰りたいことの趣旨が見えてきました。
私としてはNo.4の補足に記したこととNo.7~No.8の回答内容を合わせたものを、ベストアンサーとしたく思います。よって後日このスレをご覧になる方は、No.4の補足とNo.7もぜひご覧ください(このNo.8だけでは、意味がわかりません)。

お礼日時:2013/08/09 11:37

#4です。


メール通知はお礼だけに設定してあるので、補足を拝見するのが、もしかすると遅かったかもしれません。

1.
>「自分も分からないままに人を教えるのは無責任だ」は「自分も分からないままに(しておいて)」という表現が隠れているので、「人を教えるのは無責任だ」としても違和感を感じません。

ということですね。詳細が不明でよくわかりませんが、「しておいて」だと、「ままで」の意味である「した状態で」との差異が曖昧になってしまうため、弱いような気がします。
内容的には、
「十分な準備をしないままに山に登るのは危険だ」
という文を考えてみます。
「十分な準備をしないままに(しておいて)山に登るのは危険だ」
という意味になりますから正しい文だということになりますが、わたしは誤用だと思います。
前回の繰り返しになってしまいますが、わたしの場合、「~ままに」はあくまで
「~を引きずって」「~に流されるまま」「~に無抵抗のまま」といった意味です。
これらを踏まえて今回、さらに考えてみたのですが、本質的には、『~を継続する状態で』という意図がある、と考えると良いように思いました。
「十分な準備をしないままに山に登るのは危険だ」は、
「十分な準備をしない」という状況を継続する状態で「山に登るのは危険だ」という意味になってしまうので不自然です。
「危険だ」ということを言っている文なので、単に「準備をしない」ということだけ指摘すればよいのであって、「継続する」という要素は不要だということです。
ちょっとわかりづらいと思いますので、自然な例も挙げておきます。
「彼らは、十分な準備をしないままに山に登って地元警察からお目玉をくらった」などは自然な文になるでしょう。
「十分な準備をしない」という状況がまずあって、その継続で(次には)「山に登って」「地元警察からお目玉をくらった」という構文です。
この例文の場合、「十分な準備をしない」を単なる背景としての状況と捉えることも可能ですから、その意図の場合は「ままで」を使うこともできます。

前半の要素が受身の場合に「ままに」が殆んど有効になるのは、受動の動作に引き続いて(あるいは契機として)後半の述語で示される事柄が継続的に発生する、という構図になっているからなのでしょう。
いくつか例が浮かびます。
a.手を引かれるままに彼の後についていった。

「手を引かれるという状況の中で」→「彼の後をついていった」という解釈は可能ですから、「手を引かれるままで彼の後についていった」という表現は可能だと思います。
ただ、『「手を引かれた」→そうした事態に引き続き、抵抗せずに彼の後についていった』というニュアンスのほうがシチュエーションとしては適しているので、「ままに」を使うほうが自然な印象を与えるはずです。

b.彼に言われるままに悪事を働いた。
c.風に吹かれるままに放浪を続けた。

これらは「ままで」に置き換えは難しいと思います。
「彼に言われる」「風に吹かれる」という状況の中で「悪事を働いた」「放浪を続けた」という解釈に無理が生じるからでしょう。
あくまで、「彼に言われる」「風に吹かれる」という状況が、まず先にあって、それに継続する形で、「悪事を働いた」「放浪を続けた」という状況が発生した、という解釈が妥当なシチュエーションなのだと思います。

前置きが長くなりましたが、「自分も分からないままに人を教えるのは無責任だ」は、
「自分も分からない」という状況に継続して「人を教えるのは無責任だ」という意味になるので、どちらかと言えば不自然だと思います。
「自分も分からない」という状況を引きずって~。
「自分も分からない」という状況に流されるまま~。
「自分も分からない」という状況に無抵抗のまま~。
どのように解釈しても、この継続性が要素として加わるために違和感が残ります。
無責任であることを言うためには、継続性の要素は不要だからなのだと思います。

2.
「どうして胸を張ったままに(しておいて)言えないの?」が不自然に感じるのは、「胸を張ったままに(しておいて)~する」という節が不自然なためだと思います。体操などの動きで「胸を張ったままにしておいて、腕を前に出します」などということはあるかもしれませんが、「堂々と(する)」という意味で「胸を張ったままにしておいて、言う」とは使いません。

1と同じ理由ですが、「胸を張る」という状況に【継続した「言う」という行為】を想定することになってしまうので不自然なのだと思います。
「胸を張る」という状況を引きずって、言う。
「胸を張る」という状況に流されるまま、言う。
「胸を張る」という状況に無抵抗のまま、言う。
どれも無理があります。
「(効果的に)言う」ためには、胸を張るという「背景としての状況」が提示されていれば、それで良いということなのだと思います。

上記の方の説明では、
『「堂々と(する)」という意味で「胸を張ったままにしておいて、言う」とは使いません。』とおっしゃっていますが、これは、
「堂々とした状態のままにしておいて、言う」という表現は意味的に齟齬が生じる』ということなのだと思います。
しかし、「(姿勢を)堂々とした状態のままにしておいて、言う」のように捉えることが可能ですから、特に問題はないような気がします。
「~しておいて」は「変化のない状態にしておいて」という意図でお使いになっているように思われます。
ただ、これは「まま」という語自体に含まれる意味ですので、これを差異の要素として持ち出すのは、あまり効果的ではないように思います。
私自身の説明が覚束ない状況で他人様の解釈にコメントするのは怖れ多いのですが、わずかながらも何かのご参考の一助となれば幸いです。
    

この回答への補足

例によって時間を置いて考え直してみました。
> 「~ままに」は本質的には『~を継続する状態で』という意図がある、と考えると良い
これについては、納得できます。
「どうして胸を張ったままに(しておいて)言えないの?」が、
> 「(姿勢を)堂々とした状態のままにしておいて、言う」のように捉えることが可能ですから、特に問題はないような気がします。
これもよく考えると、おっしゃる通りだと思います。
しかし、素直には納得できない部分も見えてきました。
> 「十分な準備をしないままに山に登るのは危険だ」は(中略)「危険だ」ということを言っている文なので、単に「準備をしない」ということだけ指摘すればよいのであって、「継続する」という要素は不要だということです。
これは考えすぎではないでしょうか。「十分な準備をしない」という状況を継続した状態で山に登るからこそ危険なのです。十分な準備をしていなかったが、山に登る直前にあわてて必要最低限の準備を整えたのであれば、危険性が薄れるのです。だからその意味で「継続する」という要素は必要なものだと考えます。
それと同様の理屈で、「自分も分からないままに人を教えるのは無責任だ」は、「自分も分からない」という状況を継続したままで人を教えるからこそ無責任なのではないでしょうか。
考えているうちに、自分でもなにか本筋から離れつつあるような気がして怖いですが、追加コメントいただければ幸いです。もちろん、#7さん以外の方からのコメントも大歓迎でお待ちしています。

補足日時:2013/08/07 10:13
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この回答へのお礼

度重なるご回答、ありがとうございました。
他の方が説明不足な点まで補っていただきまして、助かりました。

お礼日時:2013/08/03 07:35

#5です。



>しかし「自分が聞き齧ったままに人に教えるのは無責任だ」が正接であるならば、「自分も分からないままに人を教えるのは無責任だ」も正接ではないでしょうか。
 :
「正接なりに…とすれば、違和は少なくなります。」という微妙な言い回しが伝わっていないようですね。
これは、単なる正接か逆接ということではなく、よしんば正接であっても、せめて「聞き齧り」した「情報=内容」に限定して、その内容通りに人に教える」、そのような口移し式のやり方では無責任だ、といった形で限定された正接の関連性が生まれています。また、「人を教える」ではなく「人に教える」とすることで、「ままに」が「ままを」の意味合いをも兼務したかのようなニュアンスにもなります。ですから、このような言い方にすれば「正接なりに」「違和は少なくなります」と。

一方、「自分も分からないままに」の方では、そもそもそれを以て「人を教える」べき肝心の「情報=内容」が完全に欠落していますから、「ままに」は単に「自分も分からない」という事態がそのまま継続している状態を表現しているだけなので、後段の「人を教える」との、もしくは「無責任だ」への接続関連性が取れていません。ありていな言い方をすれば、こちらは接続詞的役割に乏しく、したがって正接云々以前の段階にあります。
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この回答へのお礼

補足説明、ありがとうございました。おかげさまでいい勉強になりました。

お礼日時:2013/08/03 07:25

>「自分も分からないままで人を教えるのは無責任だ」」という表現は、自然だと思います。


 :
この例題の問題点は、そもそも「自分も分からない<ままで>」という言い回しがやや奇異だからでもあります。

「自分も分からない」は「自分<でも/だって/さえ>分からない」であり、「分からない」も「(良くは)分かっていない」ことであり、そこでの後段への接続詞としては、「ままで」は単なる接続詞用法としては大した意味を成していません。
前後つながりが不明瞭な「で」はむしろ不用です。
「自分(で)も分からないまま人を教えるのは無責任だ。」
「自分でも良くは分からないまま人を教えるのは無責任だ。」
同様に、この場合は「まま」も省けます。
「自分(で)も分からないで人を教えるのは無責任だ。」
「自分でも良くは分からないで人を教えるのは無責任だ。」

ここは「ままで」を、接続助詞としての「で」に固有の接続趣旨の不明瞭さを排除した形で、より使い慣れた逆接の接続詞「にも拘わらず」「のに」「くせに」などに替えることによって一層落ち着きます。
「自分(で)も分からないにも拘わらず人を教えるのは無責任だ。」
「自分(で)も分からないくせに人を教えるのは無責任だ。」
「自分でも良くは分かっていないのに人を教えるのは無責任だ。」

>しかしこれを「自分も分からないままに人を教えるのは無責任だ」とするのは、どうでしょうか。
 :
今回のような接続詞に即した用法での「ままに」の場合は正接のみであって、逆接の用法はないので、このような違和が生じています。
正接なりに、「自分が聞き齧ったままに人に教えるのは無責任だ。」とすれば、違和は少なくなります。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
しかし「自分が聞き齧ったままに人に教えるのは無責任だ」が正接であるならば、「自分も分からないままに人を教えるのは無責任だ」も正接ではないでしょうか。
「自分が聞き齧ったままであるにもかかわらず、人に教えるのは無責任だ」「自分も分からないままであるにもかかわらず、人を教えるのは無責任だ」のような形が逆接だと思っています。

お礼日時:2013/08/02 21:45

#3です。



>「保持した状態で」と「引きずった状態で」とは、本来的に同じ意味なのではないでしょうか。

微妙なニュアンスの違いがあると思いますし、その違いが意味の違いに直結しているように思います。
もう少し別の表現をしてみますと、
「~ままで」は「~という状況の中で」、
「~ままに」は「~という状況を引きずって」といった違いでしょうか。
「引きずって」は、「~という状況に流されるまま」「~という状況に無抵抗のまま」といった意味に解釈していただくほうがわかりやすくなるかもしれません。
「~ままで」の場合は、そうしたニュアンスを持たせようとする意図が話し手には無く、単に背景としての状況を提示するに留まっている、という違いだと思います。
  

この回答への補足

質問している身なのにこのようなことを言うのも気が引けますが、今回はいまひとつ釈然としない回答ばかりのようです。そこに折よくこういう方面に詳しい方に話を聞くことができましたので、その要旨をご紹介します。よろしかったらコメントしていただけませんでしょうか。
---
「自分も分からないままで人を教えるのは無責任だ」という文章は、「自分も分からないままで人を教える」という節を「のは無責任だ」と受けている、自然な文です。
「自分も分からないままに人を教えるのは無責任だ」は「自分も分からないままに(しておいて)」という表現が隠れているので、「人を教えるのは無責任だ」としても違和感を感じません。
「胸を張って言う」は「堂々と言う」という意味で使っています。
それまで堂々と意見を述べていたのに、ある話題になったら急にはっきり言わなくなってしまった彼に、「どうして胸を張ったままで言えないの?」は成立します。
「どうして胸を張ったままに(しておいて)言えないの?」が不自然に感じるのは、「胸を張ったままに(しておいて)~する」という節が不自然なためだと思います。体操などの動きで「胸を張ったままにしておいて、腕を前に出します」などということはあるかもしれませんが、「堂々と(する)」という意味で「胸を張ったままにしておいて、言う」とは使いません。

補足日時:2013/08/01 20:00
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
参考にさせていただきます。

お礼日時:2013/07/29 20:13

例によって個人的な感覚でお答えしてみます。


何らかのご参考になれば幸いですが、文法的なご回答があるまでの暇つぶしとして、適当に読み流していただいて結構です。

「~ままで」→「~ということを保持した状態で」
「~ままに」→「~ということを引きづった状態で」(「~ということを捨てきれずに持ち続けた状態で」)
というニュアンスの違いがあるように思います。

「自分も分からないままで人を教えるのは無責任だ」
は、「自分も分からないということを保持した状態で教える」というニュアンスになります。
「自分も分からないままに人を教えるのは無責任だ」
は、「自分もわからないということを引きづった状態で教える」というニュアンス。
前者は、教えるという行為がどのような状況のもとで行われるのか、という点が眼目ですが、
後者は、教えるという行為がどのようなことを引きづった状態で行われるのか、という点に重点が置かれているのでしょう。
この後者の場合、「自分もわからない、ということを引きづった状態で教えるのは無責任だ」ということになりますが、ただ、無責任だ、ということを言いたい場合、「わからない」という事柄に関してわざわざ「引きずる(捨てきれずに持ち続ける)」という要素を加える必然性に乏しいため、若干の違和感を残す表現になる、ということではないかと思います。
単に、「わからない、ということを保持した状態で~」とすれば済むことです。
「自分も分からないままに何かを教えてしまうのは人の常だ」のような構文であれば、「ままに」とする意味が出てきますし、自然な文になると思います。

「どうして胸を張ったままに言えないの?」は、どうして「胸を張ること」に引きづられて言えないのか、と尋ねていることになり、論理的に齟齬を来たしている構文のため不自然になるのだと思います。
胸を張るということは、あくまで「言う」という行為の理想的な態勢として提示されているだけであり、胸を張ることが「言う」という行為自体に(次の動作として)引き継がれるわけではありません。
同様の理由で、たとえば、「彼の言うままに悪事を働いた」などは可でしょうが、「汗を拭かないままに歩き続けた」などは不可になると思います。
また、次の例などは、どちらにも適用可能な文であると思います。
「理由もわからないままで列に並んだ」→理由がわからないという背景の下で(状況の下で)列に並んだ。
「理由もわからないままに列に並んだ」→理由がわからないということを引きづった状態で列に並んだ。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
「保持した状態で」と「引きずった状態で」とは、本来的に同じ意味なのではないでしょうか。そのような角度からの区別は、できないまたは無意味だと思っております。

お礼日時:2013/07/29 16:52

違和感は無い。

却って、当方は「に」用法を好む。「で」という濁音では、日本語音声としては汚くなる。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
確かに言葉の感覚にも、個人差があるものですから一概には言えない部分があります。貴重なご意見、参考にさせていただきます。

お礼日時:2013/07/27 17:44

格助詞「に」「で」の違いですね。



「に」は、後の動詞が存在(例:ある,いる)など。
「で」は、後の動詞が動作(例:する)など。

「に」「で」の両方に対応する動詞も多いですが、やや意味が違ってきます。

「自分も分からないままで(or に)人を教える」の場合、「自分も分からないままで」ですと、動作である「教える」が強調される文章です。

一方「自分も分からないままに」だと、「教える」と言う動作・行為が行われたのは、「自分も判らないままであった」と言う状態を強調します。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
言われてみると、その通りだと思います。
つまり「どうして胸を張ったままに言えないの?」も、一応通じる表現だということになるのでしょうか。できましたら「に」「で」の両方に対応する動詞かどうかの見分け方についても、ご説明いただけないでしょうか。

お礼日時:2013/07/27 16:30

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