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私は、「看護理論が、何故、実際に看護活動をするときに必要か」と問われれば、必要であると答える。
「何故、必要であると考えるのか」について証明するためにヴァージニア・ヘンダーソンの看護理論を用いて自分の考えを説明する。
 まず、「ヴァージニア・ヘンダーソンの看護理論とは何なのか」、「それがどのようなものであるか」を知るために、ヘンダーソンが書いた「看護の基本となるもの」を読むことにした。その本の中で、彼女は、日常生活活動として、14の項目、(1)正常に呼吸する。(2)適切に飲食する。(3)身体の老廃物を排泄する。(4)身体の位置を動かし、またよい姿勢を保持する。(5)睡眠と休息をとる。(6)適切な衣類を選び、それを着たり脱いだりする。(7)衣類の調節と環境の調整により体温を生理的範囲内に維持する。(8)身体を清潔に保ち、身だしなみを整え、皮膚を保護する。(9)環境のさまざまな危険を避け、また他者を傷害しないようにする。(10)情動、欲求、恐怖、意見などを表現して他者とコミュニケーションを持つ。(11)自分の信仰に従って礼拝する。(12)なにかやりとげたという感じをもたらすような仕事をする。(13)遊ぶ、あるいはさまざまな種類のレクレーションに加わる。(14)正常な発達と健康につながるような学習をし、発見をし、好奇心を満足させる。また利用可能な保健施設を活用する。を挙げ、これを「十四の基本ニード」としている。そして、ヘンダーソンはそれら一つ一つにつき、どのような側面が看護師の援助を必要とするかを分析した。
 そもそも、本当に実際の看護活動で、看護理論が必要なのだろうか。技術と知識さえきちんと身についていれば、それなりの看護を患者に提供することができるのではないだろうか。確かに、看護は実際に経験してみて学べることの方がたくさんある。
 しかし、看護は身体や心に起こるできごと、人と人の間のできごとが複雑に関係しあって成り立っていると考える。その中で、何が起きているのかを言葉にして理解したことを積み重ねていくと、看護をこれから勉強していく人にとっては体験する前に頭で理解することができる。患者とのやりとりに困ったときには、どうしたらそれを打破していい方向に向かっていけるか考えることもでき、また、予め患者や患者との関係がどうなっていくのかを意識しながら意図的に関わっていくこともできる。
 だから、私は、看護理論が実際に看護活動をするときに必要であると考える。看護理論があるからこそ、患者によい看護が提供できるのだと思う。

「看護理論は、何故、看護活動に必要か」について論文を書きました。どなたか添削していただけないでしょうか?また、文字数を1500字程度にしたいので、つけたしたらいいことなども教えていただけるとありがたいです。看護理論はヘンダーソンのものを使用しました。起承転結にきれいにまとめたいと思っているので、そのコツなども教えていただけると嬉しいです。
急いでいます。よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

以下のように添削してみました。



 もし、「実地の看護活動をするに先立って看護理論の学習が必要か否か」と問われれば、私は「もちろん必要である」と答えるだろう。「なぜ必要であると考えるのか」について証明するために、ヴァージニア・ヘンダーソンの看護理論『看護の基本となるもの』を参照しながら考えてみたい。
 ヘンダーソンは上掲書の中で、まず「日常生活を営む上で必要な基本的活動」として14の項目をあげ、これを「14の基本ニード」としている。そして、それらの項目の一つ一つに対応して介護士・看護士の援助を必要とする側面があることを示し、分析している。

 以下に、その14項目を列挙する。なお、A~Dの中間的区分とその見出しは筆者の補足である。
A.基本的な生理的活動
(1)正常に呼吸する。(2)適切に飲食する。(3)身体の老廃物を排泄する。(4)身体の位置を動かし、またよい姿勢を保持する。(5)睡眠と休息をとる。
B.身体的維持に関わる活動
(6)適切な衣類を選び、それを着たり脱いだりする。(7)衣類の調節と環境の調整により体温を生理的範囲内に維持する。(8)身体を清潔に保ち、身だしなみを整え、皮膚を保護する。
C.環境や他者と関係する活動
(9)環境のさまざまな危険を避け、また他者を傷害しないようにする。(10)情動、欲求、恐怖、意見などを表現して他者とコミュニケーションを持つ。(11)自分の信仰に従って礼拝する。
D.知的営為の活動
(12)なにかやりとげたという感じをもたらすような仕事をする。(13)遊ぶ、あるいはさまざまな種類のレクレーションに加わる。(14)正常な発達と健康につながるような学習をし、発見をし、好奇心を満足させる。また利用可能な保健施設を活用する。
 看護士の援助が求められる場面は、大雑把に次のように分けられる。〔ただし、「(11)自分の信仰に従って礼拝する」の項については、日本の状況に鑑み、「(11)自分の家族や親戚の人と一定の交流関係を維持する」と読み替えた。〕
重度の要介護者に対して:レベルABC
軽度の要介護者に対して:レベルBC(D)
要支援者に対して:レベルBCD
このうち、若い番号の項目ほど介護・看護の中核部分であり、それなりに専門的知識や技術が求められることになる。

 実際には、看護を経験してみて初めて学べることがたくさんあるだろう。しかし、だからと言って、実際の看護活動で看護理論が必要ないことにはならないと思う。知識をきちんと身につけてあれば、臨機応変に、質の良い看護を患者に提供することができるのではないだろうか。技術の方は、おいおい、ただし積極的に、そのプロセスの中で身につけてことにしよう。
 看護の現場には、身体や心に起こるできごと、人と環境や人と人との間のできごとなどが複雑に関係しあい、絡み合っていることだろう。そういう場面で、何が起きているのかを的確に理解し、判断し、適切に対処するため、看護理論の知識が求められるに違いない。
 また、患者とのやりとりに困るようなこともあるだろうし、患者同士間のいざこざ等の問題だって起こらないとは限らない。このような、介護・看護活動とは直接関係ないようなことに関しても、できれば、イメージ・トレーニングや想定対応の形で、備えを整えておきたいものである。

 以上から結論として言えることは次のとおりである。実際の介護・看護活動をするに先立って、看護理論の知識を修得しておくことは必須の条件である。そして、それは介護・看護の基盤であると同時に、ことに当たって機敏な応用力を発揮するための備えとなるに違いない、と考える次第です。

(勝手に変えたところがありますので、もしお気に召さない場合は無視してください。)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
とても助かりました。
この文章をベースにしてもう一度
自分で書いてみようと思います!

お礼日時:2013/08/26 19:12

添削は指導教員にお願いするのが良いでしょうが、私が見るに、論文としては添削しようにも添削以前です。

授業のレポート課題であったしても、ABC評価でCか、よくてBかな、と感じます。辛口でごめんなさい。次のように感じたからです。

第1に、前半のヘンダーソンがどうしたというのと、後半のあなたの論と何も関係ないではありませんか。なんのためにヘンダーソン云々を持ち出したのか「????」です。単に文字数増やしのような。

第2に、後半のあなたの文はあなたの「所感」を述べて居るだけです。所感はきっと間違いでは無くて正しいのでしょうけど、どうも説得力とか切実感はないですね。裏付けに乏しいというか。そもそもこの文に看護理論とやらがどう具体的に関わっているのやら。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/08/26 19:29

 


先ず、適切な改行を入れること
また、箇条書きを勉強すること
それからでないと、読む気がしない--->つまり、評価の対象外です
 
 
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
もう一度いちからやり直してみます。

お礼日時:2013/08/26 19:31

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