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少し前回の内容を質問を変えて投稿しました。

↓前回 算数と数学に分ける理由
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8308196.html

元々は「算数と数学に分ける理由」だったはずが、何故か「中学高校の数学は数学と呼べるのか?」という質問にすり替わってしまったので、もう一度質問します。
自分がお礼や補足でそっち方面に話しを持っていったのがいけなかったんですけどね。


算数と数学の学習内容って、小学校と中学校でよく行ったり来たりしますよね。
小学校の算数の内容が中学校の数学に移行したり、中学校の数学の内容が小学校の算数の内容に移行したりといったことがよくあると思います。
そのとき、算数と数学で名称を分けるのは非常に不都合な気がするのです。

例えば、「この内容を中学校の数学に移行したいけど、算数っぽい内容だしなぁ~、移行しづらいなぁ~」とか「この内容を小学校の算数に入れたいけど、数学っぽい内容だしなぁ~、移行しづらいなぁ~」とか、小学校と中学校でニュアンスの違う科目名を設けると、その科目分けが移行作業の邪魔になるのではないか、そう思えてくるのです。
前回の質問では「算数と数学は違う」と答える方が多かったですが、多くの方が別物と感じるからこそ、なおさら科目分けはまずいように思えます。

算数と数学の学習内容に隔たりがあればあるほど、小学校の算数を中学校の数学に移行しづらくなり、中学校の数学を小学校の算数に移行しづらくなると思います。

当時の2002年度学習指導要領では、小4で「分数の意味・表し方」,小5で「同分母分数の加法・減法」,小6で「異分母分数の加法・減法」を学習していましたが、この流れなら「分数の乗法・除法」は中1に移行するのが自然なはずなのに、何故か小6で扱っていました。
もしかしたら、中学校の科目名が「数学」だったから中学校に移行出来なかったのではないか、そう思えてくるのです。

中学校で「数学」って名称を使っていると、「中学校からは学問として初歩から学ぶ」というイメージがありますが、もしそこへ「分数の乗法・除法」という単元だけが中1でボツンとあったら、取って付けたような印象を受けてしまいます。
算数と数学の科目分けが、移行作業の邪魔をしたのではないかと考えてしまうのです。
それなら、いっそのこと算数と数学の境界線を取っ払った方が移行作業の妨げにならずに済む気がするのです。

これは算数・数学に限ったことではありません。
それ以外の科目でも、やはり小学校と中学校で学習内容を線引きしたら移行作業の妨げになると私は思います。

小学校と中学校の学習内容に線引きがなされているのが算数・数学ぐらいなので、前回は「算数と数学に分ける理由」という質問にしたのですが、何故か皆さん「算数とはこういうものだ!!」「数学とはこういうものだ!!」という観点から科目分けする理由を説明してくるのですよ。
極端な例を出すと、例えば「国語」と「社会」を結合して「国社」という科目名にしても、「理科」と「音楽」を結合して「理音」という科目名にしても、移行作業の妨げにならないのであれば問題ありません。
何故なら「学習内容の違いによる科目分け」は問題視していないですから。

ですので「算数とはこういうものだ!!」「数学とはこういうものだ!!」という話しをしても意味は無いのです。

私が聞きたいのは、何故移行作業の妨げになってまで科目名を変えるのかということです。
勿論、文部科学省に問い合わせるのが一番確実なのでしょうけど、憶測でも良いので自分の納得が行く答えが欲しいのです。お願いします。


ちなみに、前回の質問はある程度質問の意図を汲み取ってくれたNo.8さんをベストアンサーにしましたね。
No.8さん以外は、算数と数学の違いを取り上げて分ける理由を説明しようとするんだもの。
私がお礼や補足でそういう話しをしたのも原因かもしれないが・・・

A 回答 (12件中1~10件)

 やはり、ご自身の理解の範囲内でしか「数学」を理解していらっしゃらないご様子ですね。


 >もし算数の学習内容が溢れて、中学校に移行することになったら、どうやって中学校で学ばせるのか?
 中学と高校ならば、こうした事例は既にあります。三角関数の扱いです。現在は高校ですが、少なくとも僕の時代は中三の時に扱ってもいます。
 それが高校に移行された理由は前回もお話ししましたが、もう一つ物理的な時間制限も加わっています。現在の公立学校は週休二日のスケジュールに基づいたカリキュラム編成を行わざるを得ません。
 カリキュラム編成上での各単元内容は決められていて、それをくまなく細大漏らさずスケジュールどおりに消化しようとするならば、あまり好きな言葉ではありませんが「落ちこぼれ」と呼ばれる理解度に難のある児童を生む結果となります。
 それが「小学校の学年間の段階」で解決できる問題ならば、前の学年での復習との意味で「おさらい」しながら、学年別の掘り下げ作業を行う形になりますが、実際にはこれも押せ押せの状態です。
 教科書どおりの順番で、分数の計算を扱った直後に「時間・距離・速さの関係」や「比例」にいきなり飛んでは児童も混乱するだけです。
 こうした部分を回避しようとして、現場では「小数と分数」を「整数との関連で」扱おうとして単元の順番を入れ替える工夫もしています。あるいは「分数」を別の表現で表すならばどうなるかと「割合や比率の変化」で理科のように実験しながら進めることも珍しくはありません。
 
 >出来れば違いについては避けたいんだけどなぁ~
これは質問者様の個人的な願望であって、如何せん避けようもないのですよ。
 算数では「計算する」に主眼があって、数学では「意味を説明する」として、一見ベースは同じ様に見えても質が違う世界です。
 小学校で「つるかめ算」は計算方法として扱っても、中学校の「方程式や多元方程式」で登場する「代入」の考え方を意味として教えることが小学校では適わない(指導要領の縛り)。だから中学校段階で数学嫌いを生むことにもなる(それ以前の段階とは脈絡のない世界が広がるカルチャーショック)。

 自分は「数直線」で楽になった、と仰いますが、それは知らなかったことを知った新鮮さが作用している部分もあるでしょうね。でも「マイナスN個のものがある」との表記をいきなり目にしたら、質問者様はどう観じますか?。「現実にはないもの」が「数学的にはあると表現する」となる一見矛盾する表現に出会ったなら、普通は違和感も感じるでしょう。
 その「違和感」を感じさせないのが「演算能力としての算数教育の意味」と理解すればよろしいのではありませんか?
 なお、僕が現在の数学教育に関して不満を感じているのは、論理学を教えないとの部分にあります。数「学」ならば、古典的一階梯論理に始まって演繹法・帰納法・背理法などの基本を教えていただかねば、その後の教育課程に従事する人間が気の毒なほど苦労していますから。
 そして小中学校段階までは従前の月曜から土曜までびっちりと授業する必要もありますね、殊に国語の読解と算数・数学分野では。

 そして最後に、もしあなたが「あんたって、まるで国語の能力ゼロね」と唐突に言われたら、むっと感じませんか?
 言葉は書かれた瞬間そして口から出た瞬間に独り歩きしますので、自分が言った意図とは別なとらえ方をされることも多分にありますので、一度書いた文面を推敲してみることも大人としての常識です。下手すれば数学オタクと勘違いされてしまいますよ。

この回答への補足

一応補足しておくと、私が「算数と数学の違い」について避けようとした理由は「算数と数学の違い」と「算数と数学に分ける理由」を同一視出来ないからなんですよ。
「算数とはこういうものだ!!」「数学とはこういうものだ!!」という違いについて挙げても、「算数と数学の学習内容が違ったら、どうして分けなければならないのだ???」と考えてしまうのです。

そこで、そのことについて何度も何度も補足したら、何故かあなたの逆鱗に触れてしまったようで、まるで「この二つを同一視出来ないお前は変人だ!!」とでも言われている気分です。

もう、この二つを同一視出来ない私が馬鹿なだけって結論でよいです。
そういうことにしておきます。

補足日時:2013/10/24 16:47
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この回答へのお礼

>>出来れば違いについては避けたいんだけどなぁ~
>これは質問者様の個人的な願望であって、如何せん避けようもないのですよ。

う~ん、避けられないのか。残念!!


>自分は「数直線」で楽になった、と仰いますが、それは知らなかったことを知った新鮮さが作用している部分もあるでしょうね。

私の場合は、知らなかったことを知ったという感じでは無かったですね。
天気予報とかでマイナスの気温を取り扱うことってありますし、ゲームでもマイナスが登場することってありますし、日常生活で普通にマイナスを使うから、中1でマイナスが登場した時は今さら感を感じたのですよ。
だけど、他の人って「-N個のものがある」とかで考えてしまうのですね。
確かに、そんな風に考えたら意味不明になってしまいますね。


>その「違和感」を感じさせないのが「演算能力としての算数教育の意味」と理解すればよろしいのではありませんか?

これが「算数と数学に分ける理由」の答えなんですね。
では、「算数」を「数学の前段階として用意したもの」と捉えることにします。


>もしあなたが「あんたって、まるで国語の能力ゼロね」と唐突に言われたら、むっと感じませんか?
 言葉は書かれた瞬間そして口から出た瞬間に独り歩きしますので、自分が言った意図とは別なとらえ方をされることも多分にありますので、一度書いた文面を推敲してみることも大人としての常識です。下手すれば数学オタクと勘違いされてしまいますよ。

一応何度も何度も見直してるはずなんだけどなぁ~
それでも別の捉え方をされてしまうんですよね~
でも「数学オタク」と呼ばれるのはそれほど悪い気はしない。


回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/24 02:11

ttp://libdspace.biwako.shiga-u.ac.jp/dspace/bitstream/10441/395/4/算数・数学教科書.pdf


あーもう。回答がupされるとだめなのですね。
hをはずしました。これもだめならすみません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。ようやく見ることが出来ました。

お礼日時:2013/10/24 00:53

http://libdspace.biwako.shiga-u.ac.jp/dspace/bit …算数・数学教科書.pdf

すみません。これで大丈夫かと思います。漢字も含めて全文字列をコピー&ペーストしてください。
要するに旧制の初等数学から中等数学への移行は、シンプルかつ容赦がないように感じられたわけでした。
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この回答へのお礼

やっぱり閲覧出来ませんでした。
リンク先の内容は読むことは出来ませんでしたが、回答文を読むかぎりだと、「昔はお構いなしに移行していたよ~」的なことが書かれてあるんでしょうかね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/24 00:42

http://libdspace.biwako.shiga-u.ac.jp/dspace/bit …算数・数学教科書.pdf#

貼り直します。
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この回答へのお礼

張り直してくれましたか。
だけど、やっぱり「不正な識別子」というメッセージが出てきて、閲覧出来ないです。

お礼日時:2013/10/23 22:14

旧制中学は、代数、幾何、という科目名で回していたような気がします。


ドイツ風ですね。

探してみました。
http://libdspace.biwako.shiga-u.ac.jp/dspace/bit …算数・数学教科書.pdf
洋算の導入に際して、少なくとも教育学上は、初等数学・中等数学とくくって研究されている。
教科としては、小学校での算術には珠算と筆算、
それから中学で代数学と幾何学ですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。URLを拝見しました。
だけど、残念なことに「不正な識別子」というメッセージが出て、私のパソコンからは内容を閲覧することが出来なかったです。

お礼日時:2013/10/23 22:10

>小学校と中学校で学習内容を線引きする理由


  
 既に沢山のが回答が寄せられたいます。
ご自分をご自分の論法で縛りすぎていませんか?

>私がお礼や補足でそういう話しをしたのも原因…

 明治時代に,外国語を日本語に訳して富国強兵政策を推進したのです。
  二字漢字に,本当に良く考えたと思います。
 兵も労働者も学力が無ければ,質の良い結果は得られません。

以下推論です:
義務教育が先ず算数と定義されたと考えます。
以後の高等な非義務教育は数学と定義されたと考えます。

中学は義務教育化されても,算数とは言わなかったのです。
旧制中学校の先生は,高貴な尊敬の対象で有ったので,数学を躊躇なく使ったのです。

◇小学校の内容が中学校に移行されても中学校に算数の授業は生じませんでした。
◇逆に戻されても,小学校に数学の授業は生じませんでした。

数学の初歩的段階を算数と解釈すれば楽チンです。

>…線引きする理由
  線引きがあるのでは無く,
 「小学校で学ぶことを算数という」位に括っては如何ですか…(*^。^*)/

自身の就学と職業で,半世紀弱を学校関係で過ごしました。民間や公共団体・外国でも就学・就職しました。学校を内と外から見たという自負があります。

そこで,学校を覗くと,派閥という不可侵の領域が浮かび上がって来ます。
『有力者の言うことは,その人が生きている限り,矛盾に気付いても言い出さない。』と言うことです。言えば破門されて,その筋の将来を閉ざされるのです。有力であれば,新派を構築できますが。

理屈抜きの上意下達でもあります。 

>…線引きする理由
 線引きなど存在しないのです。慣習・先達の主張に従っているだけなので,真面目に突き詰めると矛盾・疑問が浮かぶのです。

 一歩下がって,「そういうモノだ。」
  という新たな概念をご自身に追加されては如何ですか?  (*^。^*)/

    『馬鹿になる。』ということでも有ります。
     長い人生をよどみなく過ごす術の一つであるとも承知します。
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この回答へのお礼

>数学の初歩的段階を算数と解釈すれば楽チンです。

なるほど、「算数と数学に分けた」と考えるより、数学の前段階として算数を設けたと考えればよいのですね。
ようやく「分ける理由」に対する回答が得られるようになった。

>線引きなど存在しないのです。慣習・先達の主張に従っているだけなので,真面目に突き詰めると矛盾・疑問が浮かぶのです。

う~ん、そう言われるとむなしくなるけど、慣習として受け入れるしかないのですね。


回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/23 22:00

ウチの自閉っ子(5歳)にいま、『はじめてであう、すうがくの絵本』というシリーズ絵本を読ませています。


安野光雅さんの絵本ですが、たしか遠山啓さん監修なのです。
はじめてであう、さんすうではない。

小学校の算数も中学校の数学も楽しいものですが、中一の1学期あたりに小学校をやりなおすかのごときカリキュラムは本当にあほらしい。
社会科などもこの傾向がひどく、日本史の被りかたは3年間に渡るので、資料読みも四方山話も出来ない教員に教科書を板書するなどされるとばかばかしいことこのうえない。

公立小学校の現場の工夫というのは相当なもので、作図だの討論だのプレゼンだの班競争だのを盛り込んで高等な社会教育をはかっているように見えなくもないですが、公立中学校入学後の失速ぶりというのは何に由来するのでしょう。。。
まさか12歳の春休みには子供は総痴呆化すると思っているわけでもなく、いくつかの学区からまとめて入学してくるので、集団教育の足並みをそろえようと少し緩めにカリキュラム設定しているといったところでしょうか。

指導要綱を9年一貫としない理由があるとすれば、中学校教員が、まちまちの小学校からの進度や方針を引き継がなくてよいという、現実的な運用の都合かもしれません。
学校には学校文化というような奇妙な癖がたしかにあり、学年の進級にあたってさえ、担任は旧担任から情報を引き継ぐことを潔しとしない。自分流で子供を把握したい、育てたい、という情念に傾いた癖があるらしい。
いわんや、小学校から中学校においてをや。成績順に教科別にクラス編成および教室移動でもしないかぎり、どうせ一から把握と育成をしようと考えているので、指導要綱7年次目でなく、総復習を見据えた新しい学習要綱が使いやすいのかもしれません。
それに、復習は良いことだと考えられているふしがある。中学までの子供は予習しながら追い立てられるように引っ張り上げられたぶん吸収するのだが、こういう脳のメカニズムを、なぜか御用教育学者は信じない。
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この回答へのお礼

>中学校教員が、まちまちの小学校からの進度や方針を引き継がなくてよいという、現実的な運用の都合かもしれません。

ようやく納得のいく答えが出てきた。
どうも素人と専門家では話が噛み合わずに、困り果てたところだったのですよ。
こういう答えを待っていた。
確かに二つに分けた方が、中学校で再度初歩から学ぶことが出来て都合が良いのかもしれませんね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/23 21:43

 コメント拝見しました。

説得力があるように装っていても何か説得力がありませんね、残念ながら。この様に言われると、恐らくは反駁することも容易に予想されます。
 >(前回の質問では)「学習内容の違いによる科目分け」は問題視していないから、「算数とはこういうものだ」「数学とはこういうものだ」という話をしても意味は無い
 と仰っても「小学校の教育課程」と「中学校の教育課程」の間にある児童と生徒の発達段階レベルの違いを意識しないわけにもいかないでしょう。この点で認識の仕方が短絡的ではなかろうかと前回はお話しさせていただきました。この問題を説明するには、「算数と数学の違い」をどうしても避けて通ることは不可能に近い話だからです。
 小学校でも中学校に準ずるカリキュラム部分があることをご存知でしょうか。中学の「数学」は「代数学分野」と「幾何学分野」に分かれます。小学校ならば「数の問題」と「図形の問題」になります。ベースは同じです。
 小学校で扱うのは「整数・分数・小数」を用いた「基本的な演算の仕方」や「図形の性質」を眼目とします。演算といっても四則演算の方法とその順序などが中心です。この段階では方程式や不等式、更には連立方程式や連立不等式などは扱うこともありません。なぜだとお考えですか。答は単純です。「式という概念」を教えることはこの段階では意味がないからです。「式」にも「数式」と「文字を含んだ式」があり、小学校段階では「文字を含んだ式」は扱いたくとも扱えないのが最大の違いです。
 逆に「つるかめ算」などの形で「計算の仕方」として学習することに重点があり、中学ならば「文字と式の『関係』」で説明しようとします。
 文章題で「太郎君は飴を2個持っていました。花子さんの飴と合わせると5個になりました。花子さんは何個の飴を持っていましたか?」との問題があったなら、太郎君の飴の数に花子さんの飴の数を足した数が5個ですから、その数から太郎君の持っている飴の数を引けば「花子さんの飴の数」を出すことができると「算数」ならば説明してお終いですが、数学ならばこれで正解になるとはいえないでしょう。
 なぜなら、この文章をそのまま数式にすれば、花子さんの持っていた飴の数は不明であり、そのため「一時的にXと置く」との考え方をするからであって、それがどの様な意味を持つかと説明するのが「数学」と「数学的発想をすることの違い」との間で何か行き違いがあるのかもしれません。
 シンプルな考え方が許されるなら「計算して答を出す」ことが算数であるならば、「説明を数式で表現すること」が数学的であるといえる唯一の理由かもしれません。
 中学校段階で“ようやく”「等号の意味」を扱うのは、左辺と右辺の値が同じであるとの記号であるとの「意味を知ること」でしょう。小学校では「概念を扱う作業」を扱わないのは、児童の論理的裏付けに基づく説明能力が、そこまでに至ってはいない段階にあることを配慮しているともいえ、小学校段階では、「キチンとした順番」に基づいて計算ができるか、数の増減を「比例・反比例」「割合と比率」などの方法で説明するとの「生活の中や身の回りにある具体的な事物」を使って学ぶことに意味があります。
 質問者様は算数の授業で「~だから」との説明を答にした経験がおありでしょうか。でしたらその教員は「数学教育と算数教育に複眼を持てるほど見識のある」立派な教員だったのでしょう。


>>「地理的分野」にも「歴史的分野」や「公民的分野」からの視点が必要であることを見落としてはいませんか?
それを問題にしましたか。
実は教科ごとの連動性については問題視したつもりはないんですけどね。
たとえ地歴分野に公民分野の考え方が必要であったとしても、「地歴分野として機能する科目」と「公民分野として機能する科目」が存在するなら問題ないです。
 
 算数と数学に関してはやたらにウルサイことを仰りながら、こうして自身とは関係ないやと他を蔑ろにしたり、開き直ったりすることが僕にはカチンときました。現場の先生方には失礼ですよ。
 僕は中学以後の全ての教育課程で教えたこともあります。学習塾や通信添削でも仕事をしました(学部時代)。中学ならば「小学校時代の児童の成績評価や生活履歴」、高校ならば「中学校時代の生徒の調査報告書」に全て目を通し、児童生徒の状況を把握した上で最初に簡単な「小テスト」を行い、自身で児童・生徒に関する検証を行いもします。それがなぜ必要かといえば、文科省の指導要領に基づくガイドラインだけでは実際の授業運営を行うことなどはおよそ不可能ですので、オリジナルの形でカルテを作ることもせねば対応など到底できもしません。
 現在の中学校の数学科では「三角関数」が外れていることもご存知でしょうか。僕の中学時代には3年の段階で「sin・cos・tan」が単元にありました。しかし現在はありません。逆に僕の時代にはなかった「確率・統計」が単元にあります。
 この違いが何に基づくかとといえば、僕が中学生段階だった70年代の前半までは高度経済成長に基づく列島改造・開発が日本政府の課題でもあったこともあります。
 そのために「測量の基本」である三角関数が中学校の数学にまで単元として盛り込まれることにもなったとの背景が実際にあります。現在はそれが情報化社会に変化したことで、情報処理や統計論が変わって単元になったともいえます。
 実際に今の中高生はこうした部分で随分と楽にもなっています。高校ならば、僕の時代では文系であっても生物B・地学・化学B・物理Bをはじめ、数学も数I・数IIB・数IIIは必修、逆に理系でも地理B・世界史B・倫理社会・日本史・政経は必修でした。だから理転も文転も比較的楽だったともいえます。
 少し横道に逸れてしまいましたが、中学校の数学で一番最初に躓く点がどこにあるかとお考えですか?。例の「数直線の概念」です。小学校段階までは「○○がある」と具体的に数値として把握できる「物の数や量」の世界だけだったものが、いきなり「マイナスN個の物がある」とされてしまって、殆どの生徒が面食らいもします。無理もありません、「現実にはないもの」が「ある」といきなり言われたなら、大人でも混乱しかねません。でも「(代)数学」の上では「ある」との説明がなされる「その理由」を学ぶのが「中学校数学」の始まりといっても過言ではないでしょう。具体から抽象への展開が始まる段階です。そのためには「小学校段階でキチンとした算数教育(四則演算や図形の考え方の基本ルール)」を具体的に扱うことが大切なのです。
 そして中学校段階での教科目編成は高校段階でもっと細分化されもしますが、逆にそれによる弊害も表れて来つつあります。
 因みに質問者様が高校時代に選択した「社会科」の科目は何でしたか。僕の想像では「現代社会」だけだったのではなかろうかとの結論になりますが。
 あれは大学の教員からみれば、最悪の科目でしかありません。表向きは総合科目を装っても世界史や日本史の近代部分そして政経のツマミ食い的な色彩が前面に出るだけのつまらない科目でしかありません。

この回答への補足

>>「地理的分野」にも「歴史的分野」や「公民的分野」からの視点が必要であることを見落としてはいませんか?
>算数と数学に関してはやたらにウルサイことを仰りながら、こうして自身とは関係ないやと他を蔑ろにしたり、開き直ったりすることが僕にはカチンときました。

どこにカチンとくる要素があったのかは分かりかねますが、いくら科目間の関連性を答えたところで、私が知りたかった答えが出てくるとは思えないんだよなぁ~

↓それなら、再度質問内容を変えさせていただきます。
「もし算数の学習内容が溢れて、中学校に移行することになったら、どうやって中学校で学ばせるのか?」

私が知りたいのはこの一点だけなんです。
たとえ算数と呼べるような学習内容でもお構いなしに数学に入れるのか、それとも溢れないように配慮して学習内容を組み込むのか、その一点が知りたかっただけなんですが、まさかここまで長引くとは思いませんでしたよ。

補足日時:2013/10/23 21:25
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この回答へのお礼

>説得力があるように装っていても何か説得力がありませんね。
>「小学校の教育課程」と「中学校の教育課程」の間にある児童と生徒の発達段階レベルの違いを意識しないわけにもいかないでしょう。この点で認識の仕方が短絡的ではなかろうかと前回はお話しさせていただきました。この問題を説明するには、「算数と数学の違い」をどうしても避けて通ることは不可能に近い話だからです。

私は「説得してる」というより「そういう答えが知りたいのではない」ってことを言ってるだけなんですけどね。
でも、答えを得るためには違いについても取り上げるしかないのか。
出来れば違いについては避けたいんだけどなぁ~

>中学校の数学で一番最初に躓く点がどこにあるかとお考えですか?。例の「数直線の概念」です。

なるほど、他の人は正の数・負の数で躓くのか。
私はむしろ、中1で初めて正の数・負の数が登場した時、急に難易度がガクッと下がったように感じたのですけどね。


回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/23 21:22

No.3の補足。

「慣習」として切って捨てるのは,無愛想なので 笑。

たぶん「算数」と「数学」は,それぞれ arithmetic,mathematics を訳して日本の学校教育に導入したんでしょうね。小学校では arithmetic を教科としていた。しかし現在では,elementary school mathematics という用語もあるようですから,「昔の小学校では」というべきかもしれません。ここらへんは数学教育のプロでないとわかりません。

ひまだったら,Wikiの説明も読んでください。
http://en.wikipedia.org/wiki/Arithmetic
http://en.wikipedia.org/wiki/Elementary_arithmetic
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この回答へのお礼

URLを拝見しました。
だけど、残念ながら私は英語が読めないので、書いてある意味が分かりませんでした。
(いつか英語も読めるようになっておきたいなぁ~)

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/21 20:40

まるで出世魚みたいに,「学」がつく科目に変わるということを問題にしたいのですか? どの教育課程から変わるかは,教科でいくぶんちがいます。

小学校→中学校→高等学校→大学の順でかくと(一部省略あり):

国語→国語→国語・現代文・古文
 →国語学・日本文学

社会→社会(歴史分野)→世界史・日本史
 →西洋史学・東洋史学・日本史学

理科→理科(第一分野)→物理・化学
 →物理学・化学

算数→数学→数学
 →数学

こうしてみると,数「学」の出現はだいぶ早いですね。たぶん慣習でしょう(そうではない部分もあるだろうが,面倒な議論になるのは嫌いだ 笑)。それだけじゃないですか。
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この回答へのお礼

「学」が付くことを問題にしたいわけではないですが、確かに数学は学の出現が早いみたいですね。
だけど、数「学」から「学」を取ったら、ただの「数」になってしまう。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/21 20:36

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