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コペルニクスの地動説が唱えられたときは、ヨーロッパのキリスト教界から異端とされ、
地動説を支持したガリレオ・ガリレイは宗教裁判で有罪判決を受けたりして弾圧されたそうですが、
チャールズ・ダーウィンが進化論を唱えたときも、キリスト教に反するのに、
ダーウィンは宗教裁判も受けず、特に弾圧も受けずに一生を終えることが出来たのはなぜでしょうか。

A 回答 (6件)

コペルニクスやガリレオはローマ・カトリックの勢力圏(ポーランドとイタリア)、ダーウィンはイングランド国教会の勢力圏で活動しています。

どちらもカトリックですが、イングランド国教会はその当時のローマ・カトリックほど科学に頑なではありませんでした。

もう一つ、単純に時代が違うというのもあります。コペルニクスは15-16世紀やガリレオは16-17世紀。ダーウィンは19世紀で200年以上の差があります。恐らく、ダーウィンがカトリック圏で進化論を発表したとしても反発はあれるでしょうが、弾圧はないでしょう。ダーウィンの時には既に宗教裁判(異端審問)という制度自体がほぼ廃止(スペインで1834年が最後)されていました。

こんなところ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/12/10 13:07

『コペルニクスの地動説が唱えられたときは、ヨーロッパのキリスト教界から異端とされ、地動説を支持したガリレオ・ガリレイは宗教裁判で有罪判決を受けたりして弾圧されたそうですが、』


西洋の科学って元々はギリシャ・ローマ時代に生まれたのでしょうけれど、その後、ローマ帝国の中でキリスト教の下で発展していった、つまり、“神様が創ったこの世界の原理を理解しよう”という目的でやっていたと思うので今の科学とキリスト教の関係と随分違いますよね。ニュートンの運動法則とかケプラーなんかまさにそうでしょ。
ガリレオ・ガリレイが有罪判決を受けたと言っても、“それでも地球は回っている”とか言っているのに死刑になったり牢屋に入れられたわけではなく、街からは出て行かされたけれど田舎で気ままな生活を送っていたんではなかったでしたっけ?それに、彼の主張した地動説の記録が残っていること自体、弾圧とはほど遠い気がします。

ダーウィンだってキリスト教神学を勉強してそこから進化論に入っていった人ですから考えの根底にはキリスト教がありますよね。当時のイギリスがカトリックの支配をそれほど受けていなかったかどうかはどうなんだろう???いずれにしろ、彼らはキリスト教(教会)という枠の中で科学を考え議論しているから本当の意味での迫害や弾圧は受けていないのではないですか。一方、同じイギリスにいた(聖書を英訳した)ウイリアム・ティンデルの場合は、当時のカトリックの脅威になったから本当に弾圧・迫害を受けたけれど。
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この回答へのお礼

ガリレオ・ガリレイの場合はおっしゃる通り、『弾圧とはほど遠い』のかも知れませんが、ジョルダーノ・ブルーノは地動説を支持したために火あぶりの刑になりましたよ。

お礼日時:2013/12/10 13:03

最大の理由は,「進化論」はダーウィンが言い出した説ではないと言うことです。

それ以前から,ラマルクの「用不用説」のように生物は進化するという「進化論」はありました。学会の学者達が興味がありましたのは,何が進化させるのかと言った進化させる要因です。進化説そのものを宗教弾圧するのなら,進化の要因について議論している学界全体を弾圧する必要があります。ダーウィンの説と言われています「自然選択説」もウォーレスが唱えた説です。ダーウィンは,色々な事例を挙げて「自然選択説」を説明したのです。

また,彼の一族は,フィナンシャル・タイムのようなマスコミも支配し,最近の例ではダイアナ妃も一族ですが,イギリスの名門なのです。さらに彼を擁護していた何人かの人たちは,すべて名家・名門で,それぞれの分野を支配していた支配階級の人たちです。教会も簡単に喧嘩を売ることができない強力な集団だったのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/12/10 13:03

ガリレオもそうなんだけどカトリックなどの関係者がどうだったかであり内容ではないのです。

この魔女狩りサイトでも通報と裁定には内容を問われますがそれは偽善ですよね。
奇跡を起こすと言い出すのは不味いのだがその反対に現実的な考え方に過ぎないものはそれは自由なのです。
ガリレオは教会がピリピリしている時代に表現の自由を行使したから、教会側はその放置や看過で連鎖的に教会利権の崩壊を招かないように実力行使した。
ダーウィンの頃は今さらです。そして子供騙しが通用しにくい知的エリートが社会を仕切るようになっていた。
弾圧できたとしても教会利益に逆効果の時代になった。
近年はカトリックも大分追い込まれてきたというソロバン勘定がガリレオの頃とは反対の営業方針に働きガリレオを認めるから信者になってねですよね。つまり内容で裁かれたとしても動機は内容ではないのです。このサイトのやり方と同じです。

ただし内容的な議論となればダーウィンこそが最悪です。アメリカ人がガリレオを認めないという話は聞きませんからね。
皆さん言われてるように時代であり歴史カテゴリ問題でしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/12/10 13:03

19世紀も相変わらず協会の支配力は強く、肉体的弾圧はないにしろ「人は神が作ったのではない」という理論を発表するのは大変なことでした。


実際、ダーウィンより先に、進化論を唱えた人がいたのですが、協会によって握りつぶされているそうです。

ダーウィンは、教会内で熱心に布教活動をして協会の信用を得るとともに、協会の機嫌を損なわないよう、30年もかけて少しずつ理論を発表して、進化論を認めさせたそうです。
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この回答へのお礼

>30年もかけて少しずつ理論を発表して、進化論を認めさせたそうです。
そうでしょうか?ダーウィンはアレフレッド・ラッセル・ウォレスの進化論の論文を読んで、あわてて『種の起源』を出版したんではなかったのですか。

お礼日時:2013/12/10 13:06

 コペルニクス 1473年2月19日 - 1543年5月24日


 ガリレオ・ガリレイ ユリウス暦1564年2月15日 - グレゴリオ暦1642年1月8日
 ダーウィン   1809年2月12日 - 1882年4月19日

 生きた時代があまりにも違いすぎます。ガリレオと比べても250年前の常識が現在の非常識って考えれば納得できるでしょう。

 現代なら、ほんの何年か前まで常識として信じられていたことがその後の研究であっさりと覆されたりしますね。「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」だと習った世代です(笑)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/12/10 13:07

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