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日本は太平洋戦争でどうして勝ち目のない戦争に挑んだのか、避けることはできなかったのか というような質問がこのカテでも過去に何件かありました。そして、比較的多くの回答がつく傾向にありますが、決まって大半は反論的な回答です。どうしででしょうか? 私なりに若干補足を加え整理していました。確かに、当時の段階で戦力を分析するのは難しかったかもしれませんが、山本五十六たちは日本は逆立ちしてもアメリカには勝てないと踏まえていたし、最悪のシナリオも想定していたはずです。

(1)歴史にifはないと 言われるように、タラ・レバを語るのはナンセンスだから。

(2)結果論の後知恵なら誰にでも言えるから。

(3)こういう質問は歴史の認識が浅い人の典型的な愚問の一つであり、複雑な背景を考えると 単純に当時の日本の中枢部が愚かだとは結論を導けないから。

(4) 当時の日本は 窮鼠猫を噛む 状態にあり、万に一つの可能性に賭けたから。東京裁判のパール判事が ハルノートを突きつけられたら、モナコやルクセンブルグのような小国でさえ アメリカと開戦するだろう と言ったように、ハルノートはそれほどまでに無茶な要求であり、ましてや、日清・日露戦争で勝利した日本がハルノートを受け入れることはあり得なかった。

(5)日本は倒幕、または黒船到来の時から いずれアメリカと衝突する宿命にあった。宿命は誰にも変えられない。

(6)当時の日本は政府も国民も一種の集団マインドコントロールを受けていた状態にあり、開戦を回避するのは もはや不可能だったから。

(7)当時の日本の中枢部は最悪のシナリオを想定外に置いていたから。その点では
今回の福島原発事故に通じるものがある。

(8)当時の日本人は元寇の時のように、ピンチの時には神風が吹いて 奇跡が起きると信じていたから。

(9)ハルノートを突きつけられた時点でもはや手遅れだった。l日本は満州に進出した時から、その流れは理屈や論理で歯止めが利かない状態にあり、アメリカとの開戦の流れは誰にも止められなかった。もし、戦争を回避するなら もっと早くから舵取りする必要があった。

(10)日本はアメリカ本土に上陸することは考えておらず、日露戦争の時のように、最初の段階で相手国に打撃を与え、自国に優位に講和を持っていく思惑があったから。

(11)日本は同盟国のドイツがイギリスとソ連から戦勝することを見込んでおり、そうすれば、日本は必然的にアメリカに勝てると思ったから

(12)東条英機などの軍部トップたちに、日本軍は質素剛健で強い(はずだ)という過大評価があり、米軍は贅沢に慣れきって弱い(だろう)という完全に間違った思い込み・過小評価をしていたから。

A 回答 (7件)

 (1)歴史学者を称する連中の逃げ。

二度と起きないだろうから、分かっても仕方ないという思考停止。要するに想像力のなさを隠すため。
 (2)検証・分析が浅いとあと知恵にしかならない。当時の人たちが外界をどう観ていたかの理解がない。
 (3)ようくあること。組織や制度上の問題を個人にすり替えて流してしまう。いまと同じ。
 (4)ハルノートはアメリカの手口。相手に先に手を出させるテクニック。トンキン湾でユーゴスラビア内戦で、イラクのクェート侵攻時。いたるところでやっている。ただし、アメリカが元気なときだけ。
 (5)現実には日米の摩擦は中国市場の取り合いという面が大きい。(米系のスタンダード石油が日本の企業に遮られた影響は無視できない。)
 (6)(3)と同類。イデオロギーを振り回されると、論理がなくなり印象だけで判断する。いわば思考停止
 (7)衰退しつつあるとはいえ、イデオロギー中心で考えているので、(6)と同じになる。(イデオロギー中心ということは、論理ではなく、あくまで初期の信仰。つまり「神国日本」「文明は未開を助けるべし(=植民地は神の意志)」「神の意志を実行するものは白人でなければならない」)
 (8)信じてはいない。思考停止していたから、なるようになるさ、と思っていただけ。(現実には、終戦間際フィリッピン近海で、米艦隊が台風の直撃を受け大損害を受けた。)
 (9)そのとおりだが、思考停止状態ではそういう発想にはたどり着けなかったとおもわれる。
 (10)上記と同じで、勝つか負けるかということだけに意識がいって、「負けない戦略」や講和へもっていくにせよ、そこへいたる戦略がまったくできていなかった。要は思考停止と烏合の衆による小田原評定。結果は個人になすり付けておしまい。
 (11)ほら話の一種。こちらがコントロールできない事柄を都合良く解釈しているだけ。そもそもどのようなことが勝利なのかさえ、まったく理解していなかった。要は「アジアのことはこちらでやるから口を出すな」程度の話。
 (12)個人か組織(制度)の二者択一で、どちらかを選んでいるだけ。思考停止の一種。

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 当時のイデオロギー中心の世界観は、国として人ををまとめるための方便。たとえば創世神話を土台に、「われわれは~人」だから「このように行動しなければならない」という意識に取り付かれたまま、自らの世界をただ広げようとした時代。その昔のように人口もさほど大きくなく、輸送手段も限られていた時代ならともかく、この時代は膨大なヒト・モノ・カネが動員できる、史上まれな時代だった。
 そういった巨大システムに忍び込んだのが「神の世界を実現する」というイデオロギー。そこから未開に知識をおくり、より(われわれ白人のように)神に近づくように啓蒙するという考えができる。(昔のキリスト教のヒエラルキーは神の下の人間というのは、白人のみ。もっと昔には女はだめだった。その人間の下、つまり獣の類に有色人種が入っていた。)
 別の言いかたをすれば、キリスト教徒で白人でないものは、すべて異教徒。異教徒は神に従わせるために絶滅させて一向にかまわないという結論が導きだされる。それが戦争の土台になり、さらには、列強に追いつき追い越せの日本も、同じようなスタンスで事に当たった。(もちろん、日本人個々人は宗教性を意識したわけではない。しかし当時の「土人」という言葉にあるように、その他のアジアを上から目線で観ていたことは間違いがない。)

 だから日本独自の論理ではなく、白人国家の論理、そしてイデオロギーに載っている限り、戦争は回避できなかったと思われる。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

それこそ、ifになりますが、もし、東条英機が 信長や秀吉や家康だったら どんな決断をして どんな
作戦を立てていたと思いますか?

お礼日時:2014/01/10 11:36

まずあなた(あるいは現代人)の想像する最悪の事態というのがあまりに甘いのではないでしょうか?


当時の日本がおかれた状況からしたら、少なくとも史実で起こった事態は最悪どころかかなりましな展開でしょう。
半分近くの領土を奪われたとはいえ日本は独立も保つことができたし、天皇も存続しています。
国家を解体されることも他国の植民地として搾取されることもなく無事日本が存続できたのは、黙って屈服せず戦った結果ではないでしょうか?

最悪のシナリオを想定外に置いているのは当時の日本人や指導者ではなく現代の日本人だと思いますよ。
中国が植民地になり世界中の後進国の人々が奴隷扱いされ、そんななか必死に独立を守り勝ちえた時代の危機感を現代人が想像するほうが難しいのは当然かもしれませんがね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

最悪の事態は #6さんのお礼でも一部言及しています。

>半分近くの領土を奪われたとはいえ日本は独立も保つことができたし、天皇も存続しています。
国家を解体されることも他国の植民地として搾取されることもなく無事日本が存続できたのは、黙って屈服せず戦った結果ではないでしょうか?
元寇、日露戦争と 日本は危機的な状況でも奇跡的な幸運に恵まれてきましたが、太平洋戦争では負けてしまいました。しかし、ルーズベルトが急逝し、戦後日本が目覚ましい発展を遂げられたのも、奇跡的な幸運かもしれません。

お礼日時:2014/01/10 15:16

 no.5す。


 東条の時代と戦国時代との決定的な違いは、官僚制の厚みの有無。東条のときは、いまよりひどい官僚の群れがうごめいていた。そのため首相といえど、その意のままに組織を動かせたわけではない。戦後の政治を観ても分かるように、首相の政策や公約が官僚に妨げられた例は数多い。特に戦時中は陸海軍が政治を牛耳っていたため、ほとんど政策とは言えないことばかりやっていた。
 戦国時代の官僚群は、そのまま諸大名の配下がになった。(え~っと、うろ覚えだが大河ドラマで、緒方直人がやっていた信長のイメージ。つまり「~の件を任せるから、しっかりやるように。」という命令形式をとる。)さらに大名というのは武士集団のトップ。いわば軍事。上意下達はお手の物。そのためトップの意思がほとんどダイレクトに下に伝わる構造をもつ。
 なので仮に入れ替えられても、答えはほとんど夢想になるが。
 無理矢理想像すれば。
 鳴かぬなら 殺してしまえの織田さんなら、おそらく本営を狙う。そのために周囲の諸国を懐柔しつつ、相手の拠点をすり減らす。あるいはルーズベルト暗殺。(当時はホワイトハウスに通勤していたので、しっかり準備できれば可能性はあった。)
 鳴かぬなら 鳴かしてみせよの秀吉君は、兵糧攻めの巧者として補給線遮断がメインか?つまり通商破壊戦。対米では潜水艦によるハワイ以西への攻撃。東南アジアでは中国への援蒋ルート遮断(南からの打通作戦もありか)。同時に日本海に艦艇による封鎖ラインを引いて、完全管理をおこなう。このことで潜水艦の心配なく中国沿岸と往来ができるようになれば、両岸を一体的に使えるようになる。そうなれば資源がほとんど無限に使える道が開ける。(ちなみに中ロ国境近く、松花江にある原子力研究所は日本陸軍がつくったもの。)
 鳴かぬなら 鳴くまで待とうの家康さんは、目立たないだろうが調略に力点を置きそうな気がする。つまり大使節団を送り。大掛かりな宣伝戦とロビー活動でアメリカの世論をなびかせる。(蒋介石の嫁さんの宋美齢がやったのがこれ「かわいそうな中国人を助けてください。」と、その実、株でひと財産作った。)この使節団は、日本の艦隊を動員して、アメリカに現用の武装を見せつけておく。名目は日系人排斥に対するクレーム。対中国では共産党系と国民党系の対立をあおって、国内を分裂させる。満州国を活用して、親日派の逃げ場にして、対ソ対中国の緩衝地帯にする。どこかに隠れているソ連の白軍系の連中を探して、対ソ侵攻軍を編成するのもいい。
 もうひとつ、併合されるまで独立国だったハワイ王朝との政略結婚には、ありがたくお受けして。ハワイに海軍基地を設置するのは必須。これで対米拠点ができる。
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この回答へのお礼

再度回答ありがとうございます。

>あるいはルーズベルト暗殺。(当時はホワイトハウスに通勤していたので、しっかり準備できれば可能性はあった。)
ルーズベルトの暗殺に成功しても日本に勝機はなかったと思います。現に、ルーズベルトは病死していますからね。でも、ルーズベルトが死ななかったら、それこそ日本が消滅して、北は セベルナヤ・ヤポーニヤ共和国とか言う名前で ソ連の一部になり、南は サウス・ジャパンという名前で アメリカの植民地か準州になっていたかもしれませんね。

>同時に日本海に艦艇による封鎖ラインを引いて、完全管理をおこなう。このことで潜水艦の心配なく中国沿岸と往来ができるようになれば、両岸を一体的に使えるようになる。そうなれば資源がほとんど無限に使える道が開ける。
当時の日本の軍隊も そういう構想はあったと思いましたが。

>鳴かぬなら 鳴くまで待とうの家康さんは、目立たないだろうが調略に力点を置きそうな気がする。
私も家康が一番したたかな戦術を練れるような気がします。

お礼日時:2014/01/10 14:51

>(5)日本は倒幕、または黒船到来の時から いずれアメリカと衝突する宿命にあった。

宿命は誰にも変えられない。

これにやや近いですかね。ただ、違うとすれば「日露戦争以降」ということになると思いますけれども。

当時のアメリカにとって、日本というのは「いつかどこかで叩いておかなければならない国」でした。
私もここでよく書きますが、アメリカっつうのは恐ろしい国で、本気でこの国と戦争すると決断したらねつ造だろうがなんだろうがなんでもして開戦してくる国なのです。その例の枚挙にいとまはありませんが、分かりやすい例をあげれば、先だってのイラク戦争でアメリカが散々フセインに対して「出せ」といった「大量破壊兵器」なるものは存在しませんでしたし、アメリカがベトナム戦争へ介入するきっかけ(口実)となったトンキン湾事件もねつ造であったことが明らかになっています。

とはいえ、アメリカが本気で介入したいと思っていた相手は実は対ドイツ戦でした。英独戦争に介入する口実としてナチスドイツと同盟をしている日本と戦争状態になるのは参戦の口実としては絶好だったんですよ。
だったら、ナチスドイツと同盟をしなきゃよかった、となりますね。実際問題、当初はあまり日本とナチスドイツとの関係は良好とはいいがたい関係でした。今それを知る人はとても少ないのですが、実はナチスドイツは日本と戦争状態にあった蒋介石を支援していたのです。ゼークトさんという大物軍人を顧問として派遣しましたし、蒋介石軍の教育もしました。上海近辺にはゼークトラインという要塞線があって、そこの中国軍の装備は日本軍より優れていたくらいだったんです。
じゃあなんで日独が近づいたのかというと、間にあるソ連が力をつけてきたからです。意外に思うかもしれませんが、当時は重工業力、生産能力にしても質においても日本はソ連に及ばなかったんです。鉄の質は日本製よりソ連製のほうが良かったんですよ。それで、当時の日本というのは繊維業を中心とした軽工業国だったんです。日本は世界恐慌で大ダメージをこうむったのですが、その一方、恐慌に巻き込まれなかったソ連は五ヵ年計画というやつでめきめき力をつけてきたのです。それを背景に軍隊が急速に近代化してきたのですね。で、その質においても量においても陸軍(関東軍)はソ連軍に勝てなくなってきたのです。

ノモンハン事件というをご存知ですよね。ソ連軍と日本軍が満州国境地域で紛争を起こした事件です。このとき、日本軍はソ連軍の戦車が強力であること、大砲がその質においても量においてもいかんともしがたい差があることを思い知らされるのです。
ここに、工業力の差が出るのですが、ノモンハン事件では日本軍はソ連軍の砲撃に圧倒されたんです。で、同じ口径の大砲を比べても、日本軍の大砲よりソ連軍の大砲のほうが射程が長くて威力があるんです。
なぜかというと、ソ連軍の大砲の方が同じ口径でも砲身が分厚くて重くて頑丈なんです。砲身が分厚いからそれだけ強力な火薬が使えます。強力な火薬が使えれば威力のある重い砲弾を飛ばせるし、射程距離も出る。だったら日本軍も砲身を分厚くすればいいと思うところですが、品質のいい鋼鉄が作れないからそんな分厚い砲身なんか作れないのです。

話しが横道にそれました。で、シベリア駐留のソ連軍は日々強力になっていて、しかも数においても日本軍を圧倒しつつあったんですね。日米開戦前の1939年時点で、ソ連が単独で満州国に攻めてきたら日本軍が勝てる可能性ははっきりいえばありませんでした。だから危機感をもった陸軍と日本政府はソ連への対抗のためにスターリンの不俱戴天の仇であるヒトラーに近づいたのです。
だから、独ソの間で不可侵条約が締結されたときに日本の平沼内閣が「欧州情勢は複雑怪奇」という言葉を残して倒れたのです。これ、今の日本でいえば尖閣諸島問題でアメリカが日本の味方になってくれると思ったら、アメリカが中国と不可侵条約を結んじゃったようなものです。

日露戦争において、国力においてはるかに優れていたロシア帝国に対抗するために日本はロシア内で工作をしました。明石大佐が有名ですね。その明石大佐が支援したのが他ならぬレーニンでした。明石大佐の工作なくして日露戦争の勝利はなかったといっても過言ではないでしょう。ロシア国内情勢が不安定になったので、ロシア軍は装備に優れたヨーロッパ師団を対日戦に使えなかったのです。
しかし、そのためにロシア革命が起きてやがてソ連となって日本の前に立ちはだかるわけですから、明石大佐がレーニンを支援しなかったら日露戦争で負ける、レーニンを支援したらノモンハン事件で負ける、となかなかに究極の選択だったんですね。

もし日本が日独伊三国同盟をしないでヒトラーの戦争を傍観していたらどうなったか。おそらく、ヒトラーが片付いた後に米英連合軍によってひどいめに遭っていたことでしょう。
そんなことだったら、そもそも軍事拡大しなきゃよかった、と思うでしょ?実際に大正時代には軍縮していました。ところが、あの昭和初期の軍事拡大は「不況脱出の公共工事」だったのですよ。世界恐慌で日本は輸出先がなくなりました。当時の日本は綿花を輸入して生糸に加工してそれを欧米に輸出してメイン産業としていたのです。繊維産業を自動車産業に変えれば今の日本と同じです。だけど世界恐慌でアメリカもヨーロッパも買ってくれない。リーマン・ショックの不況と同じです。
そこで陸海軍から民間企業へ発注することで懸案の重工業の発達と不況脱出の一石二鳥を狙ったのです。そして、それは成功したのですよ。ちょっと今手元に資料がないのですが、日本の鉄鋼生産量は劇的なまでに向上したんです。そして、鉄鋼生産量が上がったので職人さんの所得が増えてその職人さんがあちこちで遊んで、確かに日本は景気が良くなったのです。つまりアベノミクスだったんですね。
ところが当時の日本は外貨がなかった。今の日本と違って外貨準備高が少なかったんですね。その程度の経済力しかなかったのです。で、限られた外貨を何に使おうかとなったときに結果として軍事力に繋がる重工業の原材料費購入に回したのです。一方、生糸生産のための繊維業の原材料費購入は減らしました。両方買えるほどの金はなかったのです。なにしろ国民に舶来品の購入を控えるように呼びかけるほどだったのですから、涙ぐましい。
戦前の日本は、自家用車なんて夢のまた夢だったのです。自動車生産台数は、イタリアのほうがはるかに多かったのです。信じられないでしょうが、戦前はイタリア人のほうがマイカーが買えたのです。
ちなみに戦前の日本は、食料輸入国でもありました。ソ連やアメリカがやるような、トラクターを使っての大規模農業ができたのは満州の一部だけで、ご存じのように日本国内は小さい田畑がほとんどですから、生産効率も悪かったのです。トラクターでぐわーっと開墾して、肥料と農薬をぶわーっと撒いて、ドカーンと生産するってことができない。自動車やトラクターが普及していないから、運転できる人がほとんどいない。だから戦車を操縦できる人も、トラックを運転できる人も少ない。ましてや整備工となるともっと足りない。飛行機の整備士だって必要ですしね。そうなると軍隊の近代化も遅々として進まないわけです。ソ連は農業用トラクターを運転できる人がいっぱいいたからあれだけの大量の戦車が動かせたわけです。アメリカ人はみんな車が運転できたから、どこへ行くのもジープで行けたわけです。前述の重くて大きな大砲は車でけん引するしかないんだけど、トラックの運転ができる人がいなけりゃ使えませんわな。だから日本軍の大砲は「人か馬で引っ張れる重さで」となる。そうなると砲身を薄くしたり部品を小さく軽くするしかない。質の悪い鉄で小さく軽く作るんだから余計に耐久性が悪い。耐久性が悪いから強い火薬は使えない。強い火薬は使えないから射程も短くなるし砲弾の威力も小さくなる。嗚呼。

そうやって軍事的な面だけじゃなくて、主に経済面から見ると「ほとんど選択の余地がなかった」といえます。これは別に当時の日本に限った話じゃなくて、例えば幕末の徳川幕府とか、古くはローマ帝国に至るまで、国が滅亡に至る過程では「だったら他に何か方法があったのかといくら考えても、ない」ってことがよくあります。「歴史にIFはない」というのはそういうことなのです。

今の中国は明らかにバブルだし、すでにバブル崩壊は始まっていますよね。きっかけは鄧小平の改革開放路線だったわけで、今の中国をいくらソフトランディングさせようとしても市場(国民)が熱狂していますからとても難しいですよね(今の中国政府はそれを必死にやろうとしているのですが)。しかし鄧小平が改革開放路線をしなかったら、天安門事件で不安定になった国内情勢を立て直すことは不可能だったでしょう。無理に国内を抑え込めば天安門事件を越える大事件が起きて人民共和国が崩壊する恐れもありました。
つまり中国政府は、改革開放すればバブルが起きて経済が暴走する、開放しなければ国民の不満が溜まって国内情勢が暴走する、というところにあったともいえますよね。

歴史好きって、算数が苦手な人が多いから、経済にはおそろしく疎いんですよ。だけど歴史を実際に動かしてるのは主に経済、金の問題なんですね。なんとなれば、軍隊が動くだけでも金がかかりますからね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/09 19:25

8・10・11・12



負けた後に身を捧げるのをグッドルーザーといってそれきりの日本になってしまった麻生系の反日外務省は戦前も戦後も無能で日本の評判を地に落とす世界史上最低の大馬鹿役人集団でしょうね。天皇も外務省がお嫌いなはずです。ジミーは韓国人遺族の隣に座らされて映画「きみを忘れない」を試聴させられました。
国力がないのは今も昔も公務員が馬鹿集団で、公務員に決めさせているからです。その馬鹿公務員の権威を保守している有権者の民度を目の当たりに感じない人らの考察なんて無意味です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/09 19:24

太平洋戦争は欧州の戦争と不可分と思われます。


当時の状況からヨーロッパ・アメリカのアジア侵略は植民地政策の一環であり、間違えば日本も植民地にされる状況にあったと考えるのが一理あると思われます。
ヨーロッパ・アメリカの植民地政策にアジアで唯一反論していたのが当時の日本です。
戦争はいずれにしても不可避だったのでしょう。
いずれにしても勝てば官軍です。当時の状況を現在の状況で判断はできません。
A級戦犯はA項目戦犯(平和に対する罪:戦争が終わってから作成された罪です)と呼称を変更するぐらいでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/09 19:24

ヤケクソでええやん。


戦争なんてやる前から勝敗が決している場合が多い。遡れば、日清-日露戦争あたりからおかしかったのです。
今も昔も、戦略と戦術が理解できていないのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>今も昔も、戦略と戦術が理解できていないのです。
昔は根性論と運任せだったでしょうからね。今はどうなんだか。

お礼日時:2014/01/09 17:30

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