信長は三間長柄鑓、三間半柄鑓の装備を軍令化したのか?
また出来たのか?
戦国期の各地の侍の武器の携行規定で
武田信玄の甲斐の場合
『甲州法度之次第』第廿条に「天下戦国の上は、諸事をなげうち武具の用意肝要たるべし」
とある、何か用意すればいいのであって細かい規定はないようだし
軍令化なんて、とんでもハップン?
信長の『信長公記』には、
「竹鑓にて叩き合いを御覧じ、兎角、鑓は短く候ては悪しく候はんと仰せられ候て、
三間柄、三間々中柄などにさせられ」とある。
決して三間々中柄一本に統一したわけではないようである。
反対に遠藤に宛てた手紙には
「なおもって人数の事、分際よりも一廉(ヒトカド)奔走簡(肝)要に候、
…人数之事、老若を選ばず出陣に於いては、忠節可為祝着候」と、
人数についてだけ要求しており、多ければ多いほどよいとしている。
とにかく大勢で来てくれといっている。
つまり、そのつど員数を指示していたような状況下(肝心なのは人数)で、
どうして織田家(家来筋の)が武器を統一できるのだろうか。
親父の信秀の時代は寄せ集め集団行動で、束ねる力があったことは事実だろうけど
織田家が武器の統一(軍令化)ができるのは、
信長自身が武器・武具を支給する足軽隊(親衛隊)だけであったろうと考えるのが普通?
(この700~800のいつでもすくに戦える
トップダウンのコンビニ兵力で国内戦を戦ったようであるが)
現代の国民国家や帝政国家でない限り、
日本の戦国期に全てを制式で揃えた国などというのはなかったのでは?
日本を統一した軍事政権である徳川幕府でさえ軍役規定を持っていなかったといわれている。
さて。
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
>とても鑓ブスマで敵の突進を防ぐ なんてこともできない?
突進というのは騎馬武者の事でしょうか?
槍は前だけに強いので、左右から突撃はしたでしょう。
ただ馬の頭数は日本では少なく、大規模な騎馬隊は組織出来なかったと考えられており、あくまで限定的な戦法だろうとは考えられます。
しかし仮に同程度数の槍兵と騎兵でしたら、騎兵を二つ(複数)に分けて撹乱しての密集突撃を食らわせたら、効果は絶大です。
それに仮に槍衾が騎兵に効果があるとしたら、騎兵は周りを回りながら弓を射れば良いだけです。
騎兵の強さは絶対的に強かったでしょう、・・数さえいれば・・。
モンゴル兵が無敵だったのも、その証明でしょう。
それと槍は突くのではなく叩くものだと江戸初期の雑兵物語に書かれたりしているので、ローマ時代の重装歩兵とは根本的に思想も用法も異なります。
農民兵で殺しあっても食料生産量が落ち込むだけなので、こういう作法だったのかもしれません。
また軍忠状などから読み取れる戦死者は弓による遠戦がメインであった事も伺えます。
>いや、元からそんな組織立った戦闘は戦国期には存在しなかった?
現代の意味での統制は全くありません。
あくまで現場(戦場)を「振る」のが総大将の仕事で、武将は「振られた」現場で仕事をするだけです。
その為の装備も人数も武将の持ち出しですし、特に指示を受けていなければ戦法も自分で考えます。
第一、大規模戦になれば全体を把握する事自体が不可能に近く、また細かい伝令を飛ばしても、本陣から離れた戦場では届く頃には戦局が変化していたりします。
故に総大将は部隊を何処に配置するのが効果的かを見極めるのが仕事です。
>入り乱れての乱戦か 怪我人は思いのほか少なかった とも考察できる?
戦国期の戦闘の多くは略奪が目的の物でした。
決戦は意外と少なく、珍しいとも言えるでしょう。
有名な川中島の合戦も五回中、実際に戦闘をしたのは二次と四次の二回となっています。
基本、生きるのが目的なので、勝敗が覚束無ければ戦闘を避けるのが常識ですし、雑兵は出稼ぎに出ているだけなので、危ないとなると忽ち崩れてしまいますから、博打で戦端は開けませんでした。
実際の戦闘の多くは戦力差を見せ付けて降服をさせ、軍団に取り込むのが基本姿勢です。
そして戦闘以前に謀略・調略を多用し、出来るだけ損耗を避けなければ、勝っても国力を下げてしまえば、意味が無いです。
決戦を多数行ったのはなんと言っても信長で、兵農分離が出来てこそです。
>武器より人数とは 合理的 ということでしょうかね。
これまでの話であるように、力を見せ付けるのが先ずは最初な訳です。
ですので人数は重要でした。
何しろ人数を揃えるというのは、只ではありません。
経済力が無ければそもそも大部隊は組めません。
装備の方が後回しになっていたのが実状のようです。
戦国期は武器の面から源平の頃と比べて、道具が増えた(鉄砲)
ぐらいで大きく戦い方が変化したわけではないようですね。
いってみれば寄せ集めみたいですから、指定や規定をするより
とにかく相手より数の上でたくさん集めて優位に立つ、
(時間がかかるが)ことをまず第一と。
信長以外がそうなら、信長が尾張国内統一戦で自兵の7~800の兵数に他より長い3間あるいは3間半の長槍を持たせたことは
(馬は高価で、よほどの産地か豊富な財力を有する国と、
それらの馬衆の塊に対しての対応が、当時美濃、今川になかったようですから)もっぱら敵の徒士兵へのものでしょうね。
兵の恐怖心を和らげるものでもあったのでしょう。
練兵の折り、信長はチェッと舌打ちしながら、長くしてやるからビビるなとでも いったんでしょうか
No.3
- 回答日時:
>決して三間々中柄一本に統一したわけではないようである
おっしゃるとおりで、発見されている資料で「全軍が統一された」と記載されているものはまったくないんですね。だから、残っている他の資料などから推測すると「全軍が統一されてはいなかったでしょうね」ということになります。
>日本の戦国期に全てを制式で揃えた国などというのはなかったのでは?
おっしゃるとおりで、戦国期どころか幕末でも各隊で装備はバラバラでした。装備が統一された軍隊というのは我が国においては大日本帝国陸軍の成立まで待たねばなりません。帝国陸軍創設の前に御親兵というのが作られるのですが、まあ天皇の直轄兵です。これが統一装備による近代軍の始まりなんですが、しかしその中身は薩摩兵のしかも武士階級を中心にした兵で、これを国民軍とするのはそれはそれは大変な生みの苦しみがあったんですけどね。
No.1
- 回答日時:
>日本の戦国期に全てを制式で揃えた国などというのはなかったのでは?
その通りです。
日本の大名の家臣団の統制形態と運営形式は「分権型」による「合議制」が主でした。
家臣それぞれが領土経営をして、国家を形成していました。
中央集権制では無かったので、予算も権限も一極集中は出来ませんでした。
ですので、兵を用意するというのは、装備も含めて、それぞれの領主の裁量の元になります。
十分な予算を用意出来る領土、若しくは経営をしていれば、「赤備え」等が可能でしたが、それはそれだけ予算(力)かある部隊ですから当然(動員)人数も多く、軍事力が自然高くなるのも当然でしょう。
携行武器の規定がないとすると
鑓ひとつとってもバラバラということになるし
とても鑓ブスマで敵の突進を防ぐ なんてこともできない?
いや、元からそんな組織立った戦闘は戦国期には存在しなかった?
多少統率はとれていたとしても、源平の1対1の戦に近いか、
入り乱れての乱戦か 怪我人は思いのほか少なかった とも考察できる?
武器より人数とは 合理的 ということでしょうかね。
ありがとうございました。
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