「みんな教えて! 選手権!!」開催のお知らせ

小学生5年の子供が自分から塾に行き始めました。
自分から行き始めたきっかけは、
勉強への意欲が増すとともに
学校の授業が面白くないと思ったからでもあります。
小学校の先生は、教え方が面白くないそうです。

クラスの子の生活面やもめごとなどがきっかけで
説教で授業がつぶれることもあったそうです。
塾の体験に行かせてみたら、
他の小学校の子供がスイスイ解いているのを見たり、
授業の内容から、
自分の学校の授業が遅れていることにも気が付いたそうです。

子供は算数が得意なのですが、
特に難しい問題に挑戦するのが面白いらしく、
学校の宿題のプリントがあまりにも簡単で
やる気をなくすと言っていました。

簡単な問題を解くのは面白くなく時間を無駄に感じるそうです。
塾に行くことで、勉強意欲が増すのは良いことだし、
頑張る気持ちは大事ですが、
学校の先生はレベルが低いのか?と疑問も感じます。

小学校は生活面を見ながら授業も行うので、
大変さはあるとは思いますが、
塾に行って、勉強がこんなに面白いとは知らなかった!
塾に行くのが楽しみだ!
と言う子供を見て、
学校の授業がなぜそんなに面白くないのか疑問です。

それでも学校の勉強も大事だし、先生も一生懸命なんだよ。
と子供には言っていますが、
なぜ公立の小学校は勉強を面白く感じさせる授業が行えないのか、
先生自体も、教育大学に勉強をしに改めて行くこともあるようですが、
もっと民間の塾の先生の教え方を出来ないのか、
同じ先生なのになぜこんなに子供のモチベーションが違うのか
疑問です。
学校の先生は教育現場で視野が狭くなって、
加えて無意味な研修が多いのではないでしょうか?
教えることに意欲がないと言うよりも、
今の教育現場は何かが違うのではないでしょうか。
参考意見を教えてください。

A 回答 (7件)

先に丁寧に回答されている方がおられるので、簡単に…



塾と学校では、そもそもスタンスが違います。
塾は お勉強>人間力
学校は お勉強=人間力
という感じでしょうか。

生活面、人間関係などの社会性(人間力としましたが)も学校では大切な教育内容となりますが、塾ではそれよりも勉強です。その子1人のために授業が中断されるくらいとなれば、退塾もありえます。

学校に、ある一定レベルを求めるのであれば私立をお調べになると良いですよ。

我が家は質問者さんのように感じ、中学は私立を選びました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうですね。塾と学校は子供にとって違う影響力がありますね。
子供自身が、私立に行きたい気持ちがあるようです。
学力偏差値も良かったし、理解力もあるので、
向いているかとも思うのですが、
私自身、中学までは地元の子供たちとの交流も大事とも思います。
親として子供にとって良いのはどちらなのか、
悩んでいますが、
中学受験をする気持ちで取り組むことは応援しようかと思います。

お礼日時:2014/04/12 20:10

 コメント拝読させていただきました。

おやおやと感じる部分もありました。
質問者様も「辞書引き学習」をご存知でしょう。小学校の三年次以後で扱う学習方法です。「知らない言葉」が出てきたら、「辞書を引くこと」で意味や言葉の使い方を知り、同時に同義語や反対語へと展開させていく、オーソドックスな学習法です。
 なぜこの様な学習法がここまで使われてきたかといえば、子供にとっての知的好奇心を引き出す目的と同時にそこから更に深化させていくことをねらいとしているからです。
 理科の実験をすることは、実験によって何がどう変化したか、なぜ変化したかを「実際に検証して確かめてみる」ことと同時に教科書の説明とは違う結果が出てきたなら「なぜ違っているのか」を考えさせるとの意味もあります。最初から「答が一つしかない」と憶え込ませることと、「こうだから、こうなると説明できる」ことでは180度の違いがあります。
 公文で勉強していたとありますが、確かに公文にはメリットもデメリットもあります。僕が「これは少しおかしいね」と感じた設問もあり、それは井伏鱒二の『山椒魚』を題材とする設問でした。実際の『山椒魚』には終わり方によって二種類があります。それを説明しないままに「終わり方」を出題するのでは、読解力の形成にとっては最悪の結果すら招きかねもしません。「答は一つしかない」と同じプロセスを踏んでいるからです。

 数学と算数では性質が逆です。算数が具体的な事象で説明するベクトルを持つことに対し、数学では抽象的な理論形成に重心が移りもします。
 より早く答を出すことができても、それは計算問題での解を求めるパターンに関しては説明もできますが、図形の証明問題ならば、一つの事象に対する答を求める方法が幾つもある場合が多くあります。その何れもが正解であって、これが正解であるとはいえません。同じ連立方程式を解くにも加法もあれば減法や乗法による答の導き方もあり、どれを使おうとも自由です。そうした方法論も学校ではキチンと扱いもします。それは指導要領に記載されているテーマですから、それを外すことはありません。
 確かに学習塾では、それらを当該学年よりも早い段階で扱いもしますが、それは学校の教員がTeacherであって、Tutorではないからともいえます。スポーツ施設のインストラクターと同じ発想で「個人の到達段階に応じてのメニュー」を組むための自由が許容されているか否かとの根源に行き着く問題です。
 僕は塾や予備校を否定する立場ではありません。むしろ必要悪であって、塾通いがまだ珍しかった僕の子供の頃ならば、個人で大人が読む本を読んだりするなどしての知識の獲得と同じともいえます。
 実際に中学生段階の頃、僕は中央公論の『日本の歴史』や『世界の歴史』に始まり、古典体系や漢文体系をチラチラと読んでもいました。今からすれば異常な子供の1人です。他のクラスメイトが部活でスポーツ競技に打ち込んでいるの比べ、百科事典のカラーページや写真とにらめっこしている姿を想像してみてください。何か変です、違和感があります。こだわりを持つことからすればアスペルガーに近いといえる可能性もあります。
 それでも、この少し変わった子に対し、当時の教員達がどの様に対応していたかといえば、「今度きた、あの転校生おもしろい」との点で一致していたこと、それを殊更に鋳型に嵌めようともしなかったとの部分であり、そうしたことに今でも感謝しています。
 僕自身も中高大、そして塾や通信添削のインストラクターなども経験していて、それぞれの教育課程に学ぶ子ども達に対する対応の仕方も使い分けています。
 「なぜだろうか」との問に対して、先ずは「自分で調べてごらん」と突き放します。答を教える事に意味はないと理解させるためでもあり、先ずは糸口を見つける作業から始めるとの基本姿勢を確実につけてもらうことの大切さを知ってもらいたいとの意図からです。
 その糸口に関しても、調べ方そのものを教えはしません。問題が何を求めているかを先ずは考えさせ、そこから「必要な要素」を見つける作業をさせます。
 公文でも「漢字書き取り」は扱いますが、その漢字書き取りでも文脈に即した回答でなければ意味がないことも教えているはずです。それがなければただの点取り競争に勝つことだけを目的としているにすぎません。
 適切な漢字を書けるということは、文章内容を理解しているとの前提に立ちますから、それは算数の文章題や計算問題での検算と同じです。これらは学校でもきちんと扱ってもいますが、それとは違う解き方もあるよ、そして学校では今は教えていないけれどもこれから扱うよと、前倒し的な形で扱うとの意味で相互の補完性を有するともいえます。この点を評価できない教員は不勉強です。
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この回答へのお礼

再回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/14 21:29

 塾と学校では目的も意味も異なりますよね。

塾は結果が全てです。その結果とやらも「受験に合格させる、あるいは合格すること」です。
 一方の学校の目的はこれよりも幅が広く、そこに集まる児童には多様な違いもあります。理科の実験に興味のある子もいれば、国語の作文で優れた表現力を示す子もいます。
 お子さんが算数に興味を持ったのが、答を出すだけでお終いなのか、それともそこに至るプロセスが多様にあることを知ったことで、数学的発想そのものに関心を持ったのかは定かではありませんが、答を早くそして正確に出せることで他の子供よりも優越性を感じていたのなら、それは算数の面白さとはいえないでしょう。
 なぜこうなるの?との素朴な疑問に対し、こうこうの理由からその様に説明もできるとして道筋そのものに関心を持ったなら、それこそ子供のモチベーションを上手く引き出すことが出きているといっても過言ではありませんが、高い点数を獲ることができて鼻高々になっているなら、あぶないですね。
 小学校の課程なら、算数だけができる子供は先ずいません。国語ができるから算数もできるとのデータも既に出されています。
 もし算数に自信満々ならば国語の問題も解かせてみる必要はあります。もし国語がそれほどでもなかったなら、単に解き方だけを「憶えただけ」との真に始末の悪いパターンとなります。説明ができないならば、論理理解能力を適切に引き出しているとはいえません。歴史=暗記物と勘違いしている受験生と同じです。

 以上は子供の能力に関する問題でしたが、機関としての学校と塾それぞれの違いを知るならば、それが求められる意味及び先にお話ししました目的から検討していかねばならないとの深刻な問題になります。
 塾ならば指導要領との制限も受けませんが、学校は指導要領に縛られて本当なら教えたい項目や方法を現場の教員ならば百も承知しています。それができないだけに歯がゆくそして辛さもあります。
 
 >学校の先生は教育現場で視野が狭くなって
現場教員を擁護するわけではありませんが、したくともできないことと最初からそうした着想を持っていないのでは大違いとも言えます。
 むしろ現場の教員は許される範囲内でギリギリまで「やりたいこと」を実現していて、最初から怠け者などはいません。むしろそうした骨抜きを作るのが「研修という名の行政による圧力」です。
 そうした部分も考えてみる必要が質問者様にはあるとお話しさせていただきました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
子供はもともと国語が好きで、公文を習っていましたが、
国語をがんばるうちに、算数の方が得意になっていきました。
算数の答えを考えるプロセスなども好きなようです。
>答を早くそして正確に出せることで他の子供よりも優越性を感じていたのなら、それは算数の面白さとはいえないでしょう。
と、語っておりますが、
これが出来たら算数の段階ではかなり面白いと思うと思います。
数学に進んでいくともっと意味合いは変わってきますが。
学校の勉強でどれか一つでも面白いと思えるものがあるのは、
今の段階で危険と言えるほどでもない気もします。
算数以外にも、国語・社会・理科共に理解力があるようです。
でも、塾に行かないと
算数は面白いんだ!とまではいかず、
まぁ得意だけどね。という程度だった気もします。
そういった面白いと思える授業が小学校で行えないのは、
塾に行くなど機会がない場合、
勉強ってつまらない。という思いを抱き続ける気もします。
何のために勉強するの?と思う子供が多いのは、
学ぶことの楽しさを感じないからなんだなと、
塾に行った後に目を輝かせて、
行くのが楽しみだと言っている子供を見て思いました。
子供は本来、学ぶことに前向きなのだと。
学校の授業ですっかり勉強への意欲をなくしていたのに、
塾に行って変わりつつある子を見て、
疑問の感じて質問をあげました。

お礼日時:2014/04/14 19:03

大学生の母親です。



子どもの教育は親の責任だと思っています。
学校は、自分の子どものためだけにあるのではありません。
子どもが知的好奇心旺盛なら、それを満たしてあげるのは親の役目だと思っています。
お子さんによっては、その対象がスポーツだったり、芸術だったり様々だと思いますが、それを全て学校(担任の教師)に求めるのは無理ではないでしょうか?

うちの子どもはゆとり教育を受けた世代ですが、教育に真剣に取り組む家庭にとって、ゆとり教育は有意義だと思っています。
学校に縛られない時間を使って、それぞれの家庭が自分の子どもに合った教育を与えることができたと思うからです。
子供が通った小学校はいわゆる実験校でした。
運動や学校行事が盛んで、子どもたちは十分学校生活を楽しんでいたようです。
学校以外にもっと勉強したい(させたい)ご家庭は塾に通っていらっしゃいましたし、スポーツ少年団でそれぞれの競技に打ち込むお子さんも多かったですし、ピアノ、バイオリン、バレエ、各種ダンス、絵画造形、将棋など、お稽古事も多種多彩でした。
言い方を替えれば、各家庭が自分の子どもの教育をしっかりやっていたので、小学校では学校(集団)ならではの行事や討論形式の授業、プレゼンテーションの練習ができたのだと思います。

話は変わりますが、東大合格者ランキングの上位に名前を連ねる有名進学高校の生徒さんにも、現役時代から塾や予備校に通っている方が多いことをご存知ですか?
公立の小学校でも、私立の有名進学校でも、学校での教育はいわゆる基本プランで、それぞれに合ったオプションをつけることが必要なのではないかと考えます。

私自身ピアノを教える仕事(個人指導)をしているのですが、同じ年齢であってもお子さんによって学習能力、成長段階、向き不向きは千差万別です。
生徒さんによって指導法は変わってきます。
集団指導はどんなに大変か、想像に難くないです。

私の子どもも学習塾で指導していますが、生徒さんの能力の差に愕然とすると言っています。
習熟度が高いクラスのお子さんほど意欲も高く、指導も楽しいと言っています。

繰り返しになりますが、子どもの教育を学校(担任の教師)にすべて求めるのは無理です。
今評判の「今でしょ!」のカリスマ先生も、塾(少人数指導)で腕を磨いたそうです。
あの先生だって、習熟度が違う生徒さんが混在するクラスで、全ての生徒さんを満足させる授業ができると思いますか?
教師側の問題もあるでしょうが、自分の子どもにあった教育を親が与えてあげることが一番現実的な対処法だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
お子さんの体験談も交えた意見で参考になりました。
私は子供が二人いますが、
本当は上の子が希望したので塾に行かせました。
勉強嫌いだったのですが、あるときスイッチが入りました。
塾に行き始めて、絶賛していたのですが、
それを見ていた下の子が自分も行きたいと言い始めました。
私は下の子を塾に行かせる気はありませんでした。
理由は勉強に困っていなかったからです。
ほどよく勉強が出来るので、塾に行く必要性はないと思っていたのですが、
どうしても行きたいとの本人の希望で行かせてみたら、
目を輝かせて、
「面白い!!」と言って、今は塾に行くのを楽しみにしています。
力を入れていた上の子より、まったく気に留めていなかった下の子が夢中になっています。
上の子は中学生になり、新しい生活にまだ慣れていない中、
塾も新学期早々始まっているので、
くたくたに疲れている中で夜遅くまで授業があるので、
少し気持ちが前ほどではなくなりましたが、
それでも学ぶことに前向きになるのは、
親としても良いこととは思います。
本当は、その学ぶ楽しさが学校で得られれば、
夜遅くまで塾に行かなくてもいいのにとも思いました。

お礼日時:2014/04/14 16:29

あまりに安易に「学校の先生は視野が狭い」「今の教育現場は何かが違う」などというステレオタイプな感想をお持ちになるのはよくないことだと思います。



学校の授業はつまらないけれど塾の授業は面白い、というのはよくあることですが、それにはさまざまな原因が考えられます。
勉強のできる子にとっては学校の授業のペースは確かに遅いでしょうし、内容も簡単でもの足りないものに思えるでしょう。そういう子にはもっとレベルの高い内容を学習させてあげた方がいいのかもしれませんが、小学校から安易に学力別のクラス分けをしていいかどうかというのはこれまた難しい問題ですし、ひとつのクラスの中で学力によって生徒の進度が違うというのも教える側にとっては大変なことです。基本的なことをきっちり教えるのが学校の役割だというのは否定できないことでしょう。
一方、塾の授業では学校よりレベルの高い問題を解くので、その科目の得意な子がやりがいを感じることもあるでしょうし、パズルを解くようで面白いと思う子も多いでしょう。しかしそれでも前記のような事情で、学校でもそういう問題を解かせるべきだということにはなりません。

また、学校の先生に比べて塾の先生の方が質が高く、面白い授業をしてくれる、というようなことはまったくありません。塾でも学校でも、先生の質は非常に個人差が大きく、学校の先生の中にも生徒をぐいぐい引っ張ってくれるような方もいますし、塾の先生の中にも書かれた解説をそのまま説明するだけでどうしてそうなるのか理解できていないというような方や面白くない授業しかできない先生がたくさんいます。また、学校の先生より塾の先生の方が視野が広い、というようなこともまったくないのです。

あなたのお子さんは算数が得意だったために塾の授業のレベルがあっていたのでしょうし、たまたまいい先生の当たったのかもしれませんが、たったそれだけのことを根拠に「今の教育現場」についてどうこういうのは繰り返しになりますがあまりに安易と言わざるを得ないでしょう。。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうですね、安易な考え方はよくないですね。
学校には子供にとって勉強以外にも大事なことが沢山あるので、
その中で成長することはとても大事なことですね。
子供は確かに算数が得意で、学校でも成績は良かったのですが、
塾に行った帰りに、
興奮しながら算数の面白さを語っていました。
何がそんなに違うのか、見ていないのでわからないのですが、
目の前が開けるほどの面白さで、
塾の時間が楽しみで仕方ないと言っていました。
学校は行くのは楽しいけど、
勉強は面白くないそうです・・。
子供の勉強嫌いは、子供だけのせいではないんだなと。
学ぶ楽しさを感じることは、やはり子供には喜びなんだと
私自身も驚いています。

お礼日時:2014/04/12 20:14

お子さんは出来る方の子なのでしょう。



学校は色々なレベルの子がいます。出来るレベルの子にばかり合わせていられません。一方、塾は塾のスタイルにもよりますが、ある程度のレベルの子に合わせて高めに設定することができます。

宿題などのレベルに関しては、習熟度の違いが言えると思います。


授業の面白さは先生にもよりますが、学校と塾の明らかな違いと言えば、考え方を発表させるかどうかではないでしょうか。

お子さんはある程度解法の仕方がわかっていて応用をやっていきたいのだと思います。しかし先生は基礎のレベルをクラス全員に身につかせたい。考え方を身につかせたい。よって、下のレベルの子たちに合わせがちなのだと思います。それに、一人一人の考え方を見ながら先生は発表させる手順なども考えていたりします。

要するに意見交換の場を多めに設定すること、色々な人の考え方を知る場を設けること、そこが学校と塾の違いなのではないかと思います。少しは塾でもあるでしょうけれど、どちらかと言えば先生が一方的に講義し、問題演習をし、解答するというパターンなのではないかと思います(集団塾ならば)。

学校の先生や塾の先生の指導方法の良し悪しも確かにあると思います。塾の先生の指導の中で、そういう考え方があるのかと気づかせられることは幾度もあると思います。学校の授業でなければ気づけない何かも一方であるとは思いますけれどね。それに、下のレベルの子たちに合わせすぎて、上が伸びないということもあるとは思います。


民間の塾と同じ教え方に合わせることが正しいかどうかはわかりませんが、学校は学校なりに求めていかなければならないことがあるのは確かだと思います。視野が狭いのもあるとは思いますが、学校と塾の違いを見極めなければならないとも思います。もしも学校でやる気が出ないならば、学校は自分以外の色々な人の考え方を知る場、塾は自分の力を高める場などお子さんの中で存在意義を分けてしまってもいいのではないかと思います。


ところで、「授業の内容から自分の学校の授業が遅れている」とありますが、本当に他の学校に比べて遅れているのでしょうか。塾では先取りして内容をやってしまう所もあるので、塾での進度が早くても学校は遅れていないこともあります。他校と比べて遅いのならば間違いはないですが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
確かに塾を学校と置き換えると、
勉強以外に人間性を伸ばせるかと思えば違うかもしれませんね。
友達もできにくいだろうし、遊ぶ約束もしないと思います。
授業の遅れに関しては、
今は学校ごとに力の入れ方を決められるそうで、
同じ塾に来ている他の小学校が、かなり進んでいるそうです。
でも、塾に来ている子だからで、
中にはついていけない子もいるんだろうな・・・。
とは思います。

お礼日時:2014/04/12 20:06

塾の特殊性は:



・「勉強しよう」(少なくとも「勉強しないと親がこわい」)と思っている生徒が集まっている。

・基本的なことは学校で教わっているので,その先から教えることができる。(落ちこぼれた子むけの塾ではない場合)

・塾によっては習熟度別クラス編成をしているので,授業のレベルをある段階に設定しやすい。

・生活指導だ,部活顧問だ,放課後の補導だ,研修だ・・・という教科教育いがいの業務がない。したがって教師に時間的・精神的な余裕がある。

・いくらか冗談を言っても笑って理解して,よい効果をうむくらい知力が高い子が集まっている。

・一般に親が教育熱心で,支離滅裂ないいがかりつけてくるモンスターペアレンツがいない。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
環境の違いも大きいですね。

お礼日時:2014/04/12 20:01

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