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龍馬の暗殺犯は新撰組の今井なんたらと、名前忘れましたが他に数名いたと思いますがほぼ確定しているはずです
なのに、何故龍馬を殺害した犯人は不明で、今でもそれが西郷さん陰謀説とかになっているのですか?

A 回答 (6件)

実際にまだ不明なはずですよ。


質問者さんのいう、見廻組の今井は供述だけだったと思います。
他の元見廻組の人物は今井の腕では坂本龍馬は切れないと言っていた。
その人は新撰組が犯人だと思っていたらしいです。
紀州藩ではいろは丸で揉めましたし、
西郷さんとは新政府の事で意見の違いなどなど
色々狙われていて、これぞという証拠はないみたいです。
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龍馬は薩長連合結成に奔走しました。


その結果、倒幕の見通しが立ったので、幕府を交えた連合政府論者で勝海舟とも昵懇な龍馬は、薩長にとって最早邪魔な存在になったのだと。
犯人、薩長説も有り、はたまた土佐藩の隠密としての役目が終わったので、土佐藩にやられたのだという説もあります。
歴史上の事件は、兎角、闇に葬られがちです。
真相は永久に不明かも知れません。
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実際本当に不明です


今井は囮でしょう

龍馬はメイソンの一員でした
多分グラバーが放った刺客に消されたと思います
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>ほぼ確定しているはずです。



はて?
今井信郎が犯人との話は、確固たる証拠がありません。
韓国と異なり、日本では確固たる証拠がなければ「正しい歴史認識」にはなりません。
今井信郎の自供・供述でも、色々と(確固たる証拠がある)史実と矛盾していますしね。

>何故龍馬を殺害した犯人は不明で、今でもそれが西郷さん陰謀説とかになっているのですか?

先に書いた通り、「この者が犯人だ!」という確固たる証拠が無いからです。
今井説も、西郷さんが「今井の助命」を行った事実からの説です。
確固たる証拠とは、誰が検証しても同じ結果が導かれる事なんですね。
「カラスは、黒い」。日本が検証すると発言しても、韓国政府は非難しません。
「従軍慰安婦」。日本が検証をすると発言すると、韓国全体がお怒りです。
つまり、証拠たる証拠が無い事を韓国政府が認めている訳ですね。
坂本竜馬(龍馬)暗殺犯も、未だ不明なのです。
まぁ、京都見廻組の誰かが犯人と見方は大多数を得ている様ですが・・・。
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理由は簡単。

その当時(幕末~明治初期)は龍馬はただのホームレス。有名人でも何でも無かったので、暗殺犯も彼を斬った事自体、当時は認識して無かった可能性が非常に高く。犯人自身が誰を斬ったのかうろ覚えである以上、そもそも真犯人として名乗りを上げる事など無く、そのまま死亡した可能性が高いからです(当時は立て続けに戊辰戦争など内戦が多発していたし、市中の治安も悪かったので、人知れず死んでいたとしても不思議ではない)。

龍馬がまるで明治維新の立役者かの様な扱いを受ける様になったのは。彼の死後、何十年も経ってからで。しかもその功績が見直された訳では無く。最初に彼の名前が知られるようになったのは、明治皇后の夢枕に謎の武士が立ち語りかけた~という、当時の新聞記事が発端です。時代は日露戦争の時で、常識的に考えて宮中の事が外に漏れるはずは無いので。これは当時の戦争推進派の政府要人達が画策した捏造です。

そこで何故、龍馬の名前の出したのかは不明ですが。逆に考えれば、こう言った場面で名前を使っても、後々に憂いを残さない凡人だったからでは無いでしょうか?その後は、主にエンタメ小説家の司馬遼太郎の創作話を、多くの日本人は真に受けて今に至るって感じですね。
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坂本龍馬が有名になったからではないでしょうか?



暗殺当時の龍馬は、幕府から目を付けられている不逞浪士の一人で、何をやってるかを知ってる人は知ってるけど、多くの一般大衆にはその実体のわからない人物のはずです。

毎日のように、天誅やら暗殺やらが勃発していた幕末の京都では、無関係の人たちから見れば、この暗殺事件も数多くあった事件の一つにすぎなかったのかも知れません。

事件後、間もなくは、その遺留品によって新撰組が犯人とされ、多くの人が新撰組の仕業だと信じたまま維新を迎えますが、明治三年(1870年)、旧見廻組・隊士の今井伸郎が、真犯人はリーダーの佐々木唯三郎以下、自分を含む7人の見廻組・隊士である事を自白した事によって、犯人が確定し、今井は逮捕されます。

龍馬暗殺に関する公文書は、今でもこの時の『刑部省口書』(調書)だけだったと思います。

今井以外の関係者は、全員、幕末の動乱で死亡し、ただ一人生き残っていた今井が自白して刑に服したのですから、この事実だけを見ると、事件は解決した事になります。

ただし、先の回答者の皆さまがおっしゃる通り、供述につじつまの合わない事があったり、証拠が曖昧だったりした事も事実ですから、それが冤罪の可能性もあるわけですが、龍馬が、今ほど有名人では無かった時代には、それが謎として扱われるような事は無かったようです。

しかし、時代とともに研究が進む中、研究者の間では、龍馬が意外に重要人物であった事がわかりはじめ、さらに、当初は死刑だった今井が禁固刑で済んだのには、西郷隆盛が今井の助命のために奔走したなんて事も判明しはじめた昭和三十年(1955年)に、日活映画で、その「薩摩黒幕説」をベースにした『六人の暗殺者』という映画がヒットし、さらに、昭和三十七年(1962年)から新聞に連載された司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の主人公がいかにも魅力的だった事から龍馬人気が上昇する中、昭和四十四年(1969年)に土佐藩の後藤象二郎を黒幕とした三好徹氏の推理小説「竜馬暗殺異聞」が発表され、これがまた話題となってマスコミに取りあげられるようになり、様々な仮説やフィクションがいつの間にか新説となって語られるようになって、今に至っているのだと思います。

もちろん、犯人が見廻組で一件落着というのは、明治の頃の捜査ですから、それが冤罪の可能性もあり、不可解な事がある以上、研究が進むにつれて、謎になっていくのもアリだと思いますが、そもそも、龍馬がここまで有名人で無ければ、研究する人も少なく、話題にもならなかったかも知れないわけですから、質問のお答としては「龍馬が有名になったから…」という事になると思います。

なんせ、本当のターゲットは中岡慎太郎で、龍馬の暗殺は、たまたまそこに一緒にいたから…なんていう説もありますから、謎である事は間違いないと思います。
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この回答へのお礼

すばらしい!!

お礼日時:2014/04/26 10:39

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