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どういうカテゴリにすればよいのかわからなかったのですが。

母の戸籍をとったところ、出生地が”東京市 小石川区茗荷町○○番地”となっていました。
昭和3年のことです。
どこだろうと東京市の地図をネットでみたところ、茗荷谷町は見つかりました。 しかしながら茗荷町は見つけられずわからないのです。
次の年に叔父が産まれているのですが、”本郷区に於いて”という記述です。
引っ越しが多かったと母からは聞いていますので、次男の叔父は”北豊島郡巣鴨○○番地”でその下の叔母はまた”本郷区に於いて”になっているのです。

この時代は申請者の申請のみだったのでしょうか? 
茗荷町はなくて間違いなのでしょうか?
祖父は早くに他界しているので会った事もありませんが、祖父母は教師夫婦なのでいい加減な事は申請はしないと思うのですが、町名の書き間違いはあるかもしれません。

A 回答 (3件)

昔の役場窓口風景など、ご存じない方も多いでしょう。


戦前の役場には、代書屋という今日の行政書士のような人達が居て、申請文書などはこの人達の筆によらないと、窓口で受け付けて貰えない仕組みでした。
受付窓口付近に陣取って、受付机も役場からの貸与かな?
随分横柄に振る舞っていて、気に入らないと書いても呉れない、書いてくれないと申請不能という始末でした。言わば特権的なたかり屋で、役場と癒着していたようです。

この場合、申請者のミスでは無く、代書屋のミスの可能性が高いようです。
代書屋は唯我独尊、思い込みで書類を作成していたし、窓口職員はこれまた独特の独尊主義者ばかりでしたから、職員のミスの可能性もあります。

『祖父母は教師夫婦なのでいい加減な事は申請はしないと思う』が、正解かも知れません。
こんな回答でも幾らか役立てば、年寄りにとっては『命冥加』というものです。
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この回答へのお礼

納得のいく御回答どうもありがとうございます。

代書屋というのは近年まで自動車の運転試験所あたりにあったような。 使った事は無いのですが、以前は役所の前にもあったということですね。
長男の叔父と次女の叔母の出生記録は”本郷区において(以下なし)”なので、本郷区の場合、出生届?はいはい。受け付けましたよ。 という状況も考えられます。
町名とか番地とか確認しないのかな、区だけの表記でいいというのは? 同じ時代で他の場所は違うのに? 
そういう時代と言えばそうなのでしょう。 表記が間違って今まで続いていてもおかしくもなさそうですね。 

No.1の方もNo.2の方もやはり茗荷谷町ではないかと、資料も下さって大変ありがとうございます。
私の言葉が足りなく申し訳ありません。

なにか根本の疑問を汲み取って下さったので、この方をベストアンサーにさせていただきます。

お礼日時:2014/06/07 13:25

ざっと調べたところ、茗荷町は


http://shinjoh8m.web.fc2.com/jin.tsugaruh.html
にあるだけの様です。

東京市小石川区地籍台帳
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1445086
172pをみると茗荷谷町69が津軽家のものになってますので、上の茗荷町は茗荷谷町と思われます。

書き間違えなのか、茗荷町と書く(言う)習慣があったのか、などは分かりませんが。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。
成る程、茗荷町の表記はあるのですね。
茗荷谷と思っていたところ、よく見たら茗荷町だったもので。
祖父が申請人なので茗荷の○○と言った可能性もあります。
表記まで調べていただいて、大変ありがとうございます。

お礼日時:2014/06/07 12:31

    下記で調べた所では


    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%9F%B3% …
    1878年(明治11年)小石川区が出来た時「小日向茗荷谷町」が出来ています。その後
    1911年(明治44年)「小日向」の冠称を省くことになり「茗荷谷町」になります。

    「みょうが」自体、茗荷を作っていたとか、地のお地蔵さんの「冥加」にあずかるとか諸説あるそうで、下記のように地名等に関してはかなりアバウトな諸説があるようです。
    http://dhweb.mods.jp/tfw_02/y_tfw_myogadani.html

    僕の考えでは教師をなさっていたにしても人間ですから書き落としはあり、「谷」を何かのはずみで、書き落とされたのでないかと思います。都庁の資料室等をお調べになりましたか。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。
私も最初茗荷谷だろうと思っていたところ、よくよくみたら茗荷町になっていたので不思議に思っていたのです。
都庁の資料室ってあるんですね。 どうやって閲覧するのでしょう。 行ってみたらわかるのかな。 そこまで熱心でもなかったのですが、行ってみたくなりますね。
ただ、明治には茗荷谷町の表記のことですので、やはり昭和にはないのかなあ。。。

ところで、茗荷谷、私も用事で拓殖大しか行った事ないのですが色々あるのを紹介されてて面白かったです。 なかなか行かない所です。 あの作者さんは馬喰町には行かれたのかなあ。 馬喰町で働いた事もあり、ある意味面白いですから。

お礼日時:2014/06/07 12:16

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