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証明する論理的な解答が、難しいです。
なんで、こんな論理を証明しないといけないのか、よく解りません。

A 回答 (9件)

図形の証明(初等幾何)を学ぶことは論理的な考え方を身につけるのに非常に効果的ですが、それだけでなく日常生活でも役に立つ場合があります。

これまでの回答には、こうしたあまり身近な例がないようですので、回答者が高校1年生の数学(数I)の教科書に出ていた問題で、その後実際の生活で役に立てることができた例をひとつ紹介します。

それは「映画のスクリーンを最も大きく見る(見込む角度が大きくなる)にはどこに座ればよいか」という問題です。「できるだけ近くに座ればよい」というのはスクリーンの正面に位置することができて、しかもスクリーンの横方向だけを考えた場合です。

下の図のように、高さhメートルのところにスクリーンの下の端がありスクリーンの縦方向の長さがlメートルの場合、縦方向の見込む角度はPのように近づき過ぎるとかえって小さくなります。

結論を先に言うと、スクリーンからの距離dがd=√(h^2+hl) メートルのとき(縦方向には)最も大きく見えることになります。(Qの位置です)これは初等幾何で証明することができます(だから数Iの教科書にあったのです)が、見込む角のタンジェントをd,h,lの関数で表しその最大値となるときのdの値を求めることでも示すことができます。

高校を卒業して40年以上経ちました。現代の職場ではオーバーヘッドプロジェクターなどでスクリーンに投影することがありますが、正面に投影機があったり偉い人たちの専用席があったりして正面に着席できず、両サイドの壁際にしか坐れない場合、この問題が役に立っています。(このときは横方向に最も大きく見える位置です)

数学の図形問題に限りませんが、学校で学ぶことが実社会で「役に立つかどうか」(逆に言うと役に立たないことは学ぶ必要がないのではないか?)というのは発想が根本的に違うと感じます。大切なことは自分で「役に立つように使えるかどうか」で、それはその人の能力というよりも「何か役に立てられないか」という好奇心や意欲によるところが大きいと感じています。
「図形の証明は、日常で役立ちますか?」の回答画像8

この回答への補足

>大切なことは自分で「役に立つように使えるかどうか」で、それはその人の能力というよりも「何か役に立てられないか」という好奇心や意欲によるところが大きいと感じています。

そうですよね、それが数学というものですよね。私は、受験数学の影響が強いです。

「なんだ、この成績は!!、これならどこの学校にもいけない」とか、言われたりして、良い点数さえとればっていう血眼な受験勉強の方法を確立しただけでした。
他にも教師から、勉強姿勢が悪いとか言いつけられたりして、
こうしてれば、良い点採れるとか、まるで試験前の一夜漬けです。

今でも良い点数さえとればっていう強迫観念があります。教師の評価がとても辛かったです。
これだと教師の知的奴隷そのものです。しかし、ここまで点数で評価されたなら、数学を自由に、
楽しむというより、萎縮してしまったのだと思います。

偏差値で評価する教師ばかりで....、私は教師に恵まれませんでした。

補足日時:2014/07/11 01:35
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この回答へのお礼

愚痴ですみません。具体的な例をありがとうございます。

お礼日時:2014/07/11 01:41

 やはり、というよりも予想どおりのコメントが返ってきました。

自身が読書マニアで月に100冊ほどは読むと仰っていますが、実質的には貴方は何も読んではいないことと同じです。
 (数学の)文章題が苦手ということが意味するのは、論理的に説明できない、あるいはそのための手段を持っていないことと同じです。
 それを国語の領域で説明するならば、国語には4つの領域があって、読む力・書く力と聴く力・話す力のグループに分けることができる。そしてこの4つはそれぞれが独立しつつ互いに密接な連関の上に成り立ってもいる。
 ある文章を読んで、その内容を簡潔明瞭にまとめよとの課題があったなら、読む力と書く力を同時に使うこととなり、これが耳から聴いた文章ならば「受け答え」の形になります。
 この2つのパターンが何を意味するかといえば、整理することでその論理を検証すると共に自身の言葉でまとめるとの作業になります。
 読書が趣味ならば、書くことに抵抗のあるはずはありません。それがままならないということは、論理的な物の考え方ができていないとの結論に行き着く以外はありませんよね?
 ということで、「『憶える』より『考えること』」問題の趣旨を的確に理解するための手順を身に着けることをお勧めします。それが「実利を求める者は原理原則に足下を掬われる」との意味です。「読むこと」の意味は、貴方の頭で考えるのではなく、その文章を書いた人の目線で文章を追うとの意味で、別な表現をすれば「文脈を拾う」との言い方をします。
 読んだら、それを適切な言葉でまとめ直す作業をする、そうすれば徐々にですが「文章を読むことの意味」をお解りになることができると存じます。

この回答への補足

しかし、私は、文系で文系の高校、大学を出てます。試験では国語だけ、全て100点満点でしたから、文学は知人の評価も高かったです。
一応、文章を読んで、相手の感情を追って解答しているとは思います。


数学では、他所の人に見せられない点数を出してますが....。

補足日時:2014/07/11 01:40
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ということは中学生ですね。


 なぜなら、ユークリッド幾何学は基本的にすべて中学校で学び終えてしまうからです。
小学校では学ばないし、高等学校では単なる道具であって数学の学問では「解析」に変わります。(解析だとユークリッドで扱えない楕円や放物線なども自在に扱えます)
 ユークリッド幾何学の中で今後の生活で役立つ成果はピタゴラスの定理くらいでしょう。
 地面に直角な線を二本引きたいとき--正確に長方形を描きたいとき、巻尺だけでかける。

 では、なんで中学校で念入りに教えるの???

 それは、物事を論理的に証明していく基本だからです。難しく言うと演繹法

 AはBである。BはCである。よってAならばCである。

具体的な例
[マッチョになるためには筋肉が増えないとならない。筋肉はたんぱく質で出来ている。ゆえにプロテイン(タンパク質の英語)をサプリメントとして取ると良い」
A:マッチョになるためには筋肉が増えないとならない。
B:筋肉はたんぱく質で出来ている。
ここまではただしい。でもそれから
C:プロテインをサプリメントとして取ると良い
 にはならない。なぜなら、プロティンを摂取しても筋肉になるという肝心な部分が証明されていない。タンパク質はアミノ酸まで分解されて消化吸収されますが、それが筋肉にはならない。体は必要と感じたら筋肉を作るために必要なアミノ酸を、食事から取れなくても他から合成する能力がある。運動しなければいくら栄養取ったって筋肉は出来ない。宇宙飛行士、宇宙から帰ってきたら自分の体を支えることも出来ない。

他にも、ヒアルロン酸・コンドロイチン摂ったら関節の痛みなくなる。マイナスイオンは体に良いなど、本当にたくさんの詐欺がまかり通っています。
 きちんと論理的に考えることが出来ない人が多いから騙される。

 幾何学は、物事を論理的に判断できる力を付けるためにとっても役立つ学問です。
 ずばり言うと、理系科目を学ぶためには絶対に必要な学問と言う事です。幾何が出来なくては理系には絶対になれないですが、文系であっても論理的な思考ができなくてはダメでしょう。

 ただ、気かを勉強すれば見につくのか??そうともいえません。君自身、多分幾何が面白くないところを見てそう感じます。

 ひょっとして、小説を読まないのでは???。活字苦手じゃないですか??文章題も苦手なんじゃないかと。

 小説で「時計」と言う単語が出てきたら、柱時計だろうか、腕時計だろうかと頭はフル回転して時計のイメージをつくろうとする。話を読み進めていって、時計の姿が固まっていく。漫画や映画だと作者や監督のイメージが与えられてしまう。それじゃダメですよね。
 本をしっかり読みましょう。そして読書の楽しみが分かるころには、幾何が得意になっている。

この回答への補足

>ひょっとして、小説を読まないのでは???。活字苦手じゃないですか??文章題も苦手なんじゃないかと。

いいえ、私は週一で図書館に通う本マニアです。月に100冊は読みます。趣味は読書ですが、私は読むのは、好きですが、

昔から作文が大の苦手です。文章を、作るのが難しいのです。

宿題で構成をまとめ、自分の考えや物事を客観的にしてみて論じる小論文、情報の選択が下手くそで、いつも自分の考えをまとめる日記や作文、小論文はマイナス評価でした。

そうですね、頭の中で整理するのが苦手なんで、文章問題が頭の中でゴチャゴチャに並んで???が出て、
ゆっくりしか、解けないのです。頭の回転が遅いんだと思います。

補足日時:2014/07/10 20:21
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この回答へのお礼

>よってAならばCである。

A:マッチョになるためには筋肉が増えないとならない。
B:筋肉はたんぱく質で出来ている。
ここまではただしい。でもそれから
C:プロテインをサプリメントとして取ると良い

Aならば、Cにはならないという、証明の意味が私は、よく解っていない様です。ただ、覚えれば解けるかなー、という感覚でした。これでは、中学数学でつまづくのが当然です。

暗記物ではないですね。
とても詳しい解説ありがとうございます。

お礼日時:2014/07/10 21:02

何に付け「君に説明したってどうせ分からないだろうけど、ここはこうしとけば良いんだよ。

黙って言われた通りにしなさい」と言われる人になって良いんなら、やんなくて構いません。

この回答への補足

文系の方には多いですよ、暗記ものがそれに相応しますが、数学では、自分の頭で考えないと解けません。

補足日時:2014/07/10 20:43
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もともと数学は幾何学、つまり図形から発展してきました。


道路、水路、ピラミッド、天皇陵など、様々な建築・土木工事は図形問題そのものです。

たとえば先週の軍師官兵衛では高松城を水攻めするために堤を築きました。
地形状どこに堤を築くのが効果的か?堤の高さはどれくらいか?そのために必要な土嚢の数は?
これらも幾何学の問題ですね。

物を作るには図面を書き起こすところから始まる、というのは現代人にとっては当たり前です。
でもそもそも図面と実際の建築物とは大きさが違います。
大きさが違うものでもちゃんと出来上がるのは相似則があるからです。
我々にとっては一見当たり前のことでも、それは既に証明済みのことだから利用できる知識です。

円周上の任意の点と中心とを結ぶ線分は全て同じ長さになるということが正しいと知っているから、私たちは地図を読んだりできるのです。

日常生活において直接的に図形の証明を行うことは多くの人にとってはなかなか無いことでしょうが、我々は生活の中で疑うことなく行っている多くのことが図形の証明を前提としているのです。

当たり前のことなのだから当たり前でスルーしてもOKだと思いますか?
でも、もし人が科学に対してそういう態度でいたなら、いまでも太陽は地球の周りを回っていたでしょう。
当たり前と思っていることは本当にそうなのか?
それは真偽を証明してみるまでわからないのです。

こういう思考は高等教育を受けようという人にとっては必須です。
大学や大学院に行くというのは証明をしに行くのと同義と言ってもいいでしょう。
そして、証明ということに関して図形問題ははなはだ単純で取り組みやすい題材なのです。
中高生の誰が大学に行くかはわかりませんが、全員にそのチャンスを提供するためには国家としての責務です。

もちろん、「証明しないといけない」なんてことはありません。
イヤならやらなくてもいいんです。
勉強出来なきゃ出来ないなりに生きていく方法はありますから。
ただそれは天動説を信じて疑わなかった知的奴隷のような人生になるでしょう。
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図形の証明問題が日常で役立つかどうかは実感ないにしても、もっと特殊な条件で役に立っていることはなんとなくでも分かりますよね?例えば技術職や研究職です。



でもそんな職に就く確率はほとんどないのに、なぜ全員例外なくこんなことを学ばなければいけないのかは確かに多くの人が疑問に感じてきたことだと思います。



個人で役立てるものではなくて社会で役立てるものだと考えていただけるといいと思います。


もしあなたが日本の政治を担っていると想像してください。

日本が世界で生き残るために必要な力の一つとして、科学技術力があると考えます。
どうやって高めていきましょうか…。

と、考えたときに、義務教育で基礎的な数学を学ぶことが必要だと思いませんか?

なぜなら子供のうちからどんな仕事に就きたいかと決めさせることはさすがに酷ですので、ある程度自立する年齢までは進む道を決めさせられない。でも自立して自分の就きたい仕事を決められるようになってから数学を学ぶのでは遅すぎる。
ならば自立して自分の道を選べるようになるまでの期間、最低限の知識くらい身につけておくことは必要なことだと思うはずです。
その基礎的な知識の一つとして、図形の証明問題を解くノウハウくらいはせめて身につけておいてほしいと思っても不思議はないと思います。

つまり、そのような数学を学ぶ理由はつまるところ「大人の事情」ですね。



そう考えると今回のような質問が出てくることも当然ですし、こんなこと不要だと考えるのも正解の一つです。ただ、それでは正直むなしすぎます。


だから学ぶ理由はあなた自身で見出すのが一番です。
内容はあなた自身が納得できれば何でもいいのです。


論理的な思考を身につけるためでもいいでしょう。自分の将来やりたい仕事を探すため、視野を広げる目的で学ぶのでもいいでしょう。変な話、数学の成績をあげていい大学や会社に入って知的な男性をゲットするためでもいいと思います。
あなたが一番取り組みやすい理由を選んだらいいと思います。

どうせやらなきゃいけないのなら、自分でやる理由を見つけてやりがいをもって学ばれるといいと思いますよ。
あまり回答にはなっていませんが(笑)以上です。
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数学は日常の一コマである。



図形の証明問題は図形の性質を理解
すること、つまり数学の役に立つ。

したがって図形の証明問題は日常に
役に立つといえる。

Q.E.D.
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 それを言ったなら、全ての教科目が役に立たないから必要はないとの極論になるとお考えになりませんか?。


今は「基本的な勉強の仕方の入り口」に辿り着くための準備段階にあるのですから、「発想の仕方」や「論理の検証の仕方」の入門講座を勉強しているとお考え下さい。
 実利のみを求める者は原理原則に足下を掬われもします。近視眼的にならないことをお勧めします。

この回答への補足

しかし、実利を求めでもしないと、投げ出してしまう程、私にとって定理や証明は難しいです。

文章問題をみてるとウンザリしてきます。

補足日時:2014/07/10 20:30
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この回答へのお礼

基礎は大事だと思います。入門でつまづいたらダメですね。ひたすらとにかく読んでみます。

お礼日時:2014/07/10 21:37

基本的に図形の証明そのものが実生活に活きるわけではないでしょう。



ただし、図形に限らず証明というのは、相手に物事を適切に、過不足なく伝えるために必要な技術です。

論理に穴があるにも関わらず、「そんなの当たり前じゃん、常識じゃん」(図形の証明問題なら「相似なんて見れば分かるじゃん」)なんて言うバカにならないために必要です。
また逆に相手の説明を正しく、過不足なく受け取ることを身につけ、適切に論理の矛盾を見つけ、だまされたりしないためにするためにも必要です。

この回答への補足

なるほど!!騙されない為に必要なんですね。

確かに、当たり前だと思ってる馬鹿なところが私には、あります。

穴があるのは、誰かが説明してくれる、してくれない、親切じゃない方がおかしいと思ってました。そんな親切な人世の中に、いないですね。抜け目がなく、賢い人になるためには必要ですね。

補足日時:2014/07/09 00:27
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