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文禄、慶長の役で秀吉は帰国時、朝鮮半島からたくさんの人を連れてきたでしょうか?
仮にそうだとしましと、その方々はどのような仕事に従事したのでしょうか?
なかなか昨今の国際情勢上、センシティブな部分もあるかとは思いますが、あくまでもフラットかつ、プレーンな気持ちでお伺いしているつもりです。どうぞよろしくお願い致します。

A 回答 (5件)

いわゆる強制連行ですね



つれてきた人は技術者が多かったようです
陶器や磁器の職人ですね


そういえばネットの人が言ってましたが
木下さんって朴と言う朝鮮人なんでしょ?
って事は秀吉は朝鮮人

日本は朝鮮に支配されたって事ですね
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

本質問の趣旨からは外れますが、秀吉がおっしゃるとおりのバックグラウンドだったとしましすと、問題は、渡来人がいつから日本人になるのか、というポイントに移るのではないでしょうか? 現在なら、気化して、日本人のパスポートを持っていれば、となるのかもしれませんが、そのようなルールが曖昧な当時、何をもってそう言い切るのか、私はまだまだ勉強不足ですので、掘り下げはこれからになりますが非常に興味深いです。

お礼日時:2014/09/18 10:19

主に陶工や儒家が、日本に連れられて来たみたいですね。



江戸幕府が開かれると、朝鮮との国交を回復し、捕虜の帰還事業も始まります。

概要では儒家は帰国をし、陶工等の職人の多くは残ったと言われていますが、正確な資料は知りません。

ただ陶工等と発言はしましたが、実はちょっと陶工以外の職人は知りません。

朝鮮は貨幣経済も未発達であり、車も無く羊も無く針も無く・・・・。

木桶程度を作る技術も無く、其の為に重い陶器で水を運んでいたりしていたので、陶工はいたのですね。

そして帰還事業が実って、朝鮮との交易も再開します。

交易は対馬藩の独占を幕府は許していましたが、交易品は中国の絹や生糸、朝鮮人参等で、明との交易路の無かった時代には、重宝していたようです。

しかし其れ等の生産が日本国内でも行われるようになって、次第に規模は縮小したみたいですが、続いてはいったようです。


以上の情報を見る限りでは、主に陶工だけで、更には彼らが寄与したのは「磁器」だけのようですね・・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます、大変勉強になりました。

お礼日時:2014/09/18 10:21

補給物資も用意されぬまま、無意味な出兵をやらかしたんですから、


帰還兵の回収だけで精一杯だったのではないかな? 

文禄慶長の役は、明らかなミスです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
他の皆さんのご指摘によりますと、陶工等を連れ帰ったとのことでした。
ご参考まで。

お礼日時:2014/09/18 10:23

サルが連れてきたと云うより、武将のうち茶道に狂った連中が陶器、磁器の窯元を丸ごと移しちゃったと云う方が正確でしょう。


以前から朝鮮半島からの渡来者の数は莫大でした、特に我が国では「特殊技能者」は手厚い保護を受けられ、時には小大名より「格上」扱いになる。
朝鮮半島では両班(貴族階級、知識人)が頂点を独占し、いかにセンスの良い作品を作っても最下層から脱けられない、それに嫌気が差すととっとと我が国に来てしまう、もちろん一応入国審査はあるが、自分の「傑作」を見せれば大名も商人も争って(連中に雇われた奴らの血を見ることも少なくなかった)招き手厚く保護した。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
大変勉強になりました!

お礼日時:2014/09/18 10:24

長崎県の波佐見焼きはご存知でしょうか??


全国的にも有名な焼き物ですが
文禄、慶長の役でつれて来られた朝鮮陶工により
その技術を伝授してもらったのが始まりです。

他にも、多々
朝鮮の先進的な技術が日本に伝えられたのでしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
波佐見焼の湯飲みはポピュラーですよね、某国営風放送局食堂の湯飲みもこれだった気がします!

お礼日時:2014/09/18 10:27

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