「ので」と「ため」の違いを教えてください。

たとえば、「雨なので運動会を中止します」「雨天のため運動会を中止します」という2つの文は、どちらも雨が降ったという理由で運動会が中止になったことを説明していますが同じものと考えて良いでしょうか。

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A 回答 (8件)

たしかに同じような意味に見えますが(また、同じように使うこともできるのですが)、その本質は異なります。


わたしたちは、それらを無意識的に使い分けているので、いざ、その差異を説明するとなると、なかなか難しいというだけの話。
ただ、基本的には辞書語釈をよく咀嚼すれば、大体の差異は見えてくるものです。
ということで、まず大辞泉から確認してみますが、「ので」も「ため」も「原因・理由」という語釈が重複しており、たしかに同じもののように見えてしまいます。
そこで、それぞれの類語辞書を参照してみましょう。
「ので」の場合、類語として「から」が示されており、共通する意味は次のとおり。
「から/ので」
[共通する意味]
★原因・理由・根拠を表わす。
http://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/17210/meaning/ …
「ため」の類語は、「おかげで/せいで/ため(に)/せいか」で、
[共通する意味]
★恩恵、影響を受けて、という意で、因果関係を表わす。
と記されています。
http://dictionary.goo.ne.jp/thsrs/17219/meaning/ …
このように比較してみると、どちらも「原因・理由」という意味は持っていますが、「ため」の場合、【 因果関係 】という要素を含んでいることがわかります。
因みに、「因果関係」とは、
二つ以上のものの間に原因と結果の関係があること。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/16198/meaning/m1u …
「雨(天)のため運動会を中止します」は、「雨」と「中止」の間に因果関係があることを(無意識的に)前提にした上での発言です。
つまり、「雨のせいで(因果関係はご理解いただけると思いますが)中止します」といったニュアンス。
しかし、「雨なので運動会を中止します」は、「雨が原因で中止します」という意図であり、当初から「雨」と「中止」の間に因果関係があることを前提にした発言ではない、という点が異なるわけです。

類語辞書に挙がっている例文でも検証してみましょう。
「下記に転居いたしましたので、一度お越しください」
これを、
「下記に転居いたしましたため、一度お越しください」
と表現してしまうと違和感が生じるはず。
これは、前者においては、前項と後項が原因(根拠)と結果の関係になっているため自然なのですが、後者は、「転居したことと家に来ることには因果関係があるのだから、来るのが当然だ」というニュアンスになってしまうためです。

「遅くなりましたので、失礼いたします」
「遅くなりましたため、失礼いたします」
この例の場合、後者が不自然なのは、「遅くなったことと失礼することには因果関係があるのだから、失礼します」という意味になってしまうため。
「ので」を使う場合は、「遅くなったという事実を考えた結果(あなたに迷惑がかかる原因と認定できると判断しましたので)失礼します」という、本来伝えるべきニュアンスが表現になっているため自然。
このように、本来的に持っている意図が異なるため、同じように使える場合もあるが、どうしても不自然になってしまう場合がある、ということ。
丁寧かどうか、などという問題ではありません。
たしかに、ややこしくはあるのですが、本質から目を逸らさないように留意が必要でしょう。
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追記


・・・・ですよね、って表現思い出しました。
自分自身では断定せず、相手の同意を得ようとする・・・・私に言わせれば無責任路線。
雨なので(当然ですよね)中止します。
極端な例 私のおなかが痛いので中止します、聞いたものは自分が知らないだけで腹痛と中止に重大な因果関係があるのかしら?、と思えばすぐに反論は躊躇するかも。
私のおなかが痛いため中止します、すぐに、なんの関係があるのか、と反論、攻撃にあいます。
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「ため」、続く内容の原因。


「ので」、原因、理由には相違ないが、当然のことながら・・・・順当な判断として・・。
雨なので・・・、受け取る側に、中止が順当な判断・・、という認識が必要です。
雨天のため・・・受け取る側に中止が順当、の認識必要ありません、雨天が原因、理由として中止、何故を考える必要はありません、何故は発表する側の全くの主観でも可能といえば可能です(とりあえずは、後刻問題化はあり得ます)。
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よく問題になるのは、「から」と「ので」の違いです。

これはかなり微妙な問題になり、昔は〈「から」は主観的、「ので」は客観的〉などと言う人もいたようです(いまでも多いようです)。
 現在はそういう考え方は否定され、「一部の例外以外はほぼ同じように使われる」という説が主流のようです。ほとんどの文でどちらも使えるのですから、そのとおりでしょう。こういう話は、どちらか一方が使えない(使いにくい)例で考えないと、意味がないのでは。
 詳しくは末尾のリンク先をご参照ください。

「ので」と「ため」の違いは、もう少しはっきりしています。
 意味としては大きな違いはありませんが、丁寧度で比べるのがわかりやすいでしょう。
 運動会が中止の決定を発表するなら、「雨天のため運動会を中止します」のほうがふさわしいでしょう。こちらのほうが丁寧ですから。
 丁寧度で考えるなら、

  から < ので <<<<<<< ため

 という感じでしょうか。
 もう少しわかりやすい例で考えます。
 ニュースのアナウンサーの言葉として次のどちらがふさわしいでしょうか。

1)豪雨が降ったので電車のダイヤが乱れました
2)豪雨のため電車のダイヤが乱れました
 2)のほうが自然に感じませんか。内容は同じですが、2)のほうが丁寧な印象だからです。これを「フォーマル」と言ってもよいでしょうし、「書き言葉的」と言ってもよいでしょう。
 ただし、「書き言葉的」ではあっても、話し言葉では使えないということではありません。「客観的」と言えるか否か、当方にはわかりません。
 もうひとつ別な例。

3)近所のガキがうるさいので怒鳴った
4)近所のガキがうるさいため怒鳴った
 これは3)のほうが自然でしょう。やや乱暴な言葉遣いの中に「ため」を使った4)は、間違いではないでしょうが、不自然です。

 このあたりに関して、No.4でOKATさんがリンクを張ったサイトの後半にも〈お堅い「ため」〉と書いてあります。そのとおりだと思います。
 ただ、前半の〈主観的な「から」と客観的な「ので」〉が疑問なのはすでに書いたとおりです。
 この問題に関して詳しくは下記をご参照ください。
 長いやり取りですが、No.1(とNo.30)だけ読めばよいでしょう。
続【「ので」と「ため」の違いについて】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8773212.html
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「ので」「ため」に加えて「から」、この違いについて詳しい方がいらっしゃるのですが、必要ならその人のご回答を待ちましょう。

とりあえず次のサイトをご覧ください。

http://www.goodcross.com/knowledge/words/2904-2015
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意味するところは同じです。


ですが、「ので」は主観的、「ため」は客観的なニュアンスを含みます。
「雨なので運動会を中止します」→話し手の考え・感覚で判断したという意味合いが強くなる。
「雨のため運動会を中止します」→客観的に見て、その判断をくだすのが妥当だという意味合いが強くなる。
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「なので」は英語でいえばsinceで、話し手と聞き手にとって既知の情報であったり「地球は自転する」など自明のことであるときに用いる傾向にあります。

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「ので」は話し言葉で


「ため」は書き言葉です。

意味合いは確かに一緒ですが、文章で書くときなど書き言葉で書くと良いですよ!
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おります: 謙譲語、丁寧語
謙譲の「おる」は、あるところに存在している状態をさす「居る」のときに使うものです。「鈴木は社内におります」のような場合ですね。
(ちなみに、敬語は用法であって文法ではありません)

第三の人・モノに使えば、「います」より「おります」のほうがやや丁寧、それだけです。
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 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

こんにちは。
比較的詳しく説明している辞書の語釈を挙げてみます。

さんさん【潸潸】〈形動〉[文]

○静かにたえまなく雨が降るようす。『学研現代新国語辞典』
○雨が静かに降りしきるさま。『旺文社国語辞典』
○しきりに雨の降るさま。『現代国語例解辞典 小学館』
○たえまなく雨の降るさま。『小学館日本語新辞典』
○雨がぱらぱらと降るさま。『角川国語大辞典』

これらから、どしゃ降りではないということはいえそうです。
しとしとと降り続いて、なかなかやみそうにない雨となるのだと思います。
「ずっと続いている」状態というのが、この項目の別の意味「涙を流す」にも共通しています。

それで、『三省堂 新明解国語辞典』には、次のようになっています。

(1)「さめざめ」の意の漢語的表現。
(2)雨の降ることをあらわす。

【さめざめ】苦衷を訴えながら涙を流し声を忍ばせて泣き続けることをあらわす。

(1)の涙を流すことについての“「さめざめ」の意”ということになっていますが、おそらく雨に関しても、この涙にたとえるかのように「悲しげ」なニュアンスが含まれているのではないでしょうか。私の想像ですが^^;

> 「潸々」の意味は辞書で確認しました。「雨の降るさま」となっていますが、それとは、いったい雨のどういう降るさまなのか、

辞書の意味は最初に書いた通りだと思いますが、そこには「悲しげ」な雰囲気があるように私は思います。この部分は私流の解釈ですので、当たっていない可能性も大です^^;
この歌詞の場合は、「不運が我が身に落ちる」ことや「悲しいときにとめどなく流れ落ちる涙」を「潸々と降る雨」とたとえているのではないでしょうか。

久しぶりにこの歌を動画サイトで聴いてみました。名曲ですね^^
「潸々」「散々」「燦々」と使って人生をうまく表していますね^^

こんにちは。
比較的詳しく説明している辞書の語釈を挙げてみます。

さんさん【潸潸】〈形動〉[文]

○静かにたえまなく雨が降るようす。『学研現代新国語辞典』
○雨が静かに降りしきるさま。『旺文社国語辞典』
○しきりに雨の降るさま。『現代国語例解辞典 小学館』
○たえまなく雨の降るさま。『小学館日本語新辞典』
○雨がぱらぱらと降るさま。『角川国語大辞典』

これらから、どしゃ降りではないということはいえそうです。
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