アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

前田利家があと10年、1609年まで寿命があったら徳川家康は天下人になれたでしょうか?
利家がいても、やはり翌年の関ヶ原の戦いは起きたでしょうか?

A 回答 (5件)

家康は天下を取れなかったのでは。


単純に両者の領国の規模を比較すれば断然家康の方が上です。

領国の規模は兵力に直結します。
利家の最大動員兵数を2万5千とすると家康は8万余りで勝負にならないように見えます。
でもそれは単独ならの話で、合戦になればそれぞれに味方が付きます。

利家は諸大名との姻戚関係が豊富で、利家派は毛利(一枚岩ではないが輝元の本音はアンチ家康)、宇喜多、上杉の大老、三成、浅野らの奉行、加藤清正らの一部武断派、と引けを取らぬものであること、利家に万の軍勢を指揮する器量と人望があること、北政所の信任が厚いこと、家康の本領が畿内から遠いこと、さらには傅役として秀頼を擁する「公儀」の正当性を有することから、いかに家康といえども兵力の少ない伏見城にいては大坂城の利家に合戦を仕掛けるのは難しいでしょう。

ただ、利家には野心がなく大博打もしないので、自分から合戦を仕掛けるとは思えない。
秀頼を擁しないという意味で、いざとなれば公儀になれないから、上杉征伐などの無茶振りもできない。
そのため両者にらみ合いの異常な緊張感が続く中、伏見にいては不利な家康が江戸に帰国する。
そのままにらみ合いが数年続いた後、利家が下手に出る外交を行い家康が形の上で帰順する…
そんな展開を想像します。

実際には緊張が最高に高まったところで利家が家康に会いに行くのですが、すでに余命幾ばくもなく、自分がいるうちに何とかしなければ、という使命感だったのではと思います。

利家健在中に合戦にならなければ、利家死去のとき秀頼は15歳前後に成長している。
それから「関ヶ原」になるかどうか…
    • good
    • 1

遅かれ早かれだったと思います。

    • good
    • 1

前田利家が健在でも徳川の天下になっていたでしょうね。

当時の天下取りを目指す大名の中に有って、一際 家康の才覚と情熱は優っていたと思います。

因みに関ヶ原の戦いの時に西軍の実質的な総大将に毛利輝元がなっていたら小早川の裏切りも無かったでしょうし、東軍 家康の勝利は無かったのでは無いでしょうか。
    • good
    • 1

>もし前田利家があと10年健在だったら徳川の天下になっていたか?



なんか意味不明な質問ですね(^_^;
    • good
    • 0

利家がいれば変わるまでの影響力はなかったと思いますよ。



それよりも小早川が裏切らなければ石田軍の勝利と言われています。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!