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戦後、日本はどのように変わったのだろうか。
短文でもいいので少しまとめてもらえると嬉しいです!宜しくお願いします!

A 回答 (10件)

・軍の力が削がれた。

文民統制は良い方向での削ぎ方、軍に対する禁忌感は悪い方向での削ぎ方。
・欧州文化に入れ替わるアメリカ文化の大流入。合理的思考は良い方向での流入。文化、礼節の軽視は悪い方向での流入。拝金主義もこれか?
・財閥の解体。復活したものも形骸化したものもある。復活すべきではなかった売国財閥もある。第一次大戦以降からの傾向だから、第二次大戦後と言えるかどうかは微妙なものの世界規模で席巻できる規模の財閥は無くなった。
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ネトウヨの大将はよく倉山満(くらやまみつる)の動画を貼り付ける。

倉山は憲政史家という珍妙な肩書である。大学院の博士課程まで行ったのに学問的業績が皆無で、学者を名乗りづらい。ネットで珍説を語り雑文をまとめて本を出している。そんなのがネトウヨにとっては大先生らしい。滑稽を通り越して悲惨だ。

その珍説の一つに、明治憲法は先進的だったというのがある。ここではその誤りを手短に説明することで、ご質問の「戦後、日本はどのように変わったのだろうか」の答に代えたいと思う。
例えば同憲法の第3条は、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」であった。これは天皇の神格(神としての存在)を宣言したものではなく、「天皇無答責」(天皇は責任を負わない)を定めたものと解釈するのが通説である。責任を負わないから訴追もされず、それ以前に逮捕もされない。ここまでは誰でも知っている。当時のヨーロッパの君主国の憲法にも、似たような条項があった。明治憲法はそれらを参考にしていた。

しかし、ちょっと詳しく見ていくと、先進国の憲法は「君主の身体は不可侵である」、「国王の一身はこれを侵すべからず」などとなっていた。君主は身柄を拘束されない、逮捕されないということである。
それに対し、明治憲法は「身体」の一語が欠落している。この欠落に気付かない人は粗雑すぎるだろう。天皇の何が不可侵なのか、あいまいになった。身体だけでなく地位や叡慮(天皇のお考え)なども不可侵ということなのか。
しかも、『帝国憲法義解』の逐条解説は下記のようになっているのである。これは明治憲法公布と同年に伊藤博文の名で発行された。伊藤は初代首相というだけでなく、明治憲法制定の立役者でもあった。旧字旧仮名を新字新仮名に改めました。

第三条 〔中略〕其の身体を干涜すべからざるのみならず併せて指斥言議の外に在る者とす

やはり、天皇の身体だけでなく天皇にまつわるすべてが不可侵という感じの逐条解説になってしまっているではないか。要するに明治憲法は先進的ではなく、当時のヨーロッパの憲法より後退しているのである。
ということで、倉山の珍説はあべこべである。一切合財そんな調子だ。ご質問の「戦後、日本はどのように変わったのだろうか」に関して言えば、天皇無答責は変わってない(責任は内閣が負う)が、「指斥言議の外に在る者とす」などということはなくなった。象徴天皇制など天皇の地位について議論しても、戦前のように排撃されなくなっている。
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No7です。



今回は戦後について 少し お話しします。
以下の回答は、あなたが大東亜戦争はアメリカが仕掛けたものであり、日本による侵略戦争ではない事を知っているという前提でのものです。
《これについては、説明すると長くなる事と質問の範囲(戦後の日本)ではないので語りません。
知りたいなら、新しい質問を立ててください》


>戦後、日本はどのように変わったのだろうか。


回答:連合国に洗脳(WGIP)と民主化とやらをして頂いて、日本が嫌いな日本人が増えた。


大東亜戦争で日本から予想外の被害を受けた連合国は、日本を精神の面からも弱体化する為に、戦争中まではなかった「戦争責任」という概念を作り、それの全てを日本に押し付けました。
そして、その思想と方針によって東京裁判で日本の指導者を裁き処刑しました。

その一方で、国民については政府に騙されていた被害者であると宣伝しました。

これらを国民が受け入れた場合、罪悪感からは解放されますが、代償として国に対する信頼を失い、愛国心やアイデンティティを喪失し、以後自虐史観による劣等感を戦勝国に対して抱えることになります。
これにより、連合軍は単なる戦勝国ではなく、悪い政府から助けてくれた正義の解放者になることができ、占領政策や、独立後も影響力を保持できます。

↑の占領政策をWGIP(ウオー・ギルト・インフォメーション・プログラム)と言います。






更にGHQは以下のような「民主化」政策をしています。

A:公職追放(ほぼ日本の指導者の全て)→大混乱
大政翼賛会に参加していた現職議員を大量追放(議員総数357人中322人)
(その後の選挙では当選者の8割が新人)
その他(地方議会、言論、財界)20万人

日本国憲法は、↑のようなGHQの影響下の国会で制定されたものです。
この公職追放は議員だけでなく、学会やマスコミや実業界にも及びました。
GHQはこれによる言論統制を行っています。
現在の学会で力を持っている人の多くは、この時にGHQに協力する事で地位を得ています。


B:農地改革(地主制度の廃止)
国が地主から(強制的に)買い上げ、小作に払い下げる。
地主への補償はなし。(ヒント:財産権は基本的人権)


C:財閥解体
C1:財閥家族(10家族56人)を公職追放
C2:「持ち株会社整理委員会」に株式を譲渡
C3:「過度経済力集中排除法」で企業分割
C4:「独占禁止法」の制定(建前は国民経済の「民主的」で健全な発達の促進ですが、本音は財閥の復活の阻止)
問題:自由競争である民間の経済活動における「民主的」の定義が不明。
(ヒント:マッカーサーはフィリピンに財閥の関係者です。)


マッカーサーは、↑のように日本を「民主化」をして、その功績で大統領になる野心を持っていました。

しかし、その後中国が共産化し朝鮮戦争が起こったことで、戦勝国は共産主義の危険性を自覚し、自分たちがそれらと戦っていた日本をつぶして、軍隊すら持てなくしてしまった事に、今更のように気が付きました。
そして、マッカーサーは朝鮮戦争の不手際で失脚しました。

アメリカは天皇を人質にとって平和憲法とやら押し付けてましたが、↑の事態が起きた為に日本に再軍備を求め、自衛隊を設立させました。
(これが現在の改憲の争点になっている自衛隊と憲法の問題の原因です)



以上の占領時の政策による洗脳が、いまだに日本と日本人に影響を与えています。
「戦後、日本はどのように変わったのだろうか」の回答画像8
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宿題の丸投げ臭いのですが、放置すると騙されるかもしれないので回答しておきます。




この質問は、戦前や戦中を知っている事が前提になると思いますが、質問者様はそれについてどの程度までご存じなのでしょうか。


このような質問は過去に何度もされていますが、必ず天皇や軍国主義による自由の無い暗黒時代だったと騙る意見がありました。

しかし、帝国憲法には天皇を現人神として独裁を認めるような条文はありません。(理由は以下)
そもそも、日本が憲法を定めた目的は、日本を法治国家(近代国家)にして、文明国である事を欧米に認めさせることです。
天皇を神格化して独裁制を敷いたら、中国以上の専制君主国家になってしまいます。

憲法の内容については、当時の欧米と比較しても国民や議会の権利が尊重されたもので、野党からも大きな不満の出ない先進的なものでした。


(帝国憲法の話は、5:40から)


戦時中に天皇が神格化された時期があったかもしれませんが、それは国民を統合する為の一時的な事に過ぎません。



軍国主義について。

まず、「軍国主義」とは「戦争を外交の主たる手段と考え、軍事力を最優先する考え方」の事です。
だとすると、当時の欧米もそれに当たります。

そして、戦中については 軍部が~ で思考停止している方がいますが、その方達はそんな時期の教育を受けてしまったり、連合国のプロパガンダを真に受けて極僅かな期間の事を過剰に言っているだけです。


戦争とは、国の全てを戦争の為に動員しなければ行えないものです。
そのためには、愛国心を盛り上げる為に、自国の正義(戦争の正当化)や民族の優秀性をアピールするなど、使えるものは何でも使います。
日本は天皇を使いましたが、そんな便利なものがないアメリカは自由や正義や(日本を独裁国家にすることで)民主主義という言葉を使いました。

同時に、情報を統制し、敵国に利する言論は宣言されます。
(スパイや工作員による情報漏洩やプロパガンダを許す国など、平時でもありません)
これらについては、どこの国でも行っていました。


自称「自由の国」の某国では自国民(日系アメリカ人)の人権さえ無視しています。

【第442連隊戦闘団(アメリカ日系人部隊)】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC442%E9%80 …
(日系人部隊の編制
アメリカ政府は、アメリカ国内の日系人社会の動向を、黄色人種に対する人種差別的感情を背景に(実際に同じく敵国であったドイツ系やイタリア系アメリカ人については、大がかりな強制収容は行われなかった)不安視していたことなどから、1942年2月以降に、アメリカ西海岸に居住していた日系人と日本人移民約12万人は、ほとんどの財産を没収された上で全米に散らばる強制収容所に強制収容された。)


軍部による独裁もしていません。

確かに軍は「軍部大臣現役武官制(軍が軍部大臣を出さなければ組閣ができない)」を行使して何度も内閣に圧力をかけてはいます。

しかし、それによって軍主導の内閣を創っても、他の閣僚との対立や官庁の協力を得られないことによる辞職に追い込まれています。

このような状況によって、戦前の政権は短命でした。
敗戦までの8年間に総理7人と9の内閣が生まれています。
(戦時の東条内閣も国務大臣の造反で総辞職しています。)

↑の結果、議会での軍の発言力が大きくなったのは事実ですが、それも国民の指示を背景にした議会政治の中での事であり、民主主義の範囲での事です。

以上から、当時の日本で民主主義が上手く機能していないのは事実だったと思います。
しかし、複数の政党が存在していることや何度も政権が交代していることから、ナチスのような「ファシズム」ではないと思います。

これらを詳しく話すと長くなるのでここでは語りません。


以上の事は、あなたが学校で習った事とは全く違うと思います。
その理由と戦後については、後でお話しします。
「戦後、日本はどのように変わったのだろうか」の回答画像7
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外国人が増えた

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カス野党が


のさばってる。
特に立〇民主党です。
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戦争をしない国になった。

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戦前は、天皇を中心とした世の中で、天皇は神でした。

戦後、アメリカの植民地となり、
戦争を起こした原因は、天皇制に問題があると解析したアメリカは天皇から政治的権限を剥奪し、
二度と戦争ができないように、戦争は悪いことだと日本人を洗脳します。
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アメリカの支配下に入った。

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軍国主義から、民主主義へ.

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