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悪口とかいじわるしてくる人ってだいたい不幸になっていきますよね?

A 回答 (29件中11~20件)

他の方と同様にそう願いたいですが。


no.8さんの回答もごもっともだなと思っています。

そもそも悪口を全く言わない人はそれはそれで怖いものですよ。
人間関係、近ければ近いほど不満はでるものですし。
そのストレスをどこで発散しているのかわかりませんからね……。
悪口は言わないけれど、意地悪をしてくる人なんていますし。

軽い悪口を言うぐらいが人間ちょうどいいのかなと。
ただ、何も知らない通りすがりに人のことをボソッと悪口言う人は病気だと思いますし。
集団で悪口を言ったり意地悪する人たちはリーダー的役割の人に従って「自分の意志がない人」と思っています。

結局、そういうことが積み重なって不幸になるのかなと。
若いうちに気づいて改める人もいれば、いつまで経っても気づかない人もいるでしょうね。
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いじわるなどしてくるやつは可哀想なヤツ。


そう思われる=不幸
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そういう人間は不幸になってほしいと心の中で思ってます

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そういうのを因果応報と言いますが、大人になっても直らない人はそれなりの人生が待っています。

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というか、省かれる。


本人が一匹狼で良いなら、それでも良いけど。

自分が人にした事が、自分にも返ってくるので!
そんなに都合よくは、いきませんヨ
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そうだね。


そんなことしていると、人に嫌われる。
直接されなくても、しているのを見ていると、みんなが避ける。
そのことで、相手の評価が決まる。
誰も変な人とは、関わり合いたくない。
結局、みんなから嫌われる。
結果、不幸になりやすい。
要するに、自業自得。
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本当に心から幸せな人々は、私が見てきた限り、人の悪口や陰口や意地悪を言う人は居ませんでした。



いくらお金持ちでも、一見は成功者に見える人々でも、そんなことを言う人や、する人。何かに対して常に怒ったり、反発したり、威張ったり、誇示したりしている人々は、やはり、心から幸せな人々とは思えません。

なので、やはりその類の人々は、既に何かで不幸な人々なのだと思いますよ。
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再投稿、補足です。



悪口、意地悪は、やっぱり
「悪」だと思っています。
場合によっては、他人の人生を狂わせるケースもあるのだから。

人に嫌がらせをしても、罪悪感が無い人や、
不当に自己正当化が出来る人は、自分の悪に気づかずに生きていける。

そのような人たちが、人とし幸せか否かは、他者が一概には判断しかねます。
性根が腐っていても、本人が幸せだ、というなら他者がムキになって否定は出来ないですもんね。

人の運命は性格で決まる、、

そうでしょうか?

性格が良い、悪いの判断も、どのような基準で言えるのでしょうか?

嫌がらせの後遺症に苦しむ人もいます。

個人的には「運命」という言葉を軽々しくは遣いたくはありませんが、、、

因果応報、それを願った時期もありましたが上記のような人たちを見てきて、信じなくなりました。

因果応報を願うくらいなら、根性悪を反面教師にした方が良い、と個人的には思っています。
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なりますよ。

ただし、それで済まないです。

No.1さんの回答(不幸だから悪口や意地悪をする)が正しいと思いますし、

他の方の回答(行いは自分に返ってくる)も正しいと思います。

No.1さんの回答の通りだとすると、以下のような流れが想像できます。

【不幸になっていく人のパターン】

① 自分で解決できない問題があり苦しい。誰かに助けてほしい。
② 自分の我慢を誰も気づいてくれず、ついつい悪口や意地悪をしてしまう
③ 自分の強気の姿勢を見て、他の人は自分に悩みがあるとは夢にも思わない
④ (誰にも心配されなくなるため)他の人には連絡されるのに、自分だけ知らないという事柄が増える
⑤ 自分だけ困った状況になるが、素直に助けを求められない
⑥ 大体の事は我慢したり、自分で解決したが、その中でも自分で解決できない問題が残る
⑦ ①へ戻る

①~⑦を繰り返し、最後はうつ病になったり、高ストレス化で発狂、事件化までに至ります。

ポイントは②と⑤ですね。

要は困ったとき素直に頭を下げれるかどうかなんです。

その人の性格が強かろうと、弱かろうと関係ありません。

A) 性格が弱いので、しょんぼりしながら我慢をし、皆を恨んだ
B) 性格が強いので、負けるもんかと気持ちを取り直し、いつか見返してやるとみんなを恨んだ

どちらも同じです。

時と場合によりA)を採用したりB)を採用したりするかもしれません。

ただし、素直に頭を下げるという行為が他の人より少ない。もしくは全くできない。

うちの母がそうでしたし、姉もそうでしたね。

私も似たところがあり、体調を崩して死にかかりました。

二度とごめんです。

父や他の人を見て、自分との違いについて考えますと、以下の通りになります。

【普通と言われる人のパターン】

① 自分で解決できない問題があり苦しい。助けてほしい。
② 自分の事情を積極的に話して下手に出る。助けてほしいと懇願する。
③ 助けてくれそうな相手が見つかるまで、紹介してもらったり、助けに対して恩を返したりする。
④ 他の人が次も心配して、事前に声を掛けてくれるようになる。
⑤ 他の人と一緒に対策したり、解決しようとするシーンが増え、安心感が増していく。
⑥ 仲間を頼って解決できることが増え、同じ内容で困っている他の人を助けたくなる。
⑦ 助けた人も恩を返してくれるようになる。④に戻る。

ポイントは③と⑥です。

③ 下手に出れない人と正反対です。
無碍に断られても相手を恨まず、繰り返し助けを求めていく姿勢。
営業職の人はそうですよね。

⑥ そして同じ内容で困っている人を積極的に助けようとする。
「素直に助けを求めることが出来ない人」も助けるわけです。親みたいですね。
これによって、自分と他人との繋がりが増えていきます。

③⑥を大切にしていると、

「あの人は知り合いが多いから、伝えておけば何らかのアイデアが集まるだろう。」

と周囲の人が思うようになります。

ここに至って、

他の回答者さんが(=自分に返ってくる)と表現していることが正しいと分かります。


困ったときに我慢をして、

「我慢しきれずに、憂さ晴らしをする」

これが怖いのは、次回は別の困った状況になることです。

そして、また八つ当たりをしてしまうはずです。

このネガティブループは無限に続きます。

最後は凶悪な八つ当たり、凶悪な犯罪を犯してしまいます。

ここ至るには長い時間がかかるはずです。

誰にだって理性があり、自制ができるからです。

しかし、生きている間中、孤独と我慢を繰り返せば、

「どうして俺だけが? 他の奴と何が違うっていうんだ?」

と言う気持ちが収まらず、自分が壊れてしまいますよね。

昔ならばそういう時期になる前に、老化や病気、事故によって寿命が尽きたんでしょう。

しかし、現代では安全保障が行き届いており、命が続いてしまいます。

もし、命だけを延命させる社会であれば、

良い大人、中年、老人が凶悪犯罪を犯す時代になるでしょう。

現代はまさにそうなっていませんか?


自分を律せず、勇気を出さず、流れに乗って幸福になろうなどという、

うまい話など無いという事です。

「どうして俺だけが? どうして私だけが?

 力がないから? 金がないから? 権力がないから?

 魅力がないから? 善い行いをしないから?」

不思議なことに、不幸な人生を歩む当人は、他の人との違いが全く分からないんですね。

「下手に出て、他人に頭を下げ、

 助けを得られなくても恨まない。

 他に助けてくれる人がいないか、諦めず探す。

 この簡単で、当たり前で、誰でもできることが、

 君だけ出来ていないんだよ。」

というだけなんですが。


異世界に転生する小説や漫画が増えています。アニメ化も行われています。

この中では、力を得て、金を得て、善行をし、尊敬され、権力も得て、魅力も得ます。

しかし、これを描いている人は、根底にある悩みに気が付いていないと思えます。

本当の悩みは、

「強い立場じゃないと、頭を下げれないんです。

 馬鹿にされるんじゃないかと思って、怖いんです。」

と言うものです。

そしてこの手の大体の物語はスローライフを望んでいます。

「実はそんなに大した望みがあるわけじゃないんです。

 あたたかな人々に囲まれ、愛されて、不安のない生活をしたいんです。

 リラックスしたいだけなんです。」

なんとも切ない話です。

「助けが見つかるまで繰り返し頭を下げ続けるという習慣」

これが身についていないのではないか?

それが幸福の条件なのではないか?

と思います。


例えば、

「他人の悪口や意地悪は許せない。」

と怒りを表す、または批判する人であっても、

その当人が同じ性質(=助けを求めて頭を下げ続けることが出来ない)を持っていたら、

似たような人生になるでしょう。

運命を批判したり、否定しても、逃れられるわけではないんです。


悪口や意地悪と言うのは、小さな憂さ晴らしの片鱗です。

うちの母は、晩年に統合失調症になりました。

離婚をし、人に騙され、がんで死にました。

若いうちは普通の母親で頼りになりました。

父は他人の悪口を言うことがありませんでしたし、意地悪もありませんでした。

母は時々ありました。

「まあ、そういっても・・・」と父がなだめ「だけど・・・」と母が食い下がる。

良くある夫婦の会話であったと思います。

しかし、「だけど・・・」と言っていた母がだんだんとエスカレーションし、

最後は壊れてい行く。

この変化を見続けていましたから、

「ああ、つまり、決まっていたんだな。

 よく見かけるちょっとした素行の悪い話として大きな問題にしていなかった。

 不幸な人生は、不幸な事件が起きて、起きるものだと思っていた。

 だから、未来を知りたいとか、運を高めたいとか思っていた。

 だけど、実際は日常の些細な行動で、

 人生の軌道が分かれていることが示唆されていたんだ。

 他人を悪く言う母は、いろんなことを我慢をしていたんだ。

 他者への批判については、自分に許される小さな憂さ晴らしとして、父に認めてほしかったんだ。

 そして、確かに、頭を下げて助けを求め続けることが出来ない人だった。

 もうすでに運命が決まっていたんだなあ。」

とわかりました。

母は何とか持ちこたえましたが、不幸な人生であったと思います。


他者批判や八つ当たり、意地悪をする人を良く見かけますが、本当は大変なことなんです。

不治の病にかかっているのと同じだと思います。

母や姉の人生を見ていると、

運など介在する余地もなく、苦しんで死ぬことが定められていると思えました。


こうすればよい、ああすればよいと、助言をしました。

しかし、

「助けてくれるの? は? そういう気がないんでしょ? 

 じゃあ、とやかく言われたくないよ。」

と返されておしまいでした。


どんなに困っても、

助けてくれるという約束がされない以上、一回も頭を下げれないと言っているんです。

死に瀕するような窮状でもこうなんですよ・・・。

これでは運が向いても意味がない。

持ち直しても、どこかで躓くはず。

幸運すら、まったくの無駄でしょう。


例えば奇跡が起きて、

神様が素晴らしい力を与えてくれて、

異世界に転生させてくれるとしても、無駄でしょう。

「ああ、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』ってそういう意味だったんだ。」

とわかりました。

昨今流行りの異世界転生物が好きな人は、

それを好むという意味で、強い立場でないと他人に頭を下げれないはずです。

その性質上、もし本当に物語と同じように転生ができたとしても、

今生と同じ経験を繰り返すだけであり、最後は救われないと思います。


今の自分の状況は、

自分の力不足から生じているのではなく、

他人へ助力を乞うことが出来ない、

恥ずかしがりで、恨みがましい性質から生じたと気づいていないからです。


私は、無駄な夢を見るくらいならば、

他人に頭を下げられる自分を得ることだと思いました。


以上、ご参考になれば。
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他の回答者の回答を読んでみると


そうでもないという人がいるのが
驚きですね

必ずしも
不幸にはならない
得をすることもある
なんて回答もあるところをみると
案外
みなさん悪口や意地悪は
そんなに悪いこととは
思っていないようですね

人の運命は
性格で決まります

金持ちとか金がないとか
そういうことではなく
性格で
その人の人生は決まります

性格が良ければ
金がなくても幸福なのです

悪ければ
金があっても
不幸なのです

他人から見れば
金があるかないかでしか
幸せか不幸かを
判断するしかないのですが
内面から見たら
性格のいい人が幸福
性格が悪ければ不幸

これしか
他人の判断はできません

あなたのいう人は
不幸になるのではなく
現在不幸なのでしょう
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