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疑問文(1)「犬は何匹いますか。」と(2)「犬が何匹いますか。」の使用例をみると、「は」の方が多いのですが、「が」の方も少なからずあります。

疑問文において質問の対象は主題だと思います。それならば、主題には「は」を使うということなので、(1)の文章が正しい使い方ということになります。
ところが、(2)の文の使用例も少なくないのは、どういうことでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • 私もiq0-1さんに同感なのですが、
    実は、スリーエーネットワークの「みんなの日本語」の11課練習Bに、次の文が載っています。
    リンゴがいくつありますか。
    テレビが何台ありますか。
    シャツが何枚ありますか。
    女の人が何人いますか。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/11/25 10:25
  • すみません。「質問の対象は主題だと思います」は間違いです。「この質問文では話題の中心の『犬』が主題だと思います」に訂正します。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/11/25 10:45
  • ご回答ありがとうございます。
    「犬が何匹居るか判る人?」の場合は、従属文(名詞節)では助詞「は」は、助詞「が」になります。この場合、「は」を使うのは対比か限定の場合です。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/11/25 14:02
  • 「みんなの日本語」の例文、(質問)「りんごがいくつありますか。」、(回答)「・・・3つ あります。」について

    質問文にある「りんご」は回答文では旧情報となるので、回答文で省略されている「りんご」には助詞「は」を使わなければなりません。回答文において「りんご」は主題となり、省略のない回答文は、「りんごは3つあります。」となります。この場合の質問文は、「リンゴはいくつありますか。」となります。
    「りんごが3つあります。」という回答文は総記または排他と呼ばれ、助詞「が」の前にある「りんご」は新情報なので、質問文では疑問詞となります。つまり、「りんごが3つあります。」は「何が3つありますか。」という質問の回答ということになります。
    「りんごがいくつありますか。」という質問を、不自然ではない質問にするためには、別に主題を補って、「そこにはリンゴがいくつありますか。」としなければならないと思います。

      補足日時:2019/11/25 23:44
  • コメントありがとうございます。
    日本語は「省略ができる言語」で文脈で判断する言葉ですが、この「文脈」には文章だけではなく示されているシチュエーションも含まれると思います。絵を見せて質問するということは、「絵の中には、リンゴがいくつありますか。」と言っているのと同じです。この場合には、話題の中心は「絵の中のリンゴ」で「いくつあるか」を聞いていると思います。つまり、絵を見せての「リンゴがいくつありますか。」は「絵の中にはリンゴがいくつありますか。」と同義で、それはすなわち、「絵の中のリンゴはいくつありますか。」と同じだと思います。「みんなの日本語」の例文は前提条件なしで「りんがいくつありますか。」と聞いているので、状況が違います。
    私は70過ぎの年配者ということもありますが、前提条件なしの「リンゴがいくつありますか。」という質問には違和感があります。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/11/26 16:47
  • コメントありがとうございます。

    「みんなの日本語」には次の例文があります。
    子供が何人いますか。
    ・・・3人 います。

    回答文では主語が省略してありますが、「子供」は回答文では既知情報となるので、助詞「は」を使わなければなりません。回答文では「子供」は主題になります。「3人」という回答は新情報となります。省略なしに書くなら、「子供は3にんいます。」となり、この回答文を導く質問文は、「子供は何人いますか。」となります。

    以上のことから、前提なしの「子供が何人いますか。」という質問文は不自然であり、不自然さをなくすには、主題を補って、「あなたには子供が何人いますか。」「そこには子供が何人いますか。」のように前提条件を付けなければなりません。

    参考までに、WEBでの使用頻度を示します。
    ・”子供が何人いますか。” (0.08%)
    ・”子供は何人いますか。” (99.92%)

    No.11の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/11/26 19:57
  • 野田尚史の助詞の「は」と「が」を使い分ける方法のひとつに、次のようなものがあります。
    新情報か旧情報かによって使い分ける方法。
      会話の中や文脈で、主格となる名詞が未知(=新情報)の場合は「が」を使って表し、既知(=旧情報)の場合は「は」を使って表すという基準である。
     ・鈴木さんは校長です。(「鈴木さん」のことは「既知」なので、「 は」を付けて表す)
     ・鈴木さんが校長です。( 校長が誰であるのか、「未知」なので、「鈴木さん」に「が」を付けて表す)

    この野田尚史の方法によれば、「犬が何匹いますか。」の「犬」は既知情報なので「は」を使って表すことになります。つまり、「犬が何匹いますか。」は「犬は何匹いますか。」となるということです。もし、「犬」が未知情報なら、質問が成立しません。

      補足日時:2019/11/27 07:36
  • 私は年配者であるせいかもしれませんが、(1)と(7) には違和感があり、(2), (3), (4), (5), (6) には違和感がありません。
    (1) 犬が何匹いますか。
    (2) 犬は何匹いますか。
    (3) そこには、犬が何匹いますか。
    (4) そこに、犬は何匹いますか。
    (5) そこに、犬が何匹いますか。
    (6) 犬はそこに何匹いますか。
    (7) 犬がそこに何匹いますか。

    (3) については、「そこには」の「は」以降は「は」の影響が及んでおり、「犬は」が「犬が」になっていると考えます。これは、従属文の中で「は」が「が」になる現象と同様だと思います。この場合は「が」が付いていても質問者と回答者が共通の認識ができるもの(こと)(主題、題目、既知情報ともいわれる)だと思います。
    (つづく)

    No.15の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/11/28 06:48
  • (つづき)
    (4) では、質問者と回答者が共通の認識ができるものは「いぬ」なので、「そこに」という範囲を限定する言葉が入っていても同じだと思います。
    (5) では、「は」が省略されているとも考えられるし、そうでなくても、「そこに」と範囲を限定する言葉が「犬が」の前にあるので、「は」がある場合と同様に感じるのだと思います。
    (6) 「犬は」のあとに「そこに」という言葉があっても(2)と同じで違和感はありません。
    (7) 「そこに」という言葉が「犬が」のあとにあっても(1)と同じで違和感があります。

      補足日時:2019/11/28 06:50
  • 引用文の「(校長が誰であるのか、「未知」なので、「鈴木さん」に「が」を付けて表す)」との表現はおかしいので、(「鈴木さん」は新情報なので「が」を使って表す。)とすべきだと思います。

    今、一時帰国中で手元に参考文献がないのですが、「名詞文の場合には、主格にはふつう「は」を使って表し、「が」を使う場合は総記の時だけ」と書いてあったと思います。

    主格以外に疑問詞を使う場合で、主格に「が」を使うのはほとんどの場合が不自然な表現になります。なぜ、「何匹」などの場合だけは不自然ではないというのでしょうか。
    (1) 先生が誰ですか。(不自然な表現)→ 先生は誰ですか。
    (2) 先生がどこにいますか。(不自然な表現)→ 先生はどこにいますか。
    (3) 犬が何匹いますか。(???)

    この補足が最後なので、なおご質問があるのであれば、別の項目を立ててお答えするつもりです。

    No.17の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/11/28 17:59

A 回答 (21件中1~10件)

ここしばらく、「ハ」と「ガ」に関して難解な問答が続いていたのはご存じでしょうか。


 あのホニャララなコメントに比べると、はるかに勉強になります。ありがとうございます。

>以上のことから、前提なしの「子供が何人いますか。」という質問文は不自然であり、不自然さをなくすには、主題を補って、「あなたには子供が何人いますか。」「そこには子供が何人いますか。」のように前提条件を付けなければなりません。

 次のような状況を考えます。レストランのシェフが予約の数を気にして店のマネージャーに訊きます。
1)今日、予約{ハ/ガ}何組入ってる?
2)今日は、予約{ハ/ガ}何組入ってる?
3)今日、予約、何組入ってる?
 どれもおかしくないと思います。
 1)がどちらもおかしくないのはおわかりですよね。
 2)に関して、当方は「近接回避」のため、ガが自然だと思います。ハでも間違いではないでしょう。

「近接回避」は当方が勝手に使っているいい加減な言葉です。
 詳しくは下記の〈7〉をご参照ください。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-592.h …
 以下は一部の抜粋(重言)。
===========引用開始
 IIに関して、再度まとめておきたい。
1)このお店にハ Advilハ ありますか?
 これを原形と考える。これも「間違い」ではないが、通常は下記のほうが自然だろう。
2)このお店にハ Advilガ ありますか?
 ハを省略してみる。 
3)このお店に Advilガ ありますか?
4)このお店に Advilハ ありますか?
 こうなると微妙。個人的には、4)が自然に感じるが、3)も「間違い」とは思えない。2)からの流れで考えると、2)のハを省略したものと考えるなら3)のほうが自然なのかもしれない。
 さらに「このお店に」を省略する。
5)Advilガ ありますか?
6)Advilハ ありますか?
 これが元々の質問の文。こうなると「このお店に」がなくなったせいか、5)に対する異和感が強くなる。

 1)から2)にかわる段階でハがガになる。2)から4)にかわる段階でガがハになる。
 それぞれの役割がコロコロかわるからだろうか。もちろん、それぞれの文で「主題がウンチャラ」「主語がナンチャラ」と分析することも可能だろう。
 当方はそんなメンドーな話は遠慮したい。「近接回避」と考えるのが簡明では。
 下記の場合も同様だろう。
  この近くにハ 駐車場ガ ありますか?

 これが下記になるとさらに混迷が深くなる。
7)今月の26日{に/にハ/φ(、)}空室{ハ/ガ}ありますか?
 φは無助詞を表わす。
 7)の場合はφもありうる。当方の語感だと、下記が自然。

今月の26日に空室ハありますか?
今月の26日φ(、)空室ハありますか?
今月の26日にハ空室ガありますか?
 前の2つはハが自然に感じる。理由は、存在文の単純な疑問文はハが自然に感じるから。それ以上は考えたくない。
 3つ目だけガが自然に感じる。理由は「近接回避」。それ以上むずかしいことは考えていません。
===========引用終了

「新情報/旧情報」の話も知ってはいます。
 下記あたりをご参照ください。
【読書感想文/『「は」と「が」』(野田尚史/くろしお出版/1996年11月01日第1刷発行)】
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12349042071.html
 冒頭に書いたホニャララ問答の中にもあったような。
「新情報/旧情報」の考え方は、場合によっては有効だと思います。でも〈「犬」は既知情報なので「は」を使って表す〉とまでは言えないと思います。
 それに関しては下記の〈5〉あたりでしょうか。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-592.h … 
===========引用開始
【追記】
 余計なことかもしれないが、〈初出の「が」、既出の「は」 〉について補足しておく。
 mixiのトピに書いたら、〈日本語ってそういうもの〉ではない、と反論されてビックリしたことがある。あんまり古いことなんで、どこに書いたのか忘れてしまったorz。
 そんなのは当たり前で、もしこれが絶対的なルールなら、長編小説の冒頭で「ガ」を使ったあとは「ハ」は使えなくなる。それは困るだろう(笑)。
 そもそも、〈ある日、おじいさんハは山へ柴刈りに、おばあさんハ川へ洗濯に……。 〉だって「対比?」の「ハ」じゃないかって気がする。
 これが〈ある日、おばあさんガ川へ洗濯に行ったときのことです。 〉なら「ガ」のほうが自然だろう。
 ただね。
 入門者に、「ハ」と「ガ」の違いに興味をもってもらうには好例だと思っている。
 いきなり「主題」だ「主語」だと始めるより、ずっとマシじゃないだろうか。 
===========引用終了
この回答への補足あり
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#20です。



1.
>全員の顔や名前を知らなくでも、例えば新聞記者が電話で問い合わせて「どなたが校長ですか。」と聞いて、「鈴木さんが校長です。」と答える状況はあると思います。

a.
それは、複数の先生が双方の共通認識として話題になっている場合でしょうね。
少なくとも鈴木さんという先生を記者が知っている必要があるのでは。
そうでなければ、
「どなたが校長ですか。」
と聞くのは不自然です。
また、日本語の使いかたを知らない人だと斟酌して答える場合にしても、
「鈴木さんという方が校長です。」
のように答えないと会話の整合性が取れないでしょう。

b.
>この問答は質問の趣旨から外れているのでもうやめたいと思います。

趣旨から外れるどころか本質的な誤解をも招く内容であることにお気づきになっていただきたいと思います。
お茶を濁すのは止めましょう。
この問答の端緒、及び経緯は下記のとおりです。

hiro19461010⇒ 引用文の「(校長が誰であるのか、「未知」なので、「鈴木さん」に「が」を付けて表す)」との表現はおかしいので、(「鈴木さん」は新情報なので「が」を使って表す。)とすべきだと思います。
hako⇒ 鈴木さんを知らない相手に対して「鈴木さんが校長です」という表現はしないでしょう。

つまり、質問者さんは、

・桜が咲いた。

という表現は、桜を知っている人に対して言ってはならない、とおっしゃっていることになります。
「(校長が誰であるのか、「未知」なので、「鈴木さん」に「が」を付けて表す)」という野田氏の言説自体は別に間違ってはいないのです。
しかし、それを言うなら、
・鈴木さんは校長です。
も『校長が誰であるのか、「未知」』である点に変わりはないではないか、というのが私の野田(またはアルク)批判の骨子です。

いずれにせよ、
《「(校長が誰であるのか、「未知」なので、「鈴木さん」に「が」を付けて表す)」との表現はおかしいので、(「鈴木さん」は新情報なので「が」を使って表す。)とすべき》という誤った認識を基に、今回の質問に踏み込むことは無理ですよね?

2.
>「彼が誰ですか。」「彼女がどこへ行きましたか」「あなたが何をしましたか。」などは不自然な質問だと思いますが、どうでしょうか。

シチュエーション次第ですが、下記3の私見も合わせてご判断ください。

[ 劇の配役を発表している場面 ]
監督:A 君、君には執事の山田をやってもらう。
書記:すみません。ちょっと聞き取れませんでした。彼が誰ですか?

[ 社内の喧嘩 ]
課長:僕は君のことを第一に、面倒なことでも今まで色々とやってきたつもりだ。
係長:あなたが何をしましたか?

3.
>「みんなの日本語」には、前提条件抜きで「子供は何人いますか。」という質問が示されています。私はこの質問は不自然だと思いますが、どうでしょうか。

「子供が何人いますか。」ですね。
この点に関しては(「りんご」の例ですが)すでに#10で明確に私見を述べさせていただいたはずです。
以下に再掲しておきます。

※『前提条件なし』なら、まったく同感です。
逆に言うと、なんらかの前提条件が整っていれば、むしろガを使うほうが適切な場合もあるということになるかと。
では、それはどんな場合かについて私見を述べさせていただきました。
「リンゴがいくつありますか。」という構文自体が日本語として誤っているわけではない、ということを申し上げたかった。※

つまり、「子供が何人いますか。」を批判なさる場合には、あくまで前提条件なしである点を批判すべきであって、日本語構文として批判すると学習者の誤解を招くのではないか、というのが私の骨子です。

実際問題として多いのは「子供は何人いますか。」と質問するシチュエーションなので、この理由において、教材の例文としてはこちらを採用すべきであるのは当然と同意しております。
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#19です。



1.
>「鈴木さんが校長です」という表現は不自然ではありません。外部の人がその学校の関係者に「誰が校長ですか。」と聞いた場合、「鈴木さんが校長です。」と回答することは不自然ではありません。

そもそもですが、
「誰が校長ですか?」
と聞けるのは、
(ア)先生全員の名前を知っている場合。
または、
(イ)先生全員の顔を知っている場合。
だけではないでしょうか。
「その中の誰が?」という構図でなければ、この質問は成立しません。

そして、
(ア)の場合は「鈴木さんが校長です。」
(イ)の場合は「真ん中に立っている背の高い方が校長です」
のように応ずることになる。
どちらの場合も鈴木さんという人物自体は既知でなければなりません。

先生の名前も顔も知らない状態で尋ねるなら、
「校長は誰ですか?」
または、
「何という名前の方が校長ですか?」
あるいは、
「どなた(どの方)が校長ですか?」
でしょう。
先生の名前も顔も知らない状態で「誰が校長ですか。」と尋ねることはないと思いますけどね。

2.
>動詞文にはいろいろな場合があると思います。

おっしゃるとおりと思います。
形容詞文などの場合も同様なのでしょう。
いずれにせよ、色々な場合があるのなら、名詞文以外は、ガの有無による分類基準は意味が無いということですね。

3.
>「犬が何匹いますか。」について

未知情報があとにつづく場合、その前にある主格は既知情報(共通認識事項)でなければならないから、「が」を使うのは不自然で、「は」を使うべきだと思います。
例えば、「彼が誰ですか。」「彼女がどこへ行きましたか」「あなたが何をしましたか。」などは不自然で、「彼は誰ですか。」「彼女はどこへ行きましたか」「あなたは何をしましたか。」などとしなければならないと思います。
したがって、「犬が何匹いますか。」も不自然で、「犬は何匹いますか。」とすべきだと思います。

『未知情報があとにつづく場合、その前にある主格は既知情報(共通認識事項)でなければならない』の「未知情報」とは犬の数のことをおっしゃっているでしょうか。
たとえばですが、多数の犬の吠え声が聞こえてくる家の主に言うようなシチュエーションを想定する場合は問題の無い表現だと考えて良いでしょうか。

4.
>4.
「お金が落ちていた。」は現象文で、客観的事実を述べています。
「お金は落ちていた。」は判断文です。例えば、「お金はどうだったのか。」と聞かれて、「お金は落ちていた。」と答えるのは不自然ではありません。

おっしゃるとおりです。
つまり、そうしたシチュエーションを想定できれば自然な日本語になり、想定できなければ不自然な日本語と受け止められるはずです。
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この回答へのお礼

全員の顔や名前を知らなくでも、例えば新聞記者が電話で問い合わせて「どなたが校長ですか。」と聞いて、「鈴木さんが校長です。」と答える状況はあると思います。

この問答は質問の趣旨から外れているのでもうやめたいと思います。

「彼が誰ですか。」「彼女がどこへ行きましたか」「あなたが何をしましたか。」などは不自然な質問だと思いますが、どうでしょうか。

「みんなの日本語」には、前提条件抜きで「子供は何人いますか。」という質問が示されています。私はこの質問は不自然だと思いますが、どうでしょうか。

お礼日時:2019/11/29 23:17

#18です。



>2.
・(同僚の)鈴木さんが大きなあくびをしました。
・(同僚の)鈴木さんが来ました。
などは名詞文ではなくて、動詞文です。

そうですね。
『名詞文の場合には』とおっしゃっておられたのに、どうも失礼しました。
そうしますと、前回、
『未知の場合(総記)もあるが既知の場合(中立叙述)もあるわけで、分類基準としてはおよそ意味が無いかと。』
と申し上げたわけですが、これは、名詞文以外の場合にはそのとおりである、というお考えでしょうか。

>3.
・鈴木さんは校長ですか?
・鈴木さんが校長ですか?

についての解釈は、まったくおっしゃるとおりです。
ただ、申しあげたかったのは、ハ・ガの違いに伴うシチュエーションの違いが、このようにすんなりと想定できる場合もあるが、一方、「犬が何匹いますか。」のように想定しづらいシチュエーションの場合もある、ということにすぎないのではないか、ということです。
もう少し申し上げるなら、「犬が何匹いますか。」が正しく成立できるシチュエーションを想定すれば(文法的に誤りではないのだから)済む問題ではなかろうか、ということ。
「鈴木さんが校長ですか?」について「校長について、鈴木さんかどうか」を聞いているシチュエーションを想定してはじめて自然な文として成立するのと同様にです。

>4.
「そのお金は落ちていました。」は不自然ではありません。ただし、判断文です。(話者の判断、主張など)
「そのお金」は既知情報(主題、題目などともいわれる)で、「落ちていた」が解説で、新情報です。

「お金が落ちていた。」は現象文です。発見したこと、客観的事実を述べています。

「お金は落ちていた。」も、おっしゃるところの判断文でしょう。
この場合、どういったシチュエーションを想定されますか?
それとも、こうした文は非文であると思われるでしょうか?
という質問です。

「は」⇒現象に対して話し手が主観的な判断として表現する文。(判断文)
「が」⇒現象をありのままに、話し手の主観的な判断を加えずにそのまま表現する。(現象文)
ですが、お金が落ちていたという現象を「話し手の主観的な判断を加えずにそのまま表現する」のがもっとも想定しやすいシチュエーションでしょう。
それゆえ、
「お金が落ちていた。」が自然な文であり、
「お金は落ちていた。」は非文であると切り捨てられる傾向があるかと。
質問者さんのご見解は如何に、と知りたくなっての質問でした。
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この回答へのお礼

1.
>鈴木さんを知らない相手に対して「鈴木さんが校長です」という表現はしないでしょう。

「鈴木さんが校長です」という表現は不自然ではありません。外部の人がその学校の関係者に「誰が校長ですか。」と聞いた場合、「鈴木さんが校長です。」と回答することは不自然ではありません。

2.
動詞文にはいろいろな場合があると思います。

3.
「犬が何匹いますか。」について

未知情報があとにつづく場合、その前にある主格は既知情報(共通認識事項)でなければならないから、「が」を使うのは不自然で、「は」を使うべきだと思います。
例えば、「彼が誰ですか。」「彼女がどこへ行きましたか」「あなたが何をしましたか。」などは不自然で、「彼は誰ですか。」「彼女はどこへ行きましたか」「あなたは何をしましたか。」などとしなければならないと思います。
したがって、「犬が何匹いますか。」も不自然で、「犬は何匹いますか。」とすべきだと思います。

4.
「お金が落ちていた。」は現象文で、客観的事実を述べています。
「お金は落ちていた。」は判断文です。例えば、「お金はどうだったのか。」と聞かれて、「お金は落ちていた。」と答えるのは不自然ではありません。

お礼日時:2019/11/29 17:38

#17です。


補足拝見。

1.
>引用文の「(校長が誰であるのか、「未知」なので、「鈴木さん」に「が」を付けて表す)」との表現はおかしいので、(「鈴木さん」は新情報なので「が」を使って表す。)とすべきだと思います。

鈴木さんを知らない相手に対して「鈴木さんが校長です」という表現はしないでしょう。

2.
>「名詞文の場合には、主格にはふつう「は」を使って表し、「が」を使う場合は総記の時だけ」

・(同僚の)鈴木さんが大きなあくびをしました。
・(同僚の)鈴木さんが来ました。
などは中立叙述だと思いますが、日本語表現として特に問題はないと思います。

3.
>主格以外に疑問詞を使う場合で、主格に「が」を使うのはほとんどの場合が不自然な表現になります。なぜ、「何匹」などの場合だけは不自然ではないというのでしょうか。
(1) 先生が誰ですか。(不自然な表現)→ 先生は誰ですか。
(2) 先生がどこにいますか。(不自然な表現)→ 先生はどこにいますか。
(3) 犬が何匹いますか。(???)

すでに申し上げたとおり、「リンゴがいくつありますか。」と同様、前提条件なしでは、おっしゃるように不自然になることについては同意しております。
ただ、前提条件があれば別でしょう。
わかりやすい例を挙げると、たとえば、

・鈴木さんは校長ですか?
・鈴木さんが校長ですか?
はどちらも違和感なく入ってくると思いますが、たずねているシチュエーションはまったく違うはずです。
こうしたシチュエーションについては、差異にこだわることなく自然に想定しやすいわけですが、想定しづらいシチュエーションの場合もある、ということにすぎないのではないかと思います。
(1)(2)などは、たしかにかなり特殊な例になりそうですが、たとえば、一度聞いた内容を聞き返しているシチュエーションなどが想定できると思います。
もしかすると、誰・どこ・何匹などの要素によって不自然になりやすいものとそうでないものがあるのかもしれませんが、私の手にはあまりそうです。

4.
ちょっと横道に逸れるかもしれませんが、たとえば下記の文をご覧になって、どう評価されますか?

・お金は落ちていた。

たとえばですが、これを不自然と切り捨て、

・お金が落ちていた。

と無条件に添削してはいけない、と申し上げたいわけです。

ご返事いただけるなら、お礼欄をお使いください。
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この回答へのお礼

2.
・(同僚の)鈴木さんが大きなあくびをしました。
・(同僚の)鈴木さんが来ました。
などは名詞文ではなくて、動詞文です。(<<「名詞文の場合には、主格にはふつう「は」を使って表し、「が」を使う場合は総記の時だけ」)

3.
(a) 「鈴木さんは校長ですか?」について
「鈴木さん」は主題で既知情報、「校長」は新情報または未知情報なので、この質問は「鈴木さんについて、校長かどうか」を聞いています。

(b) 「鈴木さんが校長ですか?」について
「鈴木さん」は新情報または未知情報で、「校長」は既知情報です。つまり、「校長について、鈴木さんかどうか」を聞いています。
・鈴木さんが校長ですか?= 校長は鈴木さんですか?

4.
「そのお金は落ちていました。」は不自然ではありません。ただし、判断文です。(話者の判断、主張など)
「そのお金」は既知情報(主題、題目などともいわれる)で、「落ちていた」が解説で、新情報です。

「お金が落ちていた。」は現象文です。発見したこと、客観的事実を述べています。

お礼日時:2019/11/29 00:59

#8、#9、#10ですが、補足について少しお尋ねします。



1.

(ア)鈴木さんは校長です。(「鈴木さん」のことは「既知」なので、「 は」を付けて表す)
(イ)鈴木さんが校長です。( 校長が誰であるのか、「未知」なので、「鈴木さん」に「が」を付けて表す)

という内容が野田氏の考えとして紹介されている。
しかし、
『(ア)「鈴木さん」のことは「既知」』であるのは、(イ)の場合も同様のはずです。
また、
『(イ)校長が誰であるのか、「未知」』であるのは、(ア)の場合も同様のはずです。
こうした論理がご都合主義的であることは、ご理解いただけることでしょう。
もっとも、これは野田氏の考えをアルクがまとめたもののようで、野田氏が実際にこのような説明をしているかは不明なので、野田氏自身を責めるわけではありません。
こうした論理のダブルスタンダードを基にハ・ガの違いを論じると齟齬が生じるのではないか、ということです。

(イ)鈴木さんが校長です。

という文は「山田さんではなく」という排他性を含んだ総記の「ガ」ですから『(イ)校長が誰であるのか、「未知」』であるのはたしかでしょう。
しかし、「ガ」には、前回申し上げましたように中立叙述という用法もありますので、その点について、以下でもう少し触れてみます。

2.
>この野田尚史の方法によれば、「犬が何匹いますか。」の「犬」は既知情報なので「は」を使って表すことになります。つまり、「犬が何匹いますか。」は「犬は何匹いますか。」となるということです。もし、「犬」が未知情報なら、質問が成立しません。

「は」の意義は「主題提示」なので「鈴木さん(は)」が既知であるのはたしかだろうと思います。
ただ、既知・未知という分類のネックは、「鈴木さん(が)」が未知であるのは、あくまで総記の「ガ」、すなわち限定・特定の用法の場合に限られる、ということでしょう。
既知の場合でも、

・(同僚の)鈴木さんが大きなあくびをしました。
・(同僚の)鈴木さんが来ました。

のような表現はできるはず。
いわゆる中立叙述のガです。
未知の場合(総記)もあるが既知の場合(中立叙述)もあるわけで、分類基準としてはおよそ意味が無いかと。
つまり、「犬が何匹いますか。」が未知である必要性は無いわけですから、それを根拠に不自然であるとする論理は成立しないように思うのですが、いかがでしょうか。

また、先におっしゃっておられたように、前提条件なしの「犬が何匹いますか。」が不自然なことも理解できますが、しかし、厳密に言うなら、何の前提も無しにいきなり「犬は何匹いますか。」と言う人もいないはずです。
ということで、何らかの前提条件を想定した上で文の意味を捉えることが、それほど間違った方向性になるとは思われません。

もっとも懸念すべきは、シチュエーションとして稀であるから不自然だという決めつけによって、「犬が何匹いますか。」という表現自体が誤りであるかのような印象を日本語学習者に対して与えてしまうことではないかと愚考いたす次第です。
この回答への補足あり
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#13 に補足させていただきます。



前半/後半問答論、新情報/旧情報、既知/未知、主語/主題などの区分は個別の文に表現された結果である意味を論じているもので、語の意義ではありません。文の意味は個別に異なり、都合の良い事例を並べる結果にしかなりません。いくらでも、反例が挙げられます。

語の本質は何を表現するかにあるのであって、どんな機能を与えられているのかにあるのではありません。

「が」は個別性の認識を表わし、「は」には特殊性の認識を表わす副助詞と普遍性の認識を表わす係助詞の二種類があります。これらを正しく区分しないと、混乱するばかりです。

反例も兼ね、いくつかの例を挙げておきます。

★ 「うなぎ【は】日本人が大好きだ。」

これは、「うなぎ」という特殊性の認識が「は」で表され、それを好きなのは欧米人や中国人ではなく特定の日本人という個別の人種であることを「が」で表しています。

この「は」を普遍性と捉えると、普遍的な魚類の種である「うなぎ」は日本人を好きだという奇妙な意味になります。もっとも、童話やおとぎ話でこのような意味で使用される場合もあり、それはそれで正しい表現です。

★ 今【は】山中 今【は】浜
  今【は】鉄橋渡るぞと
  思う間も無くトンネルの
  闇を通って広野原(ひろのはら)
         〔童謡・唱歌『汽車』〕

一つの旅全体の中で、それぞれの時点での窓に見える景色の特殊性を捉えた「は」です。一つの文に主題がいくつも並んでいるはずがありませんね。次の歌謡曲も同じです。

★ 流れ流れて さすらう旅【は】
  きょう【は】函館 あした【は】釧路
  希望も恋も 忘れた俺の
  肩につめたい 夜の雨
          〔旅の終りに:歌詞〕

★ 雨【は】ふるふる
  城ヶ島の磯に
  利休鼠の 雨【が】降る
          〔北原白秋『城ヶ島の雨』(じょうがしまのあめ)〕

 はじめに物事を提示するときには「が」が使われるのではありません。

★ 反作用【は】つねに作用と方向【が】反対で大きさ【が】等しい。

  普遍性の「は」と個別性を表わす「が」を組合せ使用されています。

★ カキ料理は広島が本場だ。

  「カキ料理」という料理の特殊性が「は」で表され、その本場である個別の地区「広島」を「が」で表し、対象の持つ立体的な構造の認識が表現されています。

★ 風雨が激しくてこの傘で【は】濡れてしまう。
  君がいくらさがしてもそこに【は】ない。

  これは特殊性を表わす「は」で、既知/未知、主語/主題とは何の関係もありません。
  
 このように、例を挙げればきりがありませんが、表現の結果としての語の機能を取り上げても、語の意義、分類を明らかにすることはできません。■
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No.2



口語に文語の正誤を持ち込んでも不毛

ことばは生きているし
表現も自由だし
時間と共に変遷もする
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#7 の補足をさせていただきます。



>>この質問文では話題の中心の『犬』が主題だと思います」

「犬」は主題ではありません。
「犬の数」が疑問の対象であるということです。

主題と言われているのは、「は」で格付けられる対象をそう名付けたという同義反復の意味しかありません。

主題を意味の中心、話題の中心と言うのであれば、「犬が何匹いますか。」の「犬」も主題です。

「が」が排他などと言ってみても語が何かを排除するなどということはありません。
これらは、単に語、文の現象、機能を言っているにすぎません。

言語は話者の認識の表現であり、「は」と「が」の意義の相違は話者による対象の捉え方、つまり判断の相違です。■
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No.11でコメントしたものです。


 冒頭から間違っていますねorz。失礼しました。

 当方も私やiq0-1さんと同感です。
  ↓ ↓ ↓
 当方も質問者やiq0-1さんと同感です。
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