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幕末の西洋兵学の習得には多少なりとも科学や工学の知識が必要だったのでしょうか?
佐久間造山や江川英龍、大村益次郎を始めとした西洋兵学に精通されている方は、同時に蘭学や科学に対する知識も豊富であり、科学技術によって軍事力を増強させようとする姿勢が見受けられます。
西洋兵学と科学技術の関連性について教えてください。

A 回答 (2件)

科学、工学の知識・技術の修得は重要かつ必要だった。



当時の日本の製鉄技術は、刀鍛冶による製鉄技術を応用して、鉄を熱して加工することはできたが、鉄自体を融解することはできなかった。
熱しての曲げ加工では強度が弱いため、大砲、金属製の船等を国産化できなかった。

他にも、物理学(主に力学)においては経験的な知識・技術が中心だったため、体系的な知識・技術が不足していた。
(田中久重が製作した万年時計も、力学的考慮が不足していたため、田中久重の死後とほぼ同時期に故障した)
そのため、高度、かつ高精度の製品が国産化できなかった。

科学、工学の知識・技術の修得および国産化には時間が必要だが、当時にそんな時間的余裕はなく、知識・技術の修得と、製品の輸入を並行して行わざるをえなかった。
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長州で、大村益次郎以上の指揮能力で、奇跡の軍神とも言われた高杉晋作や山形狂介は、蘭学や科学とは無縁でした。


佐久間象山、江川英龍は、いろいろな分野で一流、マルチタイプでした。何をやっても、優れた結果を出せる彼らだから、西洋兵学も習得できたのでしょう。
江川がデザインした兵隊服は、西洋嫌いの幕府上層部にストップかけられないよう微妙に和洋折衷でした。西洋の知識+日本の知識、両方をミックスできる才能ゆえでした。
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