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江戸時代にはお奉行や代官と商人との癒着はけっこうあったのですか?

たとえば紙の横流し、とか

水戸黄門では、とくに紙の横流しが何度もでてくるので
なにかそういう元ネタがあるのかなと思いまして

A 回答 (4件)

江戸時代、武士は表向き経済活動はできなかったので、自らの持つ「許認可権」を商人に与える際にそれなりの対価を要求しました。

その権利や仕事が欲しければ、それなりのことをすべきだという考えです。また町人資本を利用して、地域の立て直しなども行っていました。新田開発などはその例で、それに伴って「開発権」を得るのに多額の寄付?が必要でした。これを賄賂というのは現代の見方で、当時は役職に伴う当然の役得と考えられていました。町の同心が、見回りと称して商人からそれなりの金をせびることもありました。でも全員がそうだったわけではありません。中にはそうした不正を嫌った与力もいました。代表的な人物としては、「大塩平八郎」という人が挙げられます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

>代表的な人物としては、「大塩平八郎」という人が挙げられます。
なるほど、すっかり忘れてましたが、
大塩平八郎、という人がいましたね
クリーンな人だったのですね!

お礼日時:2021/02/24 22:06

と言うのもアレなので・・・・



どこまでからを癒着というのかが微妙ですが
(恐らく現代の倫理観で言うと完全なる癒着でしょうけど)

盆暮れの進物や会食などはご機嫌伺いや情報収集の一環として一般的に行われていました
そう言った交際関係に支出する資金を工面するのが腕の見せ所という部分も有りました

紙に関してですが、元ネタに関しては承知しませんけど
江戸の頃の紙はとても貴重品でしたですから <-真っさらの紙なんて高級品
一般庶民は、使い古しの紙を梳き直した再生紙を使っていました

当時は全て和紙なので、紙を見ずに溶いて汚れを落として梳き直しする事が可能でした
古紙回収を専門にする人々も相当いましたし
そういう意味で紙に対する価値観は現代とは異なります
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この回答へのお礼

ありがとうございます
>どこまでからを癒着というのかが微妙ですが
そうですね、最近はいろいろ厳しくなってると思います

お礼日時:2021/02/24 22:08

戦国時代と違って江戸時代は比較的平和でしたので現代社会に通じるものがあります。

当然癒着も横行していたでしょうね。現実と違うのは正義の味方の黄門様はいなかったと言う事です。平民の直訴はご法度でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
賄賂とか癒着が露見して、政権は倒れてゆくのでしょうね
昔も今も

お礼日時:2021/02/24 19:20

越後屋~お主も悪よの~



という感じでした
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この回答へのお礼

ありがとうございます
あれってやっぱりそういう感じだったんですかね
袖の下、とか賄賂

越後屋、っていうイメージはありますね

お礼日時:2021/02/24 19:17

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