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江戸時代の庶民の学校(寺小屋)はどの様な事を教えていたのでしょうか?規定の教材等有りましたか?
また一般に何歳から通っていたのでしょうか?

A 回答 (5件)

寺子屋とは、江戸時代に日本の全国各地に存在した庶民の教育施設です。

多くは町民が寺子屋の師匠となり、子どもたちに文字の読み書き、そろばんなどを教えていました。

医者や僧侶、裕福な農民などが運営した「慈善事業的な意味合いのもの」、組織や共同体の出資による「協同事業」、生計を立てるために運営されたものなどがありましたが、いずれの場合も師匠は高額の収入を得ていたわけではありません。金額について明確な定めがあったわけではありませんが、入門料や授業料といった金銭の他に、食料品や物品などを納めることもあったようです。

寺子屋の教師を師匠(手習師匠)と呼び、生徒は寺子と呼ばれていました。寺子屋の師匠は、今の戸籍に当たる「人別帳」に知的職業である「手蹟指南」として登録されるなど、知識人として尊敬の対象になっていたため、ほぼボランティアのような形で務める人が多かったようです。

元土佐藩主の長宗我部盛親も、関ケ原の戦いで敗れて領地を没収され、浪人生活を送っていた14年の間に京都で寺子屋の師匠をしていたといわれています。

寺子屋の教育は実用的
寺子屋の教育は庶民の日常生活に必要な実用的なものを重視していました。多くの寺子屋で教えられていたのが、江戸時代の町人に必要だったそろばんや読み書きです。学習は、まず「いろは」や数字などから始め、師匠の「手本」を見ながら書き習う形式でした。

学習が進むと「往来物(おうらいもの)」と呼ばれる教科書を用いるようになります。その種類は、室町時代以降、貴族や武士、僧侶の子どもの教育に使われていた「庭訓往来(ていきんおうらい)」や漢字の学習に用いた「小野篁歌字尽(おののたかむらうたじづくし)」、算術の入門には「塵劫記(じんこうき)」など、7000種類以上に及ぶといわれています。

往来物には、手紙や日常用語を集めた実用的なもの、「東海道往来」など地理関係のもの、道徳的な意味合いが大きい教訓的往来物もありました。 寺子屋で教える師匠の多くは男性でしたが、都市部では女性の師匠もいたといいます。

生徒は男子が多く、女子の教育は家庭内でおこなわれることがほとんどでしたが、幕末期には寺子屋に通う女子も増加しました。ただし、女子が学ぶ内容は「裁縫」「茶の湯」「生け花」などで、男子とは異なっていました。寺子屋は特に江戸時代の天保期に増加し、幕末には1万以上の寺子屋が存在していたといわれています。(※寺子屋の数によっては諸説あり)

江戸時代の日本の総人口は今よりはるかに少なかったにもかかわらずです。平成27年の全国の公立小学校数は2万302校なので、それと比べてもいかに寺子屋が普及していたかが分かります。
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語学や算術を教えていたのは歴史の教科書でも有名ですが、他にも書道、暦法、地理、歴史、儒学、文学など教育内容は多岐に渡っていましが、教育課程は寺子屋によって多種多様でした。

あくまで私学というか今で言う学習塾みたいなものなので、就学年齢も明確な決まりはありませんでしたが、概ね9歳くらいから18歳くらいの間だったようです。学年というものもなく、いつ入っても止めても構わない。故に現代の義務教育と違って勉学嫌いの子供は通いませんから、教育水準は結構高かったと思われます。
「江戸時代の庶民の学校(寺小屋)はどの様な」の回答画像5
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江戸時代の寺子屋では、その子の能力や必要性に合わせて「よみ・かき・そろばん」を教えていました。

黒板などなく、ある程度自由な時間に来て、師匠に習ったようです。当時の浮世絵などにそうした様子が描かれています。授業の様子は、今のフリースクールをイメージされたら良いと思います。
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読み書き算盤が基本です。


読み書きは、いろはにほへと、から始まるので、数え年で5つくらいの子供でも通ったりします。

発展すると、小説を読んだり数学の問題を解いたりします。
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読み書きソロバン。

何歳からでも良いようです。
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