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「会社まで行くのに、毎朝一時間もかかります。」は正しいだとわかりますが、
「会社まで行くのは、毎朝一時間もかかります。」のほうがどうして不自然に感じますか。

A 回答 (11件中1~10件)

木箱、紙箱、リンゴ箱、収納箱、重箱・・・・。


複合語で作られた名詞。
箱、これ単独で名詞ですね。
木・紙→素材、リンゴ→使用目的が特定、収納→使用目的、重→性質・状態・・・・その他。
箱の修飾語として、直前につけられます、それで箱は箱でも、こんな箱、という意味になります、日本語に限らないと思います。
箱は箱でも・・・なんだから、当然「箱」自体名詞ですね。
「の」はね、本来は助詞に分類されます、だけど言葉による表現が理解できないので(形式)名詞と言っちゃいます、おかしいね。
>こういう訳の分からないことを言う人
そっくりお返し可能ですね、ご自身に理解能力がなければそういう表現もあり得るだけなんです
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「公園に」「に」は時間的空間的な位置の認識。


このワンパターンの説明でした。
でも一般の人「公園」これのみで認識できませんか?。
初期のデジタルコンピューター、プログラマーに言わせると「デジタルバカ」、それをまねした論理オンリーの人なら、確かに「に」がないと認識できないのかもしれません。
そのあたりを指摘されて、慌てて?「認識付け」ですと変更しました。
でも、ああ言えば、上祐ではないが「逃げてかわすのは上手だわー!。でも駄目ね!なんでね」。
日本語の感性十分な質問者なら・・・・。
「会社まで行くのを」に続く内容がどんなものなら不自然と感じないのかは容易に想像可能と思います。
個人的にすぐ思いつくのは、「会社まで行くのを」嫌がる、嫌う、(某風営警報等で)断念する。強要する・・・・その他。
これを「会社まで行くのに」と比較した場合、何が異なるのか?。
個人的に思うのは・・・>
会社まで行くのに、の場合は、「行く」この行動を現実に初めて、感じる・判明する内容。
会社まで行くのを、の場合は、「行く」行動を始める必要ありません、行動の具体的な詳細等とは無関係な内容。
「位置づけ」の言葉を使用したいのなら、どのような位置づけなのか、ここまで表示する必要があります。
「の」が形式名詞?、同様の働きをする「こと」これも形式名詞らしい、個人的には、準体代名詞という表現を使います、どちらも「名詞」という言葉を使います。
そこで「の」単独で名詞ですか?。「こと」は、「一旦ことが起これば大参事」なんて使われます「こと」立派な名詞ですね・

※役者、タレント業界の業界用語が「お疲れさま」です。
元々は「お憑かれ様」で、「憑かれる」っていう表現は幽霊とかおばけに「取り憑かれる」という意味で、役者は取り憑かれなければ芸になりません。
「ご苦労様」
は「極道」、つまりヤクザの挨拶で、極道がご苦労に変化したものです。
そして、体育会系の自衛隊や警察官も「ご苦労様ですっ‼︎」になったものです。これが短縮され「オッス!」になりました。

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この回答へのお礼
親父ギャグですか。
 全然おもしろくありません

論理的と言われる書物で仕入れた知識のコピペ丸投げの切り貼りではなく。多分自分で考えたのでしょうね。
表面的のとらえた、おやじギャグが席の山?。
文法や言葉の論理?、デジタル回路の真似しているデジタルバカに任しておきなさい。
言葉H¥が先なんです。文法なんかは後で紐解けばよく理解できます。
今回は、「認知症・・・云々の得意パターンがでませんね」
>こういう訳の分からないことを言う人の説明を聞いていると何が何だか分からなくなります。
なにのエビデンスも、根拠も示さずに他人を貶めるのは得意中の得意ですね。
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>>抽象名詞だろうが、助詞だろうが、言葉の名前なんかどうでもよいです



こういう訳の分からないことを言う人の説明を聞いていると何が何だか分からなくなります。

回答者自身、何を言っているのか理解できていないということです。■
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抽象名詞だろうが、助詞だろうが、言葉の名前なんかどうでもよいです


何のことはない、体言(名詞)で表現されるもの、と考えて一向に差し支えありません、そのように説明されるのが準体助詞。
「の」これ単独で、名詞という人、だれかさんくらいでは、通常は助詞に分類されます。
抽象名詞、だろうが一般名詞だろうが、固有名詞だろうが、名詞は名詞ですね。
言葉にはすべて意味があるといった人なんです、「の」単独でどんな意味があるのか?、それも名詞としての意味。
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これは


1.AするのにBです。
2.AするのはBです。
と一般化できますね。
1は普通の言い方ですので違和感がありません。
2は「は」という助詞がAをBの述語にカテゴリー化している、つまりBの出来事の方に分類しているので違和感を感じるのだと思います。わざわざ分類することじゃあないだろう、という不自然さがあります。
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1.


『会社まで行くのに、毎朝一時間もかかります。』
この「に」は《目的を表わす》という用法の格助詞。

・会社まで行くために、毎朝一時間も必要とします。

という意味。
「かかる=必要とする」で、《何のために必要とするのか?》という暗黙の疑問に答える構文になっているため自然に感じる。

2.
『会社まで行くのは、毎朝一時間もかかります。』
「は」は主題提示の助詞で「~について言うならば・・」という用法。

・会社まで行くことについて言うならば、毎朝一時間も必要とします。

という意味。
この2の表現が、特に間違いというわけではありません。
ただ、

・「会社まで行くことについて言うならば、」⇒(毎朝一時間も)必要とします。

という構文が、

・「会社まで行くために、」⇒(毎朝一時間も)必要とします。

という構文に比べると自然さに乏しいということです。
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格助詞「に」は時間的・空間的な位置付けの認識を表し、「会社まで行く」を「の」で実体的に捉え直し位置づけています。



この「の」は助詞ではなく抽象的な実体認識を表す抽象名詞です。

「会社まで行くのは、」の「は」特殊性の認識を表す副助詞で、「図書館に行く」、「スーパーへ行く」など、他の行為との比較による「会社まで行く」ことの特殊性の認識を表しています。したがって、その後には特殊性に対応した記述が続かなければなりませんが会社へ行くのは毎朝のことで何ら特殊性と対応しておらず文意が齟齬しています。

つまり、副助詞「は」の使用法を誤っているということです。

「会社まで行くの(に)は乗り換えが重なり、毎朝一時間もかかります。」であれば正しい表現になります。■
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この回答へのお礼

詳しく説明していただいてありがとうございます。

お礼日時:2022/08/31 20:52

「の」この場合は準体詞と言われます、直前の内容を体言(名詞)として扱います、この例の場合は、同じ働きの準体代名詞「こと」で置き替え可能です。


そこで、直前の内容?、「会社まで行く」なのか「行く」なのか?。
もし、「行く」のみならば「の」は不要なんです、動詞の連用形はそのままで即名詞に転用可能なんです、連用形「行き」。
会社までの「行き」は毎朝一時間もかかります、違和感がないのでは?。
「会社まで」を体言化?。
「会社まで行く」を体言化したならば「毎朝一時間もかかります」は係助詞「は」で主題として提示したものにかかる説明ではなくなります。
体言化する前の「行く」にかかる説明になります。
※係助詞「は」、主題を提示し、以降続く内容は提示した主題に関する内容に限定される。
これに抵触するので不自然さを感じます。
質問者は十分な日本語の感性をもっています、だから不自然?と感じます。そのうえで、文法を紐解けば、なぜそう感じるのか?がよく理解できると思います。
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この回答へのお礼

本当に助かりました、ありがとうございます。

お礼日時:2022/08/31 20:52

前者は「結果」で後者は「何かを含んでいる」と考えれば、{不自然}の理由が出てくるのでは?

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この回答へのお礼

いろいろな答えを聴きいただきました、どうもありがとうございます

お礼日時:2022/08/31 20:54

「会社まで ”行くのに” 、毎朝一時間も ”かかります” 。


 ↓
「会社まで ”行くために” 、毎朝一時間も ”かけます”」

「会社まで行くのは、毎朝一時間も ”かかります” 。」
 ↓
「会社まで行くのは、毎朝一時間も ”かかり大変です”」

こう読み替えると良いんじゃないかな。
何が違うのかよく考えてみましょう。
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この回答へのお礼

答えていただいてありがとうございます。

お礼日時:2022/08/31 20:55

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