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井沢元彦著の「逆説の日本史」より引用します。

<ところが、戦国大名の中で唯一、女性の力を重んじ、それを活用した家がある、信長の織田家である。>
<織田家では家来の妻の名が伝わっている。>
例として、山内一豊の妻は千代、秀吉はねね、前田利家はまつ、と。

質問は、信長の織田家は、女性の力を重んじ、それを活用していたのでしょうか?

A 回答 (7件)

ここだけ抜粋してもね・・・



原文は、戦国時代の初期、能力主義を取り入れ、関東を制した北条早雲の21箇条の中に、

女を信頼するな・・・火の始末は自分でやれ、

という男尊女卑の文言があることで、早雲でさえ男尊女卑だった。武田氏もそういう傾向があり、織田はそうではなかったようだ。

その例として、信玄ですら妻の実名がわからないのと比較して、織田の方は、部下でさえも、妻の名前がはっきりわかる。

と言っているだけ。独特の論理の飛躍はあるにせよ、新しい視点として面白いですよね。

日本の歴史って、

・御用学者が
・証拠だけをもとにつみあげ、
・その背景となる事象への想像や仮説がおざなりになる

と思います。だから、科学的にも、医学的にも、各地の神社伝承との比較でも、常識で考えた流れでも否定されている日本書紀の記述を正史として、万世一系などと言っている茶番が出てくる。

もっと、歴史は自由に語られてしかるべきです。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<独特の論理の飛躍はあるにせよ、新しい視点として面白い>ですね。
<歴史は自由に語られてしかるべき>ですね。

お礼日時:2022/12/12 13:45

>籠城跡でなく古戦場後で?



そうですね。籠城した場合は、割と遺体を片づけていたはずで、関ケ原のような合戦場だと、放置される遺体がそれなりにあったようです。

なので「骨」が出土するのは古戦場後、つまり元々半農半士ぐらいの下級武士(郷士などの地元農地主)で、足軽クラスでも女性の参戦者が多かった、という事を意味しています。

世界的にみて女性兵士は記録はあるもののかなり少なく、また「積極的に参戦した」というものはあまり多くありません。

これは殆どの時代に「女性には財産権・相続権などがない」状態だったからで、日本のように「自分の財産(親から相続した田畑など)を守るために出兵する」必要性が女性には無かったからです。

逆に、#6で示したように、日本では女性城主などもいて「自分の財産を自分で守る」ために参戦したわけです。
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この回答へのお礼

再度の御回答ありがとうございました。
1.<関ケ原のような合戦場だと、放置される遺体がそれなりにあった>のですね。
2.<日本では女性城主などもいて「自分の財産を自分で守る」ために参戦>なのですね。

お礼日時:2022/12/14 18:51

>質問は、信長の織田家は、女性の力を重んじ、それを活用していたのでしょうか?



はい、活用していたと思います。ただし、それは「信長に限ったことではない」です。

まず戦国時代には「女武者」と呼ばれる女性達が割と多く活躍しています。
・信長の名による高遠城攻めの際の諏訪頼辰の妻「はな」の実戦での奮闘
・上野は新田金山城主・由良成繁の妻が夫の死後、知略を尽くして家や息子を守った史実
・豊後大友家の名将・立花道雪の娘で、父の死後事実上の城主だった誾千代姫
・伊達政宗に対抗した、政宗の伯母にあたる阿南姫
・豊後の鶴崎城主・吉岡鑑興の妻(夫の死後は妙林尼)、息子たちの出兵中鶴崎城の守りは妙林尼が担い島津から城を守った
などで、wikiの「日本における女性の合戦参加の年表」を見ると、戦国・安土時代だけで27人の女性の名前が挙がっています。(史実かどうか不安なものもあります)

また、戦国時代などの古戦場後から出土する兵士の骨を調べると大体3割ぐらいが女性だったと推定されています。もちろん足軽レベルが多いです。

総じていうなら「世界的に見て、日本は家系の維持に女性の力も使うのが普通だった」ということになります。この点、織田信長だけではないし、井沢元彦氏はそのあたりの事実や理由を知らなかったのだと思います。

事実や理由とは、なにか?というと
「日本では女性にも財産権や相続権が男性と同等にあった」ということです。

財産権が女性にもある以上、武家が男子相続を基本としていたとしても「女性が相続できない」わけでは無かったし、妻として夫の家に入ったとしても「夫や息子に代わって、白や領地などを守ることができなかったわけではない」のです。

この点は、そもそも鎌倉幕府に尼将軍が居たこと自体、世界の一般的な事例と全く異なる様相を示しているのですが、日本人は《当たり前の歴史》すぎて、そのことに気がついて居ないのです。

ちなみに日本人が何に気がついて居ないかというと「日本女性には古来から男性と同等の諸権利があり、日本以外の国、特に西洋国では女性に諸権利が無かった」という点です。

なので、井伊直虎のような女城主がいるのも当時の法から見て不可能ではなかったし、そのような事を含めて「(世界と比べて)日本の歴史は女性の活躍も多く、特に戦国時代は女性の活躍がたくさん記録されている」のです。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<活用していたと思います。ただし、それは「信長に限ったことではない」です。>ですね。

気になった点は<戦国時代などの古戦場後から出土する兵士の骨を調べると大体3割ぐらいが女性だった>ですか。籠城跡でなく古戦場後で?

お礼日時:2022/12/13 17:52

一人は太閤秀吉の妻で日本史上有数の政治力を持った大物。

他の二人も大々名となって明治まで名を残した藩祖の妻。別に織田家の家来の妻だったから伝わったわけではないだろう。

ねねは大別格として、まつも妻としてだけでなく、個人としても活躍しているので問題ないとして、千代はどうだろう。
山内家は、石高をかなり水増しして見栄を張って背伸びする気性の藩だったから、加賀前田家に対抗して藩祖の妻を無理矢理かなり話を盛って伝説化してお家自慢のネタにしたような気もする。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<ねねは大別格として、まつも妻としてだけでなく、個人としても活躍>ですね。例に挙げられた3人は、知られていても当然なのですね。

お礼日時:2022/12/13 17:46

信長だけでなく、昔から活用してました、それの、最強の御仁は、


平安時代の藤原道長です、姉(詮子)の産んだ66代一条天皇に、
長女彰子を、嫁がせ、彰子が産んだ二人の皇子に、三女威子と四女嬉子
に嫁がせ、68後一条妃と69後朱雀妃にしてます、次女妍子は姉超子が
産んだ67代三条天皇に嫁がせています。
近親婚なので、天皇は若死にしてます。
藤原道長の詠んだ和歌
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば」
信長も家康も足元にも及びません。

マリー・アントワネットはオーストリアのハプスブルク家から、
フランスのブルボン家に嫁ぎました、西も東も考える事は同じな様です

山本五十六は言いました、「男は歴史を造る、女は、その男を動かす」
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<信長だけでなく、昔から活用>ですね。

お礼日時:2022/12/12 13:47

名前が伝わっていることと「女性の力を重んじ、それを活用した」かは別次元です。


そもそも、名前に対する意識や認識は、明治以前と以降では全然異なりますから。
いかにも井沢らしい、いい加減で適当な論法ですな。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございました。
<名前が伝わっていることと「女性の力を重んじ、それを活用した」かは別次元です。>ですね。

お礼日時:2022/12/12 13:42

「逆説の日本史」なのですから、通説にはそのような形跡はありません。


書かれた立場の分別をつけて読まないと。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
<通説にはそのような形跡はありません。>ですね。

お礼日時:2022/12/12 09:11

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