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広島の教員組合(広教組)と韓国の教員組合が、朝鮮通信使をテーマとし、共同で歴史の副教材を作って出版するそうです。それは別にいいのですが、その内容に疑問があります。

「韓国側は「幕末には朝鮮を格下に見る意識が芽生え、それが増幅して侵略につながった」と指摘。当時から通信使を朝貢使と呼び始めた事実もあり、再検証の結果、「対朝鮮外交の一大変化-対等から格下へ」の章を設け、韓国側の視点も盛り込んだ。」

とありますが、朝鮮通信使について私は、中国からの学問、文化を教えてもらうため日本の学者などが朝鮮通信使に教えを請いにいくと、小中華思想に基づき日本を侮蔑していた朝鮮人は足で筆を持って字を書くなど、尊大で日本人を嘲る態度で接し非常に屈辱的な関係だった、という話を聞いたような記憶があります。

この副教材の内容と、私の認識はどちらが正しいのでしょう?それとも、同じ朝鮮通信使でも時代によってその状況が大きく変化しているのでしょうか?

A 回答 (1件)

安直にどちらが正しいと言うことは出来ないでしょう。



事実と推定と言う問題もあります。
証拠、すなわち文書自体も、(当時)意図的に偽物を発行することもあります
同盟の密書などがそうです。

今回の件ですが、「教員組合」というところから既に偏った視点と見るのも偏見に過ぎるでしょうか。

「朝鮮人は足で筆を持って字を書く」のも、座興なのかも知りませんし、足で字が綺麗に書ければ、それはそれでたいしたものです。

また、今回の説と、ご案内の記憶が共に正しい場合もあります。
朝鮮通信史を、朝鮮街道と言う遠回りの道を通して見世物にし、わが国を優位に見せる演出。
それに反発して、尊大な態度。
負け犬の遠吠えとも言いますが。
どちらも正しいかと。

人それぞれでも異なるでしょうし。
21世紀では警察官と言えども、酒酔い運転から痴漢、誘拐、強盗など毎日聞きます。
中には態度の悪いものもやって来たことでしょう。

巷の説もどこまで正しいものか。
忠臣蔵が良い例で、会った事もない吉良上野介を日本国民の99%が悪者に決め付けています。
実際、知行地では名君との記録もあります。
そしてまた、浅野匠守は知的に問題もあったと。
大体から、主君(徳川)の城で、使用人(浅野)が、上司(吉良)と喧嘩して、接待のさなか切りつけるなんて・・・。
宮中晩餐会で、料理長にウエイターが来賓の面前で喧嘩売ったらどのように見えますか?

忠臣蔵はあくまでドラマです。

「対朝鮮外交の一大変化-対等から格下へ」を言うなら、その前の「格上から対等へ」も言わなければなりませんよね。
「格」なんてものは力関係ですから。
腕力のないものは知力、あるいは位や役職と、みなさん何かにすがるでしょう。

また、地域が違えば文化も違いますから、そもそも同じものの考えに立つことも難しいものです。
事件事故で韓国の民衆の泣き叫ぶ姿を良く見ます。
狂乱的に泣き叫んでますが、日本人にはオーバーに見えるでしょう。
が、逆に、日本人を見れば「悲しくないのか」「冷たい」とさえ映るんでしょうね。

イスラムが悪く言われてますが
女性のベール、抑圧の象徴みたいに言いますが、結婚するまで、その容姿を見せない、すなわち、他と比較できない、と言う政策は、ある意味、美人選択への制限であって、容姿ではなく人を対等に扱う姿勢でもあります。

質問そのものの回答ではありませんが、歴史認識をテーマにした内容のようですから、単に一例的意見での判断ではなく、真の分析的視点を持つことが必要と思われます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

広島県教組というと、民間採用の校長が教職員によるイジメで自殺したところですね。

今回の副教材について韓国紙の記事ですが

韓日歴史教育界、共同で「歴史副教材」制作へ
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/20 …

では、広島県教組の教師の言葉として

>「基本的な事実も知らないのに、安重根と伊藤博文について
>どう評価ができるだろうか」と憂慮した

とあります。どんな評価を教えようとしてるんでしょうか・・・


朝鮮通信使の性質については、このURLに詳しくありました。
http://mirror.jijisama.org/rekisi1.htm#tuusinsi

これによると、朝鮮は儒教の朱子学のみを正当とし、この頑迷な価値観で、様々に発展していた日本の思想に対しており、日本側にとって交流から学問的に資する点は少なかったようです。

ただ、通信使等は漢詩に長けており、ミーハー気分で書いてもらいにいった者がいたということで、「足で字を書いた」というのはこれにあきれての事かもしれません。

朝鮮通信使の日本を評する言葉として「真に禽獣なり」「真に百蛮の冠たり」とり、儒教秩序に厳格な挑戦人に取り、そこから外れる日本が我慢ならなかったようです。

ただ、実学・洋学志向の高まった幕末において、日本が朝鮮通信使にまったく価値を感じなくなったであろうことは想像がつきます。

お礼日時:2005/04/17 01:52

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