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こんにちは
今日はとんびとかいう昭和の映画を見てました
昔の人は暴力暴言当たり前で厳しいです
その上もその上の世代も厳しそうです。ふと思ったのは明治維新以降は軍隊の時代だったからビシバシやってきたので厳しかったのではないかと思うのですがどうなんでしょ?
江戸中期の男性ってそこまで厳しくなかったのではないかと思ったのですが。
幕末急に軍隊の時代となり時代についていけない人たちが結構いたのでしょうか?
それとももともと荒々しかったのですかね^o^;

A 回答 (6件)

>> それとももともと荒々しかったのですかね^o^;


         ↑
>   都会と地方では違ったようです。

18世紀のころの各地の状況を知る方法がないと思います。
あくまで想像ですが、たぶん、江戸でも、京、大坂、田舎、山村、漁村、街道筋、門前街、どこでも、日常生活で個人相互、あるいは集団相互での一次的な争いや長く続く抗争、ちょっとした諍いの状況に、さほどの違いはなかったと思います。 ただし、昔は、言葉に地方差は大きかったです。 他の地域の人の言葉がいかにも喧嘩をしているように聞こえたり、乱暴に聞こえたりするし、文化習慣の違いも、他の生活文化習慣のものは、マナー違反に思えるということは、多々あったと思います。
https://toyokeizai.net/articles/-/642331?page=2

> 今日はとんびとかいう昭和の映画を見てました
> 昔の人は暴力暴言当たり前で厳しいです

それも、ただの生活習慣の差でしょう。 
いまの時代の子猫同士でも諍いはします。じゃれているのではなくて、ビシバシやったり唸ったり噛んだりしますが、数分後には仲良く密着したりしまう。 人間の場合でも、そういうことは多いです。 多かったでしょう。 大人の職場でも、怒鳴る、バカヤロウ的な言い方をすることも、20世紀なら多かったのではないかと思います。(職場によってずいぶんと違うでしょうが)

> 維新以降は軍隊の時代だったからビシバシやってきたので厳しかったのではないかと

軍とも、侍ともほとんど関係のない職人の職場では、ビシバシはつ風だったでしょう。 集団で仕事をするようなことが多い職場では、一人のミスや遅れ、不調和があると、危険になったり、全体が失敗したり、とにかく大変です。 ぴったりと息が合う、技能をちゃんと使えることが、職場全体にとって大事だと、新米だから、下手だから仕方ないとは思えないので、ビシバシやるでしょう。 商家の使用人でも、使用人の行動は店の信用評判に大きく影響するので、先輩は後輩をビシバシとやります。

「仲間にはいれてやらない・ハブってしまう」という方法で対処するわけにはいかない、《何としても同じようになって欲しい・しっかりとして欲しい》という気持が強く自然に働くと、口調もビシバシとなって、言葉もそうなるのではないかと思います。

いまの時代の日本では、性同一性でも、閉じこもりでも、不登校でも、サボリでも、《個々人が自分で好きにして良い》が主流で正当という状態になって来ているので、そもそもビシバシいう必要そのものがなくなっているのでしょう。
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明治維新以降は軍隊の時代だったから


ビシバシやってきたので厳しかったのではないか
と思うのですがどうなんでしょ?
 ↑
それもあるでしょうが、当時は
人権なんて概念は無かったですからね。



江戸中期の男性ってそこまで厳しくなかったのではないか
と思ったのですが。
幕末急に軍隊の時代となり時代についていけない人たちが
結構いたのでしょうか?
それとももともと荒々しかったのですかね^o^;
 ↑
都会と地方では違ったようです。

江戸の旗本などは、刀を抜いたこともない
なんてのがゴロゴロしていました。
腰に差していると重いので
なるべく細身の刀が好まれました。

武術よりも学問、ということで
武士が官僚化していました。

だから、旗本が戦争の役に立たず
新撰組なんてのが活躍出来たわけです。

これに対し、薩摩藩などは、子供の頃から
死になじませる教育をしていました。

刑場から生首を持ち帰るとか
墓から死体を掘り出して、刀で斬る
という、肝を練る、鍛錬をしていました。

縒った綱を天井から吊るし、
其の先端に火をつけた火縄銃を縛り付け
それをグルグルまわす。
その周りで飯を食う。
銃が何時発射されるか判らない。
そんなことを心配する奴は臆病者として
笑いものにされた。



長州藩でもこんな逸話が。
吉田松陰の叔父、玉木 文之進。
吉田松陰が勉強しているところに
蚊が来た。
それを松陰が潰した。

これを目にした玉木 文之進は、松陰を
半殺し。
「学問をするのは公に尽くすため。
 蚊を潰すのは私事。
 私事を公より優先させるのは何事か!!」



こんなところでは人権などありえません。
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江戸時代までは戦は武士がするもので、庶民は武器を手に戦いに参加


する事はありませんでした、明治になると兵役の義務が生じて納税を
した上に武器を手に戦う事になりました。
大日本帝国陸軍は大和魂が有れば負ける事なぞ有り得ないとして、
新兵の魂と根性を鍛えるの名目で体罰を加えいじめをしていました。

体育会系で時々暴力沙汰が表面に時折出て来るのは、大日本帝国陸軍の
魂が亡霊の様にさ迷っているからなのです。
この事が結構、根深く潜んでいるのです。
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江戸期の刑罰で重い物は打首獄門、はりつけ、火あぶり、のこぎり挽きです。


軽い物にも百叩き、手鎖など。
厳しいです!
中期には有名な生類憐れみの令で動物にちょっと何かしたらボッコボコです。
武士は表芸の剣術を道場で学び毎日ボッコボコ。
悪いことしたら切腹!
町人は丁稚奉公で幼いうちから住み込みで朝から晩まで働いて、
職人の弟子になればぶん殴られて仕事を覚える。
武士に粗相があると無礼者~!ってバッサリです。
厳しいです!

まあ、実際の江戸期を生きてないので何とも言えないですけど、平成も前半くらいまでは学校で先生に殴られるとかたまにありました。
凄く珍しい訳でもなかったし、殆どは特に問題になってないです。
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はい、大和民族(日本人)は元来戦闘的ですよ。


戦争が無くなって平和な世になった江戸時代に、今の暴力団の元になる侠客が出現しています。

縄文系民族は見た目には堀が深く恐ろし気に見えますが、実際は和風な顔立ちの弥生系民族の方が残忍で戦闘的です。

だから今の時代でもフィリピンなんかに高跳びして、強盗の指図なんかしているのです。
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私も映画や小説などから、明治・大正や江戸時代の雰囲気を推測することしかできませんが・・・。


昭和の頃は、小学校や中学校では、体罰当たり前でしたね。
先生が口答えして生意気な生徒がいたら、強烈なビンタを喰らわしていて、生徒のメガネが吹き飛んでいましたよ。
大東亜戦争中の軍隊では、精神注入棒で、ぶんなぐっていたと思います。

日清・日露戦争のころは、「憧れの軍人さん!」って感じで、男性であれば誰しもが軍人になろうと思う雰囲気があったと思いますし、厳しい時代だったでしょうね。
もちろん、江戸時代も厳しかったのではないでしょうか?
ただ、浪人となれば別でしょうけど。

歴史には詳しくないので、このくらいしか書けないですが・・・。
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