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天武天皇以前に政治を支えていた豪族は、皇親政治の時にどこにいったのですか?

A 回答 (3件)

主なものは殺されましたが、それほどでもなかった者も朝廷からは一掃されました。


ただ、日本は一族皆殺しの習慣はありませんでしたので、子供は殺されもせず処罰も受けませんでした。
中臣鎌足が藤原姓を賜ったのち、鎌足の次男が藤原姓を引き継ぎましたが、壬申の乱で次男はまだ子供だったので、何の処罰も受けませんでした。

しかし、中臣一族は近江朝側だったので大人は全員処罰されまくりでした。それで次男は、苦労して下級役人となり、一番下から官僚人生を始めました。そしてその次男は持統天皇に接近することに成功し、立身出世を重ねることになります。

その人こそ、奈良時代を代表するというか、日本史上最大の大政治家と云っても良いくらい傑者の藤原不比等です。
稀有の策謀家だったという評もあり、その一端は不比等がモデルと云われる竹取物語の車持皇子の描かれ方によく示されています。
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No1さんのおっしゃるとおりです。



天武天皇を支えたのは、天武に近い皇族および地方豪族です。近江朝廷に近かった大豪族は、壬申の乱で大打撃を受けます。

近江朝廷に対して反乱をおこして実力で皇位についたのですから、天武の権力は当然強くなります。現在でもクーデターをおこして政権を掌握した権力者は絶対的な力をもちますよね。以前の豪族などが生き残っていたとしてもかってのような力はもてません。

ですので、前代以来の貴豪族の勢力を抑え、律令制をとりいれた中央集権の政治を大きく推進することができのですよ。現在では「大化の改新」の業績とさていたものも、その多くは天武になってからのものとされています。
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壬申の乱で負けて没落したかと。

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