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伊藤博文は長州藩の足軽だったらしいですが、これは士分なんでしょうか? それとも卒ですか

A 回答 (1件)

それは卒でしょう。


博文の出自(生まれた家柄)については諸説あるようですが、元々は農家です。博文の父は林十蔵と言いました。十蔵は破産して、農家から脱落し、城下町へ出て行って日雇いの仕事を転々としました。やがて、蔵元付中間の水井武兵衛に奉公するようになりました。
中間(ちゅうげん)とは武家の奉公人だから、十蔵は奉公人の奉公人になったってこと? そうは言っても、蔵元とは藩の年貢米の管理所、そこに勤務して米やお金を取り扱っている中間なら、武士の身分は無くても才覚のある人でしょう。
それが水井武兵衛です。十蔵は水井の養子になりました。十蔵は良く働く男、水井はこれを養子にしてやって、その代わりオレに尽くしてくれよ、ということでしょう。

さらに、水井は足軽の伊藤弥右衛門という人の養子になりました。これは水井が伊藤から足軽の株を買ったようです。水井は小金を貯めていたと思われます。
武士の株は売り買いされていて、買えば武士になれました。売ったほうは武士の身分を手放して、ご隠居さんでしょう。なお、長州藩で足軽は卒の身分です。

ということで、足軽の養子の養子となった十蔵は、足軽の身分を得て伊藤姓を名乗りました(伊藤十蔵)。十蔵の跡取りが伊藤博文です。
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