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江戸時代に試し斬りに使われていた罪人の遺体は真っ二つに切られたあとどうなるのですか?

A 回答 (3件)

夜、下人の手で屋敷から運び出され、無縁仏として埋められます。

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江戸時代、庶民の死刑には6種類あったといわれています。

 刑の軽いものから順番に、下手人、死罪、獄門、磔、鋸挽、火罪、です。

罪人の遺体が試し斬りにされるのは、2番目に軽い死刑である「死罪」になった人の遺体だけです。 死罪の場合、斬首により命を絶ち、死骸を試し斬りにします。 命を落とした者の首は、斬首された場所の土壇場(首切りの刑を行うために築いた土の壇)にて、斬首後の死骸を載せる台の上に首が載せられ、3日間晒された後、試し斬りされた遺体とともに土に埋められました。 

なお、首が瞬きをしたり、口を動かすことがあるため、見苦しい表情を見せないように、首を縫い合わせることもあったとされています。 

また、「死罪」によって処刑された者の遺体は、財産没収や市中引き回しといった付加刑がある場合もあり、遺族による埋葬や弔いは許されませんでした。

遺族による遺体の引き取りが認められたのは、最も軽い死刑である「下手人」の場合のみです。 「下手人」は首を斬られるだけで、遺体は遺族に引き渡されました。

因みに、つくばエクスプレスの工事中に出てきたのは頭蓋骨だけです。 それ以前、1960年6月、日比谷線の工事の際に、小塚原刑場に関するとされる大量の人骨が出土され、それらは首切地蔵の前に山積みされました。

1998年10月30日に、元小塚原刑場の近くでのつくばエクスプレス(当時は「常磐新線」と称されていた)の建設工事中に、竹のタガがはめ込まれた直径75 cmの筒状の丸い木枠(厚さ6 cm・長さ1.38 mの板を13枚並べて作られたもの)の中から、104人分の頭蓋骨が掘り出されたことがニュースになりました。 荒川区教育委員会などは、これらは「小塚原刑場に関するものと予想される」と話しており、頭蓋骨は後日調査のために国立科学博物館に送られました。 

またその後2001年 - 2002年にも工事に伴う本調査が行われた際、頭蓋骨252体分、四肢骨約1700点と大量の人骨などが掘り出されています。 これらは棺などの入れ物を用いずそのまま土に埋められた状態で、1平方メートルあたり2体分埋まっていたという過密状態だったと言います。
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引き取り手があれば渡されますが大抵は無いので、刑場や近くの寺の墓地に埋められます。


つくばエクスプレスの工事中、小塚原刑場跡からおびただしい人骨が見つかったそうです。
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