プロが教えるわが家の防犯対策術!

英検3級レベルの社会人から外国人と普通に話せる程度までレベルを上げた体験談のある方、もしくは知ってる方の話を聞いてみたいです。
毎朝1時間英語の勉強をするので精一杯ですが英語を話せるようになるでしょうか?
学生時代に取り組んでこなかった人でも話せるようになったエピソードを聞いてモチベーションを保ちたいです。

A 回答 (3件)

英検3級で外国人(アメリカ)の方と生活したことがありますが、勉強は文法の暗記なのでそれを覚えてても実際に話すのが1番だと思いました。



(単語が分からないと話の内容も汲み取れない事があるので勉強は必要ですが、熟語とかを必死で覚えてもネイティブの人は省略して話したりするのであまり意味がなかったです。)
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『勉強する』と言った時点で私は『違うんじゃないかな』と思っています。



学問としての英語を扱うのならば別でしょうが、日常生活の中で使っている日本語と同じような、英語圏で日常生活を送るための生活言語としての英語であれば、それは『勉強』するのではなく、ただ『覚える』『慣れる』だけです。

私は在米の隠居爺です。
プロファイルにも記した通り、若いころに当地に渡って来ました。

私は昭和の時代の日本のド田舎の生まれ育ちで、英語は学校で教えられるものにしか触れたことはなく、社会人になって当地に来るまで、外国人が実際に外国語を話すところは、映画やテレビ以外では見たことがありませんでした。

それで当地に来て仕事をするようになった時、私の同僚が見かねて私を訓練してくれました。

どうやったかと言うと、彼の家に世話になり、仕事とトイレと寝る時以外はずっと彼のそばにつき、ひたすら何かをしゃべり続けるというものでした。

見たこと、聞こえたこと、感じたこと、思ったこと、想像したことなど、何でもいいから話せ、と。

通勤で車で走っていると、外に見えるお店の看板を読み、交差点に止まると前に止まった車に貼ってあるステッカーに書かれたものを読む。
買い物に行けば棚に並んだ商品の値札を読み、レジに並べば買おうとしている商品の説明書きを読む。
テレビを見れば画面に映ってる人が話すのを真似し、食事をすれば感じた味を表現したり料理の見た目を説明する。

ともかく話し続けました。

その時仲間はこう言います。

私『xxxx』
仲間『違う、それはこう言うんだ、▲▲▲▲、さァ言ってみて、▲▲▲▲』
私『〇〇〇〇』
仲間『違う、同じように真似してみて▲▲▲▲』
私『◇◇◇◇』
仲間『違う、よく聞いて▲▲▲▲』
私『△△△△』
仲間『違う▲▲▲▲』
私『▲▲▲▲』
仲間『そうそう、▲▲▲▲』
私『△△△△』
仲間『違う違う▲▲▲▲』
私『▲▲▲▲』
仲間『そうそう、もう一度』
私『▲▲▲▲』
仲間『もう一度』
私『▲▲▲▲』
仲間『もう一度』
私『▲▲▲▲』
  ・・・

これを、ひたすら、延々と毎日繰り返しました。





後日、彼はこう言いました。
言葉は赤ん坊でも覚えられる。
だから、同じようにやればいいんだ。

赤ん坊は、親が話したことを耳で聞き、それと同じに聞こえるように声に出す。
それが親に受け入れられると親は喜ぶ。
赤ん坊は親が喜ぶのを見て、それが正しい発音なのだと理解するとそれを繰り返す。

発音の仕方に慣れると、それを組み合わせた単語を発する事が出来るようになり、そのことばの意味をそこに紐づけするようになり、それを組み合わせて文章で表現できるようになる。

このプロセスで赤ん坊は教科書なんて使わない。
辞書も使わない。
文字さえ使わない。

文法もイディオムもない。
そう話すんだということがまずあり、それを覚え、それに慣れた後でその意味を理解する。

言えないことは覚えても意味はないし、覚えても慣れなければ使い物になんてならない。
慣れたものに対して意味を理解させれば『じゃぁ、つぎからはそれを使おう』と言う気になる。

言葉なんてそんなもんだ。





ひたすら話すというのは、『口に出す』という動作を『考える』ということを通さないでできるようにする訓練でした。

無意識で目で見たり、聞こえたり、肌や舌で感じたりしたものをとっさに表現しないといけない場合、いちいち『考える』なんて言うプロセスは経ないですよね。

やけどするほど熱いものに触った時や、物が落ちてきて危ないと思った時なんかにとっさに出てくる『あちっ!』、『あぶないっ!』って言うあれです。

それと、『This is a pen』と言うことが正しくて『pen a is this』とは言わないことを普通と感じる慣れを醸成するのです。

それがイディオムだからとか、それがSVOCの構文だからじゃなくて、そういう単語の並び方が正しくて、そうじゃない並び方は変だという感覚を作るのです。

そういう知識ではなくて、慣れから来るセンスとか感覚としての『常識』をまず作ることが大事だと彼は考えていたようです。

そういった慣れを、まず最初に何か月も掛けて作りました。

よく使ったのはビデオでしたね。

ニュース番組を録画し、そのうちのちょっとの場面をひたすら何度も掛け直し、キャスターが言ってる言葉を耳から聞き取って暗記し、真似ました。

好きな映画のワンシーンでそれをやったこともよくありました。

そんなことのほかにも、色々覚えた言葉を、しりとりだとか、同義語、反語、類似語なんて言う形でゲームのように言い合ったりしたもんです。





そんな彼からはいろいろなことを教わりました。

雑談の仕方、電話のメモの取り方、会議での議事録の取り方、会議の進め方、道案内の仕方、病気になった時の病状の説明の仕方、ビジネスレターの書き方、プレゼン資料のまとめかた、報告書や企画書の作り方、履歴書の書き方などとてもここでは書ききれないほどいろいろ教えてもらいました。

こんな事も教わりました。

人間は覚えることがたくさんあるけど、覚えるのが苦手な人も居る。

でも、赤ん坊のころは言葉をちゃんと覚えるんだから、誰だって覚えることはできるはずだ。

ただ、一度にたくさん覚えようとするからできないか、たくさん覚えないといけないと思った瞬間に嫌気がさして覚える意欲をなくしてしまうのが問題なのだ、と。

それなら一日ひとつだけ覚えることにすればよいのだと。

その代わり、そのひとつだけは絶対に覚えることにする。

だから、ある日覚えることにしたら、その日はそのひとつのことをひたすら一日中意識する。

頭の中で思い出してみる、書いてみる、書いたのを目で確かめてみる、声に出してしゃべってみる・・・ともかく、一日中、何かをしたらそのどれかをやってみる。

それを毎日続ける。

今日は気分が乗らないから明日ふたつ覚えることにするのはダメ。

そんな気が起きたら『お前は一日一個もできないのか』と自分自身を罵れと。

それを一年続ければ365個のことを覚えられる。

どんな立派な単語帳を買って来ても、三日坊主になるぐらいなら、これをするほうがはるかに楽なはず。

ためしにやってみると良いですよ。

一日一時間かけて何かをするよりよほど楽に長続きさせられて、現実に効果はありますから。





結果として私は当地に骨を埋める覚悟ができるまでに当地になじめるようにはなりましたが、耳から覚えたのが災いし、私の英語にはなまりがあることになっちゃいました。

ある時私だけで日本に出張することになった時のことです。

長旅を心配してくれた秘書さんは、私にファーストクラスの切符を手配してくれました。

搭乗時刻になって機内に入って席まで行くと、私の隣席にはもうすでに隣席の客は着席していました。

当地の人は話し好きです。
飛行機なんかで席が隣同士になれば、挨拶をして雑談をするのは礼儀です。
ですがそこで私はやらかしちゃいました。

手荷物を頭上の棚に上げながら挨拶をしたのですが、ふと見ると隣席の客は私の顔を見上げながら固まり、目は点になっていました。
思いっきりの南部なまりであいさつをしちゃったんです。

日本にも山形弁を流ちょうに話すアメリカ人のタレントさんがいましたよね。
あれと同じです。
というか、方言がもっときついですから、青森の津軽弁か鹿児島の薩摩弁であいさつしたようなもんでしょう。

ファーストクラスに入って来る東洋人ですから、彼はきっと日本人か中国人を想像し、日本語訛りか中国語訛りの英語が来るだろうと予想していたのだと思います。

私もすぐに日本語訛りの英語に切り替えて返事はしなおしました。
そこから何を雑談したかは覚えてませんが、良い時間は過ごせたと記憶しています。

私の英語のお話でした。
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中学高校大学と授業でやった英語だけで会社入ってすぐに一人で米国に出張、3か月滞在したら普通に会話できてなんなら会議のとき通訳するようになってたよ。


仕事と命が懸かってたら、基礎さえ授業で身についてたら会話なんてすぐできるようになる。少なくとも自分はそうだった。インターネットなんてない時代だったから、完全に日本語とは隔絶した毎日だったのも良かったのかもね。
なにしろ基礎ができてればあとは場数ですわ。
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