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菅原道真の怨霊が雷神と言われていても、なら藤原時平の怨霊が風神とか言われてないのは何故でしょうね?

A 回答 (4件)

追記します



醍醐天皇と左大臣、藤原時平らの策略により
菅原道真は太宰府に左遷され、その二年後に無念の思いを残しつつ亡くなりました

道真の死後、京都では天変地異が続くようになり疫病もはやり
人々は道真の怨霊が雷神になったと噂し(噂の範ちゅうを超えない)
その雷神は、遂に清涼殿の時平を襲いました

その後、朝廷は神社を建てて道真の霊を鎮め、天満天神の号をおくり太宰府天満宮、北野天満宮など学問の神様として庶民の信仰を集めるようになったとの事

諸説いろいろあります
風神雷神の構図とは別に考えた方が良いと思います
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左大臣藤原時平の讒言(嘘偽りを進言)により醍醐天皇が右大臣菅原道真を大宰員外帥として大宰府へ左遷し



道真の子供や右近衛中将源善らを左遷または流罪にした為 道真には怨念が残り

時平は道真を追い払った方なので怨念は残らなかったからではと思います
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まずは菅原道真の怨霊が天神と化し、


嵐と雷を招く雷神ともいわれた。
ここでいう雷神と、風神雷神図の雷神は、
同一視されているものではないのではないでしょうか。
この対になっている風神雷神は、
古事記や日本書紀にも記されていますし、
その出自はイザナミ、イザナギというところまで、
ルーツをさかのぼることができる神です。
菅原道真の生前から信仰されている神なので、
菅原道真の怨霊がこの雷神になったというように、
考えていたのではないのだと思います。
あるいは菅原道真の怨霊が風神雷神図の
雷神と同一化したと考えたとしても、
その時点ですでに相方の風神はいるわけなので、
その雷神の対極として、藤原時平が風神と化した。
そういう風に考える必要がなかったとも考えられます。

もう一つは大鏡によると、
当時から藤原時平の評判はよくなかったようで、
菅原道真が己に降りかかる理不尽を嘆き、
怨霊と化してしまうのは致し方ないとしても、
その呪いを受けて藤原時平が死んでしまったとしても、
それは自業自得だと解釈する風潮が強いようですね。
つまり時平の諫言で左遷された道真は、
恨みを抱いても仕方がないよねと解釈されても、
その謀を仕掛けた時平は罰を受けるべきだよね。
というような解釈で描かれているようです。
するとお互いの嘆きや恨みをぶつけ合う存在として、
雷神に対する風神というポジションに祀り上げられなかった。
そのように考えることもできるのではないでしょうか。
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時平は怨霊になってないからです。

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