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地位の高い武将の兜のデザインは様々趣向を凝らしていますが、まだ何も知らないころ初めて伊達政宗の兜を見た時シンプルなデザインながら「これは大将の兜だ」とすぐ分かったのですが誰が見てもそうなりますか?

A 回答 (4件)

はい。


伊達家の甲冑は、政宗の甲冑のデザインを模倣したものが流行りでしたが、やはり、政宗の三日月形の前立ては一番長大で、家臣たちなものは遠慮がちな大きさです。
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> 伊達政宗の兜の前立ては《一目で》大将の兜だと分かりますか?



伊達政宗の兜の前立をあらかじめ知っていれば、《一目で》「伊達政宗の兜!」と分かるでしょう。
基本的に、ユニークで目立つ意匠を凝らして「だれの兜なのか」が分かるように拵えたものが「変わり兜」というものです。
ただ徴発されて戦闘員にされてしまうものは、支給品のような兵装をするのですが、一応「武門の家の武士だ!」という意識を持っている者は、戦場で並ぶときにも、一対一で戦うような場面を想定しているときも、自分を目立つように武装しました。この武装は③防具性能も大事ですが、②自分の動きの自由を妨げられないこと、①見た目の目立ちが重要でした。 
総大将でなく、侍大将でもなくても、大音声で「われは◎◎の○○なり」と名乗ることが大事であると思っているような武門の一家の者であれば、相応に変わり兜も準備してました。 結構軽く造られているようです。
戦闘の後で、武勲を主張し功績を認められ恩賞を得るのにも、個々人が戦闘の混乱の中でも一目で分かる鎧兜は大事です。
https://museum.city.fukuoka.jp/archives/leaflet/ …

名のある武士は個性的な立物を求め、その例は戦国期の黒田家の家臣井手友氏の肖像などに見ることができます。
藩が下級家臣への貸し出す揃いの兜は統一されることもありますが、特定のタイプが家臣の間で流行することもありした。福岡藩では、初代藩主黒田長政が水牛角の脇立を持つ桃形兜を愛用したため、それにあやかる家臣が多くみられます。2代藩主忠之の側近小河家伝来の桃形兜は、金泥脇立と軍扇前立を持つ派手なものです。
 さらに時代も進むと、変わり兜には、紙や木などで奇妙な形や面白い形を作り漆で固め、鉢に被せて一体化した、張懸手法で作られた兜も現れます。小河家に伝わったのは鋭く立ち上がる波頭の様な奇抜な造形の兜です。
 変わり兜と一体となる胴は、桶側胴が有名です。漆で固めた革板や鉄板を、鋲留めや革紐綴じによって、桶のような外観に組み上げました。胴は前後2つに分かれ脇を蝶番でつなぐ2枚胴が普通ですが、上級武士用に、やや箱状で打撃に強い5枚胴も作られました。また鉄砲や槍の攻撃から、籠手や佩立、脛当で全身を守りました。
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大将の兜でなく、伊達政宗だと判ります。


武将は、己が目立つ様に各自で工夫を凝らすのです。
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こんばんは。


兜の前に伊達政宗が有名すぎるので、何とも言えないのですが、兜は現物を見た方がよいです。
仙台の博物館?にレプリカか実物かは分かりませんが飾ってありまして、三日月の形が顔の横幅の3倍くらいあるのでめちゃくちゃ派手でした。大将らしさは十分にあると思いますよ。

私的にこれは大将の兜....か?第一位は細川忠興の柄杓の兜です。
なかなか個性が出て兜の世界は面白いですね。
「伊達政宗の兜の前立ては人目で大将の兜だと」の回答画像1
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