天使と悪魔選手権

分かりにくい質問文&稚拙な質問をさせて頂きます。大衆は犯罪者Aの起こした殺人事件がニュースで報道されると「なんでやつなんだ!」「最低だ!」などと言い犯罪者を避難します。それが普通の反応です。

しかし、理論的にはどんな人間でも全ての細胞と環境が同じで犯罪者Aとして生まれていたら殺人をしていたことになりますよね?(教えていただけたら幸いです)家庭環境、バックボーン、IQなど人間を形成する要因となる物は私が無知なだけで沢山あると思いますが、自分が犯罪者Aとして生まれていたら理論的には全てが合致する事になります。
犯罪を肯定していいわけがありませんが結局、人間は他人とは違う環境や脳にによって形成された自己の行動を行っているだけで自由意志なんてないんじゃないでしょうか?殺人鬼もなるべくしてなっただけのように思ってしまいます。

質問者からの補足コメント

  • どうしてならないのか教えていただけると幸いです。生まれた日や周りの環境が違えば変わってくると思いますが、全てが合致している同じ人間として生まれれば同じ行動をするはずだと思いますが。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2024/08/14 10:17

A 回答 (6件)

自由意志なんてないんじゃないでしょうか?


 ↑
コレは、哲学や科学の大問題で
結論は出ていません。

現代では、遺伝や環境の影響を受けながら
それでも、最後は主体的に行動するものだ
というのが通説になっています。

主体性が無ければ、隔離はあっても
刑罰などあり得ませんから。




○参考

米国の研究ですが、常習犯の95%に
染色体異常が発見された、という報告が
あります。
100%ではない。

収監者の過半数には、脳異常が
認められた。

女性8人を殺害した大久保清の
父も祖父も同じ犯罪を犯していた。

一卵性双生児の片方が常習犯だと
もう片方も、ほとんど例外なく常習犯。

永山基準となった永山則夫は、環境が
劣悪だったので、犯罪者になった
と抗弁したが、
同じ環境で育った兄弟はまともだ
と却下され死刑。

米国では、認知行動療法が行われ
これにより、性犯罪抑止に一定の
効果を出している。

同じく、米国では薬物により
性犯罪抑止に効果を出している。
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> 理論的にはどんな人間でも全ての細胞と環境が同じで犯罪者Aとして生まれていたら殺人をしていたことになりますよね?



科学的に分からないとしか言いようがありません。なぜなら、全く同じ細胞、同じ環境などの人を2人以上集めて対照実験することができないので。

> 自由意志なんてないんじゃないでしょうか?
いい洞察だね。脳科学的にその考えは正しそうだとされています。なので、あれをしようこれをしようというのは、基本的に脳が無意識に行った判断で、その理由を後付けしているだけというのが現在の主流の説です。
ただし、こうしよう→意思によってやっぱやめようというのはできるそうです。
要するに、意思というのは、行動案の提起(そんな言葉ないけど察してね)はできないけれど、脳が判断したことを拒否することだけはできるそうです。
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その発想や考え方で社会は作られています。

ただし「確率的に高まる」という考え方をしており「決定的ではない」としています。

以下は長いので興味があればお読みください。

●悩んでも仕方ないので仮に世界はこうであると決める

「全ての事象はあらかじめ定められていたのか?」「それとも人に意思で自由に改竄可能な未知の物ばかりなのか?」

こうした議論は昔からあったわけです。

しかし前者の人は「すべては定めであり抵抗は無駄だ」と無責任な振る舞いが増えるかもしれません。後者の人は無謀な選択をして失敗するかもしれません。

そのため宇宙の真実が明らかになるまでは、

「世界は確率的に予想が出来るが、個人の判断によって
 結果が良くも悪くもなる部分があるとし、その判断に
 対して称賛したり、制裁を加えたりするので良い」

とすることで「大筋上手くいくと社会は信じた」という事です。

●犯罪を行った人に対するスタンス

仮に「結果」は「確率」と「個人の判断」で生まれるとしたとき「犯罪を犯したという結果」を導いていしまうのは「どんな確率母体(つまり環境や経緯)」があったのか? どんな「個人判断をしたのか?」明らかにしないと「自分も同じになる」かもしれません。

そのため犯罪が起きた状況(環境や経緯)を調べて「個人としてどう判断すべきであったのか?」を学ぶべきでしょう。

そこから「環境の改善(社会の仕組みの改善)」を訴えつつ、個人として用心するのが正しいアプローチだと思います。「犯罪者を非難するだけ」のやり方は「社会の環境改善」だけをあてにして用心を怠る結果になります。

社会が対応するまでの間は「自分個人の判断力を高める」ことで身を守らないと行けませんよね。

「非難して終わるというのも個人の判断である。それが
 第二第三の事件の当事者を生み出している」

●現実逃避について

現実逃避というのは「自分の安全について考えるのを辞めた状態」と言い換えることが出来ます。そして「何について考える事を辞めたのか?」という部分では「確率」と「判断ポイント」について考えるのを辞めたと言えるでしょう。

・どうせ何をしても無駄だ、結果は決まっているんだよ
・考えても仕方ない、やるんだよ!

このどちらも「確率」や「判断ポイント」について調べたり、考察したりするのを拒否していますよね。なので現実逃避なのです。犯罪者を非難するという行為も現実逃避の一つだと言えます。

●現実逃避が起きる理由

現実逃避が起きていしまう代表的な理由は以下の通りです。

1.ストレスやプレッシャー
2.疲労
3.不安や恐怖
4.完璧主義
5.責任感の欠如
6.飽き性
7.逃げ癖

つまり「犯罪者を非難して終わりにしてしまう」という「現実逃避」をした方は上の1~7に該当する可能性が高く、非難しているご本人が「次の事件の当事者」になる心配が出てきますよね。

「自分の体調が良くない」と考えて安静にするのも良い判断ではないでしょうか?

●総括

全ての人が現実と向き合えているわけではありません。ほとんどの人が流れに身を任せて生きているのだと思います。そうした中では「無責任な発言や行動」が多々あるでしょう。私であっても「うめき声」の様な音声を発しますよ。その「うめき声」を基に考察されたら恥ずかしくなります。そこは見逃していただきたいものです。

貴方の考察は社会の考え方を知る切っ掛けになる良いものだと思いますが「安静にして休養する」という選択をした未来の方が「より良い流れ」を作ったかもしれません。そういう可能性を考えるほうが「自由意思の意味が無い」と考える未来より幸福であると思います。

以上、ご参考になれば。
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>犯罪者Aとして生まれていたら


その仮定が無意味なのでやり直し。

>理論的には全てが合致する事になります
犯罪者として生まれるなら犯罪者に決まっていますが、それはただのトートロジーです。
思考としての意味がありません。

さらに、実際に全ての因子が同じになることはありません。
似たような環境とか境遇とか人格ならありえますけどね。
それでも「犯罪者として生まれたら」というのは結論ありきの無意味な仮定です。
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日本には昔から「罪を憎んで人を憎まず」という慣用句(ことわざ)があります。



あなたが質問中に書いていたことの多くは、この慣用句に集約されると思います。

憎むべきは罪であって犯罪者そのものじゃないよ、と言っているわけで、良識的には昔から言われ尽くしてきたことです。

また、自由意志については哲学的な話になってきます。

そこに自由意志はないと考えてもいいし、自由意志はあると考えてもいいでしょう。どっちも証明できないので。

ただし、自由意志があろうがなかろうが被害者は存在しており、罪を償う必要はあるはずです。
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いいえ。

なりません。
この回答への補足あり
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