架空の映画のネタバレレビュー

最近思ったのですが、「民主主義への信仰」と言うのは近代以降古今東西あらゆる文明、国家で常識化されていたのではないかと思います。例えば現代の先進国のように民主主義を実践している国だけではなく、ナチスドイツやソ連、中国、北朝鮮においても憲法には必ず「全ての権力は人民に由来する」旨明記されており、ヒトラーにしろスターリンにしろ、「俺は人民に支持されている」「俺はプロレタリアートの絶対的な擁護者」であることを自らが独裁的権力を振るう言い訳にしています。つまりあらゆる政治体制において民主主義を誠実に実行しているか否かは置いておいて「人民の声こそ正しい」「世論に従って政治を行うことこそが正しい」と言う概念はあらゆる国家において常識化されているのではないでしょうか?世論や、人民の声というものを全く度外視してかつての王権神授説時代の専制君主の如き、無条件に自らが権力を振るうと言うような独裁者はいましたでしょうか?
その意味でアメリカもソビエトも結局は同じ穴の狢というような感じがするのですがいかが思いますか?

質問者からの補足コメント

  • 北朝鮮がわざわざ選挙を行い、金正恩以外に投票したやつを粛清する儀式を開いているのは、まさに独裁国家ですら、民主主義を盾にしなければ独裁政治を行えない典型的な例だと思います。

      補足日時:2024/10/16 23:11
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A 回答 (4件)

いくら民主主義を唱えても、「民主」の確たる理念もなく、言葉だけがひとり歩きしていては、「衆愚」に落ちいり国家は滅びます、


古代アテネが良い例です、理想的なワイマール体制のドイツが良い例です。
「民主主義」を正しく機能するための条件は
・国民が強く賢明になり社会の主役になければならない。
・政治に関心を持たねがならない
今の日本は名ばかりの民主で、草の根の民主主義がない。
人間の哲学という土台なき民主主義であり、非所に危ない。
今の日本は「教育のための社会」でないため 「民主主義」が「衆愚主義」にと堕してしまった。

かのプラトンは、その名著『国家』のなかで、哲人王の政治をはじめ、五つの国制を論じたが、民主主義は下から二番目という低い評価を下している、
その理由は、人間の内面の陶冶を欠いてしまえば、民主主義は自由を謳いながらも、かえって、民衆を欲望の奴隷にしてしまうからである。

民主主義の原理、および歴史を考察してみると、
「真実の民主主義は宗教的信念に基礎づけられている」と言えるのです。
しかし、「尊厳なるべき個々人を侮辱し迷妄ならしむる」宗教は「民主主義の敵」なのです。
しかし、
民主主義の政治における宗教的信念は他者貢献や社会貢献といった利他の精神や平和主義へと昇華するときに生きるのです。
ホイットマンは
「民主主義の真髄には、宗教的要素がある」と言い、「人格主義」を主張した。そして彼は「人格主義の背骨は『宗教性』である」と断言している。こうした考えから、彼は「宗教的民主主義」を提唱した。

政治から、一切の宗教性を排除したがる日本人に違和感を感じます。
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中国は民主的な選挙が開催されていないので民主主義を標榜しているとはいいがたいですね。

北朝鮮の世襲制も同様です。
ロシアの大統領制はたしかに民主的ですが、しょせん独裁者による社会主義でしかないので民主主義を信仰しているわけではありません。
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なぜ民主制なのか。




昔は、国家というのは、王侯貴族の
モノでした。
戦争も彼等と傭兵でやりました。

それを、国家は国民、皆のモノ、と
したのが民主制です。

民主制は国民を動員出来るので
強力なのです。

だから、最初に民主化した西洋が
世界を席巻出来たのです。

これに気付いた国々は、一部を除き
民主化に傾いていった訳です。

つまり、民主制に対する信仰ではなく
民主制は強い、ということが
判った故の結果です。


日露戦争では、多くの国がロシア
勝利を予測しました。

しかし、米国ルーズベルトは日本の
勝利を予測していました。

「ロシアは、ニコライの独裁だが 
 日本は民主国だ。 
 故に、日本が勝つ」


こうした実績が、世界を動かしたのです。
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>無条件に自らが権力を振るうと言うような独裁者はいましたでしょうか?



現在でも絶対君主国家は存在します。
ブルネイ
アラブ首長国連邦
オマーン国
カタール国
クウェート国
サウジアラビア王国
バーレーン
エスワティニ王国
リヒテンシュタイン公国
バチカン市国

絶対君主制国家とは、民主主義ではなく専制君主が政治を支配する形態の国家で、民主主義は存在しません。

またイランは神聖国家で、民主政府の上にイスラム教の協議会があり、民主的に決めてもこの協議会が「神の法に反している」と決定するとストップします。

>「人民の声こそ正しい」「世論に従って政治を行うことこそが正しい」と言う概念はあらゆる国家において常識化されているのではないでしょうか?

上記のようにごく少数の民主的ではない形態の国家は存在しますが、全世界200国家あるとされるうちの数パーセントにすぎません。それ以外の国家は、現実的には独裁形態かもしれないが、一応「民主国家」という形態をとっています。

その理由はいくつかありますが、一つには「欧米の先進国が《民主主義国家を絶対視》しているので、取引のために民主主義国家の形態を目指す必要がある」からです。

良い例が内戦後のカンボジアで、国連が協力して共和国化を目指しましたことです。1970年代までは独立運動や内戦が多発していましたが、国連が介入した国家復興は必ず「選挙」がセットになっていたからです。


しかしカンボジアでは、各軍閥が民主的な政治システムに不信感があったので、結局亡命していた元国王を新カンボジア国王に即位させ、国王に忠誠を誓う形で軍閥が武装解除し、その後選挙を行うという立憲君主制になりました。

スペインもフランコ将軍独裁の後、国王が復帰して立憲君主国に戻っています。

これらの国家は絶対君主制でも安定したのかもしれませんが、欧米との取引には「民主主義国家である」ことが重要だったのです。

また、現代の資本主義経済を維持するためには、独裁的な国家では不都合があります。そのため先進国は途上国の政治や経済を整備する際に「民主主義に基づく資本主義国家の体制作り」を優先します。

そうしないと、欧米の巨大資本がその国の市場に食い込めないからで、上記に書いた絶対君主制の国家がほぼ石油産出国なのは「欧米の資本に対抗できるだけの資源国家で、経済力で欧米に対抗できる」からです。
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